追憶のジェリーフィッシュ

浅海

  ――「君は今日から‪2514だ」「これで世界を救えるよ」「お願いしますね、2514」
 誰の声……?なんの記憶……?わからない、私は、誰?当たりは真っ青な壁で覆われていて、その中に光が差し込んでいる。
 私はいつの間にか忘れてしまった。大切な君のことを。たった一つのくらげの音で。
 あの時のしょっぱい味と君の匂いが混ざった日常に懐かしさを覚える。
 あの日から、私の時間はコンクリートのように固められたままだ…
 
一章 前夜祭
 
 ――ゴロゴロ…ガシャーンッ
 私はその大きな音に重たいまぶたを無理やり開かされた。
 ――ズキンッ
 頭に針を刺されような痛みを覚え、思わず視界を眩ませる。
 (最悪…低気圧だ…)
 何とか頭を持ち上げ、時計を見る。朝の七時半だ。朝の…七時…半…?
「あ、終わった……」
 リビングから母が何か言っているが、そんなことに構っている暇は無い。急いで朝の支度を済ませ、水の上を走れそうな勢いで学校までの道のりをたどって行く。

 「西宮、毎日授業2分前に来るのもはや才能だろ」
 喋りかけてきたのは瑞穂湊(みずほみなと)。私と同じクラスの高校2年生だ。
「あんたほかに友達いないの?毎日話しかけてくるなんて私のこと大好きだよね」
 「西宮、お前、まず俺しか友達いないだろ……」
 「私、友達一人もいた覚えないんだけど」
 「返しにくいからやめてくれ……」
 気まずそうにする湊をみて、思わず笑ってしまう。絶対に本人には言わないけれど、少し特別なこの時間が、私は好きだ。
 
 最後の授業の終わりを耳に響くチャイムが知らせてくれた。
「西宮!!今日一緒に帰ろうぜ!話したいことがあるんだよ!」
 声のする方を見ると、湊が何やら楽しそうに、にやにやと笑っている。
「素直に寂しいから私と一緒に帰りたいって言ってくれたら考えないこともない」
 今度は私がにやにやと笑う。
「はあ!?誰が言うかいそんなこと!俺この後母ちゃんの夕飯あるから早くいくぞ!」
「晩御飯を塾みたいなノリで言ってもだめだから……ふぇっ」
「ほら強制連行だ」
 急に手を取られ、驚いた私は、抵抗もできずに湊に連れられていく。2人で小走りのまま田舎の田んぼ道を進み、しばらくしたところで、彼が近くのガードレールに腰掛けた。
「そういえば、話したいことってなんだったの?」
 向こうからなにか言ってくるものだと思ったけれど、かなりの間沈黙が続いたので、いたたまれなくなって自分から会話を切り出した。
「んーと……」
 それだけ言って、湊がそわそわと後頭部を搔いたり、遠くを眺めたりするのを待つと、そのうちすっと口を開き始めた
「えっと…西宮…その、結び祭りに行きたいんだけど……」
「うん。行ってこれば?」
 この街には毎年縁結びの神様を祀り、赤と白に染められた布切れを持って祝う祭りがある。それが結び祭りと呼ばれ、地域の人はほとんど皆参加する大きな催し物だ。
「そ、そうじゃなくて、俺は西宮と行きたくて……てかわかっててその反応してるだろ!」
彼は気づいていないだろうけど、夕日のせいにするには少し無理があるくらいに、顔が赤い。そんな不器用なところが少しかわいいなと思ってしまう。
「わかったよ。一緒に結び祭り行こう。その代わり、私のこと楽しませてよ?」
 私も少し気恥ずかしくなって、笑みでそれを隠す。
「いいのか!?わかった!全力で楽しませるからな!覚悟しとけよ!」
「うんっありがとう...嬉しいよ」
「な、なんだよ…急に素直になるのやめろよ...こちらこそ…ありがとう」
私の率直な返答に拍子抜けしたのか、かなり小さな声で湊がぼやいたものの、私の耳はしっかりその言葉を拾ってくれた。
「君、乙女よりも乙女かもね」
「どういうこと?」
「さあー?」
そう言いながら、再び歩き出す。
 普段ならよく会話が飛び交うところ、その日は上手く言葉が繋がらなくて、その後はお互い黙り込んだまま家に帰ってしまった。

  二章 君と私と結び

「ちょっとー、お兄ちゃん。何騒いでんの。部屋入るよ?」
 そう言って扉を突き破って来るのは湊の妹、瑞穂歌波(みずほかな)。中学二年生だ。
「あーー!やばいよやばいよ!」
「うるさいなあ。ねぇー部屋汚い。まんがの新刊借りに来ただけなのに一苦労だよ」
 歌波が散らかった部屋をサバイバルみたいに乗り越えて本棚までやってくる。
「いや、俺今度女の子と結び祭り行くことになった。すごくね!?」
「はいはい、画面から出てこないね」
「おい、漫画貸してやんねー」
本棚にあった新しい漫画の単行本をひょいっと取って、歌波の届かない高さまで持ち上げ、そこで上下に降ってみせる。
「背が低いから歌波には届きませーん。あそーれ、あそーれ」
それを見た歌波が不満の顔をして、足を湊の下半身目掛けて突き上げる。
「うおおお!きん〇まは反則だろきん〇は!!」
その場で笑い転げた歌波は満足したのか、冗談交じりに先程の話を掘り返す。
「で、なんだっけ女の子と遊びに行くんだっけ」
「そうそう。勢いで誘っちゃったけど、どうすればいいかわかんねー」
「まあ、さすがにこれが妄想とかじゃないことを祈るけど、本当だとしたらもっと現実味がない」
「いやー俺にもモテ期がきちゃったわけですよ」
「まあ、細かい気づかいが出来れば、あとは普段通りでいいんじゃない。それがお兄ちゃんにできるかどうかは置いといて」
「んー俺目が良くないからなー細かい気づかい見えるかな」
「あと好きならアタックしたら。ちょっと積極的にしたらどきどきするかも。ギャップ萌えってやつ。2人でお祭り行けるなら嫌われては無いだろうし」
「そうかー俺スパイク苦手だからなー」
「え、なんの話ししてる?」
「バレー」
「……おもんな」
呆れた顔をした歌波はさっと立ち上がって、部屋を出ていってしまった。
妹の歌波の前だと真剣に話すのが気恥ずかしくて、ついふざけてしまう。なので、ひっそりと心のなかで感謝を述べておく。これで準備は万全だ。

◇◇◇

 とうとう祭りが明日に迫ってきた。夜更かしはお肌の大敵と言うので、早めに布団に潜ったが、色々な想定がぐるぐると頭の中を巡って、なかなか眠れない。湊との集合時間は夕方の5時。寝坊しても遅刻するような時間では無いが、どうしても焦ってしまう。
 そんななか私はふと湊と出会った時のことを思い出す。1年ほど前、湊が私の学校に転校してきた。
 ――「俺、瑞穂湊よろしくな」
 元気のいいその男の子は、なんの前触れもなく、一人で本を読む私に話しかけてきた。
「なんで私に話しかけるの。他の子といた方が楽しいよきっと」
 周りの目が気になって、ほぼ無意識にそう返したのを覚えている。でも返ってきたのは、予想外の回答だった。
「俺、なんか君のこと見た事ある気がしたから。気になって」
 しかし、私はもちろん、湊も何も覚えていないらしい。ただなんとなくそう感じると彼は言った。
 それからというもの、彼が暇があるとすぐ私に話しかけてくるので、だんだんと打ち解けて仲良くなっていった。
 そこからただ延長したような関係が今なのだが……
 そんなことを思い出していると、いつの間にかゆっくりと意識は遠のき、夢の世界に切り替わっていた。

 鳩のなく声がする。自然の目覚ましに起こされ、私はいつもより早く起きた。そわそわしながら朝食をとり、ただボーッと鏡の前の自分を眺める。
「今日はちょっとだけ、おしゃれしちゃおっかな」

◇◇◇

「お待たせ。まだ5分前なのに、来るの早いね湊」
「オウ、ニシミヤ。キョウハヨロシクネ」
「なんでそんなカタコトなの」
いつも通りで良いという歌波のアドバイスを真に受けて、ラフな格好できた俺がバカみたいだ。西宮は浴衣を着て、メイクまでしてきている。正直かわいすぎて、最後まで心が持つかどうか心配だ。
「最初結び貰いに行こうよ!」
西宮が言い出した。結びとは結び祭りの風習の一つである紅白の2色に染められた布切れのことだ。これを貰って身に付けておけばその1年、厄災から守ってもらえるという。だからこの街では多くの人が鞄や自転車などに結びをくくりつけている。
「お、おうそうしよう」
今日の西宮がやけに積極的で、いつもの調子が狂ってしまう。結びは神社の境内で貰えるので、参道に続く道を歩いていく。
「ねぇ湊」
何とか緊張を誤魔化そうとして、話題を探していたが、西宮に先を取られてしまった。
「ん?どした」
「さっきから車道側歩こうとしてくれてる?角曲がる度に動きカクカクになって不自然だよ」
「え……バレてた??」
「あとね、車両規制されてるからお祭りの間は車来ないよ」
それを聞いた瞬間、俺は少しの時間固まって、思わずてのひらを額に当てた。
「まじか、クソっ……はずい……」
ぷるぷると震えていた西宮が、とうとう耐えきれなくなってふっと吹き出した。
「あははは!ほんとに面白い。でも、頑張ってるところかっこよかったよ。ちょっと見直しちゃった」
「全然褒められた気はしないけどな」
がっくりと肩を落とし、その後も西宮に散々からかわれながら進み続けると、大きな鳥居と、桜の木で飾られた参道が立ちはだかった。石詰めの道を踏みつけ、ジャリッという音と共に、足の裏に刺激が入る。
2つ目の鳥居をくぐって、すぐ右手にあった清水で、一礼し、柄杓で水をすくい上げる。境内にはかなりの人影が見えた。それなりにこの地方一帯では有名な神社だから無理もない。
「結び、今年どこにつける?」
なんとか思いついた話題で会話を試みる。
「うーん、私はまだ決めてないな。湊は決めたの?」
「俺はもう決めた」
「え、どこにつけるの」
「教えないよーだ」
「じゃあ、私もつける場所決めても教えてあげなーい」
「なんだそれ、子供かよ」
 そうして会話を続けながら、ようやく賽銭箱の前にたどり着いたので、お財布から五円玉を取り出す。
 二礼二拍手一礼。
 本来神道の神とは願い事を聞いてくれるものではなく、願いの実現を見守ってもらうよう、意思表示をするものだという。
 しかし、今の俺は願わずにはいられなかった。目を瞑り、手を強く合わせる。
 木の上にいた一匹の黒いカラスが鳴きながら飛び立とうと羽を振るわせていた。
 隣にいる西宮に聞こえない声で、小さく告げる。
「君と一生…」
 そのときだった、ふっと隣から人の気配が消える感覚がして、振り向く。
「西宮!!どうした!!」
見ると、足元でうずくまる西宮がいた。 叫び声に周りの人が驚いたようで、膨大な視線を浴びる。
 必死に呼びかけ、救急車を呼ぶか聞くと強く首を横に振ったので、とりあえず西宮を抱き抱えて、近くにあるベンチへと運んで行った。

――「落ち着いたよ」
「そうか。よかった」
 祭りの太鼓音だけが聞こえてくる、不思議な空間が2人を取り囲む。吹く風は先程よりも暖かく、それが渦をまくように頬に当たったせいでどこか切ない気持ちになった。
「ごめんね」
「なんで謝るんだよ」
「迷惑かけちゃった……」
「気にすんなよ。西宮なんも悪くないだろ」
それから少し間が空いて、そろそろ妥当だろうと思い、帰宅の提案をする。
「そろそろ帰るか、元気になったらまた遊びに行こうぜ」
「うん。ありがとう」
「心配だし、家まで送ってく」
「そこまでしてくれなくていいよ」
「でも、また何かあったら」
「大丈夫。家まで大通り伝っていけばすぐだから」
「そっか、じゃあまた月曜な」
 最後につれて、発する言葉が小さくなっていく。
「うん、またね」
 そう、簡単に別れの言葉を交わした二人の下には何色かわからない季節外れのチューリップが風に揺られ、花を咲かせていた。

  三章 止まる観覧車

「西宮おはよう」
「おはよ、夏休み明けの学校ほど牢獄に近いものは無いよね」
「んな言い得て妙な。てか今日ギリギリじゃないじゃん。西宮らしくない。滑り込みセーフ見せてくれよ」
「その口二度と開けないようにしてやろうか」
 手の指をかぷかぷさせながらそういうと、湊は相変わらず楽しそうにヘラヘラと笑っていた。
「おはようございます」
 そう言いながら先生が教室に入ってくるや否や湊を含むクラスメイト全員が蜘蛛の子を散らすように自分の席へと向かう。
 一時間目は社会だ。頑張って授業を聞こうと思うけれど、朝が早いとどうしても眠くなってしまう。
 ――であるからして、日本は過度な少子高齢化による国力低下問題が深刻となった。その翌年に国ぐるみでクローン人間を大量放出する事件が起きた。これをコンフサイド事件といい、未だに多数の…
 ――木々の葉っぱが舞いながら飛んでいく。風当たりが強い。
「みなとくんはっけーん」
 ものすごく驚く湊の様子ににんまりと笑ってみせる。
「なんでここにいるの知ってんだ!?」
「前にちょっと尾行してみたの。そしたら私と帰らない時は毎回ここに来てた」
 ここは街の中でも人気がなくほとんど人のいない公園で、芝生の中にぽつんとベンチだけが置かれている。
「おい、それ世間一般的になんて言うか知ってるか。ストーカーだぞ」
「えへへそれほどでも」
「ストーカーは褒め言葉じゃないからな。それで、なんだよ。なんか言いたいことあるから来たんだろ?」
「えっ」
湊の意外な感の良さに驚いてしまう。仕方なく湊の隣のベンチに座って、徐に息を吐く。
「結び祭りの時さ、私倒れちゃったじゃん。そのれで、少し思い出したことがあって。もしかしたら、んっ……」
言いかけたところで、突如、湊に口元を手のひらで覆われる。少し、俯くような目をしていた。
「俺も、まだ曖昧だけど、なんとなく感じてることがある。でもまだ、聞きたくないし、信じたくない。西宮と共有すると、それが本当になっちゃう気がするから」
 夕日が、草に紛れて咲く一輪のコスモスを黄色に染め上げる。
「ちょっと先になるんだけど冬休みまた西宮とお出かけしたい」
そう言うと、ゆっくりと手のひらを口元から離してくれた。
「これまた急なお誘いだね。どうしたの」
「何となく、今の話聞いて不安になっただけ」
聞くと、弱々しくも正直に心の内を明かしてくれた。
 それから数ヶ月がたち、冬も本番という時期になった。
 私はスマホからの湊のメッセージに目を向ける。上から流れてくる通知には例のお出かけの話がつづられている。私がイルカが好きであることを知って、水族館に行こうと提案してくれた。じゃあ、12月24日でどう?と返信してみる。


 ――前より上手くお化粧できたかな。そんなことを考えながら湊との待ち合わせの場所に向かう。ガタンゴトンと揺れる電車から見える景色は、ひとつの映像みたいに素早く流れていく。水族館は少し離れた場所にあるから、今回は電車移動だ。
湊とは水族館前のイルカの像付近で待ち合わせの約束をしている。最寄り駅からそちらの方面に向かっていると、遠目からそわそわと待つ湊が伺えた。
「おまたせー!」
そう言いながら、湊の肩をたたき、人差し指を突き出す。すると、ふっと振り向いた湊の頬に、私の人差し指が突き刺さる。
「それされたの小学生の時以来だぞ」
湊がしてやられたという顔をしながら、小言を吐く。
「まあまあ気にしないで。早く行こう」
私が先導して先に歩くと、湊が小走りに追いついてきて、隣に並ぶ。今度は湊が少し私の前に出て、そっと手をとる。
「なんか、湊って不器用なくせに、人との距離バグだよね」
「え?そう?」
「うん。こんな自然に手繋ぐなんて、めちゃくちゃモテるイケメン男子みたいだよ」
「なんだ。俺がモテないブサイクみたいな言い方だな」
「事実でしょ?」
からかうように、思ってもないことを言ってみる。
「まあ、小さいときよく妹の手引いてたからなあ。癖というか、慣れみたいなもんはあるかもな」
「ふーん。そうなんだ」
恋って怖い、と思う。幼少期の湊を想像して、妹さんに、少し、嫉妬してしまう。
「え、うそだろ。そんなことある?」
そんなことを考えていると突然、湊が驚いた声を出すので、それにつられて顔をあげる。同時に、水族館の入口に書かれた文字が目に飛び込んできた。
「本日、メンテナンスにより臨時休館」
湊の方を向いて、顔を合わせると、少し、泣きそうな顔をしていた。
「ごめん……ちゃんと確認してこればよかった」
 湊がまるでぷくぷくと泡を吐くように言う。 「湊のせいじゃないよ!気にしないで。水族館じゃなくても遊べるとこあるから今から探そ!」
本当は、少し、残念な気持ちもあったけれど、できるだけそれを隠すように声をかける。
「ありがとう。あそこのベンチで今からの予定決めよ」
私たちはイルカ像の隣にあったベンチに腰を下ろす。周辺の遊べる場所を検索するしようとして、SNSを開くと一番に目に入ったのは水族館の公式アカウントからの緊急告知だった。慌てて湊にそれをみせる。
「ほらみて!こんなんなっちゃってる」
あったのは、ガラスが飛び散り、水族館内が水浸しになっている写真だった。今朝、突然エチゼンクラゲの水槽が割れてしまったらしい。
「確かに、こりゃあ無理だなあ」
そう言って苦笑する湊の顔に罪悪感が消えた気がして、心が軽くなる。その勢いで、思いついた代替案を出してみる。
「ちょっと時間かかるけど、依凪町で遊ぶのとかどう?」
「あー繁華街だし色々ありそう。じゃあ依凪町いくか!」
「そうしよー!」
立ち上がった湊につられて、私も手を上にあげて賛成のポーズをとる。近くの港から来る海風を背中に感じながら、駅へと向かう。

◇◇◇

「ほんとに夢がないんだから。一緒に買って付けるのがいいんでしょ!」
あれから依凪町に到着して、近くの百貨店で買い物をしていた。西宮が水族館で買えなかったイルカのペアストラップが欲しいと言い出したからだ。
「そういうもんかねえ」
めぼしい雑貨店を見て周ったけれど、中々良いものがなかったので、ネットで買うことを打診したところ、ご不満だったらしい。
「まあちょっとめんどくさいとこもかわいいか……」
「え、私のことそんな風にみてたの。うわあー」
西宮から少し離れた場所の商品棚を見ながら吐いた独り言だったが、本人に聞こえてしまったみたいだ。西宮がからかうように顔を顰める。俺はやけくそになって、冗談ぽく本音をぶつける。
「うん。いつも思ってるけど、今日は特に。服も化粧も意味わからん髪型とかも全部、かわいい」
言ってから少し間が空いて、西宮が1歩近づいてきた。
「正直でよろしい」
「いや、冗談だしっ!」
ネタとして受け流されず、恥ずかしくなった俺は、即座にかぶりを振る。
「さっきの独り言の後にそれは無理あるでしょー。しかも顔真っ赤だよ」
「えっうそ!」
「うそだよーん」
うははっといたずらっぽく笑う西宮。でも、本当は、彼女こそ、さっきよりも顔が赤い。
「ねえ、これ」
気まずくなって、斜め下を向くと、目に入った小さいイルカのぬいぐるみストラップ。ピンクと青の2匹が隣同士で並んでいる。
「え!かわいい!これ買いたい!」
ようやく納得のいくものに出会えたらしい。
「それでいいの?」
「うん!」
「じゃあ、それ貸して。俺が西宮とお揃いにしたくなったから買う」

新しく買ったストラップを2人で鞄につけて、街中を歩く。西宮が青のイルカで、俺がピンクのイルカだ。
「普通ストラップの色逆じゃね?」
ふと湧いて出た疑問を投げかける。
「誰がそんなこと決めたの!私は青がいいもーん」
「いやまあ、決まっては無いけどさ。ピンクのイルカつけてるのちょっと恥ずかしいよ俺」
「ジェンダーバイアスってやつだね」
「やかましいなあ」
ふっと笑って、ストラップを見遣る
「じゃあ青色2つでよかったじゃん」
「それもだめなの!」
「なんでだよ!こやつ、さては遊んでやがるな」
白々しく斜め上を向いた西宮が、突然あっと声を上げて、鞄の中をあさり始めた。出てきたのは、お祭りで貰った結びの布切れ。
「これ、このストラップにつけようと思って」
そうして、細長い布をイルカのチェーンの部分に括り付ける。
「まだつけてなかったのか」
「うん。湊はもうつけたの?」
「まだどこにも。せっかくだし俺も帰ったらイルカに結び付けようかな」
その時、大型トラックがビュンと横を通り過ぎた。西宮が何か言ったようだったけれど、そのせいで耳に届かなかった。
「なんて言った?」
なんとなくモヤモヤするので、会話の内容を聞き返す。
「ううん、今日はちゃんと車道側歩けてかっこいいねって言っただけ」
「絶対そんな口の動きじゃなかっただろ!勘弁してくれ……まじで恥ずかしいんだから」
俺の反応を見るなり、また西宮がいたずらな笑顔を向けてきた。 その顔がたまらなくかわいくて、しばらく見つめていると、西宮の頭がきらりと光るのに気がついた。
「西宮、頭濡れて…」
 そのとき、自分にもなにか冷たいものが降り注ぐのがわかった。雪だ。
「わあ、雪降ってる。ホワイトクリスマスだね」
「この地域あんまり雪降らないのに珍しいな」
「ねえ、せっかくだしあれ乗らない?綺麗な景色が見れそう!」
西宮が指さした先にあるのは、ビルの上に佇む観覧車だった。俺は快諾して、一緒に乗り場へと向かう。クリスマスイブだから混んでいるかと思ったけれど意外に人は少なくて、すぐにチケットを買うことができた。キャストの指示のままにゴンドラに乗り込み、お互いが目の前に来るように座る。
密閉空間に2人きりでいると、自分がおかしくなったみたいで、異様に西宮を意識してしまう。
「なんかどきどきするね」
にこっと笑って話す西宮には後ろの夜景がすごく似合っていて、切り取った絵画みたいに綺麗だと思った。
伝えるなら、今しかない。そう思ってぎゅっと拳を握り、ぼうっとする視界の中で、西宮の目を捉える。
「ねえ、西宮」
「ん?」
高鳴る鼓動と叩く雪が、ゴンドラ内に音を響かせる。
「俺さ、西宮のことが…」
言いかけたところで、
「まって!!」
かなり大きな声で制止されたことに驚いて、思わず口をつぐむ。みると、目前では西宮が苦しそうに頭を抱えていた。
「どうした、頭痛い?」
ふと、結び祭りの時に、卒倒した西宮を思い出す。近寄ると、西宮は今にも泣きだしそうな顔で、話し出した。
「私だって、本当は、」
「ゆっくりで、いいから」
はやる西宮をなだめ、背中をさする。しばらくして、もう一度、口を開く。
「私だって本当は湊とずっと一緒にいれたら幸せなんだろうなって思うし、そうしたいと思う。だけど、それはできないの」
「どうして……」
 なんとなく、想像はついていた。だから、確信を得るためだけの、疑問だった。
「湊も所々で、なんとなく、勘づいてたんでしょ。お祭りの時も、今も、頭に知らない記憶が大量に流れ込んできて、身体が耐えられなかった。でも、それで思い出したの。私たちの過去のこと……」
 ――――私たちは、約500年後の時代にクローン人間としてつくられた。クローンの研究を進めたかった研究者たちと、国力を取り戻したかった国の意見が合致し、過去約500年前から発生した、この国の衰退の原因であった少子高齢化を今の時代から止めるために、未来技術で西暦2025年の時代に、約三千万ものクローン人間が放たれた。初めて行うものということもあり、やがて失敗作が原因で、それは世界に知れ渡ることとなった。しかし、中には全く実際の人間と区別のつけようがない、完璧なクローンができてしまっていた。それらの回収は非常に困難を極め、未来技術でなんとかその時代の人々と、回収できなかったクローン人間の事件に対する一切の記憶を消去することで、事件は一時終結へと向かった。しかし、いくら500年後の技術でも完璧というものは無いらしい。その記憶を西宮は思い出してしまったのだ。自分がそのうちの一個体であること、目の前にいる彼も同様であることを。
 もちろん、少子高齢化対策が目的なので、恋愛感情を色濃く反映させて創り出される。つまり、西宮は、恋愛感情を持つことによって創作者に自分たちがクローン人間であることがバレる可能性を危惧している。
ということだった。
 それから観覧車を降りて、どちらも、なにか言葉を発するような雰囲気ではなかった。こんなにも輝く街と時の中で、俺たちだけが、これからの行く先を見失っていた。
だから仕方なく、繁華街のど真ん中で、たっぷりの悲愴を、お互いの全身で感じあった。

  第四章 君の涙の防波堤

 ――プルルル、プルルル
 スマホが、震えている。その音に、目を覚ます。
「湊から……」
久しぶりに届いた通知をタップする。ぱっと湊とのメッセージ画面が開かれる。
「今日俺学校休むって先生に伝えといて」
 それを見た瞬間、少しばかり嫌な予感が働いたけれど、お母さんが学校へ行くのを急かしているため、とりあえず学校へ向かうことにした。
 三学期の一日目の登校だというのに冷たい風がビュービューと吹き荒れ、木々を揺らしている。かなり濃い曇天だ。
 記憶を取り戻してから、冬休みの間、何度も考えた。自分の生きる意味。きっと今の両親は未来技術の記憶改ざんによって私がクローン人間だとは知らずにここまで育ててくれた。それを知って、騙したような申し訳なさと、当たり前が崩されることへの恐怖がずっと拭えない。また少し、考えを巡らせながら、学校までの道を歩く。
いつも通り、授業の2分前に教室に滑り込んで、湊の席を確認する。案の定、登校時間ギリギリの私をからかってくる彼はいない。朝の忙しい時間にかき消されていた不安が再度湧き出てきて、どうにも落ち着かない。何度か本気で引き返そうか考え、先生の間でおおごとになるだろうと留まり、心のなかで繰り返し葛藤した。
その間、教室が少しざわついた。顔をあげると目を焼くような閃光が、天から地に向かって落ちるのが窓から見えた。数秒経って、轟音に教室が震える。して、大きな雷が落ちた瞬間、何かが吹っ切れたように、私はイルカのストラップだけを握りしめ、教室を飛び出していた。階段を上ってくる先生と鉢合わせたが、構うことなく全力で駆け抜け、始業チャイムが鳴ると同時に、昇降口にたどり着いた。きっと私が教室にいなくても、世界はいつもと変わらず進み続けるだろう。それでも、この世界に生まれてきた意味を、後付けしてくれた君に、いつだって会いたいと思う。
 外に出ると小雨が降り始め、地面が湿っていた。雨を全身で受け止め、駅へと走る。おおごとになるとか湊が心当たりの場所にいるかとかそんなことは心底どうでもよかった。

 ガタンゴトンと電車が走っていく。ひとつ電車が揺れる度に焦りと不安は次第に大きくなっていった。それでも、きっと大丈夫と信じて、私はぎゅっと一人手を握る。酷く長い時間を感じて、目的地までの駅間をやり過ごす。ようやく、軽快な音楽が流れ始めて、電車の掲示板が切り替わる。次は終点、港。
 ホームドアが開くのを確認して、流れる人を押し退け、ぶつかり、必死に走った。驚く声や、叱責の声が何度も聞こえたが、それすらも私の背中を押すような気がした。改札のピッという音と同時に、外に出て、また雨水が大量に降り注ぐ。
 港の方をみると、人影が視認できた。もう、瞬間でわかる。大好きな佇まい。湊の後ろ姿。1歩、2歩、と足を進めて、全力で走る。踏み込む度に、ぴちゃぴちゃと水の跳ねる音がする。足音に気がついたみなとが、驚いて、こちらに振り向いた。
「み、なと……」
息切れ混じりに呼ぶと、彼は一瞬微笑み、すぐに俯いた。
「なんで、こんなところにいるの」
少し怒りを交えて、湊を問いただす。
「それはこっちのセリフ。今日学校休むって言ったじゃん」
「それは知ってる。けど、なんかいつもと違う気がした。根拠なんてない。なんとなくそう感じて、思うままに、ここに来た」
「勘弁してくれよ……」
ぼそっと零して、呆れたように笑う。
「それで、湊はなんでここにいるの」
もう一度、問う。勝手に湊を追いかけて、こんな質問をいきなり投げかけるなんて、よくよく考えれば、ただの変質者だ。けれど、意味も分からない直感が、私を突き動かす。
「西宮、俺らってさ、クローンなのに生きてていいの?」
「なんで、急に、そんなの、わかんないよ。でも、」
湊の気持ちは、痛いほど共感できる。私も、たくさん考えたから。
「それでも、これからまだ湊と一緒にしたいこといっぱいあるの!私たちはお互いに好きだってことを三次元的に認識しなければ、想いを言葉にして伝えなければクローン人間だってことは、ばれないんだよ……?」
 そう叫んだ西宮のポケットからはひらひらと紅白に染められた布が顔を覗かせている。
「だからこそだよ、自分がクローンだって知ってから存在しちゃいけない気がするんだ。それなのに、西宮と愛し合うことすら叶わないなんて、俺、なんのために生きればいいんだよ」
「さっきも言ったじゃんそんなのっ……わかんないって!!私だって、湊と結ばれたい!!だって大好きだもん!!ずっとずっと結ばれて、一緒にいたいよ!!!だから……」
 そう言ったところではっとした。絶対に言ってはならない言葉を言ってしまった。湊も気づき、その後待ち受ける恐怖に、身体が膠着した様子だった。
 突如、海に大きな渦が巻き起こり、そこから大きなクラゲが這い上がってきた。近くにある灯台ほどの巨体が私を捉え、向かってくる。
 それが自分たちの前に着地し、クラゲの口の部分が開く。中からは4人の研究者、国家関係者と思われる人達が現れた。
私を一瞥して、
「No2514だ、確保しろ」
 と号令がかかる。きっと実験過程で振られた番号かなにかなのだろう。
 何度も呼ばれた西宮という名前が頭の中で反芻し、今にも涙が溢れ出そうになった。その瞬間、いきなり私はくらげの触手に取りつかれ、引きずられていく。
 (もう、おしまい、何もかも、おしまい。これで、いいんだ。湊が幸せでいてくれれば、それでいい。)
 そう、静かに目を閉じたときだった。聞き覚えのある声、しかし、今までに聞くことができなかった言葉が耳をつんざいた。
「好きだー!!俺は、咲楽が大好きだーー!!」
 それは雷の轟音なんかよりも、遥かに私の心を震わせた。
 (なんで、なんで、なんで最後まで湊は……)
 触手で首が締め付けられており、もはや声は出ない。
「ごめんな、咲楽……」
 言った瞬間、湊の身体にも触手がまとわりつく。
「探知機が反応している。まさかこっちもクローン人間なのか!?」
1人の研究者が、驚いた声をあげる。
「これではクローン人間どうしの恋愛になるから実験失敗ということになってしまうのでは?」
「いやそれも面白い。想定になかった結果だ」
「なんでもいいのでちゃんと捕まえてください。国際問題ですよ」
 彼らが話し込むなか、咲楽と湊は既にくらげの口腕部分まで運ばれていた。もう、声にならない声で湊が必死に、何か言っている。それに、もがいてもがいて、耳を傾ける。
「…してる。あい、してる」
  2人で抱えるには、大きすぎる涙が零れ落ちる。もう口を開けない咲楽は、嗚咽しながらも動かせる手で湊に向かって結びを全力で投げ出す。
 咲楽の持つ手には青色のイルカのぬいぐるみがあって、そこに紅白の布が括り付けられていた。湊は必死にそれを掴み、泣き笑いをしてみせる。
 しかし、結びはすぐにブチブチッと鈍い音を立てて引きちぎ切れてしまった。
 それでも、と咲楽は最後に願う。たった一枚の布切れほどの希望にかけて。
 (結びの神様、最後に私の願いを聞いてください。どうか、どうか、)
「そこのっ…目の前のっ…優しくて…強くて…かわいくて…大好きなっ……」
「君と一生結ばれませんように」

  深海

 ――きゃっきゃっ
 水族館デートの帰りらしいカップルが手を繋ぎ、浮き足立った様子で歩いている。
 二人が通り過ぎると同時に、花壇の枯れた彼岸花が風に乗って宙を舞った。
「あれ、誰かストラップ落としちゃってる」
地面の存在に気づき、彼女がしゃがみ込む。
「ほんとだ。しかもペアストラップだ。カップルで二人して落としたのかな?さすがに間抜けすぎないか?」
「でもだいぶ汚れてる。結構前のものなのかなぁ。あれ?これよく見たら水族館のストラップじゃない?」
 見た目はお世辞にも綺麗とはいえず黒よりの茶色。ぎりぎりペアストラップの色の違いが判別ができるレベルだ。
「似てるけどなんかちょっと違うぞ、ここのじゃない」
 近くの工場から風に乗ってきた、溶けたコンクリートの匂いが鼻にツンと刺す。
「交番に届けてあげようよ。なんかかわいそ」
 そう、彼女が大粒の言葉を零す。
「そうだな」
 そう、彼氏がヘラヘラと言う。
 カチリと髪の毛に海水が反射して光る。立ち上がった二人の影が、夕日によって長く伸びる。
 それをすくいとって海とは反対方向に歩いていった彼らの後ろでは、ぷかぷかと小さなくらげが浮いていた。

 

気づいてた?いつまでも結 ばれたくて 君に見立てた 青色のイルカ/西宮 咲楽

君とみた 最後の空は 雨模様 今なら泣いても わかんないよね /瑞穂 湊