予想外の言葉に、開いた口が塞がらない。思わず目の前の顔をガン見するが、その整った容姿は寸分違わずいつも見慣れたものだ。
それでも優は、冗談でも傑を騙ったり、こんな話し方はしない。
つまり、目の前の彼は、本当に優ではなく傑なのだ。
「顔は元から同じだしね。優の口調や仕草はもちろん完璧だし、後は身近な人との接し方を知ることが出来れば良かったんだけど……」
「いや、振る舞いそのまま過ぎて引くわ……。さすが俳優……」
「そう? お友達からのお墨付きが貰えたようで良かったよ」
にっこりと、優とは異なるどこか自信ありげな品のある笑みを浮かべる、篠宮傑。
一体いつ、どのタイミングで入れ替わったのだろう。切っ掛けはなんだ。おれは必死に思考を巡らせる。この場合、双子の兄弟が入れ替わって登校したとか、そういうありがちな話じゃない。
篠宮優は、二重人格なのだ。
学校に居る間の、ネガティブとポジティブ反復横飛びの面倒なマイペースが主人格の『優』。
主に放課後や休日、俳優の仕事をする時に現れるのが、王子様スマイルを振り撒く穏やかな副人格の『傑』。
そしてさらに面倒なことに、優は、自分が多重人格なことを知らない。
スカウトを断りきれず始めた俳優なんていう向かない仕事をしている自分を、自分ではなく双子の兄『傑』だと思い込んでいるのだ。
「それが、傑が優の真似事まで始めたら、もうややこし過ぎんだろ……」
「……? 何か言った?」
「いや……なんでもない。なあ、傑」
「なぁに?」
「……おれは、優の友達だ。だからあんたとは、ちゃんと優に紹介されてから『はじめまして』をしたい」
「ふふ、そうだね。優に内緒で会ったなんてバレたら、拗ねられそうだ」
「拗ねるなんて可愛いのじゃなく、絶対ネガティブムーブ突入するぞ」
傑も容易に想像できたのか、思わず苦笑した後、申し訳なさそうに眉を下げた。優は絶対に、こんな殊勝な顔はしない。
「あはは……。本当は、優の時間に割り込むつもりはなかったんだよ。……でも、僕も最近行き詰まっててね。優みたいに、普通の子みたく学校に来てみたかった……なんて、ちょっとだけ我が儘しちゃった」
「傑……」
「優には、内緒にしてね。僕は、あの子の理想のお兄ちゃんで居たいからさ」
口許に人差し指を添えて微笑む姿は、やはり、優とは別人だ。物腰の柔らかさと、どこか心の余裕を感じる。
傑は、優の別人格であることをちゃんと理解しているように見える。それでも、優の信じた理想の『兄』として振る舞うのだ。
優しく穏やかで気遣いのできる、完全無欠の優等生。けれどそんな彼でも、息抜きしたくなる時があったのか。
「……わかった」
「ありがとう。恩に着るよ」
おれは、実際にこうして優の中の傑と対面するのは初めてだった。十年来の幼馴染みのくせに、家族ぐるみの付き合いで事情も何もかも知っていたのに、優は頑なに、おれの前で傑に代わることはなかったのだ。
それはまるで、本当に傑は別に存在しているのだと証明したがるような、優の願いのようにも見えた。
だから、おれもそれに乗った。兄を自慢する姿を、わざわざ否定する気も起きなかった。
度々優から聞かされる兄の情報や、メディアで見かける有名人の傑。漠然とイメージはしていたものの、こうして対面すると、また印象が違った。
彼はきっと、そこまで完璧ではない。
口々に語られる、立派な兄、優しい青年、理想の王子様。それらの評価は全て、本来不器用で歪な存在である彼へのプレッシャーでしかないのではないか。
優を守るために生まれた人格が、更に優を押し退けて入れ替わってまで逃避したくなるなんて、よっぽどのことだ。
おれは深く溜め息を吐き、がしがしと頭を掻きながら呟く。
「……いつか優から紹介されたら、また、会いに来いよ。……次は、学校案内してやる」
「……! うん、ありがとう、空良くん!」
「くん付けはやめろ! その面で言われると寒気がする!」
「あははっ」
楽し気に笑う彼の声に、ちらほらとクラスメイトの視線を感じる。主に女子の視線だ。雑誌関連で今特に話題になっているのに、このままでは入れ替わりがバレかねない。傑も視線には敏感なようで、おれ達はすぐに声を潜めた。
「ちなみに、さっきのインタビュー記事に僕が焦ったのは、演技じゃなく本当だよ」
「ん……?」
「僕、近頃優について答えた記憶はないからね……そもそも該当雑誌のインタビューの記憶がない。『いつもよりクール』とか書かれてたみたいだし、ひょっとすると、仕事中、優が出てきて代わりに答えたのかも……」
「は……?」
「もしくは……僕が逃避したいなんて思ったから、また別の兄弟が生まれちゃったとか?」
「はあっ!?」
おれの上げた大声は、不可抗力だろう。けれど向けられたクラスメイトの視線が気になって、さらには女子の数名が近付いて来たのに気付き、思わず彼の手を引き教室から出る。
あてはないものの、人の少ない場所を探し歩き回っていると、不意に彼が立ち止まった。
「お、おい、空良、いきなりどうしたんだ? トイレなら一人で行けるだろ」
「トイレじゃねえよ! ……ったく、今はどっちだ、優か? 傑か? それとも……」
おれもつられて足を止め、辺りを見回す。ちょうど階段の踊り場で戸惑ったようにする彼の様子を、一段降りていたおれはじっと見上げた。
フードの下の顔がよく見える。彼は不思議そうに瞬きをして、首を傾げた。
「……? 俺は優に決まってるだろう。いくら似ていても、傑のように気品ある立ち振舞いも堂々とした発声も俺には無理だ」
「そうかよ……」
「そうだ。今度傑を紹介しよう、会えば違いがわかるはずだ。空良もきっと、傑を気に入る」
「……。また今度な」
「わかった、でもあんまり仲良くするなよ?」
「……おれは優の友達だから、だろ」
「……? それもあるが、傑は俺の自慢の兄だからな! 空良にはやらん」
「……、へーへー、そうかよ。このブラコンめ」
こいつは紛れもなく優だ。傑は彼の中で休憩でもしているのだろう。おれは安心して、一息吐いた。
やがて、校内に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。おれ達は再び手を引き合って、競争のように早足で教室へと向かった。
優と傑で弁当二つを食べた分、腹がきついのだろう。おれの方が、少しだけ早かった。
今振り返ったとして、この手を繋いでいるのが、優なのか傑なのか、おれには分からない。
けれどこのくそ面倒な二人で一人……否、あるいは見知らぬもう一人を含む歪な兄弟を、どうにも見捨てられないおれが、実際一番面倒な奴なんだろう。
「ほら、こっちの道のが近ぇだろ!」
「そっちはダメだ、その教室には先月傑のファンクラブに入ったばかりの会員が居る」
「何でそんな情報知ってんだよ!?」
「ブラコンの情報網をナメて貰っては困る」
「自慢することか??」
「そして傑ファンが俺を見たら『きゃー! 傑様そっくり! サインとチェキと握手して!』って追い掛け回してくるに決まってる……」
「……おまえそれ、今後の学校生活平和に送るの無理ゲーじゃねぇか……」
「いざとなったら、またこうして逃避行してくれ」
「めんどくせぇ……」
それでも、こいつとこうやってぎゃあぎゃあ言い合うような、そんな時間が嫌いじゃないのだから、しかたない。
マイペース極まりなくて、おれにしかツッコミできないのような弟と、急に入れ替わって演技までするような、器用なんだか不器用なんだかわからない兄。
どっちもくそ面倒で、繊細で、歪で、ブラコンで、そんなそっくりな兄弟を見分けて、それぞれの友達をやってやろうじゃないか。
幼い頃事故で亡くなった、優の本物の兄貴の『すぐる兄ちゃん』も、優が自分の中に作り出した『傑』とまた友達になれたなら、きっと喜んでくれるはずだ。……なんて、希望的観測が過ぎるだろうか。
昔とは別の形でも『篠宮兄弟』とまた仲良くなる。
そんな目標におれは、面倒な気持ち以上に、かつてない程の楽しみを見出しているのだった。



