毎日、悪夢を見ているようだった。
家は普通で、悩みを打ち明けられるような家じゃない。だけど学校は違う。最悪な学校。
いじめられてて、誰も救ってくれなくて、先生も見て見ぬふりをして。いっそ、いっそのこと、夢であればいいのにと何回も思った。
最初は、まだ良かったんだ。無視だけだったから。
「おはよう」
近くにいた生徒に挨拶をした。いつもなら相手も、おはよう。とだけ言ってどこかへ行く。それが僕にとっての普通だった。
「……」
張り詰める静寂、笑っている人間、目を合わせないようにする人。一瞬で理解できた、否、理解させられた。
女子は、こうやって自分が進むためのレッドカーペットを敷かせるんだな。なんて、思った。
「固まったんだけど、ガチキモーい」
「ね、それなガチで」
小声のはずで、普段なら聞こえない声量のはずなのに、苦しいほどの静寂の中では嫌でも耳に入って、理解できてしまう。
これを皮切りにいじめは、日に日にエスカレートしていった。
無視なんて、悪夢の序章に過ぎなかったのだ。
「掃除当番よろ~」
「あっ、えでもっ」
「は? どうせ暇でしょ? オタクなんだし、どーせ帰ったってアニメ見るだけでしょ」
違う、習い事がある。言い出せなかった言葉は、吐き出されることがないまま僕の体の中に黒く残った。
なんで僕がオタクと呼ばれているのかはわからない。流行ってるアニメを見るくらいの知識だ。だから、これは彼女達の都合のいい解釈の一つなんだ。僕は、こうやってどんどん言えなくなってしまうのかな、自分も、忘れてしまうのかな。
どうしようもない不安が襲ってくる。ほうきでその不安もはいてしまおうとするけど、うまく、はけない。
「……」
埃ですら、少し、綺麗に見えた。汚いって言われてるけど、全然綺麗だ。
「人間なんかより、ずっと堂々としてて、綺麗だよ」
僕の言葉はほこりと共に空気に溶けた。
部屋に染み付いた嫌な汗の臭いや人間の臭いがとても不快だった。
いじめはひどく激しいものへと形を変化させていった。女子たちは自分の威厳を保つために僕らを犠牲にしていく。
筆箱が無くなった。焦って机の中を探したりしている僕を後ろから笑ってた。
もう、耐えられない。だから、勇気を出したんだ。限界に近かったのもある。
言えなかった黒い塊を、誰かに出してしまいたかったんだ。
そう決めて一ヶ月、勇気が出ないまま尻込みしていた。けれど、なんとか一言、先生に伝えることができた。
「無視されるんです」
「どうして? どんなふうに? なにかしたんじゃないの?」
説明したかった。説明するはずだったんだ。僕はなにもしていない! おはようって言っても、何も返さないし、喋りかけても喋らない。どこかへ行くんだ。苦しいんです、助けてください。そう、言いたかった。
でも言葉は出てこない。あの時の、掃除当番を押し付けられたときと同じだ。言いたいのに、言えない。
どうして?伝えなきゃって、伝えようって、決めたのに。
「まぁ、気のせいかもしれないしもう一回話してみたら?」
今すぐにでも、先生の腕を掴んで、待ってと叫びたかった。でも、一度引っ込んだ勇気は簡単には出てこない。
「わか、りました」
そう言い残して先生は教室を出ていった。また、吐き出せなかった言葉は体の中に黒く残った。
席に戻ろうと思って振り向いた。
「あっ」
当たってしまった。少し、体が震えた。そして気付いた。このクラスに、学校に、世界に、もうすでに、レッドカーペットは敷かれきってしまったのだと。反抗する勇気も出ないまま、黒い塊を叫ぶことすらできないまま。
「うっわ、勇斗菌移ったんですけど〜きったなー」
そう言って女子は他の女子になすりつけるような仕草をする。小学校時代に、何回も見た光景だ。僕が、される側になるなんて、思ってなかった。
「ちょっまじサイテー! 汚いんですけどー」
笑い声が、僕の心に突き刺さる。彼女たちは、僕に目もくれずどこかへ行く。それが、少しだけ嬉しかった。
だって、彼女達に涙を見せたくないから。
空き教室へと小走りに急ぐ。女子たちからの視線を追い払うように、振り向くことなくただ一直線にそこに向かった。
「うっぁ」
嗚咽混じりの泣き声が、小さく教室に溶けていく。涙を彼女達に見せた瞬間、また都合のいい解釈が増えてしまう。そう思ったんだ。
空き教室は埃っぽい。窓から差し込む光が、教卓を照らしていた。
苦しい。
その言葉さえ、もう出なくなってしまった。
僕の学校生活は、どうしてこうなってしまったんだろう。
その夜、ベッドの中で考えた。僕の唯一の安全圏、孤独だけど、でも安心できる唯一の場所だった。
でも、レッドカーペットはここまでやってくる。僕の思考は、もうあの地獄に支配されている。
「どうして、こうなるのかな」
「なんで、あの時言えなかったんだろう」
先生に、助けてって。女子に、習い事があるって。どうして、なんで、僕は、
「なんで……」
ベッドの中で一人、うずくまった。それでも、どれだけ独り言として吐き出しても、僕の体の中の黒い物体は全然解けなかった。
ベッドの中で暗い、笑えたら良いのに。なんて、淡い理想を掲げながら、半ば気絶するようにして瞼を閉じた。
朝の光が鬱陶しいくらいに刺してくる。朝は、黒い。また、僕は、地獄に閉じ込められる。
「学校、行きたくないな……」
その言葉は、僕しかいない部屋で唯一つ、溶けて消え去った。
登校中も、冷たい、嘲笑の音が聞こえる。昔の音を、思い出そうとするけれど全部地獄の音に変えられる。
「あ……」
上履きがない。三上勇斗の上履きがなくなるのは当たり前。それは、敷かれたレッドカーペットのルール。
「スリッパ……借りなきゃ」
職員室へ行って、スリッパを借りる。また、教頭先生に怒られた。
「何回忘れたら気が済むんだ!」
鬼の形相で怒る教頭先生に、僕はもう、なにも思えなくなっていった。黒い塊を叫ぼうとすら、もう思えない。
「ごめんなさい」
「いつもいつも、遊び呆けているからそうなるんだ!」
「もういい、スリッパ借りて早く行きなさい」
「ありがとう、ございます」
違う。僕は、悪くない。隠されたんです。助けて、なんて、言えるわけ無いのに心の中で叫んでしまう。
馬鹿だな、なんて自分自身を鼻白む。
職員室からでて視界の端に見えたのは、僕を嘲笑う女子たち。みんなの話し声で何を言っているのかわからないのは不幸中の幸いだった。
「……」
暗い足取りで教室へ向かうと、生徒会長がいた。後ろの扉から自分の席へと向かう。自分の席は教卓に近いから、生徒会長の話が少し聞こえる。
「なので、今月の話し合いはこちらを中心にしていくっていうことでよろしいですか?」
「ま、それでいいんじゃない? じゃあ、いつも通りよろしく、小林さん」
「……わかりました」
どうやら、次の話し合いについて相談しているようだった。そうか、うちの担任は生徒会も担当なのか。
「……? すみません先生あの子、なんでスリッパなんですか?」
その瞬間、カーペットがズレた。僕は、そのズレに恐怖した。やめてくれ、なにもしないで。そう望んだ。担任は会長の問いに面倒くさそうに答えた。
「え? ああ、あの子ね、よく忘れるのよ上履き、ほんっと、情けないわよね」
「……そうですか」
そう言って、僕の方へゆっくりと歩いてきた。一歩進むたびに、ズレはひどくなっていく。それは、もう傷つきたくない僕にとって苦しいものだった。前はあんなに、救われたがってたのに。
「忘れ物について注意をしたいので、明日の放課後、時間ありますか?」
「……あり、ます」
習い事が、あればよかったのに。僕はそう思った。生徒会長も、先生も、みんな、敵なんだ。
ここは、悪夢の、地獄だ。
家は普通で、悩みを打ち明けられるような家じゃない。だけど学校は違う。最悪な学校。
いじめられてて、誰も救ってくれなくて、先生も見て見ぬふりをして。いっそ、いっそのこと、夢であればいいのにと何回も思った。
最初は、まだ良かったんだ。無視だけだったから。
「おはよう」
近くにいた生徒に挨拶をした。いつもなら相手も、おはよう。とだけ言ってどこかへ行く。それが僕にとっての普通だった。
「……」
張り詰める静寂、笑っている人間、目を合わせないようにする人。一瞬で理解できた、否、理解させられた。
女子は、こうやって自分が進むためのレッドカーペットを敷かせるんだな。なんて、思った。
「固まったんだけど、ガチキモーい」
「ね、それなガチで」
小声のはずで、普段なら聞こえない声量のはずなのに、苦しいほどの静寂の中では嫌でも耳に入って、理解できてしまう。
これを皮切りにいじめは、日に日にエスカレートしていった。
無視なんて、悪夢の序章に過ぎなかったのだ。
「掃除当番よろ~」
「あっ、えでもっ」
「は? どうせ暇でしょ? オタクなんだし、どーせ帰ったってアニメ見るだけでしょ」
違う、習い事がある。言い出せなかった言葉は、吐き出されることがないまま僕の体の中に黒く残った。
なんで僕がオタクと呼ばれているのかはわからない。流行ってるアニメを見るくらいの知識だ。だから、これは彼女達の都合のいい解釈の一つなんだ。僕は、こうやってどんどん言えなくなってしまうのかな、自分も、忘れてしまうのかな。
どうしようもない不安が襲ってくる。ほうきでその不安もはいてしまおうとするけど、うまく、はけない。
「……」
埃ですら、少し、綺麗に見えた。汚いって言われてるけど、全然綺麗だ。
「人間なんかより、ずっと堂々としてて、綺麗だよ」
僕の言葉はほこりと共に空気に溶けた。
部屋に染み付いた嫌な汗の臭いや人間の臭いがとても不快だった。
いじめはひどく激しいものへと形を変化させていった。女子たちは自分の威厳を保つために僕らを犠牲にしていく。
筆箱が無くなった。焦って机の中を探したりしている僕を後ろから笑ってた。
もう、耐えられない。だから、勇気を出したんだ。限界に近かったのもある。
言えなかった黒い塊を、誰かに出してしまいたかったんだ。
そう決めて一ヶ月、勇気が出ないまま尻込みしていた。けれど、なんとか一言、先生に伝えることができた。
「無視されるんです」
「どうして? どんなふうに? なにかしたんじゃないの?」
説明したかった。説明するはずだったんだ。僕はなにもしていない! おはようって言っても、何も返さないし、喋りかけても喋らない。どこかへ行くんだ。苦しいんです、助けてください。そう、言いたかった。
でも言葉は出てこない。あの時の、掃除当番を押し付けられたときと同じだ。言いたいのに、言えない。
どうして?伝えなきゃって、伝えようって、決めたのに。
「まぁ、気のせいかもしれないしもう一回話してみたら?」
今すぐにでも、先生の腕を掴んで、待ってと叫びたかった。でも、一度引っ込んだ勇気は簡単には出てこない。
「わか、りました」
そう言い残して先生は教室を出ていった。また、吐き出せなかった言葉は体の中に黒く残った。
席に戻ろうと思って振り向いた。
「あっ」
当たってしまった。少し、体が震えた。そして気付いた。このクラスに、学校に、世界に、もうすでに、レッドカーペットは敷かれきってしまったのだと。反抗する勇気も出ないまま、黒い塊を叫ぶことすらできないまま。
「うっわ、勇斗菌移ったんですけど〜きったなー」
そう言って女子は他の女子になすりつけるような仕草をする。小学校時代に、何回も見た光景だ。僕が、される側になるなんて、思ってなかった。
「ちょっまじサイテー! 汚いんですけどー」
笑い声が、僕の心に突き刺さる。彼女たちは、僕に目もくれずどこかへ行く。それが、少しだけ嬉しかった。
だって、彼女達に涙を見せたくないから。
空き教室へと小走りに急ぐ。女子たちからの視線を追い払うように、振り向くことなくただ一直線にそこに向かった。
「うっぁ」
嗚咽混じりの泣き声が、小さく教室に溶けていく。涙を彼女達に見せた瞬間、また都合のいい解釈が増えてしまう。そう思ったんだ。
空き教室は埃っぽい。窓から差し込む光が、教卓を照らしていた。
苦しい。
その言葉さえ、もう出なくなってしまった。
僕の学校生活は、どうしてこうなってしまったんだろう。
その夜、ベッドの中で考えた。僕の唯一の安全圏、孤独だけど、でも安心できる唯一の場所だった。
でも、レッドカーペットはここまでやってくる。僕の思考は、もうあの地獄に支配されている。
「どうして、こうなるのかな」
「なんで、あの時言えなかったんだろう」
先生に、助けてって。女子に、習い事があるって。どうして、なんで、僕は、
「なんで……」
ベッドの中で一人、うずくまった。それでも、どれだけ独り言として吐き出しても、僕の体の中の黒い物体は全然解けなかった。
ベッドの中で暗い、笑えたら良いのに。なんて、淡い理想を掲げながら、半ば気絶するようにして瞼を閉じた。
朝の光が鬱陶しいくらいに刺してくる。朝は、黒い。また、僕は、地獄に閉じ込められる。
「学校、行きたくないな……」
その言葉は、僕しかいない部屋で唯一つ、溶けて消え去った。
登校中も、冷たい、嘲笑の音が聞こえる。昔の音を、思い出そうとするけれど全部地獄の音に変えられる。
「あ……」
上履きがない。三上勇斗の上履きがなくなるのは当たり前。それは、敷かれたレッドカーペットのルール。
「スリッパ……借りなきゃ」
職員室へ行って、スリッパを借りる。また、教頭先生に怒られた。
「何回忘れたら気が済むんだ!」
鬼の形相で怒る教頭先生に、僕はもう、なにも思えなくなっていった。黒い塊を叫ぼうとすら、もう思えない。
「ごめんなさい」
「いつもいつも、遊び呆けているからそうなるんだ!」
「もういい、スリッパ借りて早く行きなさい」
「ありがとう、ございます」
違う。僕は、悪くない。隠されたんです。助けて、なんて、言えるわけ無いのに心の中で叫んでしまう。
馬鹿だな、なんて自分自身を鼻白む。
職員室からでて視界の端に見えたのは、僕を嘲笑う女子たち。みんなの話し声で何を言っているのかわからないのは不幸中の幸いだった。
「……」
暗い足取りで教室へ向かうと、生徒会長がいた。後ろの扉から自分の席へと向かう。自分の席は教卓に近いから、生徒会長の話が少し聞こえる。
「なので、今月の話し合いはこちらを中心にしていくっていうことでよろしいですか?」
「ま、それでいいんじゃない? じゃあ、いつも通りよろしく、小林さん」
「……わかりました」
どうやら、次の話し合いについて相談しているようだった。そうか、うちの担任は生徒会も担当なのか。
「……? すみません先生あの子、なんでスリッパなんですか?」
その瞬間、カーペットがズレた。僕は、そのズレに恐怖した。やめてくれ、なにもしないで。そう望んだ。担任は会長の問いに面倒くさそうに答えた。
「え? ああ、あの子ね、よく忘れるのよ上履き、ほんっと、情けないわよね」
「……そうですか」
そう言って、僕の方へゆっくりと歩いてきた。一歩進むたびに、ズレはひどくなっていく。それは、もう傷つきたくない僕にとって苦しいものだった。前はあんなに、救われたがってたのに。
「忘れ物について注意をしたいので、明日の放課後、時間ありますか?」
「……あり、ます」
習い事が、あればよかったのに。僕はそう思った。生徒会長も、先生も、みんな、敵なんだ。
ここは、悪夢の、地獄だ。

