黒い薔薇に魅入られて

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 御影さまと離れ離れになってから、2年が過ぎた。
 あの後、御影さまは軍に連れていかれた。
 わたしは自分も着いていくと主張したけれど、御影さまが首を縦に降ってくれなかった。
 それから軍人に連れられ、なぜか小さな山と小屋を与えられた。ここから出なければ何をしてもいい、と言うお達しとともに。

 わたしは御影さまが決して軍に逆らえないようにするための人質なのかもしれない。
 そう思い至り、これ以上御影さまの負担になりたくないと命を絶とうとしたこともあった。

 でも、ひとりだけでなら逃げられたあのひとが、最後に守ったのがわたしだから。
 あのひとが守りたかったものを、わたしが壊すなんてできなかった。

 時がいやになるほどゆったりと流れる。
 縁側に寝転び、庭先のたんぽぽ畑を眺めているだけでもお腹はすく。
 小さな山には食料となるものは何もなかったけれど、わたしには黒蝶がいるので大した問題じゃなかった。
 それよりも心が辛かった。
 辛くて、辛くて、泣いて眠れない日もあった。
 その度に御影さまとの日々を抱いて、暁を待った。

『初めまして。この村の異能持ちの子ってきみで合ってる?』

 わたしの人生は、御影さまと出会ったことで始まった。だから終わる理由もあのひとがいい。――例え、もう二度と会えないとしても。

 雪が土に沈むようにじんわりと溶け、3度目の春を迎えようとしていた頃。
 黒蝶が、手紙を運んできた。
 御影さまが軍事施設から出られたら知らせるよう見張らせていた子だった。
 手紙には、細長くて綺麗な字でこう綴られていた。

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深月へ

連絡するのが遅くなってごめんね。何もかも突然のことで驚いたと思う。私が過去の話をしなかったばかりに、余計に混乱させたよね。

ここから話すのは、気になっているであろう私の生い立ち。でもとても長くなるから、読みたくなかったら読まなくていい。こんなの、ただの自己満足だから。

私は元々上流階級の生まれたんだ。まぁ異能が発現して5歳のときに軍に引き取られたから、もう家族の顔も元の自分の場所も覚えてないんだけどね。ただ、池に落ちそうだった姉を助けるために異能を使ったことだけは覚えてる。
軍での生活は、恐ろしいほど劣悪だった。
食事も労働もなかなかだったんだけど、特に研究のために使われてるときが一番辛かったかな。採取は血液、唾液などから始まり皮膚、爪、臓器の一部などへと回数を重ねるにつれより身体の深いところへ侵入していったし、ときにはよくわからない注射を打たれることもあった。まるで実験動物だよね。いや、彼らにとってはそれと同じか。なんせ名前では呼ばず被検体番号で管理しているのだから。

そう、あの日桂が呼んでいた「被検体番号03610」っていうのは、当時の私のことなんだ。

最初は軍のために働けると期待に胸を膨らませていた子も、いつしか虚ろな目をするようになる。使えなくなったらそこで終わり。大怪我を追った人や軍に反発した人はいつの間にか消えていた。殺されたのだろう、と当時の私は他人事のように考えていた。本当にそうだったらどれだけよかったか。
その実態を知ったのは10歳のとき。
密かに軍からの脱走計画を立てていた同期の男が盗んできた書類を見て戦慄した。使えなくなった異能力者は、惨い人体実験に使われるか、異能を奪われ上位階級または他国に奴隷として売られていたんだ。
この事実を知って私は急に怖くなった。
そして彼に私も脱走計画に加わりたいと伝えた日、私は軍人に捕まった。捕まえたのはあの桂という煙臭い男。
拷問されながら聞かされた話だけど、私に脱走を唆した彼は異分子を排除するべく紛れ込まされた間諜だったらしい。私はまんまとそれに引っかかったというわけだ。
捕られてから程なくして桂に言った。
「よかったな。お前は顔が良いから奴隷として貰い手が決まった。せいぜい御奉仕しろよ」と。黄色い歯が見え隠れする口から話された言葉に、頭が真っ白になった。奴隷として売られるということは、異能を奪われるということだから。
私の抵抗は全部他の異能力者によって抑えられ、私は異能を奪うという部屋全体を埋め尽くすほど大きな機械の前に立たされた。逃げ道なんてなくて、もう無理かもしれないって思った。でも機械が動き出す直前周りの異能力者たちが離れたから、その瞬間を突いて目の前の機械を壊して逃亡した。

こうして私の逃亡生活が始まったんだ。
あとはだいたい深月も知っている通り、異能を持つ子の保護を始めた。軍に連れていかれないように。
実は御影って名前も本名じゃなくて、適当につけた名前なんだよ。

どう? びっくりした?
やっぱり実際に書いてみると長くなってしまって、駄目だね。ごめん。

ところで、深月が最初にお願いしてきた日、覚えてる?
あのとき凄く驚いたんだ。まさか私といたいなんて言われると思ってもみなかったから。今までの子たちは大抵お菓子や新しい服や武器をお願いしてきたからさ。もちろんその子たちが駄目って言ってるわけじゃないよ。ただ、私個人を求められたのは初めてだったから、嬉しかったんだ。
その頃から、深月は私の中で特別だった。

その意味が大きく変わったのは、初めてくちづけをしたとき。……今、思い出して唇に触れたでしょ。私にはわかるよ。
まだまだ幼いと思っていた深月が、とても綺麗な女性になっていることに気づいて、愛おしくなったんだ。欲しい、だなんて無意識に思ったくらい。なんだろう。所有欲っていうのかな。私にはそういうのよくわからなくてね。今でもたまに自信がなくなるんだ。

正直、みんなに裏切られたって知ったときは、もう死んでもいいかなって思った。
私はみんなを軍から守りたかったけれど、それはただの利己心でしかなくて、本当は誰も望んでいなかったとしたら、私のしてきたことはなんだったんだろうって、桂と戦いながら自暴自棄になってた。
でも深月は最後まで私の味方でいてくれたよね。それどころか私に逃げてだなんて。
何も成せなかったと思っていた。全部無意味であのまま軍で野垂れ死んでいればよかったとすら思いかけていた中で、たったひとりだけ私の元に残ってくれたんだ。
私にはもう、きみさえいればいいって思った。

だから軍にあんな交渉を持ち上げたんだ。
軍が欲していたのは私の異能だからね。ああ言えば交渉できるってわかってた。
もう察してしまったかもしれないけど、軍から解放されるときには、私の異能は奪われているだろう。
だからもう、今までのようにきみを守ることはできない。
そんな私でも、一緒にいたいと思ってくれるなら、待っていて欲しい。
すぐ会いに行く。

御影
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「……あ」

 読み終える頃には涙が溢れていて、手紙にいくつもの染みを作っていた。
 軍によって苦しめられ、逃げた先で救った仲間には裏切られ、それでもわたしのために再び軍に戻った御影さま。
 そんな彼を、今すぐに抱きしめたくなった。
 どれほど辛かっただろう。わたしには想像もできない。
 わたしは自分ばかりが救われていて、なにも返せていないと思っていたけれど、わたしも、ちゃんと、御影さまを救えていたんだ。
 よかった。御影さまが、自分を独りだと思わなくて。
 御影さまは待っていてなんてお願いするようなことを書いていたけれど、そんなこと訊かなくても、わたしの望みはずっとひとつしかない。

『わたしは御影さまと一緒がいいのです』

 それさえ叶うなら、後はどうなろうと大丈夫だと、胸を張って言える。

 ――音がした。
 濡れた土の上を歩き、こちらへと向かってくる足音が。
 顔をあげると、大好きなひとが笑いかけてくれた。

「深月」

 以前と変わらない、わたしを包み込むような、やさしい声で。

「御影さま……!」

 裸足のまま駆け出し、わたしは御影さまに抱きついた。
 甘い薔薇の香りはもうしない。
 でも、確かなぬくもりがあった。

 しばらく抱きついたまま御影さまの存在を確かめて、少し落ち着いたところで、ようやく彼の顔を見上げた。
 そこでやっと気づいた。

「御影さま、その目……!」

 御影さまの右目に、黒い眼帯がつけられていた。
 真っ青になるわたしとは対照的に、御影さまはあぁ、となんてことないように眼帯に触れた。
 それからわたしを安心させるようにそっと頬を撫でた。

「大丈夫。まだ左目は残ってるし、右目の代わりは深月がしてくれるでしょう?」
「もちろんです。わたしがお支えします」

 淀みなくこぼれた言葉にありがとう、と言いながら、わたしの頬を両手で包む。

「いろいろ積もる話はあるけど、それよりも先に伝えたいことがあるんだ」

 御影さまはここで言葉を切り、おでこをこつん、と合わせた。
 吐息が触れる距離で、端正な口が弧を描く。

「深月、愛してるよ」

 私も愛していると言い切る前に、唇を塞がれた。
 焦がれていたからか、今まで数え切れないほど重ねてきた中で、いちばん、心が震えた。

「私と生きることを、選んでくれてありがとう」

 御影さまが幸せそうにそう言ってくださるから、わたしはなんだか涙があふれてきて、それさえも彼は愛おしいと、そっと拭ってくれた。
 視界の端では、黒蝶がふたりを祝福するように舞っていた。


〈了〉