黒い薔薇に魅入られて

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「うあああ!! た、助けてく――」
「さようなら」

 逃げ惑う太った男に黒蝶を放ち、跡形もなく消し去った。
 今のは異能を持った子どもを違法に売買していたお金持ちのおじさん。今回の任務の標的だ。
 僅かに残った蝶の欠片を見つめながら、初めて人に蝶を向けた日を思い返した。

 あの後、軍人たちを葬った御影さまに、彼の置かれた状況を説明された。
 御影さまは異能を持つ子どもを保護している。
 わたしは良いことだと思ったけれど、国はそんな彼を良く思っていないらしい。
 国の法律では異能を持つ子どもは軍で保護される決まりになっている。
 だから御影さまのしていることは悪いことで、軍に追われている原因がそれなのだと。
 大方の説明を終えたところで、御影さまはこう言った。

『私と一緒にいればまた今日みたいなことが起きて、怖い思いをすることになるだろう。それどころか、また深月の手を汚すことになるかもしれない』

 語りかけるようにわたしの肩に置いた手に、力が篭もる。

『でも今ならまだ引き返せる。異能を持っていることを隠して施設に入れば、一定の生活は保証される』
『……みかげは?』
『私?』
『みかげとは、もう会えないの……?』

 御影さまはわたしを救ってくれた人。この人と離れるだなんて考えられない。
 だというのに、御影さまは眉を下げて微笑んだ。

『うん。私とはここでさよならだ』

 言葉すら攫うように、風がふたりの間を通り過ぎた。
 ――もう、みかげに会えたくなるの……?

『やだ。やだぁ……』

 考えただけで心が痛かった。
 今まで身体が痛めつけられることは何度もあった。その度に痛い思いをしてきたけれど、心が裂けそうなほど痛くなったのは初めてだ。
 顔に熱が篭もり、視界がぼやける。

『みかげといる。みかげいないのやだぁ』

 離れないと言わんばかりに白いシャツを掴み、幼子みたいに声を上げて泣いた。
 さっき軍人が現れたとき、確かに怖かった。でもそれは襲われることが怖かったんじゃない。御影さまに危害が加えられることが、なによりも怖かった。
 そんなことをつっかえながら話したんだと思う。最後にはやだを呟くだけになったわたしに御影さまが『本当にいいの?』と尋ねてきたので『いっしょがいい!』と即答すると、手を差し出された。

『じゃあ、家に帰ろうか』

 御影さまは穏やかに笑い、わたしもすっかり泣き止んで、ふたり手を繋いで歩いた。

 あれから5年。
 わたしは15歳、御影さまは17歳になった。
 御影さまのお家――と言うよりお屋敷――に着いてからは目まぐるしい日々だった。
 わたしと同じように保護された同年代の子との共同生活が始まったり、御影さまのお役に立つために異能を使った戦い方を教わったり、この国について学んだり。それに慣れ実力が着くと、今度は各地で異能を持つ子を保護したり、今回のように悪人を懲らしめたりすることになった。規模が大きくなるにつれ軍との衝突は増え、反社会的勢力【黒夜】と呼ばれるようになり、その中でもわたしは異能の強さから、今では御影さまに次ぐ危険人物として扱われている。
 これらを通して何人葬ったか、また、何人同胞を失ったのかもう覚えていない。
 あの村の人たちに蝶を放つ勇気すら持てなかった頃が嘘みたいに、御影さまの大義のためならわたしはなんでもできた。
 わたしに訪れた変化はそれだけじゃない。

「深月ー! そっちはもう終わったのー!?」
「早く帰ろうぜ」
「! うん」

 なんと友だちができた。
 2人ともわたしと同じくらいの時期に御影さまに助けられた女の子と男の子だ。目上の人には「さま」をつけ敬語で喋ることを教えてくれたのが櫻子(さくらこ)で、熱心に戦い方を教えてくれたのが虎太郎(こたろう)。今日の任務でも一緒だった。

 お屋敷に帰りながら、話題は今月の成果発表へと移った。
【黒夜】では月の終わりに、その月で1番活躍した人が御影さま直々に発表され、1つだけお願いをきいてもらえる。お願いの内容は個人で決められるため、みな必死に1番になろうとしているのだが……。
 わたしがこの座を、3年も独占している。

「今月1番活躍したのは――深月」

 お屋敷で最も大きな居間で、はっきりとそう告げられる。
 周りでまたかという空気が流れる中、「はい」と返事をして立ち上がると、御影さまと目が合って微笑まれた。

「おめでとう。よく頑張ったね」

 御影さまに褒められると、胸がいっぱいいっぱいになって、少し泣きそうになる。それと同時に、今月も御影さまの役に立てたという達成感と安堵感が全身を覆う。

「ありがとうございます……!」

 心からそう言うと、御影さまがわたしを認めたかのようにゆっくり頷いた。

 成果発表が終わり、他の子たちがちらほら持ち場に戻り始めた頃。櫻子がするりと腕に抱きついてきた。

「いいわよね深月は~。いっつもお願いきいてもらえて」

 羨ましげに言いつつも、その顔に不満はない。先ほどまた深月かという空気を流した人たちも悔しそうではあるが、納得はしているようだ。
 そうしていると「毎回毎回何をそんなにねだってるんだ?」と虎太郎が話に入ってきたので「内緒」と口に人差し指を当てて返した。2人からそれくらい教えてよと粘られたが、御影さま以外には言わないと決めている。

 わたしが初めて1番になれたのは、任務に参加し始めてから1年経った12歳のとき。
 どんなお願いをするかと問われたとき、わたしはこう答えた。
『御影さまとふたりきりの時間が欲しいです』と。
 御影さまは迷いなく言い切ったわたしを見て、目をぱちくりさせたあと『……私と?』とこぼした。

『本当にそんなことでいいの?』
『はい』

 わたしは強く頷き、御影さまの紅い瞳を見つめた。

『わたしは御影さまと一緒がいいのです』

 このお屋敷に帰ってきてから、御影さまとふたりの時間は目に見えて減った。
 わたしにとって御影さまは唯一無二の存在だけど、御影さまにとってわたしは自身が助けた数ある子のうちの1人に過ぎないから。
 わたしをお屋敷に送り届けたと思えば、数日後には他の子を保護するためにどこかへ行ってしまった。月末の成果発表会のときにはきちんと帰ってきてくれるけれど、数週間会えないことなんてざら。お屋敷で過ごしてるときだって毎日会えるわけじゃない。御影さまは多忙なのだ。
 過ごす空間も別々。御影さまは専用の離れで過ごされる。
 わたしは同じ部屋で眠り、隣を歩いた日々が恋しかった。
 だから頑張って頑張って任務をこなし、1番の座を手に入れたのだ。

 そんなことを並んで敷いた布団の中で話すと、御影さまは「ありがとう。こんなに穏やかな時間は久しぶりだ」とわたしの方に身体を向けて、そっと頭を撫でてくれた。

『次も深月が1番になってね。応援してるから』

 それからわたしのお願いはいつも同じ。
 御影さまとふたりきりの時間を過ごすこと。
 これ以外は何も望まない。

 すっかり思い出に浸っていると、櫻子は別件で席を外し、虎太郎と2人きりになっていた。
 虎太郎が改まったように口を開く。

「あのさ、深月」
「?」
「折り入って話したいことがあるんだけど――」

 わたしに耳打ちしようと近づいてきた、そのとき。

「深月」

 かたい声が広い空間を掌握した。声の方を振り返ると同時に肩を抱き寄せられる。

「御影さま」

 名前を呼べば、「2人でなんの話をしていたの?」と顔を覗き込まれた。ふわっと香る甘い薔薇の匂いと息を呑むほど綺麗な容姿に、頬が赤く染まるのが分かった。

「御影さまになんてお願いするのって訊かれてただけです」
「そう。それで?」
「内緒って言いました」

 遠慮がちに目だけで見上げつつ報告すると、御影さまは納得したように「そう」と頷き、虎太郎に視線を移した。

「ここはもういいから、早く任務に行きなさい」

 言葉遣いは決して厳しいものじゃない。だというのに、有無を言わせぬ威圧感があった。
 それを感じ取った虎太郎は「っはい。失礼します」と足早にここを去る。

「御影さま」
「ん?」

 呼びかければ、またいつもの穏やかな声に戻っていた。その表情はどこか満足しているように見えた。