魔女の優越

620名ほどの部隊になったが、内訳は使者600名、従者19名、指揮官の兵士であるアベ一名というほとんど使者による部隊だった。
街の外に天幕を置いて、駐屯させている。命令通り町の外からの脅威に対処するために。


私は今日は非番だ。例年ならまだ寝込んで怠けている時期だから、私の疲労は極度に極まっていた。早くもお布団に入っている。

「お嬢様来客です」

私付きの年配の従者が言う。

「だれ?」

「クラベイヌイと、子供を一人連れています」

「通していいよ」

私は布団からのそのそと出て、服を着替える。めんどくせー、と思ったが、彼の来訪はいつも突然来るから、しょうがないと思った。

クラベが機嫌がよさそうに破顔して言う。
「今日はお客様を連れてきました」

隣の少年が言う。
「初めまして、サダメさん。俺はミヒメアサラシと言います」

アサラシ。アザラシ。魔王。こいつが。
子供。完全に子供。おかしい、聞いた話では20歳は超えているはずだ。

「この子は?」と訳が分からなくなってクラベに尋ねると、クラベではなくミヒメが答えた。
「闇の陣営の代表者です。若く見えるでしょうが、貴方と同じように呪物の力です。子供ではなく、これでももう21です」

13歳くらいにしか見えない。華奢で、整った容姿と、普通の人より濃い黒い瞳と黒髪が印象的だった。真っ暗。吸い込まれそうな瞳とはこういうことを言うのか。と瞬間的に感じた。

「闇のメシア?」と私が聞くと、「そう呼ぶ人もいます。アンチキリスト。獣。魔王。とか。この町の防衛に協力します。俺も法術を使えるので、役に立ちます」

クラベは話を追加する。
「魔王は関東州都にいたんですが、敗戦を予感して、平園に来たみたいです。こちらのほうが可能性あるからって」

私は言う。
「それは助かる、けど、キリヤマ氏には話を通したの? 仕官するなら私じゃなくてキリヤマ氏に言わないと…」

ミヒメが言う。
「レンには話を通しました。俺にも仲間たちがいるので、あなたと同じように防衛団のような位置づけにしてもらいました。紛らわしいので、第二防衛団という名称にしています。協力し合う間柄として、貴方に挨拶に来ました」

仲間たち、というのは闇の陣営ということだろうか。本当に組織力あったんだ。夢の話が急に現実に出てきて、私は質問の仕方に困った。

「第二防衛団の規模はどれくらいなの?」

ミヒメは答える。
「1520名です。その他に法術使いが99名。別途参加を約束してくれている人が何十名かいます」

法術を使える兵士が99名って小国でもちょっといない数字だ。
私の防衛団は、数は多くても法術を扱えるものが少ない。
四人しかいない。兵士の少なさがかなり悩みの種だったから、この町の防衛にとってありがたい戦力になるのは確かだった。

本物の魔王かどうかはともかく、この状況下では現実的にありがたい。
わたしは二人が帰ると、神話の物語の本をなんだか読みたくなったのだった。


28

ミヒメの軍勢、が参加してから街の治安は休息に落ち着いた。単純に軍役者の姿が街に見えるようになった心理的安心感と、西へ逃亡する人々の数が落ち着いてきたからだ。

敗戦から一か月がたって、新聞の発行は既に停止している。
なので情報は自分たちで集めなければならず、関東北部は既に幾つもの大きな都市が陥落したらしいことを聞いた。

関東西部には平園から南に花蓮という都市があり、そこが実質西部の物流の中心地になっていた。

帝国軍が花蓮の制圧を目指すなら、平園を通る道が最短で、近くこの町にも帝国軍が来ることは予想に容易かった。

長山会館に駐留するレンの兵士から話がある、と言われ、このような報告を受けた。

「帝国の師団が1万5千、こちらに向かっている。未然君の軍団の師団だ。防備を固めてくれ。我々は防衛団の指揮に関しては関与しない。それぞれ独自にやろう」

事前の話し合いで、帝国軍が南下してきたら野戦に打って出ることを決めている。
レンの方針には概ね従うが、部隊の指揮は譲る気はないと伝えてある。

使者の集団は私じゃないと細かく動かしづらいし、色々な秘密も知らないだろうから。

向こうはそれをのんでくれたようだ。

関東北部から平園へとつながる桧山道から帝国の軍勢が南下してきたのが明け方。

私たちは事前に情報を得ていたので、平園の北門の前方一キロほどの距離の場に陣取ってそれを迎え撃つ形となった。

布陣は三角形。前方右翼に第二防衛団の面々。前方左翼に私たちの部隊。後方にはレンたちの部隊が控えていた。

敵の軍勢はこちらの様子を見るように前方で止まった。

視認できる距離で目の前に止まるとか、コカビエルの携挙なら千人くらいなら宇宙に連れていけそう。しかしコカビエルの携挙は対象が明確でない場合コカビエルの目に見える範囲でランダムに宇宙に連れていく。
私の味方を術にかけることはないが、連れていく人間には好き嫌いがあるようで、自分が気に入った相手しか携挙してくれないという面倒くさい制約があった。

対象を明確にする作業も面倒くさく、神話を引用して相手を示唆しないと、興味を持ってくれず、何もしてくれないこともあった。


それでも、目の前に固まった集団だから、千人くらいなら持って行ってくれそうだと思う。

実際どのくらい携挙されるかは私にもわからない。一万五千人の集団なら千人くらい、というただの経験則だ。

竜騎兵はたまたま神話にそれに近い文章があったので、全員連れて行ってくれたが。


エロヒムはまだ死人がいないので、呼んでも意味がない。

心臓に意識を集中する。闇の顕現。頭上に闇の輪が広がり、あたり一帯が暗くなった。
「アドラメレク、来なさい」

音が聞こえない音の中、私はそのように言葉を出した。

暗闇に、目。巨大な存在がこちらを覗いている。

「貴方の言葉をください。代わりに右目をあげる」

その言葉と共に、私の右目は見えなくなり、暗闇しか映さなくなった。

言葉、悪魔の言葉が宿る。言葉に、言葉に。

私の思念は周辺全体に聞こえ、その言葉はすべての音波に優先される声となって幻のように響いた。

「コカビエルよ、彼らを召しなさい」わたしは自分の意志によらずにそう唇を動かした。悪魔の声が勝手に語る。自動的な言動。その声は人々の頭の中にも鳴り響く、という。

敵の軍勢の中から何百人もの人々が空中に飛び上がり、一瞬現れた暗闇の中に消えた。

悪魔の声は、優しく、囁くように、人々に語り始める。
「これは携挙です、皆様。いま天使が彼らを天に連れていき、生きたまま、彼らを永遠の世界へと誘いました。また私は言います。エロヒム・サバーオートよ、死したるものを、その悠久の牢獄から解き放て。もしこの場に死んだ者たちがいるなら、彼らは復活します」

それまで口々に怒声を叫んでいた敵軍が、口を開けたまま悪魔の声に聞き入っている。何を語るのか、なぜ聞こえるのか、混乱している様子だった。

「天国の国の門の鍵は、私の右の手にあり、地獄の門の閂の錠の鍵も、私の左手にあります。あなた方は兵士です。戦う者たちが、死んだときに向かう天国と地獄の権威者と、いまこの場で戦うのでしょうか」

敵軍の間には怒って何かを叫ぶ様子の者たちや、困惑して話をしあう者たちの様子が見えた。

「また、あなた方が聞いているこの言葉。これを地上の道具による力だとおもうのならば、大きな間違いだと気づいてください。あなた方の目の前に広がる闇。その中心に、私がいます。私が語っているのです。わたし、私の名は王。私だけが王であり、死したるものたちは、私に仕えます」

悪魔の言葉が悪魔のささやきを語っている。その声音は天使のようで、また慈愛に満ちたような優しげな声だった。絶対こいつの言うことを真に受けちゃいけないんだよなぁ、と思いながら、悪魔の言葉は私の唇を強制的に動かす。

「いま、あなた方が、地上の王権を求め、国々を侵攻するのならば、その栄華はひと時のことです。死からは誰も逃れることはできない。たとえ地上の全てを手に入れても、死んで魂が地獄に落ちるのならば、何の意味があるのでしょうか。また、実際、私の前で、あなた方の銃や兵器が通用するでしょうか? 実際、あなた方は、私たちの天使の一兵にも劣るでしょう。イエルミエルよ、彼らに姿を見せなさい」

途端に悲鳴が敵の軍勢から上がった。恐怖のあまり座り込む者もいる。彼らが何を見ているのかは知らない。イエルミエルの権能は幻覚。幻を見せられているのだ。

「あなた方は私の言葉に従い、ここを去りなさい。さもなければ死よりも苦しい永遠の地獄で、あなた方は裁かれる。エロヒムよ、使者たちに命じなさい、前進せよと」

使者の軍勢が敵軍に突進を始める。
その様子に慌てた敵軍は、応戦のため発砲を始める。

私はアドラメレクの声を出し、自分の意志ではなく自動的に語りかけ続ける。
「このものらは、死を超越した者たちであり、神の先兵として地上からあがなわれた者たちである。あなた方の剣が、その肢体を貫いたとしても、彼らは死なないであろう」

「抵抗するな、逃げなさい。ならば許そう。死んだあと許しを乞うても遅いのだから。指を止めよ。私は貴方が鉛を放つのを許さない。私たちはあなた方のその指を、人を殺すために造ったわけではない。またあなた方のその足を、仲間を踏みつけるために造ったのでもない」

戦闘中にそんな言葉をささやかれ続けるのだから、相手はたまったものではないだろう。明らかに敵の発砲音の回数が減っていく。

「どうか思い出してほしい。暗闇からあなた方を見ていたものを。あなた方は覚えていないのだろうか。あなたが夜泣いているとき、あなたが朝に痛みに苦しんでいるとき、私はいて、貴方を見ていた」

しかも目の前の使者の軍勢は撃っても撃っても立ち上がって、向かってくるわけである。これはたまらない。

とうとう前線の兵士たちが恐慌状態になって逃げだし、後列の兵も何度か発砲した後逃げ出し始めた。

使者たちが唱和しながら「メシヤー、メシヤー」と口々に唱えている。飯のことからメシヤのことになっている。なんだそのダジャレ。

使者たちもふざけて悪魔の声に調子を合わせているのかもしれない。そんな茶目っ気があったのか。

敵兵の姿が見えなくなったころに私は呪物への力の供給を絶った。

暗黒の中心にあった闇が消え、あたり一帯に光が戻ってきた。

それと共に右目の視力が回復し始め、物が見えるようになってきた。唇を動かす見えざる力も消えている。

悪魔の声は感情に直接訴えかけるようで、自分の心の中から聞こえるような聞こえ方をする。その上優しく、美しい声音で語りかける。

信心深いものほど精神力が削られていく。

損害は使者たちの多数の負傷であり、それも回復するから、損害はないといってもよかった。

その代わり敵も逃亡兵が多く、戦利品の呪物や銃器の数も少なかった。

しかしそれでも痛手なく侵攻を阻止できたのだから、この悪魔も使えるな、と実感した。


29
帝国軍師団の撃退は、むしろ完全に向こうを怒らせたようだった。
平園は15万の大軍に包囲された。その間何もできるわけがない。包囲するさまをただ眺めるだけ。

一応降伏の使者をだしてみたが、首を街に投げ返されただけだった。
おまけに冬も過ぎた春になって、わたしは息も絶え絶え、具合が悪くてこんなことでもなければ寝込んでいたいほど発熱もしていた。

魔王の陣営は有能で、果敢に野戦をしかけ、一時敵の包囲を崩した。しかし、敗退した。戻ってきたのは200名足らず。99名いた兵士は30名を切り、ミヒメも負傷していた。

敵軍は単純に餓死させるつもりらしく、それだけじゃなく砲弾も数分ごとに着弾した。