憧れのおねえさまは華麗に素敵な嘘を吐く~大正公爵令嬢×隻眼海軍少尉の秘密の花園~

「心中⁉」

 その言葉は、あの白波が打ちよせる断崖のきわに私を呼び戻しました。

「麗さま、どうしてそんなことを…。」

 今でも私の脳裏には意地悪く嗤う【うらら】の残酷なまでに美しい顔と、灰色の空に舞い散る白い手紙が焼き付いています。

(私を試しているの?
 それとも、本気でおっしゃっている?)

 私は無意識に後ずさりをして、狭い個室の壁に背中を打ちつけてしまいました。

「ゴメン。」

 そんな私を見た麗さまが、フッと表情を崩しました。

「ボクに命を預けるなんて、嫌だよね。」

 私は一瞬、返答を迷いました。
 憂いのある悲しげな麗さまを見ると、胸が切なく締めつけられます。

 でも私はもう、ふわふわとその場にながされるだけの世間知らずの令嬢ではありません。
 私はいちど丹田に力をこめて、麗さまをまっすぐに見つめて本音を吐き出したのです。

「うららおねえさまとの心中は、もう懲り懲りですわ!」

「え? 」

 私は驚く麗さまのお顔を両手で固定すると、紅を塗られたその唇に軽く口づけをしました。

「ん!」

 口を離すと、不意をつかれた麗さまが紅く呆けた顔になっていました。
 それがなんだかこの世でいちばん面白い出来事に思えて、私は思わず声を出してケタケタと笑いました。

 麗さまといるとはしたないことばかりしてしまう自分。
 まるで特別な生き物にでも生まれ変わったかのようです。

 私は麗さまの鼻の頭に人差し指を置いて、ニッコリと微笑みました。 

「私は麗さまについていきます。
 あなたはうららではなく麗さまですか?」

 耳まで赤くなった涙目の麗さまが、横に首を振りました。

「ボクはもう二度とうららには戻らない。
 ボクはボク自身だ。」

 私は強く頷きました。

「では、心中はもとより地獄にまでもお伴をさせていただきます。」
 あの世で祝言を挙げましょう!」

「キミは、ボクの知ってる気弱な令嬢のみつきじゃないみたいだ。
 もしかしたら別人なのかな?」

 麗さまが目を細めて苦笑しながら言う、冗談が愛おしい。
 私は白いドレスの裾を翻して麗さまの首に腕をからめると、薄紫のオッドアイを熱く見つめました。

「それなら、今すぐに証明してみせますわ。」

 私は麗さまの黒真珠のネックレスをずらして白い首筋に強く歯を立てました。
 汗に混じった麗さまの息遣いと薔薇の匂いが、私の神経を狂わせます。

「フッ。
 みつき、くすぐったい。」

 私の腰をギュッとつかんだ麗さまが、顔をのけぞらせて小さく痙攣しました。

「まだですもう少し我慢して。
 吸い続けないと、証明ができませんでしょう。」

「それは【エス】の証明。ボクはこっちのほうがいいな。」

 湿り気のある麗さまの声が耳で響き、見上げた私の唇に麗さまの唇が合わさりました。
 自然と目を閉じ、お互いの唇の感触を味わいます。

 離そうとすると下唇を噛まれて引っ張られ、再び深く交わす唇。
 それはひとつに溶けあうとするように、長く、甘く…。

 ♢

 用心深く辺りをうかがいながら麗さまと化粧室を出ると、すぐに黒いスーツ姿の八重子の姿を見つけました。

「八重子! どうしてここに?」

 嬉しさを隠しきれずに駆け寄ると、八重子は複雑な顔をして私を迎えました。

「もちろん、お二人をここから逃がすためですわ。
 お坊ちゃま、予定より時間がありません。
 お急ぎください。」

 八重子はいつからここで待機していたのでしょう?
 まさか、聞かれていた?

 急に恥ずかしくなって、私は耳まで真っ赤になってしまいました。

「行こう。」

 麗さまがそんな私の手を引いて、小走りに細い廊下を移動する八重子のあとに続きました。
 すれ違う人はほとんどがホテルの従業員ばかりで、私たち三人を気にとめる人は誰もいません。

 廊下の従業員専用の扉を抜けて灯りのない通路を通り、非常階段の扉を開けると、幅の狭い階段にたどり着きました。
 慣れた様子で上りの階段を駆けあがる八重子を見て、私はギョッとして立ちどまりました。

「どこに行かれるのですか?
 出入り口は一階の玄関ですよ。」

 私の声が届いていないように、八重子は階段を駆けて行ってしまいました。
 私は麗さまのドレスの裾を引きました。

「まさか、屋上から飛び降りたりはしないですよね?」

 私を振り返った麗さまが、ほつれて目にかかる髪を払いながらニヤリと挑戦的に笑いました。

「さっきは、ボクと心中して天国で祝言をあげるって言ったじゃないか。」

「あれは言葉のアヤだと…。」

「ひどいな。ボクに嘘をついたの?」

 傷ついた顏をする麗さまに、私は引きつった顏を隠せませんでした。

「ほほ、本気なのですか?」

「半分はね。」

 その時、非常階段を先に昇りきった八重子が内錠を開けて重そうな扉を肩で押しました。
 開かれた扉からは、生ぬるい外の風が階下にまで吹きこみます。

 麗さまに手を引かれながら階段を登りきると、鉄製の非常扉の向こうにとても大きな影が見えました。

「これは…⁉」