僕の声に恋した君に─ can you hear me?─

次の朝、普段は俺より早く教室にいる藤井が、後から入ってきた。気怠そうにゆっくり歩いて朝からげっそりしている。
なぜか俺の事を観察するように見てから、顔を強張らせて立ちすくんでいる。

「おーい、藤井?」
目の前で左手をひらひらする。
その手を下ろすと、それを目で追ってきた。そのまま手を掴まれて左手の甲をまじまじと見られた。
「あー、これ?グラッセ作ってたら火傷しちゃった。すぐ治るから気にするなよ」
と笑ったのに藤井の顔は強張る一方。少しづつ顔色が悪くなっている気さえする。


「悪い、考え事してたら夜寝れなかった。ちょっと保健室で寝てくる」

突然そう言い放って、カバンだけ置いて出ていってしまった。


顔色も悪かったし、次の休み時間まで帰ってこなかったら様子を見に行こうとかな?
───

「失礼…しまーす」
そっと入った保健室には先生は居なくて。
ひとつだけ閉じたカーテンをそっと開ける。
白い枕にさらりと乗っかる黒髪の後頭部に「藤井?」と声をかける。
こちらを向く藤井が、なんだかとても困惑しているように見えて
「具合わるい?俺、来ない方が良かった?」
と聞いたら静かに首を振るから空いている隣のベッドに腰をかけた。

「寝れてないだけだから大丈夫」

「それなら…少し話してようか?
俺の声聞くと眠れるんでしょ?」

にかっと笑ってみせる。
返事を待たずに咳払いして
「むかーしむかし、あるところにおじいさ───」
「おい、話す、ってそういうことなの?」

ぷっと吹き出した後、ゲラゲラ笑い出したからホッと胸を撫で下ろす。

「…じゃあ、藤井灯夜くんのためだけに、校内放送をしてあげましょう」

そう言って藤井の寝ているベッドの淵に移動する。


「藤井くん、こんにちは。お昼の校内放送の時間です。」

布団の中から顔を覗かせて、興味深そうに見てくるから
「そんなに見られると恥ずかしい。やりにくいので布団かぶって目を閉じててくださーい」
と乱暴に布団を被せる。くぐもった声で「見せろよー」と笑っている声は無視しておこう。
「今日は、いいお天気ですね。帰り道の土手でラムネでも飲みたい気分です」
布団の中で「うんうん」と縦に頭が動いて面白い。
「でも、ラムネってどこに売っているのでしょう。学校の近くでラムネが買える店があれば、是非放送室の横のリクエストボックスにこっそりお伝えください。」
肩が揺れてる…多分笑ってくれたのかな?
「本来ならここで、曲を流すのですが今日は無いので…歌います。それでは聞いてください。『桃太郎』」
バサっと布団が捲れ上がって、
「寝かす気ないだろ?」
と笑いながら藤井が上半身を起こす。
おでことおでこの距離が10センチくらい。
「あるよ」
「なんで桃太郎なんだよ」
「パッと浮かんだから?」
なんでもないやりとりで、2人で笑い合っていたら藤井があくびをした。
「ごめんごめん、次こそはちゃんと寝かしつけるから」
「寝かしつける、って赤ちゃん扱いすんなよ」
と拗ねる藤井が可愛い。
怒るから本人には言えないけれど。

「とーやちゃん、ちゃんと寝るのよ?」
とふざけて言ったら笑うと思ったのに固まってしまった。
なぜか息を漏らすように笑って下を向いた藤井は

「はーい。ちゃんと寝ますよ…いとさん」

と名前を呼び返してきた。

はじめて藤井の声で聞いた自分の名前は、自分のものじゃないような気がしてくすぐったい。

藤井も、…灯夜も同じ気持ちで下を向いたんだったら嬉しいな。

布団に入って背を向ける灯夜の身体に布団越しに手を置きながら

「おやすみ。起きるまでここにいるから、ちゃんと寝て」

返事の代わりに静かな寝息が聞こえてきた。


おやすみ、灯夜。
俺も横になろうかな。

そのままコテっとベッドに転がって灯夜の背中に自分の背中が触れるか触れないかくらいの距離で横になる。

ゆっくり揺れる背中のリズムが心地よくて…なんだか意識が遠のいていく。

遠くの遠くで
「おやすみを俺にくれて、ありがとう弦音、おやすみ」
と聞こえた気がした。

苦手なはずの「おやすみ」が心地よく身体に溶けていく。