「どうしてですか⁉」
憤慨する私に、目頭を押さえた麗さまが呟きました。
「母上が病院に入ってからは、ここは立ち入り禁止だった。
それにボクも、春が来たら最前線への従軍が決まっている。
その時には昇進が約束されているから、その前にこの【女々しい離れ】は取り壊すようにと父上は言うんだ。」
「ひどいわ。お母さまとの思い出を自分で壊せというなんて!」
「思い出か…ボクはこの場所を、一生忘れることなんかできないよ。」
うつむいた麗さまの口元が小刻みに震えました。
「幼いころのボクは、母上の着せ替え人形だったからね。」
♢
自嘲的な微笑みは私が知る麗さまらしくはありませんでした。
でも、私は本当に麗さまについて理解しているのかと問われれば、その自信はありません。
いつかの白亜岬で謎の令嬢に言われた『なにも知らないくせに』という言葉は、未だに私の胸に烙印のように刻まれています。
「ほら、見てよこのワンピース。可愛いでしょ。」
麗さまは急に椅子から立ち上がると、衣装箪笥から小さな幼児用の赤いワンピースを出して自分の身体に当てました。
「これは、母上のいちばんのお気に入りでね。よく着せられていたな。」
「お母さまが?」
「母上の機嫌が悪いときは、何もしていないのに縛られて折檻をされる。
そんなときにこのワンピースを着て【うららちゃん】になるんだ。
そうすると、母上の機嫌が良くなるから。」
麗さまの明るい声とはかけ離れた告白に、私は言葉を失いました。
「どうして?」
「母上にはね、父上よりも愛する人が居たんだ。」
「愛する人…。」
麗さまはとつとつと話を続けました。
「気に沿わない貴族同士の政略結婚、オッドアイの息子の誕生、誰とも分かち合えない孤独感。
それは母上の心を蝕み、ついには粉々にしてしまったんだ。
ボクが物心ついたころには、育児放棄にノイローゼ。
父上が船に乗っているときにヒステリーを起こすと、何時間もこの部屋で折檻された。」
オルゴールのメロディが、ゆっくりと悲しく耳に響きます。
「ボクは幼いなりにそれを回避する方法を必死に考えた。その答えは母上の欲しかった【おんなのこ】になること。
それがボクの壊れているけど、あたりまえの日常だった。」
それから麗さまは眼帯を外し白いシャツを脱ぎ捨てて、手近にあった赤い振袖をまといました。
「ボクはこうやって女装することに慣れてるんだ。
みつきが望むならずっとこの女の格好でいてもいい。」
「え。」
「だから、みつきはボクから逃げないでほしい。」
麗さまは煌めくオッドアイですがるように私を見つめました。
その切ないくらいの【孤独】の重さと質を、私などには推し量ることもできません。
「私…。」
やっとのことで喉の奥から絞り出した大きな声は、かすれて飛び出しました。
「麗さまはわかっていないのです!」
私は強引に麗さまに押し倒すと、着物の襟を左右に引いてはだけました。
もうどうなっても、どう思われても構わない。
「み、みつき、待って!」
止められない赤黒い衝動にまかせて、私は麗さまの首に顔を埋めました。
露わになった煽情的な白い首筋に犬歯を突き立てると、「クッ。」という麗さまの呻きが耳元で弾けました。
私は首筋に立てた歯に力を込めました。
麗さまの温かい血が口腔を潤し、喉を伝って急速に胃を満たします。
クラクラとする刺激的で濃厚な鉄の味。
吸血鬼の本能がざわざわと呼び起こされて、私は鳥肌が立ちました。
しかし、いつもなら陶酔して溺れてしまうこの行為の途中で、私は麗さまの首から口を離してしまいました。
「無理なんてしていません。」
「みつき?」
長いまつ毛を伏せて、ジッと痛みに耐えていた麗さまが、不思議そうに私の名を呼びました。
私は怒りと悲しみが入り混じった気持ちがこみ上げてきて、それを余すことなく麗さまに伝えるために、大きな声を出しました。
「無理なら、そもそも足入れなんてしていません。
今、分かりました。
私は【おねえさま】ではなく【麗さま】が好きなの!
麗さまも、私に気をつかわないでほしい。
私を好きなら、どうぞ雑にあつかってください!」
苦しいの―。
ひと息に言葉を吐き出した私は、両肩を激しく震わせて嗚咽をもらしました。
自分の気持ちが伝わっていなかったこと、そもそもの伝え方が間違っていたことへの後悔と自責の念が交互に頭を占めるのです。
「確かに最初は【女性】に見えるから好きになったけど、今は【麗さま】だから好きなの!」
涙が止まらない私に、吐息を荒くした麗さまが耳元で囁きました。
「我慢していたのに…悪い子。」
麗さまは、突然私に口づけをしました。
芳醇な果実の甘い香りとともに痺れるような感覚が全身にかけめぐりました。
繰り返されるアップライトオルゴールのメロディが、麻痺した痛みのようにキンキンと響き続けます。
唇を離した麗さまが、私の浴衣の襟を下に引き下ろしました。
「アッ。」
私は肩をすくめて身をひねりましたが、麗さまはもうすでに、私の首筋を柔らかな唇で愛撫していました。
「悪い子には、お仕置きするよ。いいよね。」
麗さまが荒々しく私の首筋に噛みついた瞬間、私の中の何かが弾けました。
あの断崖絶壁から飛び降りるように、堕ちていくのは……一瞬。
憤慨する私に、目頭を押さえた麗さまが呟きました。
「母上が病院に入ってからは、ここは立ち入り禁止だった。
それにボクも、春が来たら最前線への従軍が決まっている。
その時には昇進が約束されているから、その前にこの【女々しい離れ】は取り壊すようにと父上は言うんだ。」
「ひどいわ。お母さまとの思い出を自分で壊せというなんて!」
「思い出か…ボクはこの場所を、一生忘れることなんかできないよ。」
うつむいた麗さまの口元が小刻みに震えました。
「幼いころのボクは、母上の着せ替え人形だったからね。」
♢
自嘲的な微笑みは私が知る麗さまらしくはありませんでした。
でも、私は本当に麗さまについて理解しているのかと問われれば、その自信はありません。
いつかの白亜岬で謎の令嬢に言われた『なにも知らないくせに』という言葉は、未だに私の胸に烙印のように刻まれています。
「ほら、見てよこのワンピース。可愛いでしょ。」
麗さまは急に椅子から立ち上がると、衣装箪笥から小さな幼児用の赤いワンピースを出して自分の身体に当てました。
「これは、母上のいちばんのお気に入りでね。よく着せられていたな。」
「お母さまが?」
「母上の機嫌が悪いときは、何もしていないのに縛られて折檻をされる。
そんなときにこのワンピースを着て【うららちゃん】になるんだ。
そうすると、母上の機嫌が良くなるから。」
麗さまの明るい声とはかけ離れた告白に、私は言葉を失いました。
「どうして?」
「母上にはね、父上よりも愛する人が居たんだ。」
「愛する人…。」
麗さまはとつとつと話を続けました。
「気に沿わない貴族同士の政略結婚、オッドアイの息子の誕生、誰とも分かち合えない孤独感。
それは母上の心を蝕み、ついには粉々にしてしまったんだ。
ボクが物心ついたころには、育児放棄にノイローゼ。
父上が船に乗っているときにヒステリーを起こすと、何時間もこの部屋で折檻された。」
オルゴールのメロディが、ゆっくりと悲しく耳に響きます。
「ボクは幼いなりにそれを回避する方法を必死に考えた。その答えは母上の欲しかった【おんなのこ】になること。
それがボクの壊れているけど、あたりまえの日常だった。」
それから麗さまは眼帯を外し白いシャツを脱ぎ捨てて、手近にあった赤い振袖をまといました。
「ボクはこうやって女装することに慣れてるんだ。
みつきが望むならずっとこの女の格好でいてもいい。」
「え。」
「だから、みつきはボクから逃げないでほしい。」
麗さまは煌めくオッドアイですがるように私を見つめました。
その切ないくらいの【孤独】の重さと質を、私などには推し量ることもできません。
「私…。」
やっとのことで喉の奥から絞り出した大きな声は、かすれて飛び出しました。
「麗さまはわかっていないのです!」
私は強引に麗さまに押し倒すと、着物の襟を左右に引いてはだけました。
もうどうなっても、どう思われても構わない。
「み、みつき、待って!」
止められない赤黒い衝動にまかせて、私は麗さまの首に顔を埋めました。
露わになった煽情的な白い首筋に犬歯を突き立てると、「クッ。」という麗さまの呻きが耳元で弾けました。
私は首筋に立てた歯に力を込めました。
麗さまの温かい血が口腔を潤し、喉を伝って急速に胃を満たします。
クラクラとする刺激的で濃厚な鉄の味。
吸血鬼の本能がざわざわと呼び起こされて、私は鳥肌が立ちました。
しかし、いつもなら陶酔して溺れてしまうこの行為の途中で、私は麗さまの首から口を離してしまいました。
「無理なんてしていません。」
「みつき?」
長いまつ毛を伏せて、ジッと痛みに耐えていた麗さまが、不思議そうに私の名を呼びました。
私は怒りと悲しみが入り混じった気持ちがこみ上げてきて、それを余すことなく麗さまに伝えるために、大きな声を出しました。
「無理なら、そもそも足入れなんてしていません。
今、分かりました。
私は【おねえさま】ではなく【麗さま】が好きなの!
麗さまも、私に気をつかわないでほしい。
私を好きなら、どうぞ雑にあつかってください!」
苦しいの―。
ひと息に言葉を吐き出した私は、両肩を激しく震わせて嗚咽をもらしました。
自分の気持ちが伝わっていなかったこと、そもそもの伝え方が間違っていたことへの後悔と自責の念が交互に頭を占めるのです。
「確かに最初は【女性】に見えるから好きになったけど、今は【麗さま】だから好きなの!」
涙が止まらない私に、吐息を荒くした麗さまが耳元で囁きました。
「我慢していたのに…悪い子。」
麗さまは、突然私に口づけをしました。
芳醇な果実の甘い香りとともに痺れるような感覚が全身にかけめぐりました。
繰り返されるアップライトオルゴールのメロディが、麻痺した痛みのようにキンキンと響き続けます。
唇を離した麗さまが、私の浴衣の襟を下に引き下ろしました。
「アッ。」
私は肩をすくめて身をひねりましたが、麗さまはもうすでに、私の首筋を柔らかな唇で愛撫していました。
「悪い子には、お仕置きするよ。いいよね。」
麗さまが荒々しく私の首筋に噛みついた瞬間、私の中の何かが弾けました。
あの断崖絶壁から飛び降りるように、堕ちていくのは……一瞬。



