私と麗さまを乗せた気球が大きく揺れながら離陸して、ゆっくりと地面が小さくなります。
私は衝動的ににゴンドラから左手を出しました。
そのままダイヤの指輪を右手でスルリと外すと、それは小さな流れ星のように淡い光を放ちながら闇に消えていきました。
(これでいいの。)
私は小さく、でも強くつぶやきました。
「さよなら、紘次郎。
さよなら、公爵令嬢のか弱いみつき。」
♢
不思議と高度が高くなると、ゴンドラの揺れは安定しました。
でも、麗さまのお腹は染み出た血で真っ赤に染まっていて、顔色と唇の色は悪くなるばかり。
空の上でも止血ができるなんて、嘘。
激しく揺れる気球のコントロールをするだけで、麗さまは手いっぱいです。
「麗さま、痛みますか?
私にできることがあれば、お申し付けください。」
私は少しでも英気を養っていただこうと自らの首を差し出しましたが、麗さまは優しく私の肩を押し戻しました。
「みつきに婚約破棄されたと聞かされたときに比べれば、なんともないよ。」
言葉とは裏腹に苦し気な息を吐きながら気球を操縦する麗さま。
霧雨は相変わらず振り続いていて、少しずつ視界が下がっていくのが見えました。
私は焦って麗さまに伝えました。
「先ほどより、高度が落ちています!」
ゴンドラの端から下をのぞき見ると、海に身体が吸い込まれてしまいそうでクラクラします。
「クソッ…。」
麗さまの瞳にはまだ、炎が宿っていました。
何もできない私は、懸命にフラつく麗さまの身体を支えました。
「もう、無理をせずとも良いのです。
私は私の選択に後悔はしていません。」
その時気球が大きくガクンと傾いで、私たちは共に体勢を崩しました。
麗さまは白い顔をもっと蒼白くさせて、悔しそうにつぶやきました。
「気流の流れが変わった。制御ができそうにない。もうすぐ…なのに。」
わたしたちはゴンドラに立っているのが、やっとの状態です。
麗さまはよろめきながらも砂袋をゴンドラから全て外しました。
それからゴンドラの底に座ると、私を膝の上に招き、後ろから覆うように抱きしめてくれたのです。
「みつき愛してる。幸せにできなくて、ゴメン。」
冷たくかじかむ耳に熱い吐息が染みわたります。
私は麗さまをしっかりと見上げました。
「私は、いまがとても幸せです。」
「…。」
「…麗さま?」
麗さまは気を失ってその場に崩れ落ちてしまいました。
「ありがとうございました。もう大丈夫ですよ。」
私は麗さまの上半身をゴンドラの壁に立てかけて、その肩に頭を寄せました。
温かい。
私は何度もこの温かさに救われてきました。
私はドレスのリボンで二人の手首を結びつけると、ゆっくりと目を閉じました。
(落ちても平気よ。麗さまと一緒なら。)
浮遊する感覚から突然強い負荷がかかり、瞼が白く輝きます。
全身を叩きつけられるような衝撃に、私は死を覚悟しました。
♢
ミャア
ミャア
♢
ひっきりなしに鳴く猫の声が耳ざわりで、私は記憶を呼び起こしました。
「私、まだ生きているわ!」
ツンとした匂いと揺られるような感覚に身体を起こすと、目を疑う光景が。
青い空の背景に真っ白な鳥が優雅に飛来して見えたのです。
「あれは海猫?
まさか…。」
私は両肩にもたれかかる麗さまの腕をそっとよけてゴンドラの縁から下を見ようとして、足もとが半分水に浸かっていることに驚きました。
「アアッ!」
気球は、海に着水していたのです。
このままでは、この気球ごと海にのまれて沈没するのも時間の問題。
ゴンドラに背を預けて同じように海水に浸かっている麗さまを確認しながら、私は海を見渡しました。
(どうにかならないかしら。)
心中も覚悟して気球に乗りこんだくせに、いざとなると助かりたいなんて、勝手です。
その時、白い帆をつけた12フィートほどのヨットが視界の隅に見えたのです。
(錯覚かしら?)
目をこすってもヨットは消えません。
私は藁をもつかむ思いで、思い切り手を振って声をあげました。
「助けてください!
どうかお願いです‼」
しばらく手を振り続けると、私に気づいて甲板から手を振り返す人がいます。
(気づいてくれた!)
その船はどんどん私たちに近づいてきました。
そしてついに船から投げられた縄付きの浮き輪が、海を漂うゴンドラの前に着水したのです。
(助かった⁉
でも、浮き輪が遠すぎるわ。)
ゴンドラの中からどれだけ手を伸ばしても、波に押し戻されては届くわけがありません。
意識を失って倒れている麗さまを見て、私は意を決しました。
(麗さまが命がけで私を紘次郎から救ってくれたのです。
今度は、私の番!)
私は麗さまと繋いでいた手首のリボンを解きました。
そして動きづらいドレスを脱ぎ捨て下着になると、無我夢中で海に飛びこみました。
いちど海中に沈んだあと、必死に水を掻いて水面に浮上します。
それから浮き輪に向かって水を掻き、手を伸ばそうとすると海面が波立って押し戻されてしまいました。
川で水遊びをするのとはわけが違う。
なんども波にのまれて海に沈みながらも、私は力の限り泳いで浮き輪に手を伸ばしました。
(届け!)
思い切って伸ばした指先が浮き輪の紐に絡み、私はこの手に浮き輪を掴むことができました。
「やったわ!
これを麗さまに‼」
私はホッとして気が抜けてしまいました。
ハッと気づいた時には目の前に大きな波が立ちあがり、私は海にまるごと飲み込まれてしまったのです。
私は衝動的ににゴンドラから左手を出しました。
そのままダイヤの指輪を右手でスルリと外すと、それは小さな流れ星のように淡い光を放ちながら闇に消えていきました。
(これでいいの。)
私は小さく、でも強くつぶやきました。
「さよなら、紘次郎。
さよなら、公爵令嬢のか弱いみつき。」
♢
不思議と高度が高くなると、ゴンドラの揺れは安定しました。
でも、麗さまのお腹は染み出た血で真っ赤に染まっていて、顔色と唇の色は悪くなるばかり。
空の上でも止血ができるなんて、嘘。
激しく揺れる気球のコントロールをするだけで、麗さまは手いっぱいです。
「麗さま、痛みますか?
私にできることがあれば、お申し付けください。」
私は少しでも英気を養っていただこうと自らの首を差し出しましたが、麗さまは優しく私の肩を押し戻しました。
「みつきに婚約破棄されたと聞かされたときに比べれば、なんともないよ。」
言葉とは裏腹に苦し気な息を吐きながら気球を操縦する麗さま。
霧雨は相変わらず振り続いていて、少しずつ視界が下がっていくのが見えました。
私は焦って麗さまに伝えました。
「先ほどより、高度が落ちています!」
ゴンドラの端から下をのぞき見ると、海に身体が吸い込まれてしまいそうでクラクラします。
「クソッ…。」
麗さまの瞳にはまだ、炎が宿っていました。
何もできない私は、懸命にフラつく麗さまの身体を支えました。
「もう、無理をせずとも良いのです。
私は私の選択に後悔はしていません。」
その時気球が大きくガクンと傾いで、私たちは共に体勢を崩しました。
麗さまは白い顔をもっと蒼白くさせて、悔しそうにつぶやきました。
「気流の流れが変わった。制御ができそうにない。もうすぐ…なのに。」
わたしたちはゴンドラに立っているのが、やっとの状態です。
麗さまはよろめきながらも砂袋をゴンドラから全て外しました。
それからゴンドラの底に座ると、私を膝の上に招き、後ろから覆うように抱きしめてくれたのです。
「みつき愛してる。幸せにできなくて、ゴメン。」
冷たくかじかむ耳に熱い吐息が染みわたります。
私は麗さまをしっかりと見上げました。
「私は、いまがとても幸せです。」
「…。」
「…麗さま?」
麗さまは気を失ってその場に崩れ落ちてしまいました。
「ありがとうございました。もう大丈夫ですよ。」
私は麗さまの上半身をゴンドラの壁に立てかけて、その肩に頭を寄せました。
温かい。
私は何度もこの温かさに救われてきました。
私はドレスのリボンで二人の手首を結びつけると、ゆっくりと目を閉じました。
(落ちても平気よ。麗さまと一緒なら。)
浮遊する感覚から突然強い負荷がかかり、瞼が白く輝きます。
全身を叩きつけられるような衝撃に、私は死を覚悟しました。
♢
ミャア
ミャア
♢
ひっきりなしに鳴く猫の声が耳ざわりで、私は記憶を呼び起こしました。
「私、まだ生きているわ!」
ツンとした匂いと揺られるような感覚に身体を起こすと、目を疑う光景が。
青い空の背景に真っ白な鳥が優雅に飛来して見えたのです。
「あれは海猫?
まさか…。」
私は両肩にもたれかかる麗さまの腕をそっとよけてゴンドラの縁から下を見ようとして、足もとが半分水に浸かっていることに驚きました。
「アアッ!」
気球は、海に着水していたのです。
このままでは、この気球ごと海にのまれて沈没するのも時間の問題。
ゴンドラに背を預けて同じように海水に浸かっている麗さまを確認しながら、私は海を見渡しました。
(どうにかならないかしら。)
心中も覚悟して気球に乗りこんだくせに、いざとなると助かりたいなんて、勝手です。
その時、白い帆をつけた12フィートほどのヨットが視界の隅に見えたのです。
(錯覚かしら?)
目をこすってもヨットは消えません。
私は藁をもつかむ思いで、思い切り手を振って声をあげました。
「助けてください!
どうかお願いです‼」
しばらく手を振り続けると、私に気づいて甲板から手を振り返す人がいます。
(気づいてくれた!)
その船はどんどん私たちに近づいてきました。
そしてついに船から投げられた縄付きの浮き輪が、海を漂うゴンドラの前に着水したのです。
(助かった⁉
でも、浮き輪が遠すぎるわ。)
ゴンドラの中からどれだけ手を伸ばしても、波に押し戻されては届くわけがありません。
意識を失って倒れている麗さまを見て、私は意を決しました。
(麗さまが命がけで私を紘次郎から救ってくれたのです。
今度は、私の番!)
私は麗さまと繋いでいた手首のリボンを解きました。
そして動きづらいドレスを脱ぎ捨て下着になると、無我夢中で海に飛びこみました。
いちど海中に沈んだあと、必死に水を掻いて水面に浮上します。
それから浮き輪に向かって水を掻き、手を伸ばそうとすると海面が波立って押し戻されてしまいました。
川で水遊びをするのとはわけが違う。
なんども波にのまれて海に沈みながらも、私は力の限り泳いで浮き輪に手を伸ばしました。
(届け!)
思い切って伸ばした指先が浮き輪の紐に絡み、私はこの手に浮き輪を掴むことができました。
「やったわ!
これを麗さまに‼」
私はホッとして気が抜けてしまいました。
ハッと気づいた時には目の前に大きな波が立ちあがり、私は海にまるごと飲み込まれてしまったのです。



