憧れのおねえさまは華麗に素敵な嘘を吐く~大正公爵令嬢×隻眼海軍少尉の秘密の花園~

 二百人ほどが収容できる帝国ホテルの南の間には、大きなステンドグラスが赤い絨毯の上に美しい色彩の光を落としています。
 私と紘次郎が並んで登場すると、待ちに待った礼装の招待客たちが拍手とともにワッと歓声をあげました。

「紘次郎、私こわいわ。」

 フリルがたっぷりとついた白のドレスに白いハイヒール、髪にはコテでウェーブをあてた私は、隣に立つ紘次郎をそっと見上げました。 

「私の手を握ってくださる?」

 私はダイヤの指輪が光る左手を差しだしました。
 紘次郎は一瞬だけ驚いたようでしたが、いつもの甘やかな微笑みを浮かべるとうやうやしく私の手を握りました。

「ええ、喜んで!」

 上等な燕尾服にピカピカに磨かれた革靴を履きオールバックになでつけられた髪型の紘次郎は、颯爽と私をエスコートします。
 私の従順な態度を【降参】と受け止めたのでしょう。
 紘次郎は終始機嫌よく、私の手を引いて会場中を連れ回しました。

「ようやく私のみつきさまに戻って下さったのですね。」

 ひと通り招待客に挨拶を終えてひな壇に戻ると、紘次郎が壇の下で私の手の上にそっと手を重ねました。

「はい、プロフェッサーどの。」

 私はいつもの冗談を口にしながら色のない微笑みを返します。

「そういえばごく最近、うららさんから聞いた話ですが、五色麗が海上で行方不明になったそうですよ。」

 私を試すように紘次郎が話題を振ってきました。

(ここで、この話題を私に振るなんて!)

 私はにっこりと満面の笑みを浮かべて対応しました。

「お可哀想に。」

 私の顔を見た紘次郎は満足そうに嗤いました。

「完璧な日です。」

 私も紘次郎の目に届かないところで、ホッと吐息をつきました。
 私の今日の目標は、紘次郎にどう思われようと反応しないこと。

【麗さまの安否が知れるまで、魂のない人形を演じる】

 私は覚悟を決めていました。
 生きて、麗さまに会うために。

 ♢

 宴もたけなわになりました。
 珍しくほろ酔いかげんの紘次郎のもとに、秘書の田口がすり寄ってきました。

「こ、紘次郎さま、たいへんです。
 米国の造船業を営む社長のジョージがこの帝国ホテルにいらしています。」

「造船業…戦争成金か?」

 人目もはばからずに私の肩を抱き寄せていた紘次郎は、億劫そうに顎を擦りました。
 田口は少し興奮した口調で紘次郎に詰め寄ります。

「綾小路家の縁者にジョージの知り合いがいて、紘次郎さまにご挨拶をされたいと熱望しているそうです。
 うまく口説けば綾小路家のパトロンになってくれる可能性のある、レアな人物ですよ!」

「ふうん、そんな人脈が綾小路家にあったんだな。」

 途端に紘次郎の目つきが変わり、急に私の肩を遠ざけました。

「みつき、お疲れ様でした。
 久しぶりに長く人と話したから、お疲れでしょう?
 私は大事なお客さまと話をしてくるので、その間にゆっくりと休んでいてくださいね。」

(紘次郎は綾小路家の銀行の再建だけではなく、手広く事業をしているようね。)

 内心驚きはしましたが、心の機微を悟られてはつけこまれてしまいます。
 私は素直にコクリとうなずいて紘次郎に背を向けて立食テーブルへと向かいました。

 ♢

 色とりどりのごちそうが並ぶ立食テーブルを見た瞬間に、私は胸やけをもよおしてしまいました。
 自分でも嫌になるくらい、神経が身体に影響を及ぼす人間なのです。

 テーブルの横に設えられた長椅子に座ると、はじめての顔ぶれの一団が次々にあいさつに訪れて大変な冷や汗をかきました。
 紘次郎という盾がない時に、自分の社交能力だけで立ち回りをしなくてはならない場面を想定していなかったのです。

 愛想笑いを繰り返してなんとかその場をやり過ごしましたが、そこでみんなが口をそろえていうのは私と紘次郎が「お似合いの二人」だということでした。

 誰もが羨む夫と貞淑な妻。
 世間からの評価はそんなところでしょうか。

 そして親戚すじの連中には私と麗さまの婚約を知っていた方もいるというのに、誰ひとりその話題に触れる方はいません。

(腫れ物扱いされるくらいなら、嘲笑された方が気が楽だったのに。)

 気が休まらない会場から逃げ出したい思いを抱きながら、私はようやく一団から解放されて一人になることができました。
 給仕から差し出されたラムネを片手に会場全体を俯瞰で見ていると、頭がぼんやりとしてきます。

 人は生きて死ぬまでにどれだけの人と関わりを持ち、それを記憶しているのでしょう。
 なにが大切でなにが大切ではないのか。

 この混沌とした会場の中で、ひとつだけ鮮明に浮かび上がる事実がありました。

 公爵家、紘次郎、麗さま…常に他人に依存することで生きながらえてきた私は、これからはひとりでこの荒波を超えて行かなけれなならないのです。

 ♢

 ぼんやりと考え事をしていると、一人の女性が私に近づいてくるのが見えました。
 私は気の抜けた頭を起こすために、お腹に力を入れて丸めた背筋を伸ばしました。

 外国人でしょうか?

 美しく編み込まれたヘアスタイルに、大きな生薔薇を耳の横に挿した銀髪の美女。
 スラリとした体型にスリットが大胆な赤いドレスを身にまとい、大きなサングラスをしています。

 素敵な女性ですが、この場には似つかわしくない派手な姿。
 どう見ても婚約のお祝いをしてくれる雰囲気ではありません。

「ckaЖИmhe?」

 私に向かって話しかけてきたようなのですが、英語でもフランス語でもない言葉に私は泡をくってしまいました。

「ご、ごめんなさい。日本語か英語は話せますか?
 ええと、ドゥー・ユー・スピーク・イングリッシュ?」

「Could you tell where the restroom is?」

「お手洗いでいいのかしら?
 よろしければご案内いたします。
 ええと、フォロー ミー プリーズ。」

 女性が頷いたことで安心した私は、会場の外の通路にあるお手洗いまでご案内をしました。

「それでは、私はここで。」

 会釈してお手洗いを出ようとした時、突然その美しい女性は、私の手を引っ張り個室に連れこんだのです。

「あ、あのッ、個室はひとりで入るものですよ!」

 もしかして、外国人だから個室でのお作法が分からないのかしら?

 焦りました。
 しどろもどろになりながら、どう英語で伝えようかを考えていると、凛とした涼やかな声が耳に届きました。

「静かに。」

 私の唇に人差し指を当てた女性は、およそ不似合いなテノールボイスを発しました。
 驚いた私は、ある可能性を感じてマジマジと女性を見つめました。

「まさか、あなた。」

 私は震えながら女性のサングラスに手を伸ばし、それをゆっくりと外しました。

 紫のオッドアイ。
 切れ長の瞳に涙ほくろの美しい人は、私を愛おしく見つめます。

「会いたかったよ、みつき。」

 その腕に抱きしめられた私は、フワッとした薔薇の香りに包まれ確信しました。

「麗さま!
 麗さまなのね⁉」

 私の目の前はキラキラした星屑に覆われ、胸が甘酸っぱい想いでいっぱいになりました。

「生きてらした…!」

「ふふ。
 みつきになら絞められてもいいけど、まだ殺さないで。」

「いじわるです!」

 麗さまは少し屈んで私の頬に自分の頬を擦りよせました。
 ああ、懐かしいこの感触、暖かな温度。

 私は涙で曇る目を懸命にまばたきして、麗さまをひとときも見逃すまいと思いました。

「時間がない。
 悪いけど、みつきに一つだけお願いがあるんだ。」

 麗さまはウェーブをつけた私の髪に触れながら、急に声色を変えました。

「なんでもおっしゃって。」

 麗さまは美しい悪魔のように、恐ろしいことを口にしました。

「ボクと心中してほしい。」