縁側に座って月を眺めていると、決まってあのひとのことを思い出す。
月と同じ銀色の長い髪の毛をなびかせていたあのひとは、まだ、わたしに会いたいと思ってくれているでしょうか。
愛おしい名前を口のなかで転がしては呑み込んで。
思い出を何度も振り返っては夜を明かしていく。
■
冷たい床の上。埃っぽいそこに寝そべって何も考えずにぼーっとしていたらぎゅう、ぐうってお腹が鳴いた。すると音を聞きつけたみたいに、光が入らない暗い暗いここよりも深い黒を纏っている蝶がゆらゆらと飛んできて、わたしの手に止まった。ぽわっと淡い光が鱗粉みたいに舞う。わたしが見ることができる唯一の光がこれだ。ほわほわしててあったかい。
「……あり、がとう」
お腹が満たされお礼を言ったのと同時に、蝶は灰のように暗闇に溶けた。
一筋の光もささない、黒が全てを掌握する牢屋。
わたしは生まれたときからここにいた。
原因はわたしに異能【黒蝶】が発現したこと。わたしが生まれた村では異能を持った子どもは災いを引き起こす存在として忌み嫌われており、わたしの周りを飛ぶ黒蝶を見たことで村人たちが一斉に顔色を変え、わたしをここに幽閉したのだ。彼らはそのままわたしに餓死して欲しかったのだろう。でもわたしには黒蝶がいたから死ななかった。黒蝶がわたしに必要なものを鱗粉を通して渡してくれたから。お腹が空けば今みたいに栄養を運んできてくれたし、言葉とかなんでわたしがここにいるのかとか「なんで?」って訊いたら教えてくれた。ただ、年相応にすくすく成長したせいで村の人たちからはより気味悪がられたけれど、生きるためにはこうするしかなかった。――死ぬのは怖かった。
することもないのでまた眠ろうとしたとき、遠くからゆらゆらと提灯がこちらに向かってきているのが見えた。それだけで身体が固まって呼吸が浅くなる。また彼らがやってきた。
「おい、忌み子」
彼らは牢屋の前に立ち、下卑た笑みを浮かべてこう言った。
「湯浴みの時間だ」
途端、全身に冷水を浴びせられた。牢屋が開けられ、彼らが入ってくる。
「はは、忌み子のくせに寒がんのかよ」
「ほら得意の異能でも使ってみろ、よ!」
「っあ゛」
横腹を蹴られて声が漏れた。彼らは楽しそうに口角を上げ、ぐりぐりとお腹を押し潰してくる。口の中が酸っぱくなって、何かが込み上げてきた。
「おーっと、吐くんじゃねーよ。汚いから」
「っ!!」
頭を踏まれ、床に固定される。
「全く飯も与えてねーのに10年も生き延びてるとか、本当に気味が悪い」
「流石忌み子だな」
思いっきり蹴られ、壁に激突した。それでも彼らはわたしを虐めることを辞めない。
わたしと同じ歳くらいの彼らはこうしてわたしで憂さ晴らしをする。
なんでも、働きもせずに生きているわたしが憎いらしい。わたしを閉じ込めているのは村の人たちなのに。きっと村の人たちも彼らの行動は知っているだろう。知っていても止める気はない。あわよくばわたしの死を望んでいる。
異能を使えば彼らに対抗することくらい簡単だと思う。でも、もし使ってしまったら――。
グイッと髪を引っ張られ、強制的に目線を合わせられた。わたしの顔が気にいらなかったのか頬をはたかれる。
「いっ」
「ぼーっとすんな! こっちに集中しろ!!」
嫌だ。痛い。寒い。辛い。苦しい。わたしは一体いつまでこんな目に遭わなきゃいけないの?
「お前がいるせいでこの村が呪われてるって噂が立って縁談がダメになったんだ。死んで償え!!」
そんなの知らない。
わたしはただ異能を持って生まれただけ。誰にも酷いことなんてしてない。ただ黒蝶と生きているだけなのに。
「お前のせいだ、お前のせいで……!」
誰か、誰か。
「助け――」
そんな願いが通じたのだと思う。
不意に、目の前に光が射した。
「えっ」
「大丈夫かい?」
声の方をパッと見ると、音もなく消えた天井の縁に1人の男が立っていた。月の光に照られされ、銀色の長い髪の毛がぴかぴかとなびいている。わたしはそんな彼に一瞬で目を奪われた。
「誰だお前は!!」
「敵襲か!?!?」
わたしを虐めていた彼らも手を止め、彼に向かって刀を向けようとした、そのとき。銀髪の彼がパチッと指を鳴らしたと思えば、あっという間に彼らを拘束してしまった。身動きが取れなくなった彼らの周りには蔦がまとわりついている。そこから微かに甘い香りがした。これは――。
「異、能……?」
「そう」
とん、と軽やかに降りてきた彼は、わたしの前で膝をついた。
「初めまして。この村の異能持ちの子って君で合ってる?」
上手く言葉が出てこなくて、代わりにこくっと頷く。
わたし以外の異能持ちの人なんて初めて見た。
「きみ、名は?」
「な、まえ……」
「あぁ。周りからなんて呼ばれてた?」
「……忌み子」
そう、忌み子だ。
わたしはずっとそう呼ばれてきた。
わたしの答えが気に入らなかったのか、彼は眉を寄せた。
「そう。そうか。……そうだよ、ね」
その声は少しだけ震えていた。
――あぁ、違う。彼は機嫌を損ねたんじゃない。
もしかしたら彼は、わたしを哀れんでいるのかもしれない。
「行こう。ここは君にふさわしくない」
そう言って彼はわたしをひょいっと抱き上げた。また甘い香りが鼻をくすぐった。
「目、瞑ってて」
彼に言われた通り目を閉じるとまた視界が暗闇に包まれた。でも、怖くない。わたしを閉じ込めていた牢屋はもう壊された。だから目を開けたら光が見れると知っている。
僅かな浮遊感のあと、たん、たん、と規則正しく振動がやってきて、彼が歩いていることに気づいた。どこへ行くのだろうか。どこでもいい。ここから連れ出してくれるから、どこでも。
途中村の人たちの悲鳴や怒声が聞こえたし、なんだか嫌な匂いがしたけれど、それ以上に彼の息遣いや甘い香りに気を取られていた。
「もう開けていいよ」
優しい声に導かれ目を開けると、夜空に真ん丸な月が浮かんでいた。すべてを飲み込むような、圧倒的な輝きが眼前に広がっていて目が離せなくなる。
「きれい……!」
「……もしかして、月を見るのは初めて?」
「はい。でも、月、すきです」
「そっか」
まともに喋ったことがないから、口が上手く動かなくてもどかしい。助けてくれてありがとうとか、なんで助けてくれたの?とか、言いたいことはたくさんあるのに……。
ちらりと横顔を見れば、月明かりに照らされ、 彼の輪郭がはっきりと映しだされていた。瞳の色は紅色というらしい。わかんなくて首を傾げたら肩に留まった蝶がそっと教えてくれた。
このひとは、今まで見たどんなものよりも綺麗だ。
もちろん月も綺麗だけれど、その比じゃない。神様がいるのなら彼のようなひとをそう呼ぶのだろう。
そんなことを考えていると、彼と目が合って優しく微笑まれた。
「じゃあ今からきみの名前は深月だ」
「みつき……?」
「そう。次に名前を訊かれたら深月って答えるんだよ」
「! わかった!」
力強く頷くと、彼は「いい子だ」と頭を撫でてくれた。
心地よい風がさわさわと草木を揺らし、夜も更けていく。
「あなたのおなまえは?」
風に乗せてそう尋ねる。彼はややあって口を開いた。
「御影」
「みかげ……! み、がいっしょ」
「そうだね」
わたしをあの村から助けてくれた人、"みかげ"。
わたしに忌み子以外の呼び名をつけてくれたのも、こんなに優しくわたしに触れてくれてくれるのも、全部全部彼が初めてだ。
胸に暖かいものが広がって、思わずぎゅっと抱きつけば、彼は静かに口の端を持ち上げた。彼がすることなすことすべてが新鮮で、それを見ながらゆっくり眠りについた。だれかの腕の中で眠るなんて、生まれて初めてのことだった。
これがわたし――深月と御影さまの出会い。
月と同じ銀色の長い髪の毛をなびかせていたあのひとは、まだ、わたしに会いたいと思ってくれているでしょうか。
愛おしい名前を口のなかで転がしては呑み込んで。
思い出を何度も振り返っては夜を明かしていく。
■
冷たい床の上。埃っぽいそこに寝そべって何も考えずにぼーっとしていたらぎゅう、ぐうってお腹が鳴いた。すると音を聞きつけたみたいに、光が入らない暗い暗いここよりも深い黒を纏っている蝶がゆらゆらと飛んできて、わたしの手に止まった。ぽわっと淡い光が鱗粉みたいに舞う。わたしが見ることができる唯一の光がこれだ。ほわほわしててあったかい。
「……あり、がとう」
お腹が満たされお礼を言ったのと同時に、蝶は灰のように暗闇に溶けた。
一筋の光もささない、黒が全てを掌握する牢屋。
わたしは生まれたときからここにいた。
原因はわたしに異能【黒蝶】が発現したこと。わたしが生まれた村では異能を持った子どもは災いを引き起こす存在として忌み嫌われており、わたしの周りを飛ぶ黒蝶を見たことで村人たちが一斉に顔色を変え、わたしをここに幽閉したのだ。彼らはそのままわたしに餓死して欲しかったのだろう。でもわたしには黒蝶がいたから死ななかった。黒蝶がわたしに必要なものを鱗粉を通して渡してくれたから。お腹が空けば今みたいに栄養を運んできてくれたし、言葉とかなんでわたしがここにいるのかとか「なんで?」って訊いたら教えてくれた。ただ、年相応にすくすく成長したせいで村の人たちからはより気味悪がられたけれど、生きるためにはこうするしかなかった。――死ぬのは怖かった。
することもないのでまた眠ろうとしたとき、遠くからゆらゆらと提灯がこちらに向かってきているのが見えた。それだけで身体が固まって呼吸が浅くなる。また彼らがやってきた。
「おい、忌み子」
彼らは牢屋の前に立ち、下卑た笑みを浮かべてこう言った。
「湯浴みの時間だ」
途端、全身に冷水を浴びせられた。牢屋が開けられ、彼らが入ってくる。
「はは、忌み子のくせに寒がんのかよ」
「ほら得意の異能でも使ってみろ、よ!」
「っあ゛」
横腹を蹴られて声が漏れた。彼らは楽しそうに口角を上げ、ぐりぐりとお腹を押し潰してくる。口の中が酸っぱくなって、何かが込み上げてきた。
「おーっと、吐くんじゃねーよ。汚いから」
「っ!!」
頭を踏まれ、床に固定される。
「全く飯も与えてねーのに10年も生き延びてるとか、本当に気味が悪い」
「流石忌み子だな」
思いっきり蹴られ、壁に激突した。それでも彼らはわたしを虐めることを辞めない。
わたしと同じ歳くらいの彼らはこうしてわたしで憂さ晴らしをする。
なんでも、働きもせずに生きているわたしが憎いらしい。わたしを閉じ込めているのは村の人たちなのに。きっと村の人たちも彼らの行動は知っているだろう。知っていても止める気はない。あわよくばわたしの死を望んでいる。
異能を使えば彼らに対抗することくらい簡単だと思う。でも、もし使ってしまったら――。
グイッと髪を引っ張られ、強制的に目線を合わせられた。わたしの顔が気にいらなかったのか頬をはたかれる。
「いっ」
「ぼーっとすんな! こっちに集中しろ!!」
嫌だ。痛い。寒い。辛い。苦しい。わたしは一体いつまでこんな目に遭わなきゃいけないの?
「お前がいるせいでこの村が呪われてるって噂が立って縁談がダメになったんだ。死んで償え!!」
そんなの知らない。
わたしはただ異能を持って生まれただけ。誰にも酷いことなんてしてない。ただ黒蝶と生きているだけなのに。
「お前のせいだ、お前のせいで……!」
誰か、誰か。
「助け――」
そんな願いが通じたのだと思う。
不意に、目の前に光が射した。
「えっ」
「大丈夫かい?」
声の方をパッと見ると、音もなく消えた天井の縁に1人の男が立っていた。月の光に照られされ、銀色の長い髪の毛がぴかぴかとなびいている。わたしはそんな彼に一瞬で目を奪われた。
「誰だお前は!!」
「敵襲か!?!?」
わたしを虐めていた彼らも手を止め、彼に向かって刀を向けようとした、そのとき。銀髪の彼がパチッと指を鳴らしたと思えば、あっという間に彼らを拘束してしまった。身動きが取れなくなった彼らの周りには蔦がまとわりついている。そこから微かに甘い香りがした。これは――。
「異、能……?」
「そう」
とん、と軽やかに降りてきた彼は、わたしの前で膝をついた。
「初めまして。この村の異能持ちの子って君で合ってる?」
上手く言葉が出てこなくて、代わりにこくっと頷く。
わたし以外の異能持ちの人なんて初めて見た。
「きみ、名は?」
「な、まえ……」
「あぁ。周りからなんて呼ばれてた?」
「……忌み子」
そう、忌み子だ。
わたしはずっとそう呼ばれてきた。
わたしの答えが気に入らなかったのか、彼は眉を寄せた。
「そう。そうか。……そうだよ、ね」
その声は少しだけ震えていた。
――あぁ、違う。彼は機嫌を損ねたんじゃない。
もしかしたら彼は、わたしを哀れんでいるのかもしれない。
「行こう。ここは君にふさわしくない」
そう言って彼はわたしをひょいっと抱き上げた。また甘い香りが鼻をくすぐった。
「目、瞑ってて」
彼に言われた通り目を閉じるとまた視界が暗闇に包まれた。でも、怖くない。わたしを閉じ込めていた牢屋はもう壊された。だから目を開けたら光が見れると知っている。
僅かな浮遊感のあと、たん、たん、と規則正しく振動がやってきて、彼が歩いていることに気づいた。どこへ行くのだろうか。どこでもいい。ここから連れ出してくれるから、どこでも。
途中村の人たちの悲鳴や怒声が聞こえたし、なんだか嫌な匂いがしたけれど、それ以上に彼の息遣いや甘い香りに気を取られていた。
「もう開けていいよ」
優しい声に導かれ目を開けると、夜空に真ん丸な月が浮かんでいた。すべてを飲み込むような、圧倒的な輝きが眼前に広がっていて目が離せなくなる。
「きれい……!」
「……もしかして、月を見るのは初めて?」
「はい。でも、月、すきです」
「そっか」
まともに喋ったことがないから、口が上手く動かなくてもどかしい。助けてくれてありがとうとか、なんで助けてくれたの?とか、言いたいことはたくさんあるのに……。
ちらりと横顔を見れば、月明かりに照らされ、 彼の輪郭がはっきりと映しだされていた。瞳の色は紅色というらしい。わかんなくて首を傾げたら肩に留まった蝶がそっと教えてくれた。
このひとは、今まで見たどんなものよりも綺麗だ。
もちろん月も綺麗だけれど、その比じゃない。神様がいるのなら彼のようなひとをそう呼ぶのだろう。
そんなことを考えていると、彼と目が合って優しく微笑まれた。
「じゃあ今からきみの名前は深月だ」
「みつき……?」
「そう。次に名前を訊かれたら深月って答えるんだよ」
「! わかった!」
力強く頷くと、彼は「いい子だ」と頭を撫でてくれた。
心地よい風がさわさわと草木を揺らし、夜も更けていく。
「あなたのおなまえは?」
風に乗せてそう尋ねる。彼はややあって口を開いた。
「御影」
「みかげ……! み、がいっしょ」
「そうだね」
わたしをあの村から助けてくれた人、"みかげ"。
わたしに忌み子以外の呼び名をつけてくれたのも、こんなに優しくわたしに触れてくれてくれるのも、全部全部彼が初めてだ。
胸に暖かいものが広がって、思わずぎゅっと抱きつけば、彼は静かに口の端を持ち上げた。彼がすることなすことすべてが新鮮で、それを見ながらゆっくり眠りについた。だれかの腕の中で眠るなんて、生まれて初めてのことだった。
これがわたし――深月と御影さまの出会い。



