どうやら日輪殿は朝陽の住まいであるらしい。老爺は巌と名乗った。案内された日輪殿に着くと、雪音は老爺に尋ねる。
「巌様、私はなにをしたらよろしいのでしょうか」
「私のことは巌とお呼びください雪音様。そうですね、まずは湯あみをなさいますか? それともお食事をとられますか? 食事は朝陽様が一緒にとりたがると思いますが……」
「え……いえ、あの、そうではなくて、私の仕事は何でしょうか?」
巌は年老いた目を再び丸くした。雪音は自分の尋ね方がいけなかったのだと思い、補足する。
「奴隷として連れてこられたのだと理解しております。できることには限りがあるかもしれませんが、できることがありましたらなんなりとお申し付けください。あ、でもまずはこの汚い体をどうにかしないといけませんよね……」
「もしかして雪音様、朝陽様から何も聞いていらっしゃらないのですか?」
「何も、とおっしゃいますと……?」
老爺は首を横に振る。
「ここで私が朝陽様を甘やかしてはいけませんね。雪音様、私からは申し上げかねますが、あなたはけっして奴隷などではございません。ですから、雪音様に私からなにか仕事をお願いすることはございません。長旅でお疲れでしょう。まずは湯あみなさってください。おそらく、月華に比べてこの国は暑いでしょうから、汗をかいておられるでしょう」
「あ、ありがとうございます……あの、巌様」
「巌でございますよ、雪音様。なんでしょうか」
「この国は、陽龍の国でしょうか?」
「ええ、さようでございます。では雪音様、老いぼれは失礼いたします、ゆっくりなさいませ」
にっこりとほほ笑む老爺が部屋から出て行くと、若い娘が数人姿を見せた。
「雪音様、湯あみの準備が出来ております。参りましょう」
言われるがまま、あれよあれよと湯につかることになる。
「あっ……」
「申し訳ありません! 熱かったですか! 火傷したら大変……ぬるくいたしましょうか」
雪音のつぶやきを聞きつけて、慌てた声が聞こえる。雪音も慌てて否定した。
「いえ、すみません。違うのです、熱くはなくて、ちょうどよいと思います。ただ、驚いてしまって……」
お湯に浸かったことのない雪音はその温かさに驚いたのである。とても心地よい。湯に浸かると、自分が疲れていることに気がついた。あまりに色々なことが一度に起こりすぎて、受け入れることに必死だった。夢かもしれないとも思う。目が覚めたら、あの冷たい神殿で目が覚めるのではないか、と。
困惑していることもたくさんある。ここは陽龍の国だという。そうなれば、朝陽も巌も、陽龍の一族ということになるはずだ。野蛮で残忍な陽龍の一族……陰の国でまことしやかに言われていた姿とはずいぶんと印象が異なる。
「雪音様、のぼせないうちにおあがりください」
「は、はい」
促されて湯から立ち上がると、ふらりと体が揺れた。のぼせる一歩手前だったようだ。声をかけて貰えてよかった。
日輪殿にもどると、食事が用意されており、朝陽が雪音の帰りを待っていた。まさか、自分を待っていたのだろうかと落ち着かない気持ちになる。誰かと一緒に食事をした経験はない。もちろん、誰かに食事を用意されたこともなかった。月羽矢家では、使用人たちでさえ雪音のことを邪険にしていたから。
「待ちくたびれたぞ」
「も、申し訳ありません」
「いや、謝る必要はない。湯は心地よかったか?」
「はい、とても……」
「次は食事をとれ、おまえは少し痩せすぎている」
信じられない。これが自分用の食事だという。目の前に並んだ豪華な食事に驚いて声が出ない。雪音の実家である月羽矢家もかなり裕福だったが、こんな食事が並んだことはない。もちろん、その食事も雪音の口に入ったことはないが。
「どうした、食わないのか?」
「あ……はい、あの、私が食べてもよいのでしょうか?」
雪音が困惑していると、朝陽は僅かに口元を緩めた。微笑んでいるのかもしれない。
「おかしなことを尋ねるやつだ。おまえのほかに、誰がいる」
「申し訳ありません……驚いてしまって」
「とにかく食え、おまえが食わねば俺も食べにくい。心配するな、毒など入ってはいない。心配なら毒見をしてやる」
「いえ、疑ってなどおりません」
「では食え」
朝陽に促され、恐る恐る一口口に運ぶ。
「……! 美味しい……!」
口のなかで広がる優しい味に思わずため息が漏れる。
「口に合うようで良かった。生憎俺は月華の食生活が分からないからな」
一匙一匙味わいながら食べ進めていると、じわりと涙が滲んできた。美味しい食事というものは、驚くほどに心をあたためるものらしい。ふと、視線を感じて視線を上げると、朝陽がこちらを見つめているのに気がつく。
しまった、と雪音は匙を止めた。黙々と食べているのが気に障ったのかもしれない。
「申し訳ありません」と口を開くと朝陽はじっと雪音を見つめていた。
「謝る必要なない。おまえは自分が俺の奴隷であると思っているのだと巌から聞いた。あながちその認識は間違ってはいないかもしれないが、違うとすれば、おまえは俺の伴侶になるというところだ。奴隷ではないが、俺から逃れることはできない」
「え……! ごほ、ごほっ」
一番の驚きかもしれない。今、朝陽はなんと言ったのか。自分を妃にと言わなかっただろうか。あまりに驚いて咽っていると、朝陽が立ち上がり雪音の背を撫でる。
「そ、それは……どういうことでしょうか」
「言葉通りだ。おまえは俺の妻になる。おまえに拒否権はない」
雪音は遠慮がちに朝陽を見た。日に焼けた肌は精悍な顔立ちを引き立たせている。貴族というよりは武士に近い雰囲気だが、雪音はそれを野蛮だとは少しも感じなかった。月華の武士のような、粗野な雰囲気は朝陽にはない。
思わず見惚れてから、はっと視線を外す。顔が熱かった。
「どうして私を……」
「それは……なぜだろうな。気がついたら連れ帰っていた。欲しくなったのだ、おまえのことが」
ふっと、朝陽が微笑んだような気がした。
日輪殿の寝所には、布団が二枚敷かれていた。朝陽の姿はまだない。先に横になってはいけない気がして正座をして待っていた。布団の柔らかさ、あたたかさに驚く。月羽矢の家では板の間に薄い掛け布団をかけて眠っていた。
「起きていたのか、俺を待っていたというのなら、期待してしまうな」
明かりのない部屋で雪音が座していることに朝陽は驚いた様子だった。
「起きているなら明かりをつけろ」
「も、申し訳ありません……勿体ない気がしてしまって」
「今日は疲れているだろう。俺は眠る、おまえも早く寝ろ」
「あ、朝陽様がお眠りになられてから眠ります」
答えると大きな手が伸びてきて雪音を包み込んだ。雪音の小さな体はあっという間に朝陽の腕の中に収められる。
「疲れているのだろう、無理せず眠れ。おまえが起きていると落ち着かない」
「も、申し訳ありません」
「謝る必要はない」
朝陽は雪音を腕に抱いたまま、寝息を立て始めた。規則正しい寝息と、心臓の音を聞いているうちに睡魔が襲ってくる。
普段はどんなに疲れていても寒さでなかなか寝付けないというのに。今夜はすとんと眠りに落ちた。目が覚めたら、月華の神殿に戻っているかもしれないという不安をわずかに抱きながら。
翌朝目を覚ました雪音は、辺りの様子が普段と違うことに驚き、自分が陽龍の国へ連れてこられたことを思い出した。どうやら夢ではなかったらしい。隣に朝陽の姿はない。すでに起きてしまったようだ。自分が寝坊をしてしまったのではないかと不安になるを
「お目覚めですか、雪音様」
布団を片づけなからオロオロしていると、襖が開いて若い女性が顔を出した。
「おはようございます、雪音様」
「お、おはようございます」
「巌様より雪音様の身の回りのお世話を仰せつかりましたし、鈴城と申します」
「すずしろ、さん」
「鈴城でございますよ、雪音様、さんは不要です。朝餉の準備が整っております。お召し替えを手伝いますので、こちらの着物に着替えてくださいませ」
鈴城が差し出す着物を見て、雪音は目を丸くした。旭華に来てからというもの、驚くことばかりである。
「いけません、こんな上質なもの……」
「何をおっしゃいますか、雪音様はこの国で最も高貴な女性になられるのです。これくらいの着物を着ていただかないと、陛下に私共が叱られます」
「あの、陛下というのは……」
「雪音様の旦那様ではございませんか、朝陽様はこの国の王であらせられますよ」
やはり。薄々ここは王城ではないかと思っていた。周りの人びとの態度を見れば、朝陽が王にほかならないことは容易に想像がつく。だが、実際にそうであるとわかると、ますますどうして自分がその妻に据えられたのかがわからなかった。
「驚かれるのも無理はありません。昨日突然連れ去られて困惑していらっしゃることでしょう。月華にはない文化だと巌様から伺いました。陽の鬼の婚姻は花嫁を奪うことによって成立します。欲しいものは自分の力で奪い取る、それが陽の鬼の在り方なのですよ。強さを誇示するためです。少々手荒な感じがするかもしれませんが、国内では意外と諍いは起きません。私たち女性は意中の相手から奪われるのを待つのです」
「そう、なのですね」
月華の国とはあまりに違いすぎる。月華の婚姻は親同士が決めるのが常である。互いに利になる場合にのみ成立する。だからこそ、雪音の母は月羽矢の妻にはなれなかった。
鈴城に促され、戸惑いながら上質な着物に袖を通す。髪は鈴城が梳いてくれた。
「艷やかな髪ですね。紅色の衣に少しも引けを取りません。この着物は陛下が自らお選びになったそうですよ、雪音様にお似合いになるだろうって、陛下の見立ては確かですね」
身なりを整えると、食事が運ばれてきた。これも豪華な食事である。
「お召し上がりください」
「ありがとうございます」
鈴城が用意してくれた食事もとても美味しかった。突然自分がいなくなって、月華の国は探してはいないだろうかと思うこともあったが、たとえ雪音がいなくなったとしても、代わりの巫女はたくさんいるのだ。月華にとって、雪音は都合の良い巫女だったに過ぎない。月羽矢の家は他家からの報酬が無くなり少し困っているかもしれないが、大した額ではないだろう。陽龍の国に弓を引くような価値はない。自分の命の軽さを、改めて認識した。
旭華に来てしばらくが経ち、雪音は朝陽との生活に馴染んできた。朝陽は強引に連れてきた割に、雪音のことを丁寧に扱ってくれた。閨で強引に抱かれるのではないかとドキドキした夜もあったが、朝陽は雪音を腕に抱き、ただただ一緒に眠るだけである。后にすべく連れ去ったというが、褥を共にすることは求められていないらしい。心の準備が必要ではないかとドキドキしていた自分を少し恥ずかしく思った。
もちろん奴隷のような扱いも受けない、まるで要人のような生活に戸惑いながらも、穏やかな日々に感謝するばかりだ。
月華にいたころからは考えられないほど恵まれている。
雪音が想像していた通り、月華にとって雪音は取るに足らない存在だったのだろう。月華から雪音を返せといった催促は当然のことながらないようだった。
「お后様!」
日輪殿で鈴城たちと談笑している、幼い少女が駆け寄ってきた。そのままどんっと雪音にしがみつく。
「まあ可愛らしい……」
「はじめましてお后様、わたしは朝霞と申します。八番目の姫です」
雪音な小さな客人を歓迎するように可愛らしく微笑む朝霞に笑顔を返した。
「はじめまして、朝霞様、私は雪音と申します」
八番目の姫、ということは朝陽には少なくとも八人の娘がいるということだ。そうなれば自分のほかにも妻がいるはずである。朝陽の口振りからはわからなかったが、一国の王となれば多くの妃がいるのも当然のことだろう。雪音のことを慮り、暮らしに慣れるまで伏せていてくれたのかもしれない。
后と言う割に、后らしい務めを求められないことにも納得がいく。例えば、後継ぎをもうけるなどの。
「お后様は巫女様だと聞きました。どうかお母様たちを助けてください」
「それは、どういうことでしょうか?」
朝霞の話では、後宮で病が流行っているのだという。朝霞の話によると、朝陽はその特効薬を探しに陰龍の国へ来たようだ。
それで、巫女である自分を連れ去ったのだと納得する。
朝陽も回りくどいするものだと思った。病人を助けてくれと言ってくれたら、わざわざ后になどする必要もなかっただろうに。
少しだけ、ときめいてしまったではないか。と、雪音は寂しさを隠すように微笑んだ。
「それは大変ですね、お母様たちの容体を教えてくれますか?」
雪音には少なからず医療の心得があった。巫女には陰の気が宿る。陰の気は体を安らかにするのである。それを知っていた両親は、雪音に医院で奉仕も義務付けていた。おかげで月羽矢家の評判は都一であったとってもいい。王からの信頼も厚かった。その任は、きっと風芽が引き継いでいるのだろう。風芽も巫女であるのだから。
朝霞の話を聞いた雪音は病の全容を理解した。それは、雪音にとっても辛い病だ。
「それは、龍特有の病ですね。血を吸う羽虫が媒介して、感染が広がります。月華でも流行ったことがあるのです。青草落花という植物の種子があれば特効薬を作ることが出来ます。服薬すれば七日もあれば助かるでしょう」
雪音自身、同じ病で母を亡くした。月羽矢家の当主は、父は、母のために薬を用意してはくれなかった。
雪音が自分で調べ、青草落花の種子が薬になると分かった時には、もう間に合わなかった。
だけど、今度は救うことができるかもしれない。
「本当ですか!」
「はい、お母様たちは治りますよ。ところで、朝霞様はどちらにお住まいでしょうか? お母様たちと同じ場所で生活していたらうつってしまうかもしれません」
「はい、王宮医師にもそう言われて、わたしは後宮ではなく紅陵殿という場所に住んでおります」
朝霞の言葉を聞いてほっとした。
「良かった、知識のある方がいらっしゃるのですね。その王宮医師と方とお話がしたいのですが……鈴城さん、鈴城さん」
鈴城を呼ぶと、「鈴城でございますよ、雪音様」と鈴城が少し困ったような顔をして現れた。
「どうかなさいましたか、あら、朝霞姫様、どうなさったのですか?」
「お后様にお願いに来たのです、お母様を助けてほしいって。そうしたら、お后様が治療法を知っていらっしゃいました! これでお母様たちが助かります、鈴城!」
朝霞の言葉に鈴城は目を丸くし、雪音を見た。
「本当でございますか! 実は、後宮で働いております私の母も罹患しております。助けていただけますか?」
「もちろんです、朝霞様の話を聞くに、恐らく黄蝕病だと思います。青草落花の種子で毒素を中和できますから、治りますよ。そのことについて、王宮医師の方と相談したいのですが……」
「わかりました! 近衛兵の方から陛下に伝えていただきます。すぐに手配できるようにいたしますね」
鈴城は慌てた様子で日輪殿を出ていった。連絡を受けて、すぐに顔を見せたのは王宮医師ではなく、ほかでもない朝陽であった。
「雪音、病の治し方を知っているというのは本当か!」
「はい」
それを期待して連れてこられたのだろうと思うが、朝陽の驚きようは殊更だった。
雪音の話を聞いた朝陽はさっそく青草落花の種子を探させた。一斉に国中で青草落花の捜索が行われ、三日も経たずに見つかった。
「南の山に群生地を見つけた、これで安定して薬が供給できる。それにしても、ただの雑草だと思っていたものに思いもよらぬ価値があるものだ、驚いた」
「花弁を干して香炉で焚くと原因となる羽虫を対峙することもできます。しばらく王城のいたるところで焚いてみてください」
「わかった。雪音」
「はい」
朝陽が雪音の頬に触れ、じっと目を見つめてくる。静かな炎を宿したような瞳に、自然と雪音の頬は熱くなった。
恥ずかしくなって思わず視線をはずそうとするのを、朝陽は許してくれない。
「ありがとう雪音、おまえのおかげで大切な妹たちや父の后たちを失わずに済む」
「はい、お役に立ててよかったです。え……」
生まれて始めて誰かに感謝された。心の底から湧き出てくる喜びを感じると同時に、朝陽の言葉に違和感を感じる。
「どうした」
「今、妹たちとおっしゃいましたが? それに、父の后と……」
雪音が尋ねると、朝陽は不思議そうな顔をしてうなずいた。
「そうだが……そうか、おまえには後宮の話をしていなかったな。病のこともあり、おまえにうつってはいけないからと落ち着くまで話すのを控えていた」
「朝霞様は、朝陽様の姫様ではないのですか?」
「当たり前だ、あれは俺の末の妹だ。後宮にいるのはみな父の后たちだ。俺がおまえ以外の后を迎えることはない」
「え……」
朝陽には多くの后がおり、子供もすでに多くあるという自分の考えが勘違いであったことを知り、雪音は困惑した。
「では、本当に私を后にと思ってくださっているのですか? 病の治療のために連れ去ったのではなく?」
「はじめからそうだと言っているだろう。どうしてそういう解釈になるのだ。おまえが治療法を知っているとわかって心底驚いた。後宮のことを話していなくてすまなかった。おまえにいらぬ心配をかけたかもしれない」
「いえ……」
否定しつつも、朝陽に他に后も子供もいないことが分かり、心の何処かが軽くなるのを感じていた。
七日の後、後宮で病にかかっていたものたちが回復した。青草落花の花弁を焚いたことで、新たな罹患者もなく、流行病は無事に終息した。母が回復した鈴城には泣いて喜ばれた。
もちろん、朝陽にも。
「本当にありがとう、雪音。礼を言う」
「お礼など……私は自分にできることをしただけです。実際に青草落花を見つけてくださったのは兵の皆さんですし、治りが早かったのは看病が行き届いていたからです。それに、一番の功労者は勇気を出して私に声をかけてくれた朝霞姫様です」
「だが、おまえがいてくれなかったらこうはいかなかった。いくらか被害が出ただろう。すべておまえの功績だ」
改めてお礼を言われて、喜びが満ちるとともに、雪音は自分のなかに新たな感情が生まれていることを薄々感じていた。
朝陽は炎を宿した熱い瞳で雪音を見つめてくる。しばらく視線を交わしていると、朝陽は耳元で囁いた。
「雪音、王城内の病が落ち着くまで自粛していたが、そろそろおまえと褥を共にしたい」
「……え!」
「旭華の鬼は自分の欲しいものを奪って手に入れる。奪ってまで欲しいのだという意志の強さを表すためだ。俺はおまえのことが欲しくて奪ってきた」
「病の治療のためではなく、ですか?」
「なんど言ったらわかるのだ。おまえに医療の心得や知識があることなど知るわけがない。巫女でなくともおまえを連れ去ってきた。出会った瞬間に強く惹かれたのだ。日々を過ごすうちにますます惹かれるようになった。俺は、おまえのことが好きだ。心から愛しいと思っている。おまえと、契りを結びたい」
はっきりと求めてくる朝陽の言葉に、雪音は戸惑った。恐らく、自分も朝陽に強く惹かれている。だが、この感情が本当に恋と呼ぶものなのか、雪音にはわからない。今まで、経験したことがなかったから。
「だが、心から求めるからこそ無理強いはしない。おまえの心が決まったらでいい、俺はそれまで待つ」
「ありがとうございます朝陽様……」
うるさく鳴り響く心臓の音を鎮めるように、雪音は病人たちが黄蝕病を克服したときから考えていたことを思い切って提案しようと勇気を出す。
「あ、あの、朝陽様、大変差し出たことを申し上げるのですが……」
「なんだ、言ってみろ、おまえは俺に遠慮などする必要はない」
「王城内に薬草園を作ってはいかがでしょうか? 私にも少し心得がありますから、お手伝いができます」
「それは良い。あらゆる薬草があれば、今回のように病が流行ったときにもすぐに対処できるだろう。素晴らしい提案だ、薬師を用意しよう」
「あ、ありがとうございます!」
薬草園の話をしていると心が少し落ち着いてきた。すると今度は新しいことを始める希望が生まれてくる。自分が言ったことを受け入れてくれる、朝陽が与えてくれる言葉は、雪音を幸せな気持ちにした。
私も朝陽様を幸せにしたい。自然とそう思うようになるまでに、さほど時間はかからなかった。
「巌様、私はなにをしたらよろしいのでしょうか」
「私のことは巌とお呼びください雪音様。そうですね、まずは湯あみをなさいますか? それともお食事をとられますか? 食事は朝陽様が一緒にとりたがると思いますが……」
「え……いえ、あの、そうではなくて、私の仕事は何でしょうか?」
巌は年老いた目を再び丸くした。雪音は自分の尋ね方がいけなかったのだと思い、補足する。
「奴隷として連れてこられたのだと理解しております。できることには限りがあるかもしれませんが、できることがありましたらなんなりとお申し付けください。あ、でもまずはこの汚い体をどうにかしないといけませんよね……」
「もしかして雪音様、朝陽様から何も聞いていらっしゃらないのですか?」
「何も、とおっしゃいますと……?」
老爺は首を横に振る。
「ここで私が朝陽様を甘やかしてはいけませんね。雪音様、私からは申し上げかねますが、あなたはけっして奴隷などではございません。ですから、雪音様に私からなにか仕事をお願いすることはございません。長旅でお疲れでしょう。まずは湯あみなさってください。おそらく、月華に比べてこの国は暑いでしょうから、汗をかいておられるでしょう」
「あ、ありがとうございます……あの、巌様」
「巌でございますよ、雪音様。なんでしょうか」
「この国は、陽龍の国でしょうか?」
「ええ、さようでございます。では雪音様、老いぼれは失礼いたします、ゆっくりなさいませ」
にっこりとほほ笑む老爺が部屋から出て行くと、若い娘が数人姿を見せた。
「雪音様、湯あみの準備が出来ております。参りましょう」
言われるがまま、あれよあれよと湯につかることになる。
「あっ……」
「申し訳ありません! 熱かったですか! 火傷したら大変……ぬるくいたしましょうか」
雪音のつぶやきを聞きつけて、慌てた声が聞こえる。雪音も慌てて否定した。
「いえ、すみません。違うのです、熱くはなくて、ちょうどよいと思います。ただ、驚いてしまって……」
お湯に浸かったことのない雪音はその温かさに驚いたのである。とても心地よい。湯に浸かると、自分が疲れていることに気がついた。あまりに色々なことが一度に起こりすぎて、受け入れることに必死だった。夢かもしれないとも思う。目が覚めたら、あの冷たい神殿で目が覚めるのではないか、と。
困惑していることもたくさんある。ここは陽龍の国だという。そうなれば、朝陽も巌も、陽龍の一族ということになるはずだ。野蛮で残忍な陽龍の一族……陰の国でまことしやかに言われていた姿とはずいぶんと印象が異なる。
「雪音様、のぼせないうちにおあがりください」
「は、はい」
促されて湯から立ち上がると、ふらりと体が揺れた。のぼせる一歩手前だったようだ。声をかけて貰えてよかった。
日輪殿にもどると、食事が用意されており、朝陽が雪音の帰りを待っていた。まさか、自分を待っていたのだろうかと落ち着かない気持ちになる。誰かと一緒に食事をした経験はない。もちろん、誰かに食事を用意されたこともなかった。月羽矢家では、使用人たちでさえ雪音のことを邪険にしていたから。
「待ちくたびれたぞ」
「も、申し訳ありません」
「いや、謝る必要はない。湯は心地よかったか?」
「はい、とても……」
「次は食事をとれ、おまえは少し痩せすぎている」
信じられない。これが自分用の食事だという。目の前に並んだ豪華な食事に驚いて声が出ない。雪音の実家である月羽矢家もかなり裕福だったが、こんな食事が並んだことはない。もちろん、その食事も雪音の口に入ったことはないが。
「どうした、食わないのか?」
「あ……はい、あの、私が食べてもよいのでしょうか?」
雪音が困惑していると、朝陽は僅かに口元を緩めた。微笑んでいるのかもしれない。
「おかしなことを尋ねるやつだ。おまえのほかに、誰がいる」
「申し訳ありません……驚いてしまって」
「とにかく食え、おまえが食わねば俺も食べにくい。心配するな、毒など入ってはいない。心配なら毒見をしてやる」
「いえ、疑ってなどおりません」
「では食え」
朝陽に促され、恐る恐る一口口に運ぶ。
「……! 美味しい……!」
口のなかで広がる優しい味に思わずため息が漏れる。
「口に合うようで良かった。生憎俺は月華の食生活が分からないからな」
一匙一匙味わいながら食べ進めていると、じわりと涙が滲んできた。美味しい食事というものは、驚くほどに心をあたためるものらしい。ふと、視線を感じて視線を上げると、朝陽がこちらを見つめているのに気がつく。
しまった、と雪音は匙を止めた。黙々と食べているのが気に障ったのかもしれない。
「申し訳ありません」と口を開くと朝陽はじっと雪音を見つめていた。
「謝る必要なない。おまえは自分が俺の奴隷であると思っているのだと巌から聞いた。あながちその認識は間違ってはいないかもしれないが、違うとすれば、おまえは俺の伴侶になるというところだ。奴隷ではないが、俺から逃れることはできない」
「え……! ごほ、ごほっ」
一番の驚きかもしれない。今、朝陽はなんと言ったのか。自分を妃にと言わなかっただろうか。あまりに驚いて咽っていると、朝陽が立ち上がり雪音の背を撫でる。
「そ、それは……どういうことでしょうか」
「言葉通りだ。おまえは俺の妻になる。おまえに拒否権はない」
雪音は遠慮がちに朝陽を見た。日に焼けた肌は精悍な顔立ちを引き立たせている。貴族というよりは武士に近い雰囲気だが、雪音はそれを野蛮だとは少しも感じなかった。月華の武士のような、粗野な雰囲気は朝陽にはない。
思わず見惚れてから、はっと視線を外す。顔が熱かった。
「どうして私を……」
「それは……なぜだろうな。気がついたら連れ帰っていた。欲しくなったのだ、おまえのことが」
ふっと、朝陽が微笑んだような気がした。
日輪殿の寝所には、布団が二枚敷かれていた。朝陽の姿はまだない。先に横になってはいけない気がして正座をして待っていた。布団の柔らかさ、あたたかさに驚く。月羽矢の家では板の間に薄い掛け布団をかけて眠っていた。
「起きていたのか、俺を待っていたというのなら、期待してしまうな」
明かりのない部屋で雪音が座していることに朝陽は驚いた様子だった。
「起きているなら明かりをつけろ」
「も、申し訳ありません……勿体ない気がしてしまって」
「今日は疲れているだろう。俺は眠る、おまえも早く寝ろ」
「あ、朝陽様がお眠りになられてから眠ります」
答えると大きな手が伸びてきて雪音を包み込んだ。雪音の小さな体はあっという間に朝陽の腕の中に収められる。
「疲れているのだろう、無理せず眠れ。おまえが起きていると落ち着かない」
「も、申し訳ありません」
「謝る必要はない」
朝陽は雪音を腕に抱いたまま、寝息を立て始めた。規則正しい寝息と、心臓の音を聞いているうちに睡魔が襲ってくる。
普段はどんなに疲れていても寒さでなかなか寝付けないというのに。今夜はすとんと眠りに落ちた。目が覚めたら、月華の神殿に戻っているかもしれないという不安をわずかに抱きながら。
翌朝目を覚ました雪音は、辺りの様子が普段と違うことに驚き、自分が陽龍の国へ連れてこられたことを思い出した。どうやら夢ではなかったらしい。隣に朝陽の姿はない。すでに起きてしまったようだ。自分が寝坊をしてしまったのではないかと不安になるを
「お目覚めですか、雪音様」
布団を片づけなからオロオロしていると、襖が開いて若い女性が顔を出した。
「おはようございます、雪音様」
「お、おはようございます」
「巌様より雪音様の身の回りのお世話を仰せつかりましたし、鈴城と申します」
「すずしろ、さん」
「鈴城でございますよ、雪音様、さんは不要です。朝餉の準備が整っております。お召し替えを手伝いますので、こちらの着物に着替えてくださいませ」
鈴城が差し出す着物を見て、雪音は目を丸くした。旭華に来てからというもの、驚くことばかりである。
「いけません、こんな上質なもの……」
「何をおっしゃいますか、雪音様はこの国で最も高貴な女性になられるのです。これくらいの着物を着ていただかないと、陛下に私共が叱られます」
「あの、陛下というのは……」
「雪音様の旦那様ではございませんか、朝陽様はこの国の王であらせられますよ」
やはり。薄々ここは王城ではないかと思っていた。周りの人びとの態度を見れば、朝陽が王にほかならないことは容易に想像がつく。だが、実際にそうであるとわかると、ますますどうして自分がその妻に据えられたのかがわからなかった。
「驚かれるのも無理はありません。昨日突然連れ去られて困惑していらっしゃることでしょう。月華にはない文化だと巌様から伺いました。陽の鬼の婚姻は花嫁を奪うことによって成立します。欲しいものは自分の力で奪い取る、それが陽の鬼の在り方なのですよ。強さを誇示するためです。少々手荒な感じがするかもしれませんが、国内では意外と諍いは起きません。私たち女性は意中の相手から奪われるのを待つのです」
「そう、なのですね」
月華の国とはあまりに違いすぎる。月華の婚姻は親同士が決めるのが常である。互いに利になる場合にのみ成立する。だからこそ、雪音の母は月羽矢の妻にはなれなかった。
鈴城に促され、戸惑いながら上質な着物に袖を通す。髪は鈴城が梳いてくれた。
「艷やかな髪ですね。紅色の衣に少しも引けを取りません。この着物は陛下が自らお選びになったそうですよ、雪音様にお似合いになるだろうって、陛下の見立ては確かですね」
身なりを整えると、食事が運ばれてきた。これも豪華な食事である。
「お召し上がりください」
「ありがとうございます」
鈴城が用意してくれた食事もとても美味しかった。突然自分がいなくなって、月華の国は探してはいないだろうかと思うこともあったが、たとえ雪音がいなくなったとしても、代わりの巫女はたくさんいるのだ。月華にとって、雪音は都合の良い巫女だったに過ぎない。月羽矢の家は他家からの報酬が無くなり少し困っているかもしれないが、大した額ではないだろう。陽龍の国に弓を引くような価値はない。自分の命の軽さを、改めて認識した。
旭華に来てしばらくが経ち、雪音は朝陽との生活に馴染んできた。朝陽は強引に連れてきた割に、雪音のことを丁寧に扱ってくれた。閨で強引に抱かれるのではないかとドキドキした夜もあったが、朝陽は雪音を腕に抱き、ただただ一緒に眠るだけである。后にすべく連れ去ったというが、褥を共にすることは求められていないらしい。心の準備が必要ではないかとドキドキしていた自分を少し恥ずかしく思った。
もちろん奴隷のような扱いも受けない、まるで要人のような生活に戸惑いながらも、穏やかな日々に感謝するばかりだ。
月華にいたころからは考えられないほど恵まれている。
雪音が想像していた通り、月華にとって雪音は取るに足らない存在だったのだろう。月華から雪音を返せといった催促は当然のことながらないようだった。
「お后様!」
日輪殿で鈴城たちと談笑している、幼い少女が駆け寄ってきた。そのままどんっと雪音にしがみつく。
「まあ可愛らしい……」
「はじめましてお后様、わたしは朝霞と申します。八番目の姫です」
雪音な小さな客人を歓迎するように可愛らしく微笑む朝霞に笑顔を返した。
「はじめまして、朝霞様、私は雪音と申します」
八番目の姫、ということは朝陽には少なくとも八人の娘がいるということだ。そうなれば自分のほかにも妻がいるはずである。朝陽の口振りからはわからなかったが、一国の王となれば多くの妃がいるのも当然のことだろう。雪音のことを慮り、暮らしに慣れるまで伏せていてくれたのかもしれない。
后と言う割に、后らしい務めを求められないことにも納得がいく。例えば、後継ぎをもうけるなどの。
「お后様は巫女様だと聞きました。どうかお母様たちを助けてください」
「それは、どういうことでしょうか?」
朝霞の話では、後宮で病が流行っているのだという。朝霞の話によると、朝陽はその特効薬を探しに陰龍の国へ来たようだ。
それで、巫女である自分を連れ去ったのだと納得する。
朝陽も回りくどいするものだと思った。病人を助けてくれと言ってくれたら、わざわざ后になどする必要もなかっただろうに。
少しだけ、ときめいてしまったではないか。と、雪音は寂しさを隠すように微笑んだ。
「それは大変ですね、お母様たちの容体を教えてくれますか?」
雪音には少なからず医療の心得があった。巫女には陰の気が宿る。陰の気は体を安らかにするのである。それを知っていた両親は、雪音に医院で奉仕も義務付けていた。おかげで月羽矢家の評判は都一であったとってもいい。王からの信頼も厚かった。その任は、きっと風芽が引き継いでいるのだろう。風芽も巫女であるのだから。
朝霞の話を聞いた雪音は病の全容を理解した。それは、雪音にとっても辛い病だ。
「それは、龍特有の病ですね。血を吸う羽虫が媒介して、感染が広がります。月華でも流行ったことがあるのです。青草落花という植物の種子があれば特効薬を作ることが出来ます。服薬すれば七日もあれば助かるでしょう」
雪音自身、同じ病で母を亡くした。月羽矢家の当主は、父は、母のために薬を用意してはくれなかった。
雪音が自分で調べ、青草落花の種子が薬になると分かった時には、もう間に合わなかった。
だけど、今度は救うことができるかもしれない。
「本当ですか!」
「はい、お母様たちは治りますよ。ところで、朝霞様はどちらにお住まいでしょうか? お母様たちと同じ場所で生活していたらうつってしまうかもしれません」
「はい、王宮医師にもそう言われて、わたしは後宮ではなく紅陵殿という場所に住んでおります」
朝霞の言葉を聞いてほっとした。
「良かった、知識のある方がいらっしゃるのですね。その王宮医師と方とお話がしたいのですが……鈴城さん、鈴城さん」
鈴城を呼ぶと、「鈴城でございますよ、雪音様」と鈴城が少し困ったような顔をして現れた。
「どうかなさいましたか、あら、朝霞姫様、どうなさったのですか?」
「お后様にお願いに来たのです、お母様を助けてほしいって。そうしたら、お后様が治療法を知っていらっしゃいました! これでお母様たちが助かります、鈴城!」
朝霞の言葉に鈴城は目を丸くし、雪音を見た。
「本当でございますか! 実は、後宮で働いております私の母も罹患しております。助けていただけますか?」
「もちろんです、朝霞様の話を聞くに、恐らく黄蝕病だと思います。青草落花の種子で毒素を中和できますから、治りますよ。そのことについて、王宮医師の方と相談したいのですが……」
「わかりました! 近衛兵の方から陛下に伝えていただきます。すぐに手配できるようにいたしますね」
鈴城は慌てた様子で日輪殿を出ていった。連絡を受けて、すぐに顔を見せたのは王宮医師ではなく、ほかでもない朝陽であった。
「雪音、病の治し方を知っているというのは本当か!」
「はい」
それを期待して連れてこられたのだろうと思うが、朝陽の驚きようは殊更だった。
雪音の話を聞いた朝陽はさっそく青草落花の種子を探させた。一斉に国中で青草落花の捜索が行われ、三日も経たずに見つかった。
「南の山に群生地を見つけた、これで安定して薬が供給できる。それにしても、ただの雑草だと思っていたものに思いもよらぬ価値があるものだ、驚いた」
「花弁を干して香炉で焚くと原因となる羽虫を対峙することもできます。しばらく王城のいたるところで焚いてみてください」
「わかった。雪音」
「はい」
朝陽が雪音の頬に触れ、じっと目を見つめてくる。静かな炎を宿したような瞳に、自然と雪音の頬は熱くなった。
恥ずかしくなって思わず視線をはずそうとするのを、朝陽は許してくれない。
「ありがとう雪音、おまえのおかげで大切な妹たちや父の后たちを失わずに済む」
「はい、お役に立ててよかったです。え……」
生まれて始めて誰かに感謝された。心の底から湧き出てくる喜びを感じると同時に、朝陽の言葉に違和感を感じる。
「どうした」
「今、妹たちとおっしゃいましたが? それに、父の后と……」
雪音が尋ねると、朝陽は不思議そうな顔をしてうなずいた。
「そうだが……そうか、おまえには後宮の話をしていなかったな。病のこともあり、おまえにうつってはいけないからと落ち着くまで話すのを控えていた」
「朝霞様は、朝陽様の姫様ではないのですか?」
「当たり前だ、あれは俺の末の妹だ。後宮にいるのはみな父の后たちだ。俺がおまえ以外の后を迎えることはない」
「え……」
朝陽には多くの后がおり、子供もすでに多くあるという自分の考えが勘違いであったことを知り、雪音は困惑した。
「では、本当に私を后にと思ってくださっているのですか? 病の治療のために連れ去ったのではなく?」
「はじめからそうだと言っているだろう。どうしてそういう解釈になるのだ。おまえが治療法を知っているとわかって心底驚いた。後宮のことを話していなくてすまなかった。おまえにいらぬ心配をかけたかもしれない」
「いえ……」
否定しつつも、朝陽に他に后も子供もいないことが分かり、心の何処かが軽くなるのを感じていた。
七日の後、後宮で病にかかっていたものたちが回復した。青草落花の花弁を焚いたことで、新たな罹患者もなく、流行病は無事に終息した。母が回復した鈴城には泣いて喜ばれた。
もちろん、朝陽にも。
「本当にありがとう、雪音。礼を言う」
「お礼など……私は自分にできることをしただけです。実際に青草落花を見つけてくださったのは兵の皆さんですし、治りが早かったのは看病が行き届いていたからです。それに、一番の功労者は勇気を出して私に声をかけてくれた朝霞姫様です」
「だが、おまえがいてくれなかったらこうはいかなかった。いくらか被害が出ただろう。すべておまえの功績だ」
改めてお礼を言われて、喜びが満ちるとともに、雪音は自分のなかに新たな感情が生まれていることを薄々感じていた。
朝陽は炎を宿した熱い瞳で雪音を見つめてくる。しばらく視線を交わしていると、朝陽は耳元で囁いた。
「雪音、王城内の病が落ち着くまで自粛していたが、そろそろおまえと褥を共にしたい」
「……え!」
「旭華の鬼は自分の欲しいものを奪って手に入れる。奪ってまで欲しいのだという意志の強さを表すためだ。俺はおまえのことが欲しくて奪ってきた」
「病の治療のためではなく、ですか?」
「なんど言ったらわかるのだ。おまえに医療の心得や知識があることなど知るわけがない。巫女でなくともおまえを連れ去ってきた。出会った瞬間に強く惹かれたのだ。日々を過ごすうちにますます惹かれるようになった。俺は、おまえのことが好きだ。心から愛しいと思っている。おまえと、契りを結びたい」
はっきりと求めてくる朝陽の言葉に、雪音は戸惑った。恐らく、自分も朝陽に強く惹かれている。だが、この感情が本当に恋と呼ぶものなのか、雪音にはわからない。今まで、経験したことがなかったから。
「だが、心から求めるからこそ無理強いはしない。おまえの心が決まったらでいい、俺はそれまで待つ」
「ありがとうございます朝陽様……」
うるさく鳴り響く心臓の音を鎮めるように、雪音は病人たちが黄蝕病を克服したときから考えていたことを思い切って提案しようと勇気を出す。
「あ、あの、朝陽様、大変差し出たことを申し上げるのですが……」
「なんだ、言ってみろ、おまえは俺に遠慮などする必要はない」
「王城内に薬草園を作ってはいかがでしょうか? 私にも少し心得がありますから、お手伝いができます」
「それは良い。あらゆる薬草があれば、今回のように病が流行ったときにもすぐに対処できるだろう。素晴らしい提案だ、薬師を用意しよう」
「あ、ありがとうございます!」
薬草園の話をしていると心が少し落ち着いてきた。すると今度は新しいことを始める希望が生まれてくる。自分が言ったことを受け入れてくれる、朝陽が与えてくれる言葉は、雪音を幸せな気持ちにした。
私も朝陽様を幸せにしたい。自然とそう思うようになるまでに、さほど時間はかからなかった。



