無色の魔女は染まらない~転生した病弱少女は世界でただひとりの治癒魔法師~

 辛うじて王子の部屋から抜け出せたルルは木の枝に服が引っかかり、中々降りられずにいた。

 ぶらぶらと揺られる体。

 あまりにも情けない姿に隠れたくなるが、そもそも身動きがとれないのだから仕方ない。
 でも、悲鳴をあげると今の恥ずかしい姿を大衆の面前に晒すことになる。
 更に今は夜。そこまで恥ずかしい思いをして誰にも気づかれないと言うことも十分にありえた。


――うぅぅ……、苦渋の選択だよー。


  なんとか自分の力で抜け出そうと体を大きく揺らしてみる。
 しかし、抜け出せる雰囲気はまるでなかった。
 気持ちはミノムシだ。


――私、このままここでぶらぶらし続ける人生を送るのかな?


 それはそれで悪い気はしなかったのだが、今はやるべきことがある。
 そんな時に先ほどの話を思い出す。


【なにか困ったことがあればこのエンブレムを見せて、『グランファイゼン』……、いや、『アベル』の名前を出して貰っても構わない】


 本来なら権力で困ったらそのエンブレムを見せて名前を告げてくれたら、彼女が色環の賢者で更に王族が背後に付いていることがわかるから、困ったときにつかってくれていいという意味だったのだが、なぜかルルはこのエンブレムを掲げて名前を告げると助けが現れると曲解して勘違いする。

 少し考えたらあり得ないとわかるはずだが、困惑の海に沈んでいたルルはなぜかそれを信じ込んでしまった。


――えっと、確かこのネックレスのエンブレムを掲げて……。


「グランファ……」


 小声でやや早口で言うが何も変化は起きない。
 そもそも大声で言ったところで何も起きるはずがないのだから、これは当然の結果だった。

 しかし、周りに聞こえないような小声で言ったことが何も起きない原因と判断したルルは恥ずかしさを恥ずかしさを押し殺し、助かりたい一心で大声を上げる。



「グランファイゼェェェェェン!!」


 当たり前のように一切何も起きなかった。
 当然である。叫んだら巨大ロボが現れたり、人が召喚されたり、とかそんな能力はないただのエンブレムなのだから。
 ルルは恥ずかしさから穴に籠もりたい気持ちになる。


――騙されたっ!? あの人、私に恥ずかしい思いをさせて楽しむつもりなんだ。


 ルルの中でアベルの評価が下降の一途を辿る。
 アベルから言えば理不尽以外の何者でもないだろう。


――そういえばもう一つ教えてもらってたよね? 繋がりやすさとかあるのかな?


 恥ずかしさの限界を通り越して、ルルはまともな思考が出来なくなっていた。
 一度で済ませておけば、誰もいないところでちょっと恥ずかしいことをしたという黒歴史程度で済んだのだが、二度めの禁を犯してしまう。


「アベェェェル!!」


 力の限り叫ぶとそれに応えるようにエンブレムに変化が……生じるはずもなく静寂な風がより虚しさを引き立てていた。

 ただ、それを叫んだことによって奇跡は起きる。
 ルルが考えうる限り、最も最悪な形で彼女の願いが叶うこととなった。


「なんだなんだ?」
「おい、あんなところに子どもが引っかかっているぞ」
「誰か木登りが得意なやつを探してこい! あとは柔らかい布をたくさん用意しろ!」


 ルルのことに気づいた町人たちが彼女を救おうと力を尽くしている。
 ただ、彼らは皆ルルを見上げる形で見ていた。

 そして、今のルルの姿は白のガウン一枚。
 小柄な彼女をすっぽりと覆うそれも下からの攻撃(のぞき)には弱かった。

 そのことに気づいたルルは顔を真っ赤に染め上げる。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 必死にガウンの裾を押さえつけるルル。
 その悲鳴と共に魔力が溢れ、透明の光が溢れ出す。

 光によりルルの姿を見失った町人たちはそれぞれ困惑の声を上げる。


「ま、眩しい……」
「見えな……」
「あの子、落ちるぞ。見えなくても助けるんだ!」


 町人たちが目を細めながら、それでもなおルルのことを助けようとしてくれる。
 しかし、それがなおルルの羞恥心をかき立てていた。
 人の顔を見ないように改めて深々とフードを被ると、急に体が浮いたような感覚に襲われる。


「って、落ちてる落ちてる!!」


 何者かに枝が切られ、ルルはそのまま落ちていく。
 必死に手足をバタつかせ落下に対して僅かながらの抵抗をしていたが、もちろんそんなものは効果がなく、次第に地面が近づいてくる。


「た、助けて……」


 地面と衝突したときの衝撃に備えてギュッと目を閉じる。
 誰ともしれない相手に助けを求める。

 すると、いくら待っても衝撃は来ずに代わりに誰かに抱えられる。


「あ、あれっ?」
「全く、突然いなくなったと思ったらこんな所でなにをしてるんだ」


 ルルを助けてくれたのはエリオだった。
 未だにまともに目を開けられていない町人たちから逃げるようにルルを抱きかかえたまま、人気の少ない方へと走っていく。





 周りに町人たちがいない、路地裏でようやくルルは下ろしてもらえる。


「助かったよ。エリオ君、ありがとう」
「このくらい大したことじゃない。俺やミーシャが助けてもらった事に比べたらな」
「それでも私が助かったことには変わりないからね。本当にありがとう」


 ルルがお礼を言うとエリオはそっと顔を背けていた。


「たいしたことはない」


 よく見るとエリオは手を隠していた。
 ルルが軽いとはいえ、それなりの高さから落ちてきたところを受け止めたのだ。
 落下の衝撃を受けない方が難しいだろう。


「エリオ君、もしかして私を助けてくれたときに?」
「いや、これはなんでもない」
「そっか……。うん、ならこれもたいしたことないよね?」


 ルルは笑みを見せるとエリオに対して治癒魔法を使う。
 一瞬のうちに彼の痛みは治まり、元通りの手の状態に戻る。


「はいっ、治ったよ」
「はぁ……、ここは王都でお前を探しているやつがたくさんいるんだぞ? そんな無防備に魔法を使ったら見つかってしまうぞ?」
「それは困ったね。うん、困った」


 全く困った風には見えないルルの姿にエリオは再びため息を吐く。


「とにかく助かったよ。ありがとう。それとさっきの危ないやつは治ったのか?」
「うん、もう大丈夫だよ」
「それなら後は王子だけだな。居場所はわかったのか?」
「うーん、さっきの人以上に危なそうな人っていないんだよね。まだそこまで深刻じゃないのかな?」
「仕方ないな。しばらく様子を見るか」
「そうだね。ついでに王都(ここ)の観光をして良いかな?」
「その方が自然か。でも、さっきの人たちに姿を見られてるんじゃないか? 怪しまれたらどうするんだ?」
「とぼけるよ! 夜の出来事だもん。知らないできっと押し通せるよ」
「それなら良いのだけどな」
「大丈夫だよ。こう見ても私、演技上手いからね。色々と本で読んだもん」


 無邪気にはにかむルル。
 もちろん全く大丈夫ではなく、王城でもさっきの町人たちも皆大騒ぎをしているのは言うまでもなかった。







 王都で宿を取って数日が過ぎた。
 エリオは妹のミーシャが心配で一足先にリーリシュの町へと戻っていったので観光をしているのはルル一人だった。

 エリオも最後まで「一緒にいる!」と言っていたが、さすがに妹の具合も気になっている様子でそわそわとしていた。


「ここでもう大丈夫だよ。妹さんに何かあったら大変だもんね」
「でも、ルルに何かあったら俺は――」
「私は大丈夫。治癒魔法でなんでも治せるからね」


 にっこりと微笑むルルを見て、エリオは更に不安をかき立てられる。


「やっぱり俺は――」
「はいっ、これ。念のために渡しておくね」


 ルルはポーションをエリオに渡す。


「これで何かあっても大丈夫だね」


 いつも通りのルルの姿を見ていると、心配しているのが馬鹿らしく思えてくる。
 エリオは苦笑を浮かべる。


「お前に何かあったらすぐに駆けつけるからな!」
「うん、そのときはよろしくね」


 そういうとエリオはスライムバスに乗って飛んでいった。文字通りに。


 一人観光は中々充実したものがあった。
 大通りを歩いていると、屋台の人たちがこぞってルルに声を掛けてきて色んなサービスをしてくれるのだ。

 最初は怯えてまともに声も掛けられなかったルルだが、それも数日続けば普通に話せるほどになっていた。
 初日は詰められて目に涙を浮かべてしまった強面スキンヘッドのおじさんも、今では陰に隠れて、肉が刺さった串を受け取れる程度には成長していた。

 本当に成長しているのかは怪しいが――。


「嬢ちゃん、これ食べるか?」
「良いのですか?」
「あぁ、嬢ちゃんに美味しそうに食べてもらえたらそれだけで宣伝になる」
「ありがとうございます! 精一杯美味しそうに食べますね」


 微妙に距離がある会話だが、おじさんもそれで笑顔になってくれる。
 そして、ルルの両手に肉串が装備されるのだった。


「それにしても日に日に騒がしくなっていきますね。なにかお祭りでもあるのですか?」


 ルルとしてはあまり人が多いのは苦手なのでほどほどにして欲しいところではある。
 ただ、屋台のおじさんがそれを否定する。


「いや、第二王子の病気が治ったらしい。皆、それで大騒ぎなのさ」


 どうやら自分の与り知らぬ所で王子が治ってたらしい。
 道理でこの町中をいくら探しても見つからないわけだった。


――観光だけしてた訳じゃないからね!


 誰とも言えぬ相手に必死になって言い訳をする。


「それは良かったです。きっと良いお医者さんに診てもらったのですね」


 王子ともなれば国で一二を争う医者が呼ばれるはずだ。


――私が慌ててこなくても良かったかもしれないね。まぁ、楽しかったからいいかな。


 これで王都に来た理由がなくなってしまった。


――ほどほどに楽しんだら別の町でも見に行こうかな?


 そんなことを考えていると屋台のおじさんが声をトーン下げて、内緒の話をしてくる。


「なんでも第二王子を救ったのは魔女様らしいぞ」
「魔女様?」


 ルルは箒で空を飛び、全身を真っ黒の服ととんがり帽子を被った典型的な魔女を想像する。

 まるで自分とは無関係とでも言いたげに。
 ただその淡い妄想はすぐに打ち砕かれる。


「つい先日、新しい色環の賢者様が認定されただろう? 『無色の魔女』だったか? 普通じゃあり得ない七人目。しかも経歴や姿などは一切不明、わかってるのは名前だけときたものだろう? だからこの七人目が第二王子を治したんじゃないかとまことしやかに言われているんだ。まぁ真偽はわからないけどな」


 おじさんは大口を開けて笑い声を上げる。


――私は王子様を治してないし、やっぱり別に治癒魔法を使える人がいるんだな。


 ルルは無理やりそう納得する。
 しかし、その笑顔は引きつっていた。


「えっと、その人の名前ってなんて言うのですか?」
「あぁ、確かルル・アトウッド様……だったかな?」


――よし、今すぐにここから離れよう。王子様も治ったのだからいいよね。


 ここにいては下手な権力争いや何かのトラブルに巻き込まれる気がしてならない。
 見たこともない人を婚約者として与えられたりとか、貴族制がある異世界だと当たり前だもんね。


――危険には近づかない。これは平凡に生きる鉄則だよね。


 固い決意の下、ルルは逃げるように違う町へ向かう覚悟を決めるのだった。



◇◆◇



「はははっ、新しい色環の賢者か」


 その男は王国よりの知らせに興味深そうに笑っていた。

 特徴的な乱雑に跳ねた赤髪。
 かなり鍛えているのかがたいの良い筋肉質の体をまるで隠そうとせず、上半身はただ赤いローブを羽織っているだけでそれ以外は何も着ていない。さすがに下半身は黒のズボンを履いているが。

 その鋭い目で睨まれて知らせを届けに来た兵士は恐怖のあまり震えていた。


「おいおい、何も取って食おうとしてるわけじゃないぞ?」
「いえ、私はただあなた様に先の知らせとアベル王子よりの伝言を預かっているだけでございます」
「わかっている。『無色の魔女』とは戦うな! だろう? つまり戦えってことだな」
「ち、違いますよ!?」
「こんな楽しいイベント、無視できるか! 新参の『無色の魔女』かこの俺、『赤の狂戦士』か、どちらが格上なのかはっきりさせておく必要があるだろう?」
「それが『無色の魔女』は戦闘職ではない。だから格を図る必要はない。とも仰ってました」
「なるほど――。噂は本当と言うことか。とにかく会ってみないことには判断はつかん! 俺は行くぞ!」
「ま、待って下さい、クリフォード様……」


 色環の賢者の一人、『赤の狂戦士』クリフォード・カロライナは楽しそうに声を上げながら『無色の魔女』を探しに出るのだった――。