出席番号順に上から下へ、左から右へ並べられたクラスの靴箱。転校生の俺に与えられたのは一番下だ。
これが、けっこうつらい。しゃがむ動作がなかなか脚に負担がくる。
空いている靴箱はあるけど、ここを使ってもいいのか訊ける友達が俺にはいないから、黙って一番下を使うしかない。
ため息が自然と口からこぼれた、そんなときだった。
「三角くん? なに先に帰ろうとしてんの」
しゃがんでいる俺に肩を組んでくる男がいた。
友達のいないこんな俺でも、話しかけてくる物好きはいる。弱い蛍光灯の光でも赤色がわかるサラサラヘアーを揺らす清瀬流楓からは、香水の匂いがした。
甘い香り。女性がつけてもおかしくないそれを知って、変な気分になった。
「なにって、べつにいいだろ」
「いっしょに帰ろうって約束したじゃん」
「してねえよ」
約束ってのが、片方が一方的に発言しただけでも結ばれるのだとしたら、そうと言えるかもしれない。
けど、俺としては双方が同意しないかぎりは約束と呼びたくないので、結果、いっしょに帰る約束などしていない。
スニーカーを放り投げ、右足を押し込む。
さっさと逃げてしまおうと思った。面倒くさいやつに捕まった、とも思った。
しかし、俺がスニーカーを履くのに苦戦している間にローファーの清瀬は履き終わっていて、昇降口を並んで出てしまった。
「どっち方面?」
校門を出て最初の分かれ道。右に行けばボーリング場のある大原方面で、左に行けば駅のある西岸方面だ。
俺は――。
「西岸」
「お、またまたいっしょ。やっぱ運命だわ」
「だからやめろって、それ。キモいから」
「いいじゃん、運命。俺は信じてるよ」
ケラケラと笑う声には中身を感じられなかった。まるで空っぽ。
どういうつもりなのかもわからない。
俺は昨日から、男に運命をちらつかされている。
同じ日に生まれ、同じ身長に育った相手は、俺が転校してきた一ヶ月後に転校するクラスの人気者。それがこいつだ。
たまたま生年月日が同じだからって、たまたま身体の高さが同じだからって、たまたま転校時期が被ったからってこんなの人生に一度はある偶然だと主張しても、世界はそれを運命と呼ぶんだぜと言い張って聞かない。
なんなら、運命だって証明してやるよと言われた。
「今日さ、俺、行きたいところがあるんだ」
「勝手に行けよ」
「そんなこと言わずについてきてよ」
半ば強制的に、清瀬に巻き込まれることになった。
清瀬にはなんていうか、一軍が三軍をおもちゃにするような、そんな軽薄さをうっすらと感じる。
それと同時に、なにを言っても聞かないしつこさのようなものも感じるので、面倒くさかった。非常に。
対応を間違えると執着されそうな気がする。
清瀬に連れてこられた場所を目の前にして、本当にこういう場所があったのかと感嘆の息が洩れた。
街中に堂々とある二面のバスケットコート。フェンスで囲まれていて、誰でも出入り自由なのか注意書きのような看板が見当たらない。
ストリートバスケで使われるコートだ。
二面のうち一面は中学生らしき男子グループが使っていて、もう片面は小学生グループが使っている。
小学生グループが使っているほうのコートには、ゴールリングがなかった。
「よう、おまえら」
と、まるで友達のように清瀬が話しかけたのは、ゴールのないコートでバスケをしている小学生グループのほうだった。
「なんでこっちにいんの? いつものドーナツコートは?」
「先に中学生に取られちゃった。だから、エンゼルコートで仕方なくバスケしてる」
リングがあるほうをドーナツコート、リングがないほうをエルゼルコートと呼んでいるらしい。
エンゼル……なるほど。穴の有無を、某ドーナツショップの商品名に例えているのか。
「ゴールがなきゃ意味ねえじゃんか。そうだ! ポートボールやろうぜ」
「ポートボール? でも、ゴールの台ないよ」
「ゴールは俺らがやるから、おまえら思いっきり楽しめ!」
「ちょっと待て」
聞き捨てならない言葉が聞こえて、とっさに口を挟んだ。
「俺らって……」
「俺と三角に決まってんじゃん。ゴールは二人いなきゃいけないだろ。同じ身長でハンデはなし。ポートボールのゴールなら動かなくていいだろ?」
清瀬はぐっと顔を近づけて。
「子どもたちのためだよ、三角くん」
くそ、騙された! 出汁に使うものが卑怯すぎる!
完全に逃げ場を塞がれて、反論も否定も拒否も許されなくされた。
「よし、やるぞガキども! 二チームに分かれろ!」
清瀬のかけ声で子どもたちが二つのチームに分かれた。
それぞれ位置について、ゲームの火蓋が切られた。
小学生の没入する力は侮れない。
清瀬の思いつきで始まったあそびだが、ひたむきに取り組んでいる。
ゴール役はただ立っているだけでいいとはいえ、ボールを投げられたらなにがなんでも受け止めてやる、という気にさせてくる。
小学生のひたむきさが伝染したのは俺だけじゃない。清瀬もだった。
「おい、流楓兄ちゃん。ちゃんと取ってよ。図体がでかいだけかー?」
「うるせ。ちゃんと投げないほうが悪い!」
小学生の挑発に簡単に乗ってしまう、高校生の清瀬。
伝染したわけではなく、もともとこういう性格なのかもしれない。
「子ども相手に大人げないぞ、清瀬」
「子どもとか関係ねえよ」
「ぼく、そっちの兄ちゃんチームがよかった」
子どもに舐められている清瀬を見て、笑いがこみ上げてくる。
心の底から笑えて、顔が引きつって痛い。アホすぎる。ざまあねえな。
「三角、笑ってんじゃねえよ!」
結局、勝利したのは俺のチームだった。
一戦やって、となりの中学生が帰ったので、俺たちは小学生グループに別れを言ってバスケットコートをあとにした。
その帰り道。俺は腕をぐっと伸ばした。
「ひさしぶりに運動した」
「俺らは動いてないけどな」
それでも、俺にとっては運動のうちに入る。
球技に参加すること自体がひさしぶりだったのだから。
「あいつら、よくここにいんだよ。暇だったら、たまにようす見に行ってやって」
「それが目的か……」
なんで俺を誘ったのか。清瀬は、知り合いの子どもたちを紹介したかったのだ。
それが俺のためなのか、子どもたちのためなのかはわからないけれど。
「俺となんかより、クラスのみんなと帰れば?」
「なんで? 俺が誰と帰ろうが俺の自由でしょ」
「自由だけど……」
そういうことじゃない。
「向こうにとっては、そんなの知ったこっちゃねえんじゃねーの」
「向こう?」
「おまえの転校を悲しんでるクラスのやつら」
「ああ、あいつらね」
さっき教室を出るとき、清瀬がクラスメイトたちに誘われているのを見た。これからボーリング行こうぜ、と言われていた。
だから、清瀬からいっしょに帰ろうと誘われていたけど、無視して教室を出てきたのだ。
まさか追いかけられるとは思ってなかった。
「どう考えたって、あっち優先なんじゃねえの。二日、三日のクラスメイトより、二年間の友達だろ」
俺だったら迷わずそうするのだが、清瀬はうーんと唸って、頭の後ろで手を組んだ。
「俺、ああいう雰囲気苦手なんだよなあ」
「苦手とかあんの?」
思わず聞き返していた。
「湿っぽいのがむり。あ、行くの? じゃね。てな感じで送り出してほしいよね」
「いや、俺に同意をもとめられても……」
「それにさ、今時SNSがあれば無敵じゃん? なのに、大げさなのはどうよって思うわけ」
どうだろう。俺が前の学校を離れて三ヶ月が経つけど、すでに友達と距離を感じている。
つい先日、友人から彼女ができたと報告を受けたときのことだ。
俺はそれを、友人から電話がくるよりも先にSNSの投稿で知った。自分だけに向けた言葉じゃなくて、全世界に向けた言葉で知ったのだ。
それを俺も、寂しいとは思わなかった。離れているな、と漠然と感じるだけだった。
転校が伸びて、実際に町を離れるギリギリまで会っていたのに。
距離があると、SNSだけが唯一のつながりになって、その心許なさが身にしみる。
物理的な距離と心の距離は、イコールで結ばれるのだと思う。
ただ、その本音をここで清瀬にぶつける気にはならなかった。
今日は楽しかったけど、それと清瀬との距離感は関係ない。
学校の前の道をまっすぐに歩くと、大通りにぶつかる。
信号を渡って車の流れにあらがうように歩いていると、脳内に早押しボタンがフラッシュバックした。
「ん、サイレンだ」
清瀬に言われて気づいたのは、フラッシュバックから「そういえば、今日のクイズ番組を録画するよう母さんに頼まれたなあ」と思い出したあと。
脳内に映し出された赤いものは早押しボタンではなく、救急車やパトカーの上についているあれだった。
あまりに遠くてなんとなくでしか拾えなかった音が、だんだんと近づいてくる。アナウンスの声も聞こえるようになった。
進もうとしていた方向の信号が赤色なので必然的に立ち止まり、反対側の信号が青に切り替わるのを確認した。もちろん、車は動こうとしない。
しかし、赤信号待ちしていた歩行者の老人――と、言うと失礼にあたるかもしれない。黒髪に白髪がちらちら混じっているが、見たところ俺の父親と同じ年代くらいのおじさんが、信号が青になったのを見て渡ろうとしていた。
サイレンが鳴り響いてアナウンスも聞こえるけど、たしかに緊急車両の姿はまだ確認できない。
どこへ向こうとしているのかも、正直わからない。
だからといって――。
うわ、と清瀬が声を洩らした。顔をゆがめるようにしかめている。
同じ高さから見るそれは、ゆがんでいると思えないくらいキレイではあったけど。
俺は大きな一歩を踏み出して、おじさんの腕を掴んだ。
背中越しではわからなかった顔面が、思いのほか傷だらけで怖く、つい怯んでしまった。
ただでさえ強烈な印象を受ける顔が、驚きを抑えようときつく引き締まっているのだから余計に怖い。
「ごめんなさい。サイレン鳴ってます」
俺の言葉におじさんは小さく「あ?」と言った。
戸惑いを見せるときの「あ」ではない。ただその音を発するしかないときの「あ」だ。
表情も変わらない。それで確信した。
指を交差点に向ける。
ちょうど救急車が中央に差しかかったところで、おじさんは白と赤の車両を確認してようやく、ふわっと表情をやわらげた。
本当に、ふわっという擬音を当てはめたくなるようなやわらかい表情だった。
救急車が曲がってきて、おじさんの後ろを通り過ぎる。
「ありがとう」
サイレンの音にかき消されそうになった声は、ぎこちなかった。聞き取りづらかったけど、口もとは絶対にそう動いていた。
おじさんが横断歩道を渡りきったのを確認してから、俺は信号を待つ。
「よくわかったな」
と、清瀬がとなりに並んだ。
「なにが?」
「おっさん。耳が聞こえないって」
「べつにわかったわけじゃない」
「なのに、引き止めたの? 俺、てっきり自己中なイカれた大人かと思ったわ」
「まあ、その可能性もあったけど」
後ろ姿を見ただけでは、おじさんがどういうつもりなのかはわからなかった。清瀬の言うとおり、まだ救急車が見えてないからと過信して、信号を渡ろうとしている可能性は大いにあった。
「それなら、それでもよかった」
「もし注意したら逆ギレされるんじゃないかって怖くね?」
「怖いな」
振り返った瞬間におじさんが殴りかかってくる。もしくは、うるせえと怒鳴り散らされる。
大の大人に一方的にやられる状況を想像したら、怖いというより惨めになるかもしれないと思った。そうならなくてよかったと、安堵すら覚える。
「俺も少し前までだったら、ああいうとき声かけてなかったよ。自分勝手だとか、事故に遭ったら責任とれるのかとか、思ってたかもな」
でも、とまわりに気をつけてから右足を踏み出した。信号が青に変わっている。
「本当に気づいてない可能性だってあるわけで。だったら、声をかける以外の選択肢はないだろ。そうだったときのほうが怖えーよ」
見ず知らずの人から一方的に怒鳴られる恐怖よりも、目の前でなんの罪もない人が轢かれるほうが、比べるまでもなく怖いと思った。
だから、声をかけた。
横断歩道を真ん中まで進んだところで、清瀬がついてきていないのに気づいた。
振り返ると、清瀬はその場に立ち尽くしたまま。しかし、なにか現実離れしたものを目の当たりにしているかのような顔で立っている。
なにしてるんだよと声をかければ、はっとしたように歩き出した。
そして、並ぶとまた俺の肩に腕をまわしてきた。
「だからやめろって」
「あ、ごめん。これもダメ?」
「ダメっていうか、近いんだよ」
これまでの俺のまわりにはこういう距離の詰め方をしてくるやつがいなかったから、清瀬のパーソナルスペースの狭さに驚くしかない。
「三角。おまえ、いいやつだな」
肩を組んだまま。俺の顔のすぐそばで、清瀬のキレイな顔が無邪気に笑う。
「やっぱり運命だと思うわ。このタイミングで三角に出会えたことは、やっぱり運命だよ」
幾度となく聞いた安っぽい運命の言葉。清瀬の運命はその辺に転がってそうだ。
なのに、その運命だけは不思議と重量を感じられた。
ふいに、清瀬の笑顔にかげが落ちる。
それは、晴れの日に雲がかかってかげができるようなわかりやすいものではなくて、晴れているのになぜか雨が降っているような表情。
状況の不一致さに頭がバグりそうになった。
「おまえに頼みたいことがあるんだけど、いい?」
清瀬は一言。神妙な声色でそう言った。
これが、けっこうつらい。しゃがむ動作がなかなか脚に負担がくる。
空いている靴箱はあるけど、ここを使ってもいいのか訊ける友達が俺にはいないから、黙って一番下を使うしかない。
ため息が自然と口からこぼれた、そんなときだった。
「三角くん? なに先に帰ろうとしてんの」
しゃがんでいる俺に肩を組んでくる男がいた。
友達のいないこんな俺でも、話しかけてくる物好きはいる。弱い蛍光灯の光でも赤色がわかるサラサラヘアーを揺らす清瀬流楓からは、香水の匂いがした。
甘い香り。女性がつけてもおかしくないそれを知って、変な気分になった。
「なにって、べつにいいだろ」
「いっしょに帰ろうって約束したじゃん」
「してねえよ」
約束ってのが、片方が一方的に発言しただけでも結ばれるのだとしたら、そうと言えるかもしれない。
けど、俺としては双方が同意しないかぎりは約束と呼びたくないので、結果、いっしょに帰る約束などしていない。
スニーカーを放り投げ、右足を押し込む。
さっさと逃げてしまおうと思った。面倒くさいやつに捕まった、とも思った。
しかし、俺がスニーカーを履くのに苦戦している間にローファーの清瀬は履き終わっていて、昇降口を並んで出てしまった。
「どっち方面?」
校門を出て最初の分かれ道。右に行けばボーリング場のある大原方面で、左に行けば駅のある西岸方面だ。
俺は――。
「西岸」
「お、またまたいっしょ。やっぱ運命だわ」
「だからやめろって、それ。キモいから」
「いいじゃん、運命。俺は信じてるよ」
ケラケラと笑う声には中身を感じられなかった。まるで空っぽ。
どういうつもりなのかもわからない。
俺は昨日から、男に運命をちらつかされている。
同じ日に生まれ、同じ身長に育った相手は、俺が転校してきた一ヶ月後に転校するクラスの人気者。それがこいつだ。
たまたま生年月日が同じだからって、たまたま身体の高さが同じだからって、たまたま転校時期が被ったからってこんなの人生に一度はある偶然だと主張しても、世界はそれを運命と呼ぶんだぜと言い張って聞かない。
なんなら、運命だって証明してやるよと言われた。
「今日さ、俺、行きたいところがあるんだ」
「勝手に行けよ」
「そんなこと言わずについてきてよ」
半ば強制的に、清瀬に巻き込まれることになった。
清瀬にはなんていうか、一軍が三軍をおもちゃにするような、そんな軽薄さをうっすらと感じる。
それと同時に、なにを言っても聞かないしつこさのようなものも感じるので、面倒くさかった。非常に。
対応を間違えると執着されそうな気がする。
清瀬に連れてこられた場所を目の前にして、本当にこういう場所があったのかと感嘆の息が洩れた。
街中に堂々とある二面のバスケットコート。フェンスで囲まれていて、誰でも出入り自由なのか注意書きのような看板が見当たらない。
ストリートバスケで使われるコートだ。
二面のうち一面は中学生らしき男子グループが使っていて、もう片面は小学生グループが使っている。
小学生グループが使っているほうのコートには、ゴールリングがなかった。
「よう、おまえら」
と、まるで友達のように清瀬が話しかけたのは、ゴールのないコートでバスケをしている小学生グループのほうだった。
「なんでこっちにいんの? いつものドーナツコートは?」
「先に中学生に取られちゃった。だから、エンゼルコートで仕方なくバスケしてる」
リングがあるほうをドーナツコート、リングがないほうをエルゼルコートと呼んでいるらしい。
エンゼル……なるほど。穴の有無を、某ドーナツショップの商品名に例えているのか。
「ゴールがなきゃ意味ねえじゃんか。そうだ! ポートボールやろうぜ」
「ポートボール? でも、ゴールの台ないよ」
「ゴールは俺らがやるから、おまえら思いっきり楽しめ!」
「ちょっと待て」
聞き捨てならない言葉が聞こえて、とっさに口を挟んだ。
「俺らって……」
「俺と三角に決まってんじゃん。ゴールは二人いなきゃいけないだろ。同じ身長でハンデはなし。ポートボールのゴールなら動かなくていいだろ?」
清瀬はぐっと顔を近づけて。
「子どもたちのためだよ、三角くん」
くそ、騙された! 出汁に使うものが卑怯すぎる!
完全に逃げ場を塞がれて、反論も否定も拒否も許されなくされた。
「よし、やるぞガキども! 二チームに分かれろ!」
清瀬のかけ声で子どもたちが二つのチームに分かれた。
それぞれ位置について、ゲームの火蓋が切られた。
小学生の没入する力は侮れない。
清瀬の思いつきで始まったあそびだが、ひたむきに取り組んでいる。
ゴール役はただ立っているだけでいいとはいえ、ボールを投げられたらなにがなんでも受け止めてやる、という気にさせてくる。
小学生のひたむきさが伝染したのは俺だけじゃない。清瀬もだった。
「おい、流楓兄ちゃん。ちゃんと取ってよ。図体がでかいだけかー?」
「うるせ。ちゃんと投げないほうが悪い!」
小学生の挑発に簡単に乗ってしまう、高校生の清瀬。
伝染したわけではなく、もともとこういう性格なのかもしれない。
「子ども相手に大人げないぞ、清瀬」
「子どもとか関係ねえよ」
「ぼく、そっちの兄ちゃんチームがよかった」
子どもに舐められている清瀬を見て、笑いがこみ上げてくる。
心の底から笑えて、顔が引きつって痛い。アホすぎる。ざまあねえな。
「三角、笑ってんじゃねえよ!」
結局、勝利したのは俺のチームだった。
一戦やって、となりの中学生が帰ったので、俺たちは小学生グループに別れを言ってバスケットコートをあとにした。
その帰り道。俺は腕をぐっと伸ばした。
「ひさしぶりに運動した」
「俺らは動いてないけどな」
それでも、俺にとっては運動のうちに入る。
球技に参加すること自体がひさしぶりだったのだから。
「あいつら、よくここにいんだよ。暇だったら、たまにようす見に行ってやって」
「それが目的か……」
なんで俺を誘ったのか。清瀬は、知り合いの子どもたちを紹介したかったのだ。
それが俺のためなのか、子どもたちのためなのかはわからないけれど。
「俺となんかより、クラスのみんなと帰れば?」
「なんで? 俺が誰と帰ろうが俺の自由でしょ」
「自由だけど……」
そういうことじゃない。
「向こうにとっては、そんなの知ったこっちゃねえんじゃねーの」
「向こう?」
「おまえの転校を悲しんでるクラスのやつら」
「ああ、あいつらね」
さっき教室を出るとき、清瀬がクラスメイトたちに誘われているのを見た。これからボーリング行こうぜ、と言われていた。
だから、清瀬からいっしょに帰ろうと誘われていたけど、無視して教室を出てきたのだ。
まさか追いかけられるとは思ってなかった。
「どう考えたって、あっち優先なんじゃねえの。二日、三日のクラスメイトより、二年間の友達だろ」
俺だったら迷わずそうするのだが、清瀬はうーんと唸って、頭の後ろで手を組んだ。
「俺、ああいう雰囲気苦手なんだよなあ」
「苦手とかあんの?」
思わず聞き返していた。
「湿っぽいのがむり。あ、行くの? じゃね。てな感じで送り出してほしいよね」
「いや、俺に同意をもとめられても……」
「それにさ、今時SNSがあれば無敵じゃん? なのに、大げさなのはどうよって思うわけ」
どうだろう。俺が前の学校を離れて三ヶ月が経つけど、すでに友達と距離を感じている。
つい先日、友人から彼女ができたと報告を受けたときのことだ。
俺はそれを、友人から電話がくるよりも先にSNSの投稿で知った。自分だけに向けた言葉じゃなくて、全世界に向けた言葉で知ったのだ。
それを俺も、寂しいとは思わなかった。離れているな、と漠然と感じるだけだった。
転校が伸びて、実際に町を離れるギリギリまで会っていたのに。
距離があると、SNSだけが唯一のつながりになって、その心許なさが身にしみる。
物理的な距離と心の距離は、イコールで結ばれるのだと思う。
ただ、その本音をここで清瀬にぶつける気にはならなかった。
今日は楽しかったけど、それと清瀬との距離感は関係ない。
学校の前の道をまっすぐに歩くと、大通りにぶつかる。
信号を渡って車の流れにあらがうように歩いていると、脳内に早押しボタンがフラッシュバックした。
「ん、サイレンだ」
清瀬に言われて気づいたのは、フラッシュバックから「そういえば、今日のクイズ番組を録画するよう母さんに頼まれたなあ」と思い出したあと。
脳内に映し出された赤いものは早押しボタンではなく、救急車やパトカーの上についているあれだった。
あまりに遠くてなんとなくでしか拾えなかった音が、だんだんと近づいてくる。アナウンスの声も聞こえるようになった。
進もうとしていた方向の信号が赤色なので必然的に立ち止まり、反対側の信号が青に切り替わるのを確認した。もちろん、車は動こうとしない。
しかし、赤信号待ちしていた歩行者の老人――と、言うと失礼にあたるかもしれない。黒髪に白髪がちらちら混じっているが、見たところ俺の父親と同じ年代くらいのおじさんが、信号が青になったのを見て渡ろうとしていた。
サイレンが鳴り響いてアナウンスも聞こえるけど、たしかに緊急車両の姿はまだ確認できない。
どこへ向こうとしているのかも、正直わからない。
だからといって――。
うわ、と清瀬が声を洩らした。顔をゆがめるようにしかめている。
同じ高さから見るそれは、ゆがんでいると思えないくらいキレイではあったけど。
俺は大きな一歩を踏み出して、おじさんの腕を掴んだ。
背中越しではわからなかった顔面が、思いのほか傷だらけで怖く、つい怯んでしまった。
ただでさえ強烈な印象を受ける顔が、驚きを抑えようときつく引き締まっているのだから余計に怖い。
「ごめんなさい。サイレン鳴ってます」
俺の言葉におじさんは小さく「あ?」と言った。
戸惑いを見せるときの「あ」ではない。ただその音を発するしかないときの「あ」だ。
表情も変わらない。それで確信した。
指を交差点に向ける。
ちょうど救急車が中央に差しかかったところで、おじさんは白と赤の車両を確認してようやく、ふわっと表情をやわらげた。
本当に、ふわっという擬音を当てはめたくなるようなやわらかい表情だった。
救急車が曲がってきて、おじさんの後ろを通り過ぎる。
「ありがとう」
サイレンの音にかき消されそうになった声は、ぎこちなかった。聞き取りづらかったけど、口もとは絶対にそう動いていた。
おじさんが横断歩道を渡りきったのを確認してから、俺は信号を待つ。
「よくわかったな」
と、清瀬がとなりに並んだ。
「なにが?」
「おっさん。耳が聞こえないって」
「べつにわかったわけじゃない」
「なのに、引き止めたの? 俺、てっきり自己中なイカれた大人かと思ったわ」
「まあ、その可能性もあったけど」
後ろ姿を見ただけでは、おじさんがどういうつもりなのかはわからなかった。清瀬の言うとおり、まだ救急車が見えてないからと過信して、信号を渡ろうとしている可能性は大いにあった。
「それなら、それでもよかった」
「もし注意したら逆ギレされるんじゃないかって怖くね?」
「怖いな」
振り返った瞬間におじさんが殴りかかってくる。もしくは、うるせえと怒鳴り散らされる。
大の大人に一方的にやられる状況を想像したら、怖いというより惨めになるかもしれないと思った。そうならなくてよかったと、安堵すら覚える。
「俺も少し前までだったら、ああいうとき声かけてなかったよ。自分勝手だとか、事故に遭ったら責任とれるのかとか、思ってたかもな」
でも、とまわりに気をつけてから右足を踏み出した。信号が青に変わっている。
「本当に気づいてない可能性だってあるわけで。だったら、声をかける以外の選択肢はないだろ。そうだったときのほうが怖えーよ」
見ず知らずの人から一方的に怒鳴られる恐怖よりも、目の前でなんの罪もない人が轢かれるほうが、比べるまでもなく怖いと思った。
だから、声をかけた。
横断歩道を真ん中まで進んだところで、清瀬がついてきていないのに気づいた。
振り返ると、清瀬はその場に立ち尽くしたまま。しかし、なにか現実離れしたものを目の当たりにしているかのような顔で立っている。
なにしてるんだよと声をかければ、はっとしたように歩き出した。
そして、並ぶとまた俺の肩に腕をまわしてきた。
「だからやめろって」
「あ、ごめん。これもダメ?」
「ダメっていうか、近いんだよ」
これまでの俺のまわりにはこういう距離の詰め方をしてくるやつがいなかったから、清瀬のパーソナルスペースの狭さに驚くしかない。
「三角。おまえ、いいやつだな」
肩を組んだまま。俺の顔のすぐそばで、清瀬のキレイな顔が無邪気に笑う。
「やっぱり運命だと思うわ。このタイミングで三角に出会えたことは、やっぱり運命だよ」
幾度となく聞いた安っぽい運命の言葉。清瀬の運命はその辺に転がってそうだ。
なのに、その運命だけは不思議と重量を感じられた。
ふいに、清瀬の笑顔にかげが落ちる。
それは、晴れの日に雲がかかってかげができるようなわかりやすいものではなくて、晴れているのになぜか雨が降っているような表情。
状況の不一致さに頭がバグりそうになった。
「おまえに頼みたいことがあるんだけど、いい?」
清瀬は一言。神妙な声色でそう言った。



