憧れのおねえさまは華麗に素敵な嘘を吐く~大正公爵令嬢×隻眼海軍少尉の秘密の花園~

 朝は晴天でしたが午後からはだんだんと風が強まり、湿度が増してあいにくの空模様になっていきました。

「今夜は関東地方に台風が接近するということですから、午後からの授業は中止にします。
 みなさん、早く下校するように。」

 青山先生が教室から退出された途端、生徒たちからは歓声と拍手が巻き起こりました。
 すぐに状況を悟った青山先生には、教室のうしろ側のドアの窓から軽くにらまれてしまいましたが、それを気にかける生徒はいません。

「婦徳試験前なのに、幸運ね!」

「どうせなら、実技試験の当日に天気が荒れてくれないかしら。
 私、ミシンが苦手なの。」

 生徒たちのめいめいが無責任な冗談を言いながらも、明るく楽しい雰囲気ではありませんでした。
 一週間後の試験のために、帰宅したら猛勉強をするせいでしょうか。

 あのようこですら、いつものように「下校途中にカフェでアイスを食べましょう」とは誘ってはきませんでした。
 それどころか「お先に失礼」と私に軽く挨拶をすると、いちばん先に教室を飛びだしたのでした。

「もう、卒業前ですものね。」

 一抹の寂しさを抱えながら、私は通学カバンを持ちました。

 ♢

 女学院の令嬢たちの大半は、親に決められた殿方に嫁ぐ未来が決まっている方たちばかりです。
 それでも卒業までに少しでも成績を上げようと努力するのは、男性社会に対するささやかな抵抗のようなものかもしれません。

 私はというと成績はオール乙という、いかにも平凡で平均的な女学生。
 いつも頭のすみでふわふわしたことを考えていて、【純愛】のために死のうと思っていた情けない女子なのです。

「将来の夢は?」なんて聞かれるのが、一番困る質問。
 一日でも長くこの心地よい世界が続くことを祈ることくらいしか、私にできることはありません。

(せめてみんなを見習って、学年最後の試験くらいは気合いを入れて臨まなくては。)

 教室にひとり取り残される前に、私は足ばやに教室を出ました。

 ♢

 しとしとと降る小雨に追いかけられながら帰宅した私は、紳士物のコートが二着、衣紋掛に吊られているのを見て驚きました。

(一着は紘次郎のもの。もう一着は…。)

「アッ、お父さまが帰っていらしたのね。」

 銀行頭取であるお父さまが平日の昼間から家に居るのは珍しいことでした。

(何かあったのかしら。)

 私は男性であるお父さまが苦手でしたので、見つかって話しかけられたりするのは肝が冷えます。
 私はすり足で気配を消して帰宅の挨拶をやり過ごすつもりでしたが、客間のドアを通りすぎようとした時に、急に気になる言葉が耳に飛びこんできました。

「誤算だったよ。
 まさか、五色さまがみつきに執着するとはね。」

(執着ってなんのこと?)

 私は息を殺して客間の扉にヒタリと寄りそい、二人の会話に聞き耳をたてることにしました。

「松之助さま。
 いまは、綾小路公爵家の未来とみつきさまのお幸せを第一に考えてくださいね。」

「分かっている、分かってはいるが、だよ。
 本当に紘次郎くんはそれで構わないのか?」

「覚悟はできています。
 私はもとよりそのつもりで、幼少期より公爵邸こちらにお世話になっておりました。」

 紘次郎は幼い頃からお父さまにとても可愛がられていました。
 最近は将棋やゴルフのことだけではなく、銀行の運営の相談までしているようで、実の娘の私よりも紘次郎と過ごす時間が多いのは間違いありません。

 紘次郎は少し声の色を変えて、こう言いました。

「なにより、軍人上がりのエセ華族なんかにみつきさまを任せるわけにはいきませんから。」

(エセ華族ですって⁉ 麗さまに無礼だわ!)

 聞き捨てならない麗さまへの悪口を聞いてしまい、私の怒りの導火線に火がつきました。
 麗さまのことになるとすぐに見境がつかなくなるのが、私の短所です。

 今にも爆発しそうな、フツフツとした気持ちを抑えながら、私は乱暴にガチャリとドアを開けました。

「失礼します!」

「アッ、みつき⁉」

 二人は私を見た途端、ハトが豆鉄砲を食らったような顔で、ビクッと身体を震わせました。

「なぜこんな時間にいるんですか? 女学院はどうしたのです?」

「今日は台風で半ドンです。
 二人のお話に私のなまえが出てきたようなので、仲間に入れてもらおうと思いまして。」

 部屋に入るなり私がズケズケと喋ると、二人は顔を見合わせ黙りこみました。

「五色さまが何だというのです?
 婚約者さまのお話なら、私にも聞く権利があるでしょう。」

 ふだんは慎ましくおしとやにしている私が、感情にまかせて声を荒げる様子にお父さまはショックだったようです。
 顔面蒼白になったお父さまは、苦虫を噛みつぶしたような顔で切り出しました。

「実はな、五色さまがお前との結婚を早めたい、今すぐにも結婚したいと申し出てきたのだよ。」

「エッ?」

「文芸大会で怪我をしたお前を麗くんが助けて以来、無関心だった侯爵家の態度が豹変してな。
 女学院の卒業まで結婚を待てないと、何度も電話や手紙で催促をしてくるのだよ。」

「麗さまが?」

 私の胸は微熱を帯び、トクントクンと早鐘を打ちはじめました。

「お前が男性恐怖症なのは心得ている。もう少し時間をかけて向き合ってくださいとお願いするつもりだ。」

 お父さまは私と目を合わせずに、顔面を両手で覆ってしまいました。
 私はそんなお父さまをまっすぐに見つめて言いました。

「それなら私、女学院を退学します!」

「そりゃいい考えだ…た、退学ッ⁉
 おお、お前、いったいどうしたのだ?」

「みつきさま⁉」

 驚くお父さまと紘次郎。
 私は厳かに、でもハッキリと自分の意見を言いました。

「両家のためですもの。
 遅かれ早かれ嫁ぐのなら、今日でも変わりはありません。
 私は未来の夫になる五色さまの方針に従います。」

 ♢

「みつきさま、待ってください!」

 客間を出て廊下の階段を登っている最中に、紘次郎が私を追いかけてきました。

「なぜ、あんなことを?
 あんなに結婚は嫌だと言っていたじゃないですか! 
 女性と心中までしようとしていたくせに!」

(心中をしようと思っていた相手の女性が実は男性で、「死にたい」とまで思っていた憎い婚約者と同じ人物だったなんて、正直に話しても信じてもらえるかしら。)

 私はクスリと思い出し笑いをすると、階段の上から紘次郎を見下ろしました。

「問題ないわ。公爵家の娘としての責任を果たすだけよ。」

 紘次郎は階段の手すりをギュッと握りました。

「みつきさまは、私以外の男性をまともに見ることもできないではないですか。
 無理をしてもあなた自身が辛くなるだけだ。もっと自分を大事にしてください!!」

 紘次郎は幼い頃から私をよく知る数少ない友人のひとりであり、お兄さまのようなひと。
 その優しさが嬉しくていつも甘えていました。

 でも、今の私は違います。

「麗さまなら平気よ。」

「文芸大会の日に、アイツと何があったんですか?
 あの日、あなたを介抱したヤツと、いったい何が…。」

 憎々しげに麗さまを「アイツ」と呼ぶ紘次郎に私は目を伏せました。
 さすがに【儀式】のことは言えません。

「紘次郎には関係ないわ。」

 私は踵きびすを返すと、急いで自分の部屋に向かいました。
 これ以上追及されると、思わず真実を話してしまいそうになるからです。

 部屋のドアを閉める瞬間、紘次郎のささやきが微かすかに私の背中に届きました。

「関係ないかどうか、今に見ていなさい。」