幼馴染が「お願い」って言うから


 いつの間にこんなに人がいたんだろう。叫びたいのはまさに俺だった。
 自分の言葉が阿隅くんの心を動かし志願変更をさせたという。それはものすごく大変なことだ。全く覚えがないが、知らないで済む話じゃない。

「あと、ステージで着ぐるみ同好会の時間が減ったこと、本当に悪かったと思ってます。あれは……ただの八つ当たりなんです」

 八つ当たり。その話を今すぐ聞きたかったが、軽やかに予鈴が鳴った。

「阿隅くん、さっきの話だけど、文化祭が終わったらゆっくり聞かせて」
「わかりました。先輩のステージすごく楽しみにしてます」
「うん、俺も阿隅くんたちの演奏楽しみにしてる」
「……俺、先輩の為に演奏します。本気で頑張るんで聴いてください」

 吸い込まれそうな黒い瞳が食い入るように俺を見ている。真摯な気持ちが伝わってきて、こくこくとうなずいた。阿隅くんが1年の出入り口に向かってすぐ、俺も教室に向かって走った。

「はよー! ギリギリだったな!」

 教室に入って加瀬の笑顔を見た途端、どっと力が抜けた。加瀬からにじみ出る安定感にほっとする。
 落ち着いて考えてみても、やっぱりあんなイケメンに会った記憶がない。何で彼が同好会に八つ当たりをしたのかもわからない。そして、その二つをじっくり考える時間も無く一日が過ぎた。

 自宅に戻ると、緋鶴が俺の帰りを待っていた。緋鶴は俺の顔を見た途端、にやりと笑みを浮かべた。

「おにい、話は聞いたよ。これはね、今までにないチャンスだよ……」
「チャンス? お前、どんな話を聞いたんだ?」
「今朝の黒王子だよ。何でもおにいの言葉で里見高校に志願変更したんでしょ? それでおにいに感謝してる女子が激増してるんだよ。黒王子に『着ぐるみ同好会のステージも見てね』って言ってもらえば、今からでもお客さんが増えるじゃない!」
「……そんなにうまくいくかな?」
「うまくいかなくても客が増えないだけで今と一緒! だったら、言ってみる価値はあるよ!!」

 そういえば、集客のことなんかろくに考えてなかった。ステージは、毎年正門に近い場所に作られる。自然に来場者の目に留まるので、あまり心配していなかったのだ。それでも、観客は多ければ多いほどいいに決まっている。
 緋鶴に押されて阿隅くんにメッセージを入れると、阿隅くんは快く承諾してくれた。そして、何か演奏してほしい曲はあるかと聞く。

〈阿隅くんの演奏なら何でもいいよ。昨日聴いた曲、どれもすごくよかった〉
〈頑張ります〉

 阿隅くんからの返信は、珍しく一言だけだった。


 文化祭も前日になると、校内の空気が変わる。

 学校全体で丸一日が準備日となり、廊下に暗幕が張られてお化け屋敷が出現したり、レトロなカフェが生まれたりする。俺たちのクラスの装飾もようやく完成を迎えた。美術部の堀さんは満足の出来になったらしく、感激して震えている。

「できた……! 宇宙の深淵に渦巻くたこ焼き屋が」
「そんな壮大なもん考えてたのかよ……」
  
 これまでの努力の甲斐あって廊下の壁には宇宙をバックにしたタコがうねり、星や提灯があちこちに配置された。教室の中はたこ焼きの屋台と受付に飲食スペース。実際のたこ焼きは冷凍たこ焼きをフライパンで温め、パックに詰めて調理室から運ぶ予定だ。

 実行委員の持田の割り振りによって、俺の販売シフトは二日目の10時からになった。ちなみに清良のカフェのシフトは同じ日の11時からだ。俺はこっそり手に入れた清良情報をすぐに持田に流し、涙ながらに感謝された。

 放課後は着ぐるみ同好会の最終リハーサル。なんと、りんりんが社会科準備室に緋鶴を連れてきた。緋鶴はぺこりと頭を下げ、気まずそうに俺を見た。

「何で緋鶴が?」
「ひづに僕たちの動画を撮ってもらおうと思うんです。後で皆で見返した方がいいと思ってお願いしました」 
「ひづちゃん、今日は来てくれてありがとう。四人が踊るのを見た感想も遠慮なく教えて」

 清良の言葉に緋鶴は神妙にうなずいた。

 準備室にあった机や椅子、備品を皆で廊下に出してスペースを作った。めいめいが着ぐるみ姿になって準備完了。

「じゃあ、始めます!」

 ポコ助を被ると視界は狭まるけれど、体は動く。加瀬のキツネと俺のポコ助は頭だけなのでほぼ予想通りだが、清良とりんりんは大変だった。着ぐるみの可動域に合わせて、それぞれの動きを調整する。さらに緋鶴のアドバイスも加えて細かく修正していく。それを何回か繰り返して、ようやく緋鶴からOKが出た。

「お疲れ様です! これならきっと大丈夫!」
「やったーーー!!」

 俺はポコ助を脱ぎながら、緋鶴に近寄って声を潜めた。

「お前、清良のいるところには近づかないんじゃなかったのか?」
「……たまには、おにいたちの役に立ってあげようと思ったんだよ!」

 口をへの字に曲げて言う妹に、じわっと感謝の気持ちが浮かぶ。今度、緋鶴の好物を好きなだけおごってやろうと決めた。