青白い月光で包まれた、京の夜。
島原の大門を抜け、朱塗りの格子が並ぶ中道から少し外れた裏路地は、日中の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
空には、不気味なほどに真ん丸な月が浮かんでいる。
男は、濡れた地面に背を預け、白い息を吐いた。
先程まで、ここで縄張り争いが行われていた。男の藍色の着物は、返り血か自分の血か判別がつかないほどに黒ずみ、斬られた脇腹から血の熱が伝わってくる。
男の意識が遠退く中、からん、ころんと、奇妙な音が近付いてきた。
重厚な黒塗りの三枚歯下駄が、石造りの道を叩く音だ。
「あら。酷いところで眠っているのね。博徒のお方?」
鈴を転がすような、底冷えするほど美しい、澄んだ女の声が聞こえた。
男が重い瞼を持ち上げると、そこには月を背負った麗しい花魁が立っていた。
艷やかな髪を飾る数多の簪が月光を跳ね返し、贅を尽くした金銀刺繍の重ね着が、暗がりに妖しく浮き上がっている。うなじから背中にかけて大きく開いた抜き襟が妖艶である。
「あっち行き。お綺麗な服が汚れるやろ」
男は吐き捨てるように、苦しげに漏らした。
けれど、花魁は動じない。彼女は静かに膝を折り、豪華絢爛な着物が汚れるのも厭わずに、血の海の傍にしゃがみ込んだ。
「汚れる? ……さて、何のことかしら。この世界は、最初から泥の中のように汚いというのに。今更血の一滴や二滴で、何が変わるというの」
花魁の手が、男の頬に触れた。
白粉の香りが、鉄臭い夜の空気を一瞬で塗り替える。その指先は驚くほどに冷たい。
彼女は背後に控えていた禿を制し、自分の腰に巻かれていた帯を解いた。それは、金糸で向かい鶴の刺繍を施された、珍しい逸品だった。
「……もうええ。俺はやられた。みっともない生き様晒してまで、生に縋るつもりないわ」
男は掠れた声で拒絶する。が、八重はその手を押さえつけ、迷わずその紅い帯を血の滲む彼の脇腹に当てた。彼女の手が、男の傷口を強く圧迫する。 鮮やかな紅色の絹が、瞬く間に彼のどす黒い血を吸い込み、さらに深く、禍々しいほどの色へと変色していく。
「諦めるのはまだ早いわ。この月夜に免じて、私に賭けてみない?」
男は霞む視界の中で、自分を介抱する女の顔を見上げた。
満月を映したその瞳は、全てを吸い込むような、奇妙な魅力があった。
「もし生き残ったら、あなたはその入れ墨の昇り龍みたいに、自由にどこへでも飛んでゆけばいい。生きている限りは、どこへでも行けるでしょう」
男は、血に汚れた手で花魁の細い手首を掴み返そうとしたが、彼女はそっと手を引き、立ち上がった。
彼女が去った後、雪が降った。
男の手の中には、血に濡れて重くなった紅い帯の端だけが残されていた。


