「八重子をつけてきて正解だったわ。」
急に人影が私たちの前に躍り出てきて、私はハッとして息をのみました。
目の前に現れたのは足首まである黒のドレスに黒のヴェール姿のうらら、それに青ざめた顔の八重子でした。
「まさか、こんなに大それた計画をしていただなんて!」
首にナイフを突きつけられた八重子が、緊張した面持ちで麗さまに悲しげな目線を送ります。
「申しわけありません、お坊ちゃま。」
凍てついた空気の中、麗さまの手が伸びて私を背中に隠すとうららをけん制しました。
「もう、みつきには指一本触れさせない。」
「ああ、嫌だ!
またこの女のせいなのね。」
黒いヴェールの下でも分かるくらいうららは憤っていて、私を睨む目つきは怨念に満ちています。
「何もできない小鳥なら、大人しく籠に入っていれば撃たれないのに!」
うららは拳銃のように人差し指と親指を立てると、私に向けてその照準を合わせます。
本当に拳銃があるわけでもないのに、私の動悸は激しくなって息苦しく思えました。
「愛しさ余って憎さ百倍とはこのことよ。
ねぇ麗、私を騙してその女と逃げる気?」
「騙す?」
二人が対面する姿は、まるで月と太陽。
美の女神に愛された対なる彫刻のよう。
麗さまが急な心変わりをして、このままうららと逃げてしまったとしても私は仕方ないと思うでしょう。
しかし、うららに対する麗さまの対応は冷淡でした。
「先に騙したのはそっちだよ。
紘次郎と共謀してみつきを監禁し、勝手にボクたちの婚約を破棄をしたことに言い訳はできるの?」
「あなたを愛しているからよ!」
うららの悲痛な叫びが、雷鳴を呼びました。
ゴロゴロと轟く遠雷は、まるでうららの心情そのもの。
はげしく重苦しい愛の告白が、私の心までもちりぢりに引きさきます。
この熱情を、この純愛を誰が責めることなどできるでしょう。
私がこの場でうららに張り合うことは、神をも恐れぬ愚かな行為にさえ思えます。
ポツリとひとつぶ当たった雨粒に、私は全身の熱を吸い取られるような気分がして鳥肌がたちました。
「許さないから。
紘次郎がここに来たら、あなたたちは終わりよ‼」
「うらら。」
麗さまがうららの目の前に立ちました
「ボクはずっとキミになりたかったんだ。」
うららは小雨打たれながら、麗さまを見上げました。
「麗、何を言っているの?」
「母が息子よりも愛した従姉妹のキミになりたかった。
だから、女装するときはいつもキミのなまえである【うらら】を名乗っていたんだ。」
「ええ、もちろん分かっているわ。あなたは私、私はあなた。
この世であなたの気持ちを一番理解しているのは、間近であなたたち親子の歪いびつな関係を見てきた私よ。
でも、残念ね。
どれだけ麗が辛い思いをして生きてきたか、その女は何もわかっていないんだから。」
麗さまは吐息をつくと「わからないからこそ、救われることもあるんだ。」とつぶやきました。
「キミはボクにとって自分のように大事で、鏡のような存在。キミを見ていると、母上を意識せずには居られないし、一緒に居るのは苦しいよ。
ボクは誰でもなく、【麗】として見てくれるみつきを愛している。」
私をオッドアイでしっかりと見つめながら宣言する麗さまが愛おしい。
私は冷えた身体の芯の奥が、熱を帯びるのを感じました。
(そうよ。
麗さまを愛する気持ちで、負けるわけにはいかないわ。)
「嫌よ、認めない!」
次の瞬間、うららが八重子を突き飛ばして麗さまに突進しました。
不意を突かれた麗さまが、そのままうららを受け止めます。
「ッ…、。」
「麗は、わたしだけのもの。
他の女のものになるくらいなら…!」
一瞬、私には何が起きたか分かりませんでした。
「うららさま! ご乱心をッ。」
次の瞬間、二人に駆け寄った八重子が背後から羽交い絞めにしてうららの身体の動きを封じると、すかさず麗さまがその手から鈍色に光る何かを奪い取ったのです。
「ハァ、ハァッ…。」
激しく息を吐くその手には、血がついたナイフ。
麗さまの横腹からは血が滲み出ていて、華やかなドレスにはみるみるうちに赤い染みが広がりました。
私はたまらずに悲鳴をあげました。
「麗さま!」
身体を九の字に曲げ頭を垂れる麗さまを見た私とお父さまは、すぐに走り寄ってその身体を支えました。
「みんな不幸になるがいいッ‼」
うららは自分を抑えようとした八重子の腕を振りほどくと、身をひるがえして颯爽と逃げ去りました。
「待ちなさい!」
八重子もその後ろ姿を追いかけて走っていきました。
お父さまは麗さまの傷を確認すると、血相を変えて叫びました。
「ひどい出血だ! みつき、すぐに医者…。」
「医者なら、ここにいるじゃないですか。」
麗さまはショールを引き裂いて包帯のようにお腹に巻き付けると、苦しそうな呼吸をしながら笑いました。
「うららは何をするか分からない。もう、飛ぶしかない。」
「しかし、その怪我では!」
「私は医者のはしくれです。
この程度の刺創くらい、空の上でどうにでもできます。
公爵、すぐに気球を飛ばす準備を!」
「天気も持つかは分からないぞ。
このまま飛べば、みつきと心中するようなものだ。」
「覚悟の上です。」
お父さまに即答した麗さまの肩に寄り添い、私はおごそかに言いました。
「私もです。」
「お前たち…。」
お父さまは苦し気に眉根を寄せましたが、やがて「信じるしかない」と、自分に言い聞かせるようにつぶやきました。
「紘次郎にはお前たちが心中したと伝えよう。」
私はお父さまと麗さまに支えられながらはしごに上り、なんとかゴンドラに乗りこみました。
白かった私のドレスは薄汚れてしまいましたし、麗さまの身体もボロボロでした。
だけど、ゴンドラは二人だけの世界。
ついに心を許せる安全地帯にたどり着いたようで、私はホッとしました。
風に揺れる気球から、私はお父さまにお別れを言いました。
「お父さま、最後まで親不孝な娘をお許しください。」
「みつき、来世でも私の娘に生まれてきておくれ。」
私は何度も頷き、涙で滲むお父さまを目に焼きつけようと必死に目をこすりました。
急に人影が私たちの前に躍り出てきて、私はハッとして息をのみました。
目の前に現れたのは足首まである黒のドレスに黒のヴェール姿のうらら、それに青ざめた顔の八重子でした。
「まさか、こんなに大それた計画をしていただなんて!」
首にナイフを突きつけられた八重子が、緊張した面持ちで麗さまに悲しげな目線を送ります。
「申しわけありません、お坊ちゃま。」
凍てついた空気の中、麗さまの手が伸びて私を背中に隠すとうららをけん制しました。
「もう、みつきには指一本触れさせない。」
「ああ、嫌だ!
またこの女のせいなのね。」
黒いヴェールの下でも分かるくらいうららは憤っていて、私を睨む目つきは怨念に満ちています。
「何もできない小鳥なら、大人しく籠に入っていれば撃たれないのに!」
うららは拳銃のように人差し指と親指を立てると、私に向けてその照準を合わせます。
本当に拳銃があるわけでもないのに、私の動悸は激しくなって息苦しく思えました。
「愛しさ余って憎さ百倍とはこのことよ。
ねぇ麗、私を騙してその女と逃げる気?」
「騙す?」
二人が対面する姿は、まるで月と太陽。
美の女神に愛された対なる彫刻のよう。
麗さまが急な心変わりをして、このままうららと逃げてしまったとしても私は仕方ないと思うでしょう。
しかし、うららに対する麗さまの対応は冷淡でした。
「先に騙したのはそっちだよ。
紘次郎と共謀してみつきを監禁し、勝手にボクたちの婚約を破棄をしたことに言い訳はできるの?」
「あなたを愛しているからよ!」
うららの悲痛な叫びが、雷鳴を呼びました。
ゴロゴロと轟く遠雷は、まるでうららの心情そのもの。
はげしく重苦しい愛の告白が、私の心までもちりぢりに引きさきます。
この熱情を、この純愛を誰が責めることなどできるでしょう。
私がこの場でうららに張り合うことは、神をも恐れぬ愚かな行為にさえ思えます。
ポツリとひとつぶ当たった雨粒に、私は全身の熱を吸い取られるような気分がして鳥肌がたちました。
「許さないから。
紘次郎がここに来たら、あなたたちは終わりよ‼」
「うらら。」
麗さまがうららの目の前に立ちました
「ボクはずっとキミになりたかったんだ。」
うららは小雨打たれながら、麗さまを見上げました。
「麗、何を言っているの?」
「母が息子よりも愛した従姉妹のキミになりたかった。
だから、女装するときはいつもキミのなまえである【うらら】を名乗っていたんだ。」
「ええ、もちろん分かっているわ。あなたは私、私はあなた。
この世であなたの気持ちを一番理解しているのは、間近であなたたち親子の歪いびつな関係を見てきた私よ。
でも、残念ね。
どれだけ麗が辛い思いをして生きてきたか、その女は何もわかっていないんだから。」
麗さまは吐息をつくと「わからないからこそ、救われることもあるんだ。」とつぶやきました。
「キミはボクにとって自分のように大事で、鏡のような存在。キミを見ていると、母上を意識せずには居られないし、一緒に居るのは苦しいよ。
ボクは誰でもなく、【麗】として見てくれるみつきを愛している。」
私をオッドアイでしっかりと見つめながら宣言する麗さまが愛おしい。
私は冷えた身体の芯の奥が、熱を帯びるのを感じました。
(そうよ。
麗さまを愛する気持ちで、負けるわけにはいかないわ。)
「嫌よ、認めない!」
次の瞬間、うららが八重子を突き飛ばして麗さまに突進しました。
不意を突かれた麗さまが、そのままうららを受け止めます。
「ッ…、。」
「麗は、わたしだけのもの。
他の女のものになるくらいなら…!」
一瞬、私には何が起きたか分かりませんでした。
「うららさま! ご乱心をッ。」
次の瞬間、二人に駆け寄った八重子が背後から羽交い絞めにしてうららの身体の動きを封じると、すかさず麗さまがその手から鈍色に光る何かを奪い取ったのです。
「ハァ、ハァッ…。」
激しく息を吐くその手には、血がついたナイフ。
麗さまの横腹からは血が滲み出ていて、華やかなドレスにはみるみるうちに赤い染みが広がりました。
私はたまらずに悲鳴をあげました。
「麗さま!」
身体を九の字に曲げ頭を垂れる麗さまを見た私とお父さまは、すぐに走り寄ってその身体を支えました。
「みんな不幸になるがいいッ‼」
うららは自分を抑えようとした八重子の腕を振りほどくと、身をひるがえして颯爽と逃げ去りました。
「待ちなさい!」
八重子もその後ろ姿を追いかけて走っていきました。
お父さまは麗さまの傷を確認すると、血相を変えて叫びました。
「ひどい出血だ! みつき、すぐに医者…。」
「医者なら、ここにいるじゃないですか。」
麗さまはショールを引き裂いて包帯のようにお腹に巻き付けると、苦しそうな呼吸をしながら笑いました。
「うららは何をするか分からない。もう、飛ぶしかない。」
「しかし、その怪我では!」
「私は医者のはしくれです。
この程度の刺創くらい、空の上でどうにでもできます。
公爵、すぐに気球を飛ばす準備を!」
「天気も持つかは分からないぞ。
このまま飛べば、みつきと心中するようなものだ。」
「覚悟の上です。」
お父さまに即答した麗さまの肩に寄り添い、私はおごそかに言いました。
「私もです。」
「お前たち…。」
お父さまは苦し気に眉根を寄せましたが、やがて「信じるしかない」と、自分に言い聞かせるようにつぶやきました。
「紘次郎にはお前たちが心中したと伝えよう。」
私はお父さまと麗さまに支えられながらはしごに上り、なんとかゴンドラに乗りこみました。
白かった私のドレスは薄汚れてしまいましたし、麗さまの身体もボロボロでした。
だけど、ゴンドラは二人だけの世界。
ついに心を許せる安全地帯にたどり着いたようで、私はホッとしました。
風に揺れる気球から、私はお父さまにお別れを言いました。
「お父さま、最後まで親不孝な娘をお許しください。」
「みつき、来世でも私の娘に生まれてきておくれ。」
私は何度も頷き、涙で滲むお父さまを目に焼きつけようと必死に目をこすりました。



