狼たちの午前

 家内が子供と遊びに行くと言う。子供は連れ子だから私にとっては赤の他人である。それでも父であることには変わりないから一緒に行こうと思ったがやめた。もうすぐ四歳で簡単な言葉を話し、活発らしい。家内も私も仕事で子育てどころではないうえ、子供がはしゃぐには家が狭い。就学年代になっても里親に預ける羽目になりそうだ。
 もとより、家内の不義理――婚前に妊娠していた――だから私が子供に愛情を持てないのは致し方ないように思う。家内は生理が来なくても妊娠を疑わず、腹も膨らまないことから孕んで半年を過ぎてようやく医者の診断を受けた。やむなく産むことになったが、仕方ない。出産には義弟が立ち会った。彼と子供のツーショット写真、家内と子供のそれもある。が、私は関心を持てず、無精子病かもしれないため恨むこともできず、写真のなかで白い歯を見せる家内を見ても何も感じない。ある種の恐怖は感じる。それがどこから惹起され、どういう性質のものなのかわからない。それを掘り下げるのが文学かもしれないが、そこまで考える力を持たない。
 家内のそういった不義理があったため、私は堂々と亭主関白をしている。拳を振るうことはしないが、令和の時代に平然と暴言を吐き、買い物や身の回りのことはすべて家内に押し付ける夫は日本でも私ぐらいのものだろう。そういう男を世間では「昭和の人間」というが、昭和も長いのでいったいどの年代のことを指しているのか具体的に指定しなければ今の若者にはまったくチンプンカンプンだろう。元歴史家の私も異議を唱えたいところだ。
 そうこうしているうち、家内が台所で何か音を立てている。家では話すよりLINEでメッセージを送って意思疎通をはかるため、先ほど握り飯をはやく作れとの指摘に応じた行動だろう。午前十時にサケの握り飯を持参して公園に来てほしいとの里親の連絡があったが、八時半まで――私が指摘するまで――何もしていなかった。どこまでも悠長な女だ。家内は稀代の大馬鹿なので語り出したら血圧が上がってしまうので擱筆したい。
 野太い唸り声が聞こえるので、いま着替えて出るところだろう。まだ十分に時間はあるのだが、そういう点も含め大馬鹿なのだ。