涙でにじんだ署名が書かれた書類を持って、紘次郎は部屋を出て行きました。
それを見て部屋のすみで控えていたいたひな子も、慌てて会釈をして退出しようとします。
「待って、ひな子。」
私はひな子の日に焼けた手首をしっかりと掴みました。
「少しだけ耳を貸してちょうだい。」
「お、お嬢さま、紘次郎さまにしかられます。」
目を伏せ半身をひねって逃れようとするひな子に、私は声をひそめて耳打ちをしました。
「ひとつ心配なことがあるの。
紘次郎にとって厄介なことだけど、あの人には理解できないかもしれないわ。
それは私の【エス】の親友のことよ。」
『紘次郎には厄介なこと』という言葉に過敏に反応したひな子は、抵抗をやめて私を見据えました。
「伯爵家の令嬢・ようこさまですね?」
思った通り、ひな子はすぐにようこの名を口にしました。
私は早口でひな子に畳みかけます。
「あなたもご存知のように、私とようこは【シスタア】の絆がある。
彼女に内緒で麗さまとの縁談を破棄して女学院を退学するなんてこと、ありえないの。
女のあなたなら、理解してくださるわよね。」
「ああ…分かります。」
ひな子は私の言葉に同意して、コクンと頷きました。
「ようこは必ず私の口から真相を聞きに、ここに来るわ。
利発な娘だから、紘次郎の嘘もすぐに見抜くはずよ。
だからほとぼりが冷めるまで、ようこには旅に出るから心配するなという手紙を書こうと思うの。
それをあなたに渡すから、内密に伯爵家に行って直接あのコに渡してほしいの。」
「エッ⁉
でも、それは紘次郎さまに許可を得てからでないと。」
「ひな子、時間がないわ。
利発なようこは納得できない事はとことん調べるはずよ。
もしようこが紘次郎の悪事を糾弾して、それに激怒した紘次郎に麗さまの秘密を暴露されたら…私は生きてゆけないわ。
そうなったらすぐに舌を噛んで自害するから、あなたもそのつもりでいてね!」
私の迫力に圧倒されたのか、ひな子は小さな目を萎縮させて青ざめました。
「でもッ、私の一存では…。」
私はひな子のエプロンのポケットに手を入れると、自分の指にはめていたサファイアの指輪をスルリと落としました。
「お嬢さま⁉ 何を…。」
「あなた、この指輪がお好きじゃなくて?
私が身につけるたびに『素敵』ってほめてくださっていたわよね。」
五色家で紘次郎が見せた【人との距離を詰める方法】をマネてみたのです。
イチかバチかの賭けでしたが、ひな子は複雑な表情でポケットの上から指輪を握りしめました。
「…手紙を渡すだけです。みつきさまと私、女同士の秘密ですよ。」
「ええ、もちろんよ。」
(うまくいったわ。)
笑顔を取り繕いながらも、私は内心胸をなでおろしていました。
「待っていて。今すぐに書いてしまうから。」
私は急いで文机の引き出しから便せんを取り出すと、ガラスペンにインクを乗せて文字をつづりました。
※※
拝啓 ホームズ好きのようこさまへ
麗しの親友よ。
突然のこんなお便りにお気を悪くなさらないで。
女学 校 を退学し、婚約を破棄して 自 分探しの旅に出ることにしました。
今の私は平民のように 労 働をしてでも 危険 なことに挑戦したいのです。
あなたなら必ず理解してくださるだろうと信じています。
そしてあなたと引き合わせてくれた【エスの神さま】に 感 謝します。 金 曜日には私を思い出してください。
こころの平穏の 助け になれば幸いです。 あなたと 手 をつないだ記憶は永遠です。
麗 しの君 に 調 べ馳 は せて
ワトソンのみつきより
※※
「中身を確認してもいいわよ。」
私はドキドキしながら手紙をひな子に渡しました。
「女学校を退学するから、心配するなという内容でしょうか?
私は学がないので漢字の意味はよくわかりませんが、大丈夫そうですね。
もしようこさまから何か聞かれたら、私の方からみつきさまが不在なことをお伝えします。」
「それでは、お願いね。」
ひな子が軽く会釈して部屋を出ていくと、私は脱力してベッドの上にあおむけに倒れました。
(慣れない嘘だったけど、なんとかひな子をだませたわ。
でも、いつも他人に言われるがままふわふわと生きてきた私に、こんな駆け引きができるなんて!)
私は自分の行動を何度も反芻はんすうしているうちに、いよいよお腹の底からおかしくなってきて、わざと大きな声を出して笑いました。
「アハハハッ!」
(はしたなくて下品な行動!
【気弱で小心者の公爵令嬢】らしくないじゃないの。)
涙が出るほど笑い続けたあと、私は急にスンと我にかえりました。
そして胸のまえで指を組み、祈る思いで天井を見上げたのです。
(どうか、どうかようこが【暗号】に気づきますように。
そして麗さまに、私のピンチを知らせてくれますように…。)
それを見て部屋のすみで控えていたいたひな子も、慌てて会釈をして退出しようとします。
「待って、ひな子。」
私はひな子の日に焼けた手首をしっかりと掴みました。
「少しだけ耳を貸してちょうだい。」
「お、お嬢さま、紘次郎さまにしかられます。」
目を伏せ半身をひねって逃れようとするひな子に、私は声をひそめて耳打ちをしました。
「ひとつ心配なことがあるの。
紘次郎にとって厄介なことだけど、あの人には理解できないかもしれないわ。
それは私の【エス】の親友のことよ。」
『紘次郎には厄介なこと』という言葉に過敏に反応したひな子は、抵抗をやめて私を見据えました。
「伯爵家の令嬢・ようこさまですね?」
思った通り、ひな子はすぐにようこの名を口にしました。
私は早口でひな子に畳みかけます。
「あなたもご存知のように、私とようこは【シスタア】の絆がある。
彼女に内緒で麗さまとの縁談を破棄して女学院を退学するなんてこと、ありえないの。
女のあなたなら、理解してくださるわよね。」
「ああ…分かります。」
ひな子は私の言葉に同意して、コクンと頷きました。
「ようこは必ず私の口から真相を聞きに、ここに来るわ。
利発な娘だから、紘次郎の嘘もすぐに見抜くはずよ。
だからほとぼりが冷めるまで、ようこには旅に出るから心配するなという手紙を書こうと思うの。
それをあなたに渡すから、内密に伯爵家に行って直接あのコに渡してほしいの。」
「エッ⁉
でも、それは紘次郎さまに許可を得てからでないと。」
「ひな子、時間がないわ。
利発なようこは納得できない事はとことん調べるはずよ。
もしようこが紘次郎の悪事を糾弾して、それに激怒した紘次郎に麗さまの秘密を暴露されたら…私は生きてゆけないわ。
そうなったらすぐに舌を噛んで自害するから、あなたもそのつもりでいてね!」
私の迫力に圧倒されたのか、ひな子は小さな目を萎縮させて青ざめました。
「でもッ、私の一存では…。」
私はひな子のエプロンのポケットに手を入れると、自分の指にはめていたサファイアの指輪をスルリと落としました。
「お嬢さま⁉ 何を…。」
「あなた、この指輪がお好きじゃなくて?
私が身につけるたびに『素敵』ってほめてくださっていたわよね。」
五色家で紘次郎が見せた【人との距離を詰める方法】をマネてみたのです。
イチかバチかの賭けでしたが、ひな子は複雑な表情でポケットの上から指輪を握りしめました。
「…手紙を渡すだけです。みつきさまと私、女同士の秘密ですよ。」
「ええ、もちろんよ。」
(うまくいったわ。)
笑顔を取り繕いながらも、私は内心胸をなでおろしていました。
「待っていて。今すぐに書いてしまうから。」
私は急いで文机の引き出しから便せんを取り出すと、ガラスペンにインクを乗せて文字をつづりました。
※※
拝啓 ホームズ好きのようこさまへ
麗しの親友よ。
突然のこんなお便りにお気を悪くなさらないで。
女学 校 を退学し、婚約を破棄して 自 分探しの旅に出ることにしました。
今の私は平民のように 労 働をしてでも 危険 なことに挑戦したいのです。
あなたなら必ず理解してくださるだろうと信じています。
そしてあなたと引き合わせてくれた【エスの神さま】に 感 謝します。 金 曜日には私を思い出してください。
こころの平穏の 助け になれば幸いです。 あなたと 手 をつないだ記憶は永遠です。
麗 しの君 に 調 べ馳 は せて
ワトソンのみつきより
※※
「中身を確認してもいいわよ。」
私はドキドキしながら手紙をひな子に渡しました。
「女学校を退学するから、心配するなという内容でしょうか?
私は学がないので漢字の意味はよくわかりませんが、大丈夫そうですね。
もしようこさまから何か聞かれたら、私の方からみつきさまが不在なことをお伝えします。」
「それでは、お願いね。」
ひな子が軽く会釈して部屋を出ていくと、私は脱力してベッドの上にあおむけに倒れました。
(慣れない嘘だったけど、なんとかひな子をだませたわ。
でも、いつも他人に言われるがままふわふわと生きてきた私に、こんな駆け引きができるなんて!)
私は自分の行動を何度も反芻はんすうしているうちに、いよいよお腹の底からおかしくなってきて、わざと大きな声を出して笑いました。
「アハハハッ!」
(はしたなくて下品な行動!
【気弱で小心者の公爵令嬢】らしくないじゃないの。)
涙が出るほど笑い続けたあと、私は急にスンと我にかえりました。
そして胸のまえで指を組み、祈る思いで天井を見上げたのです。
(どうか、どうかようこが【暗号】に気づきますように。
そして麗さまに、私のピンチを知らせてくれますように…。)



