隣の棟に渡り、屋上に続く階段を上った。屋上は危ないからと施錠されていて入れないが、階段の一番上は広い踊り場になっている。踊り場の窓からは外の光が入ってきて明るく、床は白く輝いている。まるでここだけが隔離された場所のように静かで、俺たちの他には誰もいない。
清良はずっと俺の手を握っていたが、踊り場に来てようやく手を離した。はあはあと息をつきながら、俺たちはその場に座りこんだ。
「は……何で……はあ……いきなり」
「……に……げてきた」
清良はついさっきまでいたA組の状況を話した。浴衣姿の清良登場と共に廊下に並んでいた列が崩れ、一目見ようとする人たちでごった返した。中には受付を待たずに強引に教室に入ろうとする者まで現れて混乱状態になったと言う。
「……よ……く……逃げら……たな」
「あおちゃんの……組の……委員と……何人か。……入口、開けてくれて」
どうやら清良をのぞきに行った持田たちが体を張って助けてくれたらしい。俺は心の中で彼女たちに手を合わせた。
ようやく息が整った頃、俺はまじまじと清良を見た。全力で走って着崩れた浴衣の清良はかっこいいだけじゃない。何だかすごく色っぽくて、胸の奥が急速にとくとくとくとく言ってる。
「でも……何で俺と来たの?」
「あおちゃんが……いたから」
「何だそれ」
思わず笑うと、清良は俺の顔を覗きこんだ。栗色の髪が陽に光って、瞳は濃い琥珀色に見える。
「阿隅となんか……いないで、俺と一緒にいてほしいから」
「――……え」
ふっと自分の顔の上に影ができて、唇に柔らかなものが触れた。すぐに離れたそれが小さく俺の名を呼ぶ。
何が起きたのか、いや、何が起きたかはわかっていても、俺の頭は混乱し続けていた。目の前でうっすらと染まる清良の頬も、潤んだ瞳も。たった一つのことしか言っていないのに。
「あおちゃんに、ずっと触れたかった。……あの時もこうしたかったんだ」
「……あの時?」
「お盆の……あおちゃんが家に来た時」
「あ、あれ! お前が『今のなし』って言った時!」
清良は形のいい眉をぎゅっとひそめた。
「こうしたかったって……何だよ! お前、そんなこと全然言わなかっただろ!」
「それは……。俺が意気地なしだから」
俺は思わず清良を見た。浴衣姿で俺を見つめる清良はすごくかっこいいいのに、まるで迷子の子どもみたいに心細げな顔をしている。
「あおちゃんは……俺のことなんか何とも思ってないじゃん。だったら、幼馴染のままの方がいいって思った。幼馴染なら、俺より長くあおちゃんの側にいる奴はいないんだから」
「あのさ……俺、お前のこと好きだよ」
「それは幼馴染としてだろ。そんなの知ってるよ! そうじゃなくて!」
俺は浴衣の袖がまくれ上がった清良の白い腕を取った。そして、自分の胸の上に乗せた。聞こえるかな、聞こえてほしいと願いながら。
「……なあ、これ聞こえる? お盆のあの時からさ、時々変な動悸がするんだよ。何でかよくわかんなかったんだけど、お前を見てると起きるんだ」
「俺?」
「うん。清良が笑ったり、すごく綺麗だなと思う時に起きる。さっき、キスされた時からずっと……すごく早くなってる――これって、お前を好きだってことじゃないの?」
自分で好きって言葉を口にした時から、動悸がすごく早くなった。それに、顔も熱い。どんどん火照っているのが、自分でもわかる。
清良の指先に力がこもる。その指先からはわずかな震えが伝わってきた。それから、清良は俺の胸から手を離し、両手で自分の顔を覆った。
「……あおちゃん」
「うん」
「俺、あおちゃんが好きだ」
「うん」
「でも、俺すぐにあおちゃんを頼るし、あおちゃんにお願いばっかりしてるし」
「最近はしてないよ」
「……だって、商店街の夏祭りであおちゃん具合悪くなったじゃん。あれがもっとひどくなってたら、って思うと怖くて仕方なかった。俺が無理やり頼んだからあんなことになったんだ。だからもう、あおちゃんにお願いはしないって決めてた」
そんなこと考えてたなんて全然知らなかった。水ヨーヨーを山ほど釣り上げるぐらいじゃ、清良の不安な気持ちはどうにもなってなかった。
「……清良、あのさ」
うつむいていた清良の肩がビクンと跳ねた。
「夏祭りで俺が具合悪くなったのは、お前のせいじゃない。気軽な気持ちで参加した俺が悪いんだ。だから、そんなの無理に決めなくていいよ。お前のお願いなんか、いつでも聞くから」
「……いつでも?」
「うん。子どもの時に出られなくなった秘密基地からだって助けたじゃん。心配しないで、好きなだけ言っていいよ」
笑うかと思ったら清良は黙り込んで、それから小さな小さな声で言った。
――じゃあ、俺を好きになって。それから、ずっと俺を好きでいて、と。
「わかった。でも、それはさ、お願いされなくてもするよ」
俺は清良の手に自分の手を重ねた。清良は覆っていた手を離して、ようやく俺に顔を見せてくれた。その顔は、小屋から転がり出てきた子どもの時みたいに涙でぐしゃぐしゃだったけど、やっぱり誰よりも綺麗だった。

