憧れのおねえさまは華麗に素敵な嘘を吐く~大正公爵令嬢×隻眼海軍少尉の秘密の花園~

「君、しっかり! 大丈夫か⁉」

 大きく身体を揺さぶられてうっすら目を開くと、目を焼くばかりの太陽が光の輪になって見えます。
 その光が急に翳り、重いまぶたに影を落としました。

 しっかりと目を押し開けた私は、男性のあご先とゴツゴツとした首元を視界に映します。

(外国の方かしら?)

 大柄であから顔、髪と髭は燃えるように赤くて丸眼鏡の奥の瞳は青い。
 私は記憶の糸を手繰りました。

(確か私は、波にのまれたのよね…?)

 訝しがりながら顔だけを動かして周囲を見渡すと、ここは船の上のようでした。
 身を起こそうとしましたが胸がジンジンと痛くて四肢が鉛のように重く、すぐには動くことができません。

 私をのぞき込んでいた丸眼鏡の男性は、ホッとした表情で破顔しました。

「気づいたんだね、良かった!
 あっ、まだ無理はしないで安静に。」

「海の底から救ってくださったの…?」

「波にのまれる前に浮き輪の縄があなたの腕に巻きついたんだ。
 気絶して力が抜けた状態で海面に浮いていたから、助けることができた。
 運が良かったよ、お嬢さん。」

 私を救ってくれたその男性は、ようやく半身を起こした私から目をそらしました。
 そしてサッと自分の上着を脱ぐと、私の肩にかけてくれたのです。

(私ったら、はしたない!)

 そこで私は半袖下着に腰巻という破廉恥な格好で海に飛び込んだことを思い出して、赤面しながら上着のボタンをキッチリと閉めました。

「助けていただいてありがとうございます。
 あの、気球は…どうなりましたか?」

 丸眼鏡の男性は、目をそらしたまま答えてくれました。

「残念ながら、気球は沈みました。」

 私は痺れてろれつの回らない唇を必死に動かしました。

「麗さまは…私と一緒にゴンドラに乗っていた人はどうなりましたか?」

 口を開きかけた丸眼鏡の男性の声を遮るように、不意に男性の声が響きました。

「五色麗も海の底ですよ。」

 私は耳を疑いました。

「ああ、そんな…!」

 柔和な笑みをたたえた優男の紘次郎が、隣に横づけられたヨットの上に居たのです。

 ♢

「可愛そうなみつき。命を賭けてまで私から逃げようとしたのに。」

 船から船へ移動してきた紘次郎は、震える私を見下ろして憐みの言葉を投げました。

「でも、もう時間切れですね。
 子供じみた鬼ごっこは、もう終わりにしましょう。」

 行き過ぎた遊びを叱る母親のように、紘次郎は私の横にひざまずき濡れた髪を優しく撫でました。

「うららから連絡を受けたあと、私たちはすぐに気球を追いかけたんですよ。
 新しい仕事のパートナーのジョージがヨットを出してくれなければ、あなたを海の藻屑にしなくてはならなかったけどね。
 さあ、命の恩人のジョージにお礼を言わなくてはなりませんよ。」

 紘次郎がジョージにウインクすると、彼は肩をすくめました。

「私は。」

 私は頭を振りかぶって紘次郎の手を払いのけ、思い切り声をあげました。

「私は、もう二度と紘次郎の元には戻りません!
 戻るくらいなら麗さまの沈む海に、このまま私も飛びこみます!!」

「みつき⁉」

 私の反応が思いもよらなかったのでしょう。
 余裕そうに見えた紘次郎の顔が、少し歪んで見えました。

「そんな態度、まったくみつきらしくない!
 この短期間にアイツに洗脳されたようですね。
 だけど言葉には気をつけなさい。あなたは由緒正しき公爵家の娘なのですから。」

「みつきらしいですって?」

 私は紘次郎を睨んだまま、ジリジリと後ろに下がりました。

「勝手な理想に私を当てはめているのは、あなたの勝手ですわ。
 古来より女というものは、我を捨てて辛抱したり我慢するのが美徳でした。
 でも、もう私は自分らしさを見つけたのです。
 あの帝国ホテルから飛び立ったときに、私はかよわいみつきを捨てたのです!」

 私を捕えようとした紘次郎を避け、私はジョージに向かって叫びました。

「あなたも騙されないで! 紘次郎はとても悪い人なのです!
 あなたも私の父のように全財産を奪われますよ‼」

「フン、誰が信じるんだそんな話。」

 紘次郎は可笑しそうに身をよじりました。

「ジョージ、みつきは悪漢に攫われたときにおかしな薬でも飲まされたようだ。
 妄言を本気にしてはいけないよ。」

「確かにね。」

 ジョージは赤い顎髭を軽く抑えながら紘次郎に同意し、悔しさと絶望で私はその場に泣き崩れました。

(私には、人を動かすだけの力がないのだわ。
 麗さまが命をかけて私を救ってくれたのに、誰にも私の声は届かない――。)

「それで言うと紘次郎、キミに聞きたいことがあるんだが。」

 紘次郎は気色ばんでジョージを見据えました。

「今ですか? 」

「今だからだよ。
 帝国ホテルでキミが提案してきた一攫千金の投資の話だ。
 最近巷を騒がせている米国住宅バブルを背景にした連続投資詐欺はご存知か?」

 みるみるうちに紘次郎の顔色が変わって、見たことのない怖い表情になりました。

「それが、何だというんだ。」

「キミが提示してきた振込先の会社名だが、まさにその詐欺師たちが使っている泡沫会社と一文字一句同じ名義なんだよ。
 ボクもキミを信じたいから、詳しく教えてほしい。
 もしかしたらキミは【虚業家】なのかい?」

「まさか私を疑っているのかい? ジョージ。」

「ジョージって…誰のことだっけ?
 なぁ、キミの知り合いかい?」

 ジョージがニヤリと笑って振り返った先には…!