本日最後の授業は移動教室だった。よくつるんでいる京治と、京治の小学校からの幼馴染である高木圭介との三人で教室に戻る。
圭介は二年生になってから同じクラスになった。金髪で制服も着崩していて、何より目つきが鋭い。見た目は完全に、ガラの悪い不良だ。口調も荒いところはあるけど、話してみたら良い奴だってことが分かる。
「なぁ千尋、今日の放課後遊びに行かね?」
「遊びにって、どこに?」
「そうだな……無難にカラオケとか? 京治も行くだろ?」
「圭介とカラオケに行くと、矢沢永吉さんの曲ばっかり歌うからなぁ」
「いいだろーが、矢沢!」
「曲は良いけど、圭介が歌うと全部の曲が超ロック化するじゃん。室内が一気に暑苦しくなるっていうかね」
「あぁ? どういう意味だよ!」
「まぁまぁ。俺は圭介の歌う矢沢さんの曲、好きだよ」
「千尋……!」
幼馴染二人の小競り合いはいつものことだ。
仲裁に入れば、圭介に抱きつかれた。ちょっと暑苦しいからやめてほしいけど、それを言ったら拗ねることが分かっているので、大人しく耐える。
「あ、晴輝」
「ん? 千尋じゃん」
廊下で晴輝を見つけて声を掛けた。いつもは下ろしている長い黒髪をポニーテールにしている。いつもの髪型もいいけど、結んでいるのも似合っていて可愛いと思う。
「千尋は移動教室だったのか?」
「うん。科学室で実験してきた」
「おつかれ。俺は体育でさ。持久走でめっちゃ走らされたわ」
「晴輝の方こそ、おつかれさまじゃん」
「まぁな。そんじゃあまた」
「うん、またな」
どうやら、体育だから縛っていたみたいだ。晴輝は運動神経はいいんだろうか。
何となくだけど、足が速そうなイメージがある。今度聞いてみよう。
「さっきのって、六組の瑠璃川だよね? 千尋、知り合いだったの?」
「うん。つい最近知り合ったんだ」
「へぇ、そうだったんだ」
不思議そうな顔をした京治に尋ねられた。確かに、俺と晴輝はこれまで一切接点がなかった。急に親しくしていたら、不思議に思うよな。
「……瑠璃川って、あれだろ。女装好きの変わり者って有名な奴じゃん。何かなよなよしてるし、俺はあんま好きになれそうにないわ」
ついさっきまで機嫌良さそうに笑っていた圭介は、眉を顰めてむっつりした顔をしている。晴輝に対して、あまりいいイメージは抱いていないみたいだ。
「でも、話してみたらすごく良い奴だったよ」
「……ふーん」
圭介は俺の言葉に納得がいかないみたいで、あからさまに不満そうにしている。……っていうか、何で急に不機嫌になってるんだ?
「千尋。圭介のことは気にしなくていいよ。めんどくさい奴なだけだから」
京治は、圭介の不機嫌の理由に気づいたらしい。仕方ないなってあきれ顔で笑っている。
長年一緒に過ごしてきた幼馴染だから、何か通じるものがあるのかもしれない。ちょっと羨ましい。
――ホームルームが終わり、放課後になった。
リュックに課題で使う教科書を詰めていれば、やってきた圭介が俺のリュックを指さす。
「それって、女子がよくぶら下げてるやつじゃん。千尋が自分で買ったのか?」
「いや、俺が買ったわけではないんだけど……」
「もしかして、彼女でもできた?」
ここで「そう。彼女とおそろいで付けてるんだ」なんて言えたら、カッコもつくんだろうけどさ。悲しいことに、生まれてこのかた、彼女ができたことは一度もない。
別に好きな子がいるわけでもないし、京治や圭介たちと過ごす高校生活は楽しくて満足しているから、そこまで彼女を求めているってこともないんだよな。
「いや、これは晴輝にもらったんだ」
正直に話せば、圭介の脱色されているブラウンの眉毛がピクリと跳ねた。
「晴輝って、瑠璃川のことだろ?」
「うん、そう」
「……ふーん。正直、千尋には似合わないと思うけど。普通にキモくね?」
圭介の口から放たれた言葉に、俺は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「圭介、言い過ぎ」
やってきた京治が、圭介の後頭部を思いきり叩く。
ハッとした顔になった圭介は、何か言いたそうに口をもごもごさせている。
だけど俺は、ただただ逃げ出したい衝動に駆られてしまった。
「……ごめん。今日は先に帰るわ」
「え、千尋、待てって」
「また明日」
圭介の呼び止める声を無視して、二人の顔を見ることなく教室を出た。
廊下は部活に向かう者や帰宅する生徒たちで賑わっている。その合間を足早に通り抜けて、玄関で靴を履き替えた。
校舎を出て正門を抜けて少ししたところで、速度を緩めた。人のまばらな道をぼんやりしながら歩いていれば、後ろから俺を呼ぶ声が近づいてくる。
「おーい、千尋!」
「……晴輝?」
「急いでるみたいだけど、何か用でもあんの?」
晴輝だった。俺が足早に歩く姿を見られていたらしい。
「……晴輝、俺……」
「って、は!? ど、どうしたんだよ。もしかして急に走ったから、腹が痛くなったとか?」
何故だか分からないけど、晴輝の顔を見た瞬間、堪えていたものがぽろっと零れてしまった。急に泣きだした俺を見て、晴輝は慌てふためいている。
「ごめん、急に……」
「いや、それは大丈夫だけどさ。何かあったのか?」
「……うん」
晴輝と並んで歩きながら、俺は胸の内を話した。
親しくしている友人に自分の好きなものを否定されてしまったこと。それがショックで、友人の呼びとめる声も無視して逃げ出してきてしまったこと。明日顔を合わせるのが気まずくて仕方がないこと。
「んー、なるほどな」
静かに話を聞いてくれた晴輝は、何か考え込むように唸っている。
そこで晴輝の黒いリュックに、可愛らしいクマのキーホルダーがついていることに気づいた。茶色でもこもこしていて、首元にはチェック柄のリボンが結ばれている。見たことのないキャラクターだけどすごく可愛くて、晴輝に似合っている。
……俺も晴輝みたいに、可愛らしいものが似合う人間だったらな。自信を持って可愛いを身につけることができたら、こんな小さなことで悩んだり傷ついたりすることもなかったのかもしれない。
「千尋さ、今から時間ある?」
「時間? は、あるけど……」
本当だったら京治と圭介とカラオケに行くはずだった。
だけどその予定も、自分で無くしてしまった。
「なら、ウチに遊びにこいよ」
「晴輝の家に? でも、突然お邪魔して大丈夫かよ」
「あぁ。でも、その前に寄らなきゃいけないとこがあるから、ちょっとだけ付き合ってもらってもいいか?」
「うん」
流れで晴輝の家に遊びに行くことになってしまった。
予想外の展開だけど、友達の家に初めてお邪魔すると思うとワクワクするし、少しドキドキする。可愛くて、自分の好きを貫く強さを持っているカッコいい晴輝は、一体どんな家に住んでいるんだろうか。
想像してそわそわしていれば、そんな俺に気づいたらしい晴輝にあきれ顔を向けられてしまう。
「言っとくけど、んな期待するような家じゃねーぞ。普通の一軒家だからな」
「いや、はじめて家にお邪魔する時って、何かそわそわするっていうかさ……。あ、何か手土産とか買って行った方がいいよな!」
「いや、母さんは仕事で帰りが遅いから。そんな気とか遣わなくていいよ」
「……そうか?」
「うん。あー、でもさ……」
そこで不自然に言葉を切った晴輝が、にんまりと笑う。
「実は千尋に、お願いしたいことがあんだよね」
「お願いしたいことって何だよ?」
「それはウチにきてからのお楽しみ」
どうやら晴輝は、何か企んでいるらしい。
悪戯なその笑みに、心臓が小さく音を立てる。
「……変なことじゃないよな?」
「んー、どうかな」
晴輝が俺にお願いしたいことなんて、皆目見当もつかない。何だろ、部屋掃除とか? 勉強を教えてほしいとか。そもそも晴輝の学力がどれくらいのものなのか分からないけど……まぁ、さすがに無理難題を要求してくるような奴ではないだろう。
「千尋、何立ち止まってるんだよ。早く行くぞ」
いつの間にか前を歩いていた晴輝が、足を止めて、俺が追い付くのを待っている。
俺の名前を呼ぶ声は低いテノールボイスだけど、目に映る姿は可憐な少女そのもので、ひどくアンバランスだ。だけどそんな晴輝の姿に、ひどく安心する自分がいる。眩しくて、手を伸ばしたくなる。晴輝のことが、もっと知りたい。
「……おう、今行く!」
止めていた足を前へと踏み出す。
さっきまで胸の中に広がっていたモヤモヤは、まだ確かに存在している。だけど少しずつ溶けて、小さくなっているのが分かった。



