■
次の日。
御影さまは予定通りお屋敷を発たれた。
今回の任務には【透明化】の異能を持つ櫻子と偵察に長けた数名が同行する。
人選を見るに昨日仰っていた異能を奪う機械について調べられるのだろう。
どうかご無事でと祈り、見送った。
御影さまがご不在の間はわたしがお屋敷を管理することになっている。
とは言っても、みんな自身の役割がなんなのか理解しているので任務ほど大変ではない。
とりあえず最近保護した子の様子を見に行こうと母屋の縁側を歩いていると、強烈な違和感に襲われた。
縁側を照らす陽の光がまっすぐ伸びている。水面みたいに揺れていない。
このお屋敷は結界で守られている。
だから、よくよく見ると空間の揺らぎがわかる。
そんな結界内で、光がまっすぐ届くわけがない。
これらのことからある結論に達し、目の前が真っ暗になる感覚を味わった。
結界が、機能していない。
考えるよりも先に足が動き出した。
足がもつれそうになりながらも、結界を展開するための部屋へと急ぐ。
心臓が鋭く跳ねる。
なんで、という乾いた声が口から滑り落ちる。
上手く働かない頭の隅で、昨晩の御影さまの言葉を思い出した。
『軍で開発された機械を使って、人から異能を奪うんだ』
わたしはその機械の効果は即発性だと思っていた。
でももし遅発性で、気づかないうちに異能を奪われていたとしたら。
『死にはしないけど、異能は二度と使えなくなるね』
わたしたちは終わる。
とにかく現状を把握しないと。
もしかしたら今日の担当の子が体調不良で倒れているとか、結界の引き継ぎが上手くいかなかったとか、対処しようのある問題が起きているだけかもしれない。
逸る心臓と浅くなる呼吸、それに伴って酸素。不安から涙も滲んできたけれど、わたしがこのお屋敷を守らないとと無理やり身を奮い立たせる。
曲がり角で勢いよく誰かとぶつかり、その拍子に腕を掴まれた。
「深月」
「虎太郎!」
そうだ。今日は虎太郎がいる。
虎太郎に情報共有して2人で対処にあたれば被害は最小限に済むかもしれない。
「虎太郎、ごめん急いでるから移動しながら話す」
移動を促すように掴まれた腕ごと引いたけれど、力強く掴まれ引っぱることができなかった。
「結界が機能してないんだろ」
バッと振り返ると、神妙な面持ちの虎太郎がわたしを正面から射抜いていた。
わかっているならなんでそんなに落ち着いてるの。
そう責める前に虎太郎が口を開く。
「安心しろ。そいつらはもう避難してるから」
「避難?」
「この前話しかけたこと、覚えてるか」
「なんでその話が出てくるの……?」
虎太郎が何を考えているのかわからなくて眉を顰める。わたしはそれよりも早く結界のことを何とかしないといけないのに。
虎太郎が深月、と意を決したようにわたしを見た。
「俺らと一緒に逃げる気はないか?」
その言葉を聞いたとき、鈍器で頭を殴られたときのような錯覚があった。
「なに、言ってるの。逃げるって、何から? まさか――」
「ここからだよ。この、屋敷から」
「正気!?」
腕を振りほどき、虎太郎に詰め寄る。
「ありえない。御影さまを裏切るの? あれだけ御影さまに――」
「っもううんざりなんだよ!!」
わたしの言葉を遮り虎太郎が激昂した。
「……え?」
「いつまで軍の奴らから逃げればいい? 戦えばいい? また仲間が死ぬかもしれない。そんなこと考えながら生きるのが嫌になったんだよ!! そりゃ御影さまには感謝してるよ。でももう無理だ。着いていけない」
初めて聞いた虎太郎の弱音。
こんな虎太郎知らない。なんでそれで御影さまを裏切ろうってなるのか理解できない。
頭が痛い。緊張と混乱で血管が擦り切れるほど収縮している。
虎太郎はなにかに縋るように笑いながら続けた。
「軍の奴らが言ったんだ。御影さまを捕らえるのに協力してくれたら、一定の身分は与えてくれるって。こんな生活におさらばできるんだよ」
――軍?
震える手をわたしに差し出す。
「な、深月も俺ら側に着けば――」
わたしは伸びてきた手を叩き落とした。
「わたしは、御影さまの味方だよ」
そう強く言い切った。
もう頭痛はしない。冷静に、感覚が研ぎ澄まされていく。
「だから、御影さまを裏切ることなんてしない。それに――」
虎太郎に手のひらを向ける。
「御影さまを裏切った貴方たちを、わたしは赦さない」
「待っ――」
わたしは虎太郎に黒蝶を放った。
せめて苦しまないようにと、一瞬で終わるように大量の蝶を。
誰もいなくなった廊下を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……御影さまのところに行かないと」
わたしにとって虎太郎はここに来て初めて声を掛けてくれた同期だった。任務にもよく一緒に行っていた。それなりに仲良かったと思う。
でも、わたしにとって御影さまより大切なひとはいないから。
「さようなら、虎太郎」
流れる涙を無視して、わたしは屋敷から飛び出した。
■
御影さまの後を追うために、空に向かって黒蝶を放つ。
朝に出発したばかりだし、そんな遠くには行っていないと思う。今から急いで向かえば追いつけるはず。
だが、目の前に見知った顔が現れ、足を止めてしまった。
「深月……!?」
結界の子たちだった。他にも、今日のお屋敷の警護を担当している子や、先日保護したばかりの子など、本来なら屋敷にいるはずの子たちがいる。
「なんでっ、虎太郎は!?」
「消した」
正直に答えると、みな一様にわたしから距離をとり臨戦態勢に入った。
――あぁ、なるほど。
元の計画では虎太郎がわたしを説得した後、この子たちと合流するつもりだったんだ。
「……みんな、御影さまを裏切るんだね」
心に翳りが差していく。
今まで御影さまが守ってきたものはなんだったんだろう。
「聞いて深月! 僕らはただ、もう戦いたくないだけなんだ。見逃してくれ!!」
「だから、御影さまを身代わりにするの?」
「わたくしたちは御影さまに騙されてたのよ!!」
騙されてた?
聞き捨てならない言葉を発した彼女に視線を向けると、大袈裟に肩を跳ね上げられた。
「ぐ、軍の方から聞いたのよ。御影さまは本当は極悪人で、異能力者を集めて国家転覆を企んでいるって……!」
そう語る彼女の年齢は12歳。確か、上流階級出身だった気がする。
おおかた軍の作った都合のいい物語に惑わされたのだろう。
「わたくしは本来なら軍に行くはずだったのに、その直前で御影さまに連れてこられて、訳もわからず軍と敵対させられて! なにが保護よ! こんなことなら、さっさと軍に行っておくんだった!!」
平和ボケした思想に吐き気がする。
わたしは彼女の胸ぐらを掴んだ。
「10年」
「っは?」
「わたしは10年も、村で監禁されていた」
彼女の目が大きく見開かれる。
「だから月すら見たことがなかったし、自分の名前も忌み子だって思ってた」
怯える彼女を無視してわたしは続ける。
「そんなわたしを助けたのは軍の奴らじゃない。御影さまだよ」
パッと手を離し、彼女を地面に落とした。腰を抜かしたのか、そのまま地面を這いずる様をただただ見下ろした。
「今まで何を見てきたの? 軍は異能の子を保護するとか体のいいこと言ってるけど、そんなの帝都だけの話だよ。地図でも省略されるようなちっぽけな場所にいる子は眼中にないの」
周りで息を呑む音がした。心当たりある子がいるんだ。
「御影さまは軍が気にもとめない遠くにいる子にも手を差し伸べられるの。そんなお方が、軍に引き取られる予定のあなたを連れ去った。なら、そうまでしても軍に行かせられない理由があるって考えるのが妥当じゃない?」
例えば、異能を奪う機械。その実験に使われるとか。
じり、と距離を詰めたとき、黒蝶が肩を留まった。御影さまの場所を突き止めたのだと、鱗粉越しに教えてくれる。
だったらもう、ここにいる必要はない。
「それは深月が気に入られてるからそう言えるんだ! いっつも1番なんだろ!?」
「どいて」
「悪いけど、御影さまの所へは行かせない。軍で安全な地位を手に入れる!」
わたしに立ち向かおうとする彼らを、愚かだと思った。
安全な場所ならあった。
それを捨てたのは彼らだ。
戦いたくない子はお屋敷で家事や全体の管理を担っていた。それを透明化して戦うのに疲れただなんて。
みんな大事なことを忘れている。
わたしがこの座にいるのは、御影さまに気にいられたからじゃない。
わたしがこの座にいるのは、異能の強さゆえだということを――。
「異能【黒蝶】」
次の日。
御影さまは予定通りお屋敷を発たれた。
今回の任務には【透明化】の異能を持つ櫻子と偵察に長けた数名が同行する。
人選を見るに昨日仰っていた異能を奪う機械について調べられるのだろう。
どうかご無事でと祈り、見送った。
御影さまがご不在の間はわたしがお屋敷を管理することになっている。
とは言っても、みんな自身の役割がなんなのか理解しているので任務ほど大変ではない。
とりあえず最近保護した子の様子を見に行こうと母屋の縁側を歩いていると、強烈な違和感に襲われた。
縁側を照らす陽の光がまっすぐ伸びている。水面みたいに揺れていない。
このお屋敷は結界で守られている。
だから、よくよく見ると空間の揺らぎがわかる。
そんな結界内で、光がまっすぐ届くわけがない。
これらのことからある結論に達し、目の前が真っ暗になる感覚を味わった。
結界が、機能していない。
考えるよりも先に足が動き出した。
足がもつれそうになりながらも、結界を展開するための部屋へと急ぐ。
心臓が鋭く跳ねる。
なんで、という乾いた声が口から滑り落ちる。
上手く働かない頭の隅で、昨晩の御影さまの言葉を思い出した。
『軍で開発された機械を使って、人から異能を奪うんだ』
わたしはその機械の効果は即発性だと思っていた。
でももし遅発性で、気づかないうちに異能を奪われていたとしたら。
『死にはしないけど、異能は二度と使えなくなるね』
わたしたちは終わる。
とにかく現状を把握しないと。
もしかしたら今日の担当の子が体調不良で倒れているとか、結界の引き継ぎが上手くいかなかったとか、対処しようのある問題が起きているだけかもしれない。
逸る心臓と浅くなる呼吸、それに伴って酸素。不安から涙も滲んできたけれど、わたしがこのお屋敷を守らないとと無理やり身を奮い立たせる。
曲がり角で勢いよく誰かとぶつかり、その拍子に腕を掴まれた。
「深月」
「虎太郎!」
そうだ。今日は虎太郎がいる。
虎太郎に情報共有して2人で対処にあたれば被害は最小限に済むかもしれない。
「虎太郎、ごめん急いでるから移動しながら話す」
移動を促すように掴まれた腕ごと引いたけれど、力強く掴まれ引っぱることができなかった。
「結界が機能してないんだろ」
バッと振り返ると、神妙な面持ちの虎太郎がわたしを正面から射抜いていた。
わかっているならなんでそんなに落ち着いてるの。
そう責める前に虎太郎が口を開く。
「安心しろ。そいつらはもう避難してるから」
「避難?」
「この前話しかけたこと、覚えてるか」
「なんでその話が出てくるの……?」
虎太郎が何を考えているのかわからなくて眉を顰める。わたしはそれよりも早く結界のことを何とかしないといけないのに。
虎太郎が深月、と意を決したようにわたしを見た。
「俺らと一緒に逃げる気はないか?」
その言葉を聞いたとき、鈍器で頭を殴られたときのような錯覚があった。
「なに、言ってるの。逃げるって、何から? まさか――」
「ここからだよ。この、屋敷から」
「正気!?」
腕を振りほどき、虎太郎に詰め寄る。
「ありえない。御影さまを裏切るの? あれだけ御影さまに――」
「っもううんざりなんだよ!!」
わたしの言葉を遮り虎太郎が激昂した。
「……え?」
「いつまで軍の奴らから逃げればいい? 戦えばいい? また仲間が死ぬかもしれない。そんなこと考えながら生きるのが嫌になったんだよ!! そりゃ御影さまには感謝してるよ。でももう無理だ。着いていけない」
初めて聞いた虎太郎の弱音。
こんな虎太郎知らない。なんでそれで御影さまを裏切ろうってなるのか理解できない。
頭が痛い。緊張と混乱で血管が擦り切れるほど収縮している。
虎太郎はなにかに縋るように笑いながら続けた。
「軍の奴らが言ったんだ。御影さまを捕らえるのに協力してくれたら、一定の身分は与えてくれるって。こんな生活におさらばできるんだよ」
――軍?
震える手をわたしに差し出す。
「な、深月も俺ら側に着けば――」
わたしは伸びてきた手を叩き落とした。
「わたしは、御影さまの味方だよ」
そう強く言い切った。
もう頭痛はしない。冷静に、感覚が研ぎ澄まされていく。
「だから、御影さまを裏切ることなんてしない。それに――」
虎太郎に手のひらを向ける。
「御影さまを裏切った貴方たちを、わたしは赦さない」
「待っ――」
わたしは虎太郎に黒蝶を放った。
せめて苦しまないようにと、一瞬で終わるように大量の蝶を。
誰もいなくなった廊下を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……御影さまのところに行かないと」
わたしにとって虎太郎はここに来て初めて声を掛けてくれた同期だった。任務にもよく一緒に行っていた。それなりに仲良かったと思う。
でも、わたしにとって御影さまより大切なひとはいないから。
「さようなら、虎太郎」
流れる涙を無視して、わたしは屋敷から飛び出した。
■
御影さまの後を追うために、空に向かって黒蝶を放つ。
朝に出発したばかりだし、そんな遠くには行っていないと思う。今から急いで向かえば追いつけるはず。
だが、目の前に見知った顔が現れ、足を止めてしまった。
「深月……!?」
結界の子たちだった。他にも、今日のお屋敷の警護を担当している子や、先日保護したばかりの子など、本来なら屋敷にいるはずの子たちがいる。
「なんでっ、虎太郎は!?」
「消した」
正直に答えると、みな一様にわたしから距離をとり臨戦態勢に入った。
――あぁ、なるほど。
元の計画では虎太郎がわたしを説得した後、この子たちと合流するつもりだったんだ。
「……みんな、御影さまを裏切るんだね」
心に翳りが差していく。
今まで御影さまが守ってきたものはなんだったんだろう。
「聞いて深月! 僕らはただ、もう戦いたくないだけなんだ。見逃してくれ!!」
「だから、御影さまを身代わりにするの?」
「わたくしたちは御影さまに騙されてたのよ!!」
騙されてた?
聞き捨てならない言葉を発した彼女に視線を向けると、大袈裟に肩を跳ね上げられた。
「ぐ、軍の方から聞いたのよ。御影さまは本当は極悪人で、異能力者を集めて国家転覆を企んでいるって……!」
そう語る彼女の年齢は12歳。確か、上流階級出身だった気がする。
おおかた軍の作った都合のいい物語に惑わされたのだろう。
「わたくしは本来なら軍に行くはずだったのに、その直前で御影さまに連れてこられて、訳もわからず軍と敵対させられて! なにが保護よ! こんなことなら、さっさと軍に行っておくんだった!!」
平和ボケした思想に吐き気がする。
わたしは彼女の胸ぐらを掴んだ。
「10年」
「っは?」
「わたしは10年も、村で監禁されていた」
彼女の目が大きく見開かれる。
「だから月すら見たことがなかったし、自分の名前も忌み子だって思ってた」
怯える彼女を無視してわたしは続ける。
「そんなわたしを助けたのは軍の奴らじゃない。御影さまだよ」
パッと手を離し、彼女を地面に落とした。腰を抜かしたのか、そのまま地面を這いずる様をただただ見下ろした。
「今まで何を見てきたの? 軍は異能の子を保護するとか体のいいこと言ってるけど、そんなの帝都だけの話だよ。地図でも省略されるようなちっぽけな場所にいる子は眼中にないの」
周りで息を呑む音がした。心当たりある子がいるんだ。
「御影さまは軍が気にもとめない遠くにいる子にも手を差し伸べられるの。そんなお方が、軍に引き取られる予定のあなたを連れ去った。なら、そうまでしても軍に行かせられない理由があるって考えるのが妥当じゃない?」
例えば、異能を奪う機械。その実験に使われるとか。
じり、と距離を詰めたとき、黒蝶が肩を留まった。御影さまの場所を突き止めたのだと、鱗粉越しに教えてくれる。
だったらもう、ここにいる必要はない。
「それは深月が気に入られてるからそう言えるんだ! いっつも1番なんだろ!?」
「どいて」
「悪いけど、御影さまの所へは行かせない。軍で安全な地位を手に入れる!」
わたしに立ち向かおうとする彼らを、愚かだと思った。
安全な場所ならあった。
それを捨てたのは彼らだ。
戦いたくない子はお屋敷で家事や全体の管理を担っていた。それを透明化して戦うのに疲れただなんて。
みんな大事なことを忘れている。
わたしがこの座にいるのは、御影さまに気にいられたからじゃない。
わたしがこの座にいるのは、異能の強さゆえだということを――。
「異能【黒蝶】」



