ネグレクト少年の拾い食いとヤンデレ少女の餌付け


※刺激的な描写あり

 わたらいさんの瞳はもう、迷い子のように不安に揺れてはいない。揺るぎない支配者のそれだ。

「ねぇ、私が作ったこの『気持ち悪い』祭壇も、私が作ったハンバーグも、私がつけた『ぺこ』という名前も、全部あげる。だから、私だけのぺこになってくれる?」
 そう言って、触れたままだったネックレスを再度ぐっと引いた。

 チリチリと、細いチェーンが僕の皮膚に食い込む音がした。このまま彼女が力を込めれば、簡単にそれは千切れるだろう。そして、僕と兄ちゃん、そしてママとの家族の最後の繋がりは、完全に断たれてしまう。

 もはやそれならそれでもいい気がするのに、僕自身も心のどこかではそれを望んでいるはずなのに、それでも身体が鎖を庇うように首を前に倒す。

 おそらく彼女は、「友達」という名の「絶対的な共犯関係」を求めている。

 僕だって、本当は手放せるものなら手放してしまいたい。兄ちゃんの重さも、ママの期待も、全てを。

 彼女が、僕を見つめている。全ては僕が決めるべきと、そう言う目をしている。
 僕はゆっくりと目を瞑り、そして開けた。

「……ごめん」

 答えた僕の声は、震えていた。僕の返事を聞いたわたらいさんの表情が、一瞬で絶望に染まる。でも、後悔はなかった。

 「友達になろう」という言葉と、彼女だけのものになるというわたらいさんとの約束が、僕の渇いた魂を、兄ちゃんの遺骨よりもママの愛情よりも、遥かに強く縛りつけていた。それなのに、臆病な僕はYESとは言えなかった。

「え……なんで……?」

 心底、理解ができないという表情で、わたらいさんがつぶやく。その瞳は、一瞬で迷い子のように不安に揺れ戻る。この一瞬の動揺こそが、僕にとって最後のチャンスだと直感した。

「わたらいさんはそう言うけど……全部あげるなんて、嘘だ」

 僕は鎖を引く彼女の手を、優しくそして拒むようにそっと包み込んだ。

「ねぇ。あの祭壇、あれはわたらいさんが大切にしていたものだよね。全部、捨てられる?全部手放して……本当に、もういらないって言いきれる?」

 僕は、祭壇の隅にある写真立てを指差した。一番古いように見える、幼い頃のわたらいさんと彼女の両親らしき男女の写真だ。

 わたらいさんが、力なく祭壇を見る。明らかに、動揺しているのが分かった。ずっと彼女の優位だったのに、一気に形成逆転だ。

 祭壇の頂点に座るよじれが、姿勢を変えずに以前僕らをじっと見つめている。

「僕が、このネックレスを捨てられないのと同じだよ。わたらいさんだって、あの祭壇の秘密を、一人で守ってきたんでしょ」

 彼女の表情が、絶望から困惑へと変わった。

「僕が君だけのぺこになったら、わたらいさんは、あの子たちのことを忘れちゃうの? それじゃ、僕もいつか、君に新しい友達ができたら忘れられちゃうんでしょう?」

 それは、支配を拒む言葉であると同時に、永遠の保証を求める懇願だった。

 わたらいさんは、ネックレスから手を離した。その視線は未だに祭壇をじっと見つめたまま、愛憎と執着に揺れている。

「……ずるいよ、ぺこ」
 わたらいさんは、悔しそうに唇を噛み締めた。
「私のこと、試そうとしてるの?」

 しばしの沈黙の後、わたらいさんが息を吐いた。

「わかった。ぺこがそこまで言うなら」
 彼女はゆっくりと立ち上がると、祭壇に近づいた。
「もう、いらない。私は、新しい秘密しか……ぺこしかいらない」

 そう言ってまず、祭壇のガラクタを腕で衝動的に払いのけた。ガシャン、と音を立てて安物の写真立てやガラクタが床に散乱する。そして、破壊の余韻の中でちらっと僕を見る。

 次に幼い頃のわたらいさんと、正装した彼女の両親らしき男女の写真立てを掴み、憎悪と決意を込めて振りかぶった。

 写真立てが頭上高く振り上げられ、その顔には憎しみが浮かぶ。

 写真立てが床に向かって僅かに加速し始めた瞬間、僕はわたらいさんの背後に回り込み、両手でそれを奪おうと掴んだ。

「待って!もういいよ、君の気持ちはよくわかったから」

「離してっ!」涙声で振り切ろうとする彼女の視界は、振り上げた写真立てとそれを掴む僕の腕によって塞がれている。「離してってば!」

「そんなことしても、君が哀れなだけだよ」

 僕の言葉を受けて、わたらいさんの動きがぴたりと止まる。彼女の攻撃性の根源である「哀れみ」を僕に否定されたことで、その精神が一瞬停止したのだ。

 その時、床に散乱したガラクタの一つに、僕の視線が吸い寄せられた。

 わたらいさんに腕で払いのけられ、重なり落ちた祭壇のガラクタ同士がまるで熱で溶けたように微かにくっつき、一つの歪な塊を形成していた。

 これは、紛れもなく彼女が以前話した時々起こるという「溶けて、くっつく」現象だ。

 僕はその異様な光景と、目の前で感情を爆発させているわたらいさんを結びつけ、確信した。

 この現象は、彼女の感情の昂ぶりとともに具現化する。そしてこの異質な現象こそが、彼女の孤独の核心だと直感した。

 必死で掴んだ写真立て越しに、わたらいさんの身体が弛緩するのが伝わる。その一瞬を、僕は見逃さなかった。

 僕はわたらいさんの背後に位置したまま、羽交い締めの要領で彼女の肩を強く引く。格闘技のような洗練された動きではなく、ただ自分の体重と勢いを利用したものだが、彼女の体勢を崩すには充分だった。

 そのまま、わたらいさんを床へと倒した。

「きゃっ!」

 わたらいさんの短い悲鳴が漏れ、写真立てが床を滑って遠くへ吹っ飛ぶ。

 下敷きにされていた僕が、その隙に素早く這い出し、そのまま彼女の上に覆い被さる。わたらいさんは完全に床に固定された。その体勢は皮肉にも、つい先程、僕が制圧されていたのと全く同じだ。

「待って、私……できるから……ちゃんと、全部壊せるから……」

 わたらいさんはしゃくり上げ、涙ながらに言う。組み敷かれている現状を理解し始めたその瞳に、戸惑いと、ほんのわずかな恐怖が浮かぶ。

「……え、何……どうしたの、ぺこ……」

 僕は答えの代わりに、彼女の両手首を掴み、その顔の横の床に縫いつけるように押さえつけた。

「えっ……や、何……やだ……っ!」
 わたらいさんが抵抗しようともがくが、その力は弱々しい。

 祭壇の頂にいたよじれが、低い唸り声を上げた。それはわたらいさんの魂の代弁のような、不気味な異音だった。

「……君がやろうとしているのは、哀れなことだよ」

 僕の声は、先程の彼女と同じ冷たさを含んでいた。僕の下で、まだわたらいさんがもがいている。

「君が教えてくれたことでしょう? 『せっかくなかよしになれるのに、それを終わりにしようとしてる』」

 わたらいさんの動きが完全に止まる。

「それは、『精算するための、偽物の汚い餌だよ』……僕は君の過去なんて、どうでもいい。壊したって、君の記憶の一部にはずっと残る。それでいいんだ」

 僕は前傾し、体重をかけ、わたらいさんの胸に軽くのし掛かる。

 息を飲む彼女。

 そして、制圧する僕の身体に、その変化が起きていた。

 屈辱と背徳感で熱を持った僕の体が、支配者になったことで、更に熱を帯び、硬く脈打っている。

 その熱を持つ僕の腰のあたりが、彼女の腹部に押し付けられる。

「え……?」

 わたらいさんの戸惑いの瞳が、僕の腰の辺りへと一瞬だけ向けられ、顔が硬直する。

 それは拒絶というより、目の前の現実に怯えたような、震える表情だった。言葉にもならず、力なく首を横に振る。

「僕だって、嫌だったらさっき君を突き飛ばしてでも帰ればよかったんだ。でも、そうはしなかった」

 僕は、わたらいさんの行動を完膚なきまでに模倣し、自分の顔を、彼女の顔へと近づける。

「僕は、わたらいさんが好きだ」

「えっ……」

 突然の告白に、わたらいさんの震える瞳は、恐怖から一瞬、動揺へと変わった。「好き」という言葉と、組み敷かれている現状という、全く相反する二つの現実に挟まれ、精神が軋み、戸惑っているのが明らかだった。

「……仲良くなりたいよ。だから、いつまでも試すようなことはしないで、いい加減に怒るよ」

 そして、僕の唇が、彼女の唇を塞いだ。

「あ、んんっ……!」

 わたらいさんは、口を閉じて微かに抵抗した。制圧したまま、彼女の腹部に押し付けた腰を、さらにぐっと押し込む。

「んんんんっ!」
 拒絶するように、わたらいさんが足をばたつかせる。

 まるで意に介さぬ僕の舌が、彼女の唇を懇願するように滑る。
「開けて……ねえ、お願い、わたらいさん……」

 それは、彼女が僕に向けた命令の、完璧な反転だった。わたらいさんは目に涙を浮かべ、ゆるく首を横に振る。拒否。しかし、その動きは力がなく、それ以上の肉体的な抵抗はない。

「ご、ごめんなさい……」
 わたらいさんが涙声で呟く。

 一瞬の沈黙。僕の身体の熱だけが、二人を包んでいた。

「なんで謝るの」

「……怖い」

「僕、怒ってなんかいないよ」

「……ぺこも、さっきこんな怖い思いをしていたんだと思って……ごめんなさい……」
 この謝罪は、彼女が支配を諦めた証だ。

「もう、いいから」

 僕の身体の重さで潰れるわたらいさんの肺が酸素を求めて開かれたわずかな唇の隙間。その内側に、僕の舌が触れる。

「ん、あっ……はあっ」

 突然の侵入に、わたらいさんの全身が大きく跳ねた。瞳は驚きに見開かれ、戸惑いと恐怖に揺れている。

 僕の舌の温度は、先程の彼女の冷たさとは違い、熱を帯びている。

 わたらいさんの身体が、僕の制圧と、口内の熱に応えるよう痙攣するのを、僕は感じた。

 最初は拒絶で硬かった舌が、やがて、ぎこちなく、しかし確実に、僕の舌の動きに絡みつき始めた。

「あ……っは、ああ……」

 彼女の目から、とめどなく涙がこぼれ落ちた。それは恐怖か、屈辱か、あるいは予想外の快感という名の、極端な安堵か。

 僕は、この孤独な魂の最も柔らかい領域に触れている瞬間に、彼女を深く、愛おしく思った。

──これが、『あげる』ってこと。ぺこが、わたしに。

「僕もあげる、わたらいさんに、全部」

 唇を離し、ほんの一瞬、僕らは見つめ合った。 僕は、顔の横に縫いつけていたわたらいさんの両手首を解放した。彼女の腕は抵抗せずに、その場に留まる。

 白い半袖のシャツの裾が捲れ上がり、摩擦でわずかに露出した脇腹へと僕は視線とともに体を滑らせた。

 わたらいさんの自由になった右手が、そのシャツの裾を不安げに掴む。その手を、僕の左手でそっと包み込むようにして、恋人繋ぎにする。

 繋がれた手を通して、僕の熱が彼女に伝わる。

「もう、試さなくてもいいようにしてあげる」

「や、やだ……っ、ぺこ……」

 受け入れたはずなのに「やだ」という否定の言葉は、肉体の屈辱と、魂の救済が同時に訪れたことへの矛盾した叫びだ。わたらいさんの震える拒絶が、戸惑いとともに歓喜と恐怖の境界線を曖昧にする。

 僕は、彼女がさっき祭壇を薙ぎ倒した、その腕を繋ぎ止めたまま、剥き出しの脇腹に強く、歯を立てた。

 わたらいさんが、息を呑んだ。「ひゅっ」と短い、鋭い音が漏れる。

 グッと食い込むような感覚。それは痛みを伴うが、身体の奥深くで何かが引きちぎられるような感覚であり、彼女が望んだ支配にも似た甘い痺れのはずだ。

 僕のものだという、彼女の肉体への最も汚れた新しい秘密。

「んううっ!」

 わたらいさんの身体が細かく痙攣し、背中が床から浮き上がった。

 僕が顔を離すと、白い肌には赤く、明確な噛み跡が残っていた。
 僕は、その跡を舌で名残惜しくなぞる。わたらいさんの身体が、僕の舌の動きに応えるように小さく震えた。

 そして、最後に残っていた彼女の左手も、僕の右手で強く迎え入れ、恋人繋ぎに組み替えた。 支配の儀式は、肉体を介して永遠に継承された。

「ね?僕はわたらいさんの全部が好きだよ」

 「全部」という言葉に、嘘偽りはない。涙と涎でぐちゃぐちゃになったわたらいさんが、何度も何度も頷く。

「ひとりにしない、約束する。これでいつでも僕を思い出せるでしょう?」

 わたらいさんは、何も返事をしない。しかし、両手の恋人繋ぎが、言葉以上の肯定だった。

 やがて堪えきれなくなったように、わたらいさんが大声で泣き出す。それは、拒絶の痛みではなく、極度の孤独からの解放の叫びだった。

 繋いでいた手が、どちらともなく解ける。わたらいさんが顔を覆って泣きじゃくるのを、僕はただ見ていることしかできなかった。

 祭壇があった方へと視線を向ける。ガラクタは散乱したままだが、頂点に座していたよじれだけが、まるで二人の成立を見届けたかのように、静かにその場に留まっていた。

 僕は立ち上がり、散乱したガラクタのうちのひとつを拾い上げるために祭壇へ近づき、手を伸ばす。よじれがゆっくりと姿勢を崩し、ガラクタが散乱する床へと滑り落ちた。

 まるで、「もう拾わなくていい」と主張するように。

 しばらく動かずにいた僕の伸ばされたままの腕に、よじれがすり寄る。僕の指先が一番脆い、背中に癒着した尻尾のところにそっと触れた。