僕の声に恋した君に─ can you hear me?─

クリスマスイブ、俺たちは場違いの店に居た。

甘い匂い漂うパティスリーはオープン準備に追われている。

喫茶スペースの真ん中に置かれたグランドピアノの前に
「今日はありがとう。本当に助かった」
そう頭を下げるのは、にーちゃんの恋人。
「いえいえ、お役に立てるなら」
と、柔らかく笑う灯夜。

年下の高校生にも当たり前のように丁寧な彼と、年上の大人にも物おじせず微笑む、2人の空気はどこか似ていて笑ってしまう。

【生演奏を聴きながら美味しいケーキを食べれる店】として流行ってるこの店のクリスマスイブは予約でいっぱい。
予定していたピアニストさんが、インフルエンザで来れなくなってしまって、にーちゃんから連絡が来た。

「初めてのクリスマスなのに」というにーちゃんの声があまりに弱々しくて「灯夜に聞いてみるよ」と言ってしまった。
灯夜に聞いてみると「弦音が聴いててくれるなら」と引き受けてくれた。





こんなの聴いてない



目の前の光景に身体が動かない


目の前にいる灯夜は、光沢のあるスーツに身を包み、髪をビシッと決めた見たことのない姿をしている。

「かっこよすぎでしょ」

思わず声が漏れた。

へへっと頭を掻いて笑う笑顔はいつものままでホッとする。

「あのさ…本当は1/10に言おうと思ったことがあるんだ」
「俺の誕生日?」
こくりと頷いて俺の前に歩み出る灯夜の顔が強張ってる。

「リハーサル用に時間をもらったから…ピアノ聴いてもらえますか?」
震える声に、俺まで緊張してくる。

「うん、もちろん」と答えれば、ピアノの横のテーブルの椅子を惹かれて座るように促される。

「準備してくるから…手紙読んで待ってて」

テーブルに置かれた封筒はシンプルだけど綺麗な青に金の縁取りがしてあって、控えめに書かれた「弦音へ」という黒い文字が凄く灯夜らしい。

封筒を開けたいような、開けたくないような感覚で指先が封筒の上を滑る。

パリッと封筒を開けて、丁寧に折られた便箋を開く。

甘いケーキの焼ける匂いに、新しい紙の匂いが混ざる。

──弦音へ
ずっと隠しててごめんなさい。
ナナシノです。そしてナナシノが勧めたピアノ配信者のT.candleも僕です。
yarn君がいてくれたからピアノを配信をしようと思いました。
弦音がいてくれるから、溢れるように曲が出来ています。──

ヘタレ…直接言えばいいのに。
少し萎縮しているように見える文字を撫でながら灯夜を待っていると、オドオドとこちらを伺いながら近寄って来た。

「気付いてたよ、いつ言ってくれるのかと思ってた」


「え?」

「観覧車の直後からナナシノさん来なくなったと思ったら、付き合った直後のT.candleの新曲がarrowって…わかりやすすぎるでしょ」

「…聴いてたの?」
不安そうに震える声に、どれだけ俺の事で悩んだかが透けて見えて満足してしまう。
「ファンなんで」
くすりと笑えば、力が抜けたように笑ってくれたから隠し事なんて、全て許してしまう。

あーでも…
「一個許さない事がある。arrowは俺だけの曲にしたかったな。」
そうやってわざと膨れる俺の頬を人差し指でつついてくる姿が出会った頃のようでくすぐったい。

棒立ちする俺の前に跪いて、イタズラな笑顔で見上げながら俺の手を取る。
「今日やる予定の新曲も、弦音のこと思って書いた曲なんだけど……1番最初に聴いてくれますか?」
なんて言うから
「はい…」
と頷く声が震えた。

椅子に腰掛ける所作も、ふっと息を整えて鍵盤に手を置く仕草も。
いつもの灯夜より少し遠く感じるのは、スーツのせいだろうか。

促されるまま椅子に座って、ただ灯夜だけを見る。

「……タイトルは【いと】です」

小さくそう告げて、指が動く。

やわらかくて、温かい音が、焼き上がったケーキの甘い匂いに溶けていく。
胸の奥がくすぐったくて、思わず目を閉じた。

音を追っているうちに、
弓を引くときの感覚が、ふっと戻ってくる。
息を詰めて、周りの音が消えるあの瞬間。

——たしかに、あの頃の俺は弓道が好きだった。

嫌いだと言い聞かせて、触れないようにしていた記憶が、
曲に引き寄せられるみたいに、静かに浮かび上がっては胸に落ちる。

目を開けると、灯夜は鍵盤から目を離さないまま、音に集中していた。

その横顔を見て、
胸の奥にしまい込んでいたものを、見つけられてしまった気がした。


頬を温かいものがつたう。

弾き終わった灯夜がこちらを見て柔らかく笑う。

「とーやなんか大嫌い」

袖口で乱暴に目を擦りながら悪態ついたら

「大好きって事でしょ」
と余裕の声色が返ってくる。

「弓道も…大好きだった」

言葉にしたら止まらなくなってしゃくりあげた俺に灯夜はオロオロし出した。

「弓道よりも灯夜が……だいきらい」

欠けていた場所に、音もなく何か温かいものが戻った気がした。



夕方になって、お客様が続々と入って来た。
見渡せば店内は幸せそうにケーキを頬張る人や、その姿を愛おしそうに眺める人に溢れていた。その傍に灯夜のピアノがあることが誇らしくて顔がニヤける。

夜の21時。やっと最後のお客様が店を出た。
やっと2人きりのイブが始まるね、と帰路についた。

スウェットを着て殺風景な部屋で、食べきれないねって笑っている姿はいつもの灯夜で居心地がいい。

「俺、実家に行って弓道のこと、ちゃんと話してくる。…勇気をちょーだい?ぎゅーっ」
抱きついたら抱きしめ返してくれる腕に安心して眠くなる。

「灯夜といると眠くなる」
「好きな人といると眠くなるらしいよ」

「じゃあ…灯夜はずっと前から俺が好きだったってこと?」

「出会う前からね」

腕の中で笑う自分の体温も、灯夜の体温も心地いい。