「――異常なし」
華やかなパーティー会場の片隅で、窓を覆うビロードのカーテンの影に隠れるように立っているトラヴィスは、タキシードに取りつけた小型のマイクへ低く応じると、再び鋭い目つきで周辺を睨んだ。
今夜、英国の首都ロンドンのメイフェア通りにある由緒あるホテルで、アフリカ難民への支援を呼びかけたチャリティが開催されている。主催者はランドルフ・ウェントワースロンドン市長と、彼の友人で俳優のノエル・エリオットで、二人は数年前からアフリカへの支援活動を行い、この夜もロンドンの著名な人々を招いて、国を追われた難民への援助を呼びかけていた。
トラヴィスはドレスコードで行き交う人々を、まるで紛れ込んでいる犯罪者を探し出すように、注意深く観察している。一応ジョルジオ・アルマーニのタキシードを着用しているが、その場の賑やかな空気に全く溶け込んでいない。トラヴィスの他に、あと二名の特別捜査官が会場のエントランスと通路に立っている。彼らは本国からVIPガードとして派遣された。このチャリティに参加しているニューヨーク市長を護衛するためである。
一週間前、オスカー・ミュラーニューヨーク市長宛てに脅迫文が届いた。米軍のアフガニスタン派遣を支持することへの激しい非難が綴られていて、市長へのテロを仄めかす内容だった。ただちにFBIから捜査官が派遣され、手紙の分析が始まったが、まだ差出人は特定されていない。そのうちに、ミュラー市長はロンドンへのチャリティ出席を決めた。主催者が旧知の人間であり、元々出席する意向であったこと、さらに脅しに屈したくないとの強い意思を示したことで、難色を見せたFBIを説得。捜査官を一緒に派遣することで妥協が成立した。
トラヴィスは会場のなかでも、ひと際人々で賑わっている一群へ厳しい視線を向けた。中心にいるのは、背が高くて、トム・フォードのタキシードを華麗に着こなしているハンサムな男性である。このチャリティの主役と化したミュラー市長である。
大学生の頃はモデルもやっていたというニューヨーク市長は、二十代でインターネット関係の会社を立ち上げ、数年間で一流企業に押しあげた有名なビジネスマンであり、三十代の若さでニューヨーク市長選へ立候補、新人同士の一騎打ちで見事初当選した人物である。そのモデルのような容姿と頭の切れる会話、ジョークをちりばめた愉しい演説など、口の悪いニューヨーカーからも支持されていて、セレブリティな恋人たちとの交際など、パパラッチから感謝状を贈られるような派手な話題を提供している。
トラヴィスは市長の周囲を警戒している。すぐ側でも護衛警官が目を光らせているが、どこから不測の事態が起きるがわからない。ミュラー市長はそんなことなど忘れてしまった様子で、胸元が大きく開いたヴェルサーチの真っ赤なドレスを着た美しい女性と会話している。
――くそっ。
トラヴィスは苦々しく毒ついた。脅迫文を寄越した卑劣な犯罪者に怒りが燃えている。だが、ミュラー市長を見守らなければならない立場にも、腹が立っている。
昨日、ロンドンへ発つ市長とジョン・F・ケネディ空港で初めて対面した。市長は一人一人の捜査官たちとにこやかに挨拶を交わしたが、最後トラヴィスの前に来ると、なぜかあからさまに首をひねって見せて、こう言った。
「で、君は誰なんだ?」
トラヴィスは大袈裟に笑顔をつくった。
「トラヴィス・ヴェレッタです。市長を守るためにFBIから派遣されました」
このくそったれ、と笑顔の裏に貼りつけたが、誰にも見られなかった。
ミュラー市長はトラヴィスの格好を興味深そうに眺めた。他の捜査官たちが、ちゃんとしたスーツを着こなしているのに、トラヴィスはいつもどおりのあけっぴろげな姿である。ワイシャツの胸元は開けていて、ネクタイもない。
「あいにく、本物です、市長」
まるで珍獣でも見ているような視線に、トラヴィスはわざと明るく言った。
「寝坊したんだな?」
ミュラー市長はわかったというように頷いた。
「エキストラかと思った」
そう言うと、身を翻して、側近たちとゲートへと向かう。その後ろ姿に、トラヴィスは蹴りを入れてやりたくなったが、同じく派遣されたヒースに手招きされ、仕方なくついてゆく。ヒース・ハリド捜査官の目は――だからきちんとスーツを着ろと言っているだろう、この馬鹿――と呆れている。
捜査官たちは市長が乗る飛行機の安全確認は勿論、ロンドンへ到着し、移動手段であるリムジンや宿泊するホテルの安全点検をすみずみまで行い、今夜のチャリティイベントでも会場のセキュリティを厳重にチェックしてから、周辺の警護についている。
――くそったれ。
トラヴィスは苦々しく思い返す。ミュラー市長は他の捜査官たちへは愛想がよかったが、トラヴィスにはまさに眼中になしという態度だった。
――あいつに似ているぜ。
人だかりの中心にいる金髪碧眼のゴージャスな市長は、トラヴィスと極秘に付きあっているクールなブロンドビューティーを連想させる。
――人を思いっきり靴の踵で踏みつけるところからそっくりだ。いつかケツを蹴飛ばしてやる。
ロンドンへ出張する前夜、ベッドの上でたっぷりと愛しあった恋人が聞いたら恐ろしい展開が待っているが、幸いなことに、その冷徹な恋人との間には大西洋が跨っているので、遠慮なく罵るトラヴィスである。
――まあ、あいつの方が面構えはいいか。
そんなことを考えていると、ふいに肩を叩かれた。
「ちゃんと仕事をしているか? エキストラ」
トラヴィスは極悪な表情で振り向いた。ホテルのエントランスで警護にあたっていたヒースが側に来ていた。
華やかなパーティー会場の片隅で、窓を覆うビロードのカーテンの影に隠れるように立っているトラヴィスは、タキシードに取りつけた小型のマイクへ低く応じると、再び鋭い目つきで周辺を睨んだ。
今夜、英国の首都ロンドンのメイフェア通りにある由緒あるホテルで、アフリカ難民への支援を呼びかけたチャリティが開催されている。主催者はランドルフ・ウェントワースロンドン市長と、彼の友人で俳優のノエル・エリオットで、二人は数年前からアフリカへの支援活動を行い、この夜もロンドンの著名な人々を招いて、国を追われた難民への援助を呼びかけていた。
トラヴィスはドレスコードで行き交う人々を、まるで紛れ込んでいる犯罪者を探し出すように、注意深く観察している。一応ジョルジオ・アルマーニのタキシードを着用しているが、その場の賑やかな空気に全く溶け込んでいない。トラヴィスの他に、あと二名の特別捜査官が会場のエントランスと通路に立っている。彼らは本国からVIPガードとして派遣された。このチャリティに参加しているニューヨーク市長を護衛するためである。
一週間前、オスカー・ミュラーニューヨーク市長宛てに脅迫文が届いた。米軍のアフガニスタン派遣を支持することへの激しい非難が綴られていて、市長へのテロを仄めかす内容だった。ただちにFBIから捜査官が派遣され、手紙の分析が始まったが、まだ差出人は特定されていない。そのうちに、ミュラー市長はロンドンへのチャリティ出席を決めた。主催者が旧知の人間であり、元々出席する意向であったこと、さらに脅しに屈したくないとの強い意思を示したことで、難色を見せたFBIを説得。捜査官を一緒に派遣することで妥協が成立した。
トラヴィスは会場のなかでも、ひと際人々で賑わっている一群へ厳しい視線を向けた。中心にいるのは、背が高くて、トム・フォードのタキシードを華麗に着こなしているハンサムな男性である。このチャリティの主役と化したミュラー市長である。
大学生の頃はモデルもやっていたというニューヨーク市長は、二十代でインターネット関係の会社を立ち上げ、数年間で一流企業に押しあげた有名なビジネスマンであり、三十代の若さでニューヨーク市長選へ立候補、新人同士の一騎打ちで見事初当選した人物である。そのモデルのような容姿と頭の切れる会話、ジョークをちりばめた愉しい演説など、口の悪いニューヨーカーからも支持されていて、セレブリティな恋人たちとの交際など、パパラッチから感謝状を贈られるような派手な話題を提供している。
トラヴィスは市長の周囲を警戒している。すぐ側でも護衛警官が目を光らせているが、どこから不測の事態が起きるがわからない。ミュラー市長はそんなことなど忘れてしまった様子で、胸元が大きく開いたヴェルサーチの真っ赤なドレスを着た美しい女性と会話している。
――くそっ。
トラヴィスは苦々しく毒ついた。脅迫文を寄越した卑劣な犯罪者に怒りが燃えている。だが、ミュラー市長を見守らなければならない立場にも、腹が立っている。
昨日、ロンドンへ発つ市長とジョン・F・ケネディ空港で初めて対面した。市長は一人一人の捜査官たちとにこやかに挨拶を交わしたが、最後トラヴィスの前に来ると、なぜかあからさまに首をひねって見せて、こう言った。
「で、君は誰なんだ?」
トラヴィスは大袈裟に笑顔をつくった。
「トラヴィス・ヴェレッタです。市長を守るためにFBIから派遣されました」
このくそったれ、と笑顔の裏に貼りつけたが、誰にも見られなかった。
ミュラー市長はトラヴィスの格好を興味深そうに眺めた。他の捜査官たちが、ちゃんとしたスーツを着こなしているのに、トラヴィスはいつもどおりのあけっぴろげな姿である。ワイシャツの胸元は開けていて、ネクタイもない。
「あいにく、本物です、市長」
まるで珍獣でも見ているような視線に、トラヴィスはわざと明るく言った。
「寝坊したんだな?」
ミュラー市長はわかったというように頷いた。
「エキストラかと思った」
そう言うと、身を翻して、側近たちとゲートへと向かう。その後ろ姿に、トラヴィスは蹴りを入れてやりたくなったが、同じく派遣されたヒースに手招きされ、仕方なくついてゆく。ヒース・ハリド捜査官の目は――だからきちんとスーツを着ろと言っているだろう、この馬鹿――と呆れている。
捜査官たちは市長が乗る飛行機の安全確認は勿論、ロンドンへ到着し、移動手段であるリムジンや宿泊するホテルの安全点検をすみずみまで行い、今夜のチャリティイベントでも会場のセキュリティを厳重にチェックしてから、周辺の警護についている。
――くそったれ。
トラヴィスは苦々しく思い返す。ミュラー市長は他の捜査官たちへは愛想がよかったが、トラヴィスにはまさに眼中になしという態度だった。
――あいつに似ているぜ。
人だかりの中心にいる金髪碧眼のゴージャスな市長は、トラヴィスと極秘に付きあっているクールなブロンドビューティーを連想させる。
――人を思いっきり靴の踵で踏みつけるところからそっくりだ。いつかケツを蹴飛ばしてやる。
ロンドンへ出張する前夜、ベッドの上でたっぷりと愛しあった恋人が聞いたら恐ろしい展開が待っているが、幸いなことに、その冷徹な恋人との間には大西洋が跨っているので、遠慮なく罵るトラヴィスである。
――まあ、あいつの方が面構えはいいか。
そんなことを考えていると、ふいに肩を叩かれた。
「ちゃんと仕事をしているか? エキストラ」
トラヴィスは極悪な表情で振り向いた。ホテルのエントランスで警護にあたっていたヒースが側に来ていた。



