劇は最初からとどこおりなく、順調に進みました。
(あれはカボチャ、ニンジン、ジャガイモよ。)
舞台上からは、人の顏がよく見えます。
暗やみに浮かぶ観客の視線を浴びるたびに、私は観客を全員【野菜】だと思って緊張しないように心がけていました。
最初はその方法は、とてもうまくいきました。
しかし、最前列の真ん中からの熱い視線を感じると、私の理性が崩壊しました。
それが眼帯の軍服を着た方だということが分かると、もうお野菜には思えません。
気にしないこととは思っていても、そちらを見ないようにしながら演技をしてしまう自分が嫌でした。
「お姫さま。美味しいリンゴはいかがですか?」
私に話しかけてくる老婆役の女生徒。
台本通りの演技なのですが、私は違和感に包まれました。
(この令嬢、こんな声だったかしら。)
むやみにドキドキする鼓動を押さえながら向き直り、私はニッコリと微笑みました。
「ありがとう。おひとつ頂くわ。」
それは、毒リンゴを口にした白雪姫が口を押さえて倒れこむ場面でした。
私はおもちゃのリンゴをかじるマネをして倒れようと舞台の端で身をかがめました。
その瞬間、台本では退場しているはずの老婆が私のすぐそばまで走ってきて、フードの下で不気味に嗤ったのです。
「約束を破ったわね。
今度こそ、死ね。」
ゾクリとしたよりも早く、老婆は手に持っていたかぎ針のような杖をグンと私の足に引っかけました。
途端に私は体勢をくずしてしまい、大きく舞台の下に投げだされた身体は制御ができませんでした。
「キャアアア!」
私は走馬燈のように、白亜岬の崖下の光景を思い出していました。
崖に打ち寄せる白波と、まっさかさまに落ちていく赤い帽子が今の自分に重なります。
絶望――。
私はむごい未来予測に、ギュッと目をつぶりました。
「ウッ!」
背中に強い衝撃。
息が止まりそうになった私は、舞台下の床に叩きつけられていないことに違和感を覚えました。
(いったい、どうして?)
おそるおそる目を開くと私はギョッとしました。
黒い軍服が見えたのです。
なんと、黒い眼帯の方が私の身体を下から支えているのでした。
「イヤ!」
助けてもらったというのに男性に触れられていることへの嫌悪感が先立ち、私は悲鳴をあげてしまいました。
眼帯の男性は苦しそうに上半身を起こすと、私を支えていた両手を離してくれました。
解放された私は慌てて立ち上がろうとしましたが、ひざ下を電流のような痛みが走り、すぐにその場にうずくまりました。
「立てないの?」
オペラのテノール歌手のような耳あたりの良い声が頭上から降ってきて、私はつい男性を見上げました。
ステージを照らす逆光を浴びているのは、美しい男性でした。
いかつい軍服や黒い眼帯と相反して、その中身は柔らかい線で彩られた人物だとひと目で分かります。
スマートな物腰からも全体的に華奢な体躯が想像できますし、目や髪の色素が薄いので醸し出す雰囲気じたいが柔かいような気がします。
「失礼。」
男性はひざまずき、私の足から素早くヒール靴を脱がせると、足首を持ってゆっくりと動かしました。
「痛い!」
ピキッとした鋭い痛みと、男性に触られたショックで私は顔をしかめました。
「捻挫ですね。」
男性は中腰になると、私の身体を軽々と持ち上げて立ち上がりました。
「な、なにするの⁉」
「腫れているので早く冷やした方がいいでしょう。救護室はどこですか?」
私が返事にためらっていると、舞台の上から老婆役の少女が金切声をあげました。
「麗! あなた、何をしているの⁉」
男性は足を止めると、老婆役の少女を悲しそうに見ました。
「老婆が白雪姫を舞台から落とすのは演出だったの? それとも事故?」
「…ッ。」
言葉に詰まった少女とざわめく会場を背に、男性は当惑する私を抱きかかえて歩いていきました。
(あれはカボチャ、ニンジン、ジャガイモよ。)
舞台上からは、人の顏がよく見えます。
暗やみに浮かぶ観客の視線を浴びるたびに、私は観客を全員【野菜】だと思って緊張しないように心がけていました。
最初はその方法は、とてもうまくいきました。
しかし、最前列の真ん中からの熱い視線を感じると、私の理性が崩壊しました。
それが眼帯の軍服を着た方だということが分かると、もうお野菜には思えません。
気にしないこととは思っていても、そちらを見ないようにしながら演技をしてしまう自分が嫌でした。
「お姫さま。美味しいリンゴはいかがですか?」
私に話しかけてくる老婆役の女生徒。
台本通りの演技なのですが、私は違和感に包まれました。
(この令嬢、こんな声だったかしら。)
むやみにドキドキする鼓動を押さえながら向き直り、私はニッコリと微笑みました。
「ありがとう。おひとつ頂くわ。」
それは、毒リンゴを口にした白雪姫が口を押さえて倒れこむ場面でした。
私はおもちゃのリンゴをかじるマネをして倒れようと舞台の端で身をかがめました。
その瞬間、台本では退場しているはずの老婆が私のすぐそばまで走ってきて、フードの下で不気味に嗤ったのです。
「約束を破ったわね。
今度こそ、死ね。」
ゾクリとしたよりも早く、老婆は手に持っていたかぎ針のような杖をグンと私の足に引っかけました。
途端に私は体勢をくずしてしまい、大きく舞台の下に投げだされた身体は制御ができませんでした。
「キャアアア!」
私は走馬燈のように、白亜岬の崖下の光景を思い出していました。
崖に打ち寄せる白波と、まっさかさまに落ちていく赤い帽子が今の自分に重なります。
絶望――。
私はむごい未来予測に、ギュッと目をつぶりました。
「ウッ!」
背中に強い衝撃。
息が止まりそうになった私は、舞台下の床に叩きつけられていないことに違和感を覚えました。
(いったい、どうして?)
おそるおそる目を開くと私はギョッとしました。
黒い軍服が見えたのです。
なんと、黒い眼帯の方が私の身体を下から支えているのでした。
「イヤ!」
助けてもらったというのに男性に触れられていることへの嫌悪感が先立ち、私は悲鳴をあげてしまいました。
眼帯の男性は苦しそうに上半身を起こすと、私を支えていた両手を離してくれました。
解放された私は慌てて立ち上がろうとしましたが、ひざ下を電流のような痛みが走り、すぐにその場にうずくまりました。
「立てないの?」
オペラのテノール歌手のような耳あたりの良い声が頭上から降ってきて、私はつい男性を見上げました。
ステージを照らす逆光を浴びているのは、美しい男性でした。
いかつい軍服や黒い眼帯と相反して、その中身は柔らかい線で彩られた人物だとひと目で分かります。
スマートな物腰からも全体的に華奢な体躯が想像できますし、目や髪の色素が薄いので醸し出す雰囲気じたいが柔かいような気がします。
「失礼。」
男性はひざまずき、私の足から素早くヒール靴を脱がせると、足首を持ってゆっくりと動かしました。
「痛い!」
ピキッとした鋭い痛みと、男性に触られたショックで私は顔をしかめました。
「捻挫ですね。」
男性は中腰になると、私の身体を軽々と持ち上げて立ち上がりました。
「な、なにするの⁉」
「腫れているので早く冷やした方がいいでしょう。救護室はどこですか?」
私が返事にためらっていると、舞台の上から老婆役の少女が金切声をあげました。
「麗! あなた、何をしているの⁉」
男性は足を止めると、老婆役の少女を悲しそうに見ました。
「老婆が白雪姫を舞台から落とすのは演出だったの? それとも事故?」
「…ッ。」
言葉に詰まった少女とざわめく会場を背に、男性は当惑する私を抱きかかえて歩いていきました。



