文化祭が終わった後、俺は阿隅くんと話をした。
阿隅くんの気持ちには応えられない。俺には好きな人がいるからと。
阿隅くんは綺麗な黒い瞳を逸らさずに俺の話を聞いてくれた。それから、自分の話もしてくれた。
――同居していた祖父はサックスが好きで、俺は祖父が楽しそうに奏でる音を聴いて育ちました。サックスを教えてくれたのも祖父で、何を吹いても喜んで聴いてくれたから、益々サックスが好きになったんです。でも、小学生の時に祖父が亡くなってひどく落ち込んでしまって……しばらくはサックスも吹けなかった。中学に入って吹奏楽部に入ったものの、先輩たちからは演奏が目立ちすぎだと非難されて、つらくなってやめました。成績が良かったから家族からは県内でも屈指と言われる進学校を勧められたけど、全然興味がもてなかったんです。
……勉強は嫌いじゃないけど、もっと自由にサックスを吹きたい。
勉強の為にサックスを吹く時間が減るのは嫌でした。でも、家族の言葉を無視することもできなくて、すごく苦しくて。そんな時に、先輩が声をかけてくれたんです。
「どうしたの? 具合悪い? って」
中学時代、完全に詰んでいた阿隅くんは、ラブの散歩か河川敷でサックスを吹くことしか息抜きがなかった。サックスケースを抱えて土手に座っていた時。通りかかった俺にたまたま声をかけられて、あれこれ話をした。知らない相手の方が話しやすかったんだそうだ。
『えらいな。でも、そんなに頑張らなくたっていい。自分が楽しいだけでいいだろ』
『楽しいだけで……いいんですか」
『いいよ。それが一番大事だろ。俺は楽しくなくなった場所からは、さよならするって決めたんだ』
阿隅くんの話を聞いて、ああ、俺はその頃にバド部から離れようと決心したんだなと思う。でも、そんな話をした中学生がいただろうか。半年以上前とはいえ、阿隅くんの顔を忘れるとは思えない。
俺の言いたいことが伝わったのか、阿隅くんはふっと笑った。
「あの頃の俺、外見には全然気を遣ってなかったんです。前髪も長くてもさもさしてたし、服装もどうでもよかったし。でも、先輩が里見の制服着てたので、里見を受けよう、受かったら絶対会いに行こうって決めてました」
「それで……髪を切った?」
「はい。でも、合格して先輩を見つけた時には、隣に上橋先輩がいたんです」
ずっと会いたかった人には、いつも傍にいる相手がいた。
自分が髪や服を変えるぐらいじゃどうにもならない相手だった。顔も成績も身体能力もよくて、同い年で、ずっと一緒に育ってきた相手になんて勝てるわけがない。会いに行くことも御礼を言うこともできず、見かけるだけで日々は過ぎていく。
でも、神様はチャンスをくれた。祖母に頼まれて花屋に行ったら、会いたかった人が笑っていた。
「花屋では緊張して……態度が悪くて、すみませんでした」
「いや、俺こそごめん。話してたら、ぼんやりとだけど河川敷でのこと思い出したよ。もしかして、コートやマフラーをすごい着込んでなかった?」
「はい! 俺、暑いのは平気だけど寒いのは苦手なんです」
一月でもわりと暖かい日だったのに、もこもこ着込んでしょんぼりしていた子がいたのだ。あの子がこんなにイケメンになって会いに来てくれるなんて……思いもしなかった。
「高校に入ってからはクラスに吉井がいて、二人で演奏ができて楽しかったし、里見に来てよかったと思いました。でも、上橋先輩を見ると何だかむしゃくしゃして、つい当たりたくなっちゃって」
「……だから、八つ当たりだったのか」
「はい。ステージの会議では申し訳なかったと思っています」
同好会に文句を言いたかったわけではなく、清良本人に言いたかったのだと言う。清良の予想は当たってたんだ。
「月宮先輩は、上橋先輩が好きなんですか?」
「うん」
阿隅くんは、ぐっと唇を引き結んだ。それでも、俺から目を離さない。
「……あの、俺が月宮先輩を好きでいるのは、いいですか?」
「うん。それは自由だから。……それから、花と演奏をありがとう。すごく嬉しかった」
学年一のイケメンは眉を下げ、少し恥ずかしそうに、そしてとても綺麗に笑った。
水曜日は着ぐるみ同好会の活動日だ。
清良と先に社会科準備室に来ていたので、俺は少しだけ阿隅くんのことを話した。清良はつまらなさそうに話を聞いた後、ぼそりと言った。
「……あおちゃんに告白するのは、俺だけでいいんだよ」
どこかで聞いたような言葉だと思ったけれど、思い出せない。清良が「あいつ、最近俺に敬語を使うようになった」と言うので驚いた。
着ぐるみ同好会にも大きな変化がある。りんりんと同じ1年の男子が入会したいと言ってくれたのだ。ずっと同好会が気になっていたのだが、文化祭でサンバのステージを見たのが決め手だったという。
「今日、田野倉が連れて来るんだけど、フューチャーランドの着ぐるみショーでも俺たちのことを見かけたらしいんだ」
清良の言葉にあっと思った。俺たちと同じぐらいの男子が一人で見に来ていた気がする。もしかして、あの時の子だろうか。
「これで本当に入ってくれたら、俺のサンバの苦労も報われるよな……」
ちらっと見ると、清良が困ったように眉を下げる。清良はお盆のあの時が原因で、変にこじらせたまま連絡しなかったことを気にしているのだ。でも、あれがなかったら、俺はずっと清良への気持ちを意識しないままだったかもしれない。
「なあ、清良」
「ん?」
「俺、お前のこと、ちゃんと好きだよ」
「……あおちゃん」
お互いの顔が少しずつ近づいた時。
「せんぱーい! 連れてきましたよ!!」
りんりんの声が響いて、1年生たちが顔を出した。緊張した新顔の後ろから加瀬もやってきた。清良が皆から見えないように後ろで俺の手を握りながら、にっこり笑う。
「着ぐるみ同好会にようこそ!」
夏の陽射しよりちょっぴり和らいだ秋の陽射しが、窓から明るく差し込んでいた。
【 完 】

