保健室を辞した後、俺は寮に戻ることにした。槐くんに、無事ではあったものの今日この後は安静に過ごしてほしいと切に望まれたからだ。槐くんは寮に送っていきたそうにしていたが、部活はまだ続いている時間だろう。誉や美琴も俺のことを心配してくれているかもしれないから少しでも早く問題がなかったことを伝えてほしい、と頼むと、少し拗ねた様子になりながらも、槐くんは頷き、部活に戻っていった。
俺も寮戻って静かな部屋にひとりきりになると、先の出来事の余韻が押し寄せてきた。槐くんが打ち明けてくれた思い。交わした告白。抱きしめ合った感覚。そのすべてに赤面したり、また鼓動が煩く鳴ったり、ぼんやりとする。
そうしているうちに時間はあっという間に流れていき、気づけば夕食の開始時刻を過ぎていた。
急いで食堂に向かうと、槐くんの姿はすでにあった。部活から直行したらしいジャージ姿の槐くんは、いつものように同級生と席を取っていて、俺が食堂に入るなりすぐに気づいてくれて、そっと微笑んで手を振ってくれる。
頬が緩んだり火照りそうになったりしながら俺も小さく手を振り返すと、槐くんはわずかに瞳を見開いた。それから、同級生たちといくつか言葉を交わすと、食器が乗ったトレーを持って席を立ち、こちらに近づいてきた。
「嵐先輩、夕食ご一緒してもいいですか」
「え、い、いいけど」
「ありがとうございます。じゃあ、そこの席、取っておきますね」
注文した定食を受け取った俺は、槐くんの向かいの席につく。
俺が食堂についた時点で槐くんはすでに夕食を食べはじめていただろうに、俺が来るまでその先に箸をつけるのは待っていたらしかった。
俺が「いただきます」と手を合わせると、槐くんも「いただきます」と手を合わせ、食事をはじめる。
少ししてから、槐くんが言った。
「ずっと、嵐先輩と一緒にごはん食べたかったので、嬉しいです」
「そういえば、一緒に食べるのはじめてだね」
朝や夕は一緒に食堂まで行くことはあっても、そこでそれぞれの同級生と合流し別々に食事をしていた。
「あまりべったりつきまとうとご迷惑かなと思っていたので。でも」
槐くんは内緒ごとを話すように囁く。
「今日は我慢できませんでした」
その一言で、先まで繰り返し浸っていた余韻がぶり返す。ついに俺の頬は堪えきれずに熱を持ち、手で扇いで冷ましたい気持ちになりながらも、俺は槐くんをちらりと見た。
「……ごはんくらい、いつでも一緒に食べるよ」
「いいんですか」
槐くんの表情がぱぁっと華やぎ、その頭上に幻視する犬耳がぴんと立つ。俺は「うん」と頷いた。
「じゃあ、明日の朝も一緒に食べましょう。約束です」
あまりにも嬉しそうに槐くんが言うから、一緒に食事をする、それだけの約束がとても特別なことに思えてくる。俺も心が弾んで。
「楽しみだね」
と言うと、槐くんは口元に手を当て、眼差しだけで恋を訴えてきて、とてもかわいかった。
しかし俺はある重大なことをすっかり忘れていた。
食後に昨日の肝試しの景品であるアイスを食べ、戻ってきた寮部屋で迎えた自習時間。槐くんとローテーブルを挟んで向き合ってゴールデンウィーク課題をはじめてから少ししたとき、俺ははたと気づいた。
今日は勉強合宿三日目。まだ二日残っている——つまりその間俺は槐くんと……恋人と、同じ部屋で寝起きすることになる。
今更ながらに唐突に気づいた俺は、そして今朝、槐くんから向けられた言葉を思い出す。
『そういう好きだって明示した昨夜も、同じ部屋でなんの警戒もなく就寝しましたよね。昨夜から今まで、俺は触ろうと思えばいつだって嵐先輩のこと触れましたし、実際、触りたかった』
今朝まで、俺は槐くんと寝起きすることに対して特段意識していなかった。だが、槐くんにそう言われ、あまつさえ恋人になった、今夜。もしかしたらなにかが起きてしまうのではないかという考えが過ってしまうのも仕方がなかった。
注意力はすっかり散漫になってしまった。けれど、ちゃんと課題に取り組まなければゴールデンウィーク後の自分が苦しむことになるのも分かっている。
勉強と恋情の相性の悪さに内心喘ぎながら、俺はどうにか自習時間を乗り切った。
……が、その後に迎えた入浴時間もなかなかに大変だった。
いつも通り槐くんと浴場に向かい着替えはじめてから、昨日までちっとも意識していなかった諸々に意識が向いてしまった。風呂に入る前からのぼせそうになりながらも、俺はいつにない疲労を伴いながら、どうにか寮部屋に生還する。
それから、間もなく迎えた点呼と消灯時間。
部屋の灯りを消して、俺たちはそれぞれのベッドに横たわる。いつも通りに。しかし、いつもであればすぐに訪れる眠気は、今日は少しも顔を見せない。瞼を閉じてじっとしてみても、少し経てば壁ひとつ隔てない同じ空間、反対の壁に面したベッドで寝ている槐くんに意識が向いてしまう。
今朝、あんなことを俺に宣った槐くんの方は、寝つけそうなのか。おれとも、俺と同じく目も意識もきっぱりさっぱり冴えてしまっていたりするのだろうか。今日もまた、俺に触れたいのを我慢してくれているのだろうか。
そうっと瞼を持ち上げて、薄く開いた目で、槐くんの方を見てみる。槐くんの瞼は閉じられているように見える……寝れているのだろうか。
俺に触れたいと言っていたのに。恋人になったのに。それらのせいで、俺は寝付けないのに。ちょっぴり拗ねた気持ちになってしまう。かといって、槐くんが起きていて、もし俺に触れたいと改めて言われたら……それはそれで困っただろう。
槐くんを好きだと思う。俺も槐くんに触れたいと思う。だから、保健室で彼を抱きしめたりもした。
だが、ふたりきりの夜の部屋。触れたいと言われて、許したとして、抱きしめ合うだけで終わるのか——キス、くらいはすることになったりして。
肝試しのときに一度だけした。あのときは、どきどきよりも、いきなりキスをされたこと、そして槐くんが俺に向けてくれているのが親愛ではなく恋愛であると知ったことによる驚きの方が勝っていた。
今朝も槐くんにキスを乞われたが、恋人ではないのにするべきではないと拒んだ。が、俺たちは恋人になった。
拒む理由はないし、拒みたいわけでもないけれど。槐くんとキスすることを考えると、頭が茹だって仕方ない。
皮膚と皮膚を触れ合わせること自体はもう何度かしているのに、その部位が唇になるというだけで、なんでこんなにも変な気分になるのだろう。
俺はもぞもぞと布団の中に顔の半分を埋もらせる。それからふと、唇を自身の手の甲に寄せてみた。当然に、なんの感慨も湧かない。けれど、今もし触れたのが槐くんの唇だったら——。
なにをしてるんだ、と俺は両手で顔を覆った。槐くんとの間にあった事実だけでなく、自分の手の甲も材料しながらキスをする妄想までして。俺って実は変態だったのか。それとも、恋をすると誰でもこうなるものなのか。いや、交際前になまじキスをしたことがあるせいで余計におかしくなってしまっているのはある気がする。
何度か深呼吸をしながら両手で顔をぱたぱたと扇いでいるとどうにか熱は穏やかになったが、それからもどれだけ無心になろうとしても難しい。ちっとも寝つけそうになく、俺は何度か寝返りを打ってから、もう一度槐くんの方にちらりと目を向ける。それから、あっという間に空中に溶け消えるだろうささやかな声で、呼んでみた。
「……槐くん」
「どうしましたか、嵐先輩」
起きていなければきっと拾えないだろう声量のつもりだった。だが、槐くんはすぐに返事をくれた。
槐くんの瞼がそっと開かれ、瞳がこちらを向く。視線が絡み、心臓がとくりと鳴る。
消灯済みの、窓から零れる夜光だけが漂う薄暗い部屋の中。それでも槐くんの瞳だけはやけに映えて見えるのは、澄んだ色をしているからか。見つめ合ってると堪らない気持ちになるのに、槐くんの瞳からどうしてか目を逸らせないまま、俺はぽつりと応える。
「起きてるかなと思って……」
「もちろん」
「もちろん、なんだ」
「昨日も、一昨日も、すぐに眠れませんでしたよ。嵐先輩が、同じ部屋にいるのに」
低く掠れた甘やかな響きと微笑。それから、槐くんが言う。
「嵐先輩のベッド、行ってもいいですか」
「えっ」
つい大きな声で出てしまって、慌てて両手で口を塞いだ。
しばしの沈黙と瞬きののち、先よりも声を潜めておずおずと俺は尋ねた。
「えっと……冗談?」
「本気です。でも、嵐先輩が冗談にしてほしかったら、そうします。変なことしないって約束はできないので」
正直すぎるほど正直にそう言われてしまうと、先までに自分がしていた妄想がいっきに脳内を駆け巡る。
寮部屋のベッドはひとり用で当然決して広くない。そこにふたりで横たわるとなれば、必然的に密着する。また抱きしめ合う、どころか、今度こそしっかりとキスをすることになるかもしれない。身構えてしまうが、でも、やっぱり嫌なわけではなくて。拒む気は一切起きなくて、むしろ——。
「……いい、よ」
我ながら緊張たっぷりの片言の声と共に、布団をめくりあげる。槐くんはぱっと瞳を見開く。そのまま槐くんは動かなくなってしまう。
一、二、三秒と経っても槐くんは固まったままで、俺が「槐くん……?」と呼ぶと、彼の体がびくりと震えた。直後、槐くんはすさまじい速度で、けれど静かに自身のベッドを降りると、俺のベッドに乗りあげて、布団の中に潜り込んできた。そしてすぐに俺の体をぎゅうっと抱きしめた。
「好き」
槐くんの溢れ出る好意に触れると、俺は胸がいっぱいになる。俺の中の好きも大きく膨らんで、満ち溢れていく。
「俺も好き」
「……嵐先輩、俺の頬抓ってくれます?」
「えっ、なんで突然」
「すでに夢を見ている気がして。噛んでくれてもいいですよ」
「……」
噛むのはもちろんつねるのも躊躇われる。かといって、こんなにもむずむずドキドキとする状況を夢だと思われたままなのもなんだか嫌である。だからかわりに人差し指で槐くんの頬を突いた。すると、槐くんはむっと瞳を細める。
「嵐先輩って本当にかわいいことしますよね」
「してるつもりはないんだけど……というか俺がかわいいことしようとしてたら痛いでしょ」
「かわいいことしようとしてる嵐先輩もものすごくかわいいですよ」
揶揄の色の欠片もなく槐くんは宣う。真面目で本気。だから俺も真に受けて照れてしまう。そして照れる俺にまた槐くんが「かわいい」という無限ループ。やられっぱなしなのが少し悔しくなって、俺は槐くんの両頬を両手で包んだ。
「槐くんも、かわいいからね」
「俺はかわいくないと思いますけど」
「勉強できるところとか、気遣いできることろか、バレーが上手なところとか。槐くんは基本的にめちゃくちゃかっこいいけど。かわいいところもたくさんあるから」
俺に触れる手が冷たいところとか。結構照れやすいところとか——なんて思っていると、両手で包んでいる槐くんの頬がじんわりと熱っぽくなるのを感じた。まさに、照れているようだった。
「さっきもですけど、嵐先輩にバレー褒めてもらえると、すごく嬉しいです。俺が今もバレーを続けてるのは、真剣に向き合い出してから楽しいと感じる瞬間にも巡り合えて、もっと上手くなりたいと思い続けて居られているからですけど。その原点は、やっぱり、嵐先輩なので。最初に応援してくれた嵐先輩にかっこいいと思ってもらえるようなプレイヤーになりたいっていう思いが、少し、叶いました」
「少し、なの? 俺、バレーしてる槐くんのこと、すごくかっこいいと思ってるよ」
「ありがとうございます。でも、俺はまだまだ上手くなる予定ですし、やっぱり、一番見てもらいたのは、試合ですから……だから、ね。嵐先輩。俺がレギュラー取れたら、大会、応援しに来てくれますか」
「もちろん、応援行くよ。誉もいるし」
「……」
「あ、あれ? 槐くん、どうしたの」
急にむっすりとした槐くんが細めた目でじっとりとこちらを見つめてくる。
「……おふたりが仲のいい幼馴染なのはよく知っていますけど。橘先輩より俺の方がかっこいいって思わせてみせますから」
俺はぱちぱちと瞬く——もしかして、俺が誉の名前を出したから嫉妬してるのか。
萩原からポジションも違うのに槐くんは誉にこと対抗心を燃やしているということは聞いていた。そして実際、誉と対峙した際にはそれまでの柔和な態度を引っ込め、ドライな対応していた。その後、誉が次にミニゲームに出場するから応援してほしい、と俺と美琴に頼んできたとき。槐くんはその前にミニゲームをしたばかりだったのに参加したいと申し出ていた。
誉はバレーの選手として間違いなく優れている。だからライバル意識的なものを持っているのかと思っていた、けれど。槐くんが誉に対抗心を燃やしているのはそれだけじゃなかったりするのか。
「たしかに誉とは仲いいけど、槐くんに抱いているような気持ちを持ったことも持つこともないよ」
俺にとって大切で、俺のことも大切にしてくれる幼馴染たち。口にするとなれば気恥ずかしさで憚られるも、心では間違いなく彼らのことを好きと言える。けれど、その好きは槐くんに抱くものとは違い、恋にはなりようもない。だから嫉妬する日つよなんてないから安心してほしい、と伝えたつもりなのだが、槐くんの表情は拗ねたまま。
「それでも……そこに恋がなくても、相手が他人でも、友達でも、過ごしてきた時間が俺とはまるで違う幼馴染だったとしても。嵐先輩の視線や意識が他の誰かに向いていると、面白くない気持ちになってしまうんです。もっと俺のことを見てほしいって、思っちゃうんです。心が狭いので」
「……かわいいね」
思うより先に転び出た感想に、槐くんがぽかんとした。はじめて見る、ちょっぴり間抜けた表情。それは俺の中の愛しいという感情を掻き立てた。
「ごめん、嫉妬の感情が辛いのは、恋愛ではないけど俺も経験はあるから、分かるんだけど……でも、やっぱり、槐くんの健気なところを見ると、すごくかわいいと思っちゃって」
俺の意識や視線が他所に向かないように塞いでしまうのではなく、振り向かせようとするところ。衝動的になってしまうこともあるのに、本当に大事な一線は守るところ。そうして、俺のことを大切に、尊重してくれるところ。
槐くんは俺のことが好きすぎる。自惚れではない、事実として理解せざるを得ないほどに。それゆえ槐くんは俺に対して時々大胆なところもありながらもどこまでも健気だった。俺を思い育まれたその健気さを一心に注がれ、かわいいと思わないわけがなかった。
「多分槐くんが思うよりもずっと、俺の頭の中は槐くんでいっぱいだし、槐くんのこと、見てるよ」
「嬉しいです……でも、それでも、もっと見てほしいって思っちゃうんですけど。かわいい、ですか?」
「うん。かわいい。もっと、見たい。槐くんのこと。いろんな槐くんを知りたい」
今度はやさしく槐くんの両頬を包む。視線をまっすぐに絡ませる。見つめ合っているともっと槐くんに近づきたくなる——キスをしたい、と思ってしまう。
気づけば、俺たちの顔あと少し動けば、きっと唇が重なる距離にまで近づく。
まだ一瞬しか体感したことのない、自分の手の甲とも違う、熱とやわらかさがそこにある。それを思うと不思議なもので、いっそう心臓がドキドキとしそうなものなのに、今はなにかをじっと待ちわびるように、小さくとくりとくりと鳴いている。
「嵐先輩」
槐くんの呼び声に、俺の唇は震える。もうすぐそれが訪れるだろう、と少し構える——が、槐くんはそれ以上俺に近づかず、囁いた。
「デートしませんか」
「……デート?」
「明日も午前は部活なんですけど、午後は休みなんです。勉強合宿も午前までですよね。だから、デートして、お互いの理解を深めるというのはどうでしょうか」
魅力的な提案ではある。俺が頷けば、槐くんは「それじゃあ、部活が終わったらこの部屋に戻ってきますね」と嬉しそうに微笑む。
「どこか行きたい場所はありますか」
「槐くんの行きたい場所に行きたい、かな」
「俺の行きたい場所ですか」
槐くんは少し思案してから、「分かりました」と頷いた。それから、小さく笑う。
「明日、楽しみです」
「うん、俺も楽しみ」
「ねぇ、嵐先輩」
「な、なに?」
「今日は、このまま嵐先輩を抱きしめたまま、一緒に寝てもいいですか?」
「……いいよ」
「ありがとうございます。それじゃあ」
槐くんが少し身を動かし、俺の額にキスをする。
「おやすみなさい。嵐先輩」
それから槐くんは俺のことを抱きしめなおして落ち着くと、やがて、寝息を立てはじめた。
……え、寝ちゃうの?
いや、おそらく消灯からそれなりに経っているし、明日もそれぞれ授業や部活があるから寝るべきではある。あるのだけれど。
俺はすっかり呆けていた。
同じベッドで横になって、抱き合った。囁きごとを交わし、見つめ合っていくうちに甘く熱く近づいていく距離に、詰まっていく呼吸に、完全にキスをする雰囲気になったと思っていた。だが、槐くんはしてくれなかった。デートの約束をして、額にキスをして、そのまま眠りについてしまった。
それとも、その雰囲気を感じていたのは俺だけだったのだろうか。それでつい構えていたから肩透かしを食らったような気分に——いやいや、なんて自分勝手なことを思っているんだ、俺。キスをしてくれなかった、なんて。キスの雰囲気を感じ取ったのならば……キスをしたかったのなら、自分からすればよかっただけじゃないか。
俺から、槐くんに、キスを。
想像するだけで凄まじい緊張が俺を襲う。けれど……俺は槐くんからキスをしたいと望まれたときに拒んだ。あのときは恋人になる前だったとはいえ、一度拒まれたことを再度行うのは、抵抗を覚えたり勇気が要ったりするものだ。槐くんから俺には、キスがしづらくなっているかもしれない。
ならば、俺からキスをするしかない。それで、俺も槐くんとのキスを望んでいることを伝えよう。
となれば、明日のデートは絶好のチャンスだろう。恋人同士で出かけるのだ。どこかできっといい雰囲気になったり、キスができそうなタイミングもきっと発生するはず。
名付けて「デートでキスするぞ大作戦」……ダサいネーミングになっちゃったけれど、分かりやすいからOKとする。よし、俺はやるぞ。
内心でぐっと意気込んでから、俺も瞼を閉じた。万全の体調で槐くんとのデートに臨むために、しっかりと眠らなくては。
しかし、先までも槐くんのことをぐるぐると思ってはちっとも寝付けなかった。その槐くんに抱きしめられた状態で俺は無事寝れるのだろうか——と抱いた不安は、杞憂だった。
槐くんに抱きしめられていること自体は、どきどきとする。しかしそれでいて、槐くんの感触は、体温は、ふわりと香る石鹸のにおいは、俺に不思議な安堵と癒しも齎して、気づいたときには俺は夢の世界に旅立っていた。
俺も寮戻って静かな部屋にひとりきりになると、先の出来事の余韻が押し寄せてきた。槐くんが打ち明けてくれた思い。交わした告白。抱きしめ合った感覚。そのすべてに赤面したり、また鼓動が煩く鳴ったり、ぼんやりとする。
そうしているうちに時間はあっという間に流れていき、気づけば夕食の開始時刻を過ぎていた。
急いで食堂に向かうと、槐くんの姿はすでにあった。部活から直行したらしいジャージ姿の槐くんは、いつものように同級生と席を取っていて、俺が食堂に入るなりすぐに気づいてくれて、そっと微笑んで手を振ってくれる。
頬が緩んだり火照りそうになったりしながら俺も小さく手を振り返すと、槐くんはわずかに瞳を見開いた。それから、同級生たちといくつか言葉を交わすと、食器が乗ったトレーを持って席を立ち、こちらに近づいてきた。
「嵐先輩、夕食ご一緒してもいいですか」
「え、い、いいけど」
「ありがとうございます。じゃあ、そこの席、取っておきますね」
注文した定食を受け取った俺は、槐くんの向かいの席につく。
俺が食堂についた時点で槐くんはすでに夕食を食べはじめていただろうに、俺が来るまでその先に箸をつけるのは待っていたらしかった。
俺が「いただきます」と手を合わせると、槐くんも「いただきます」と手を合わせ、食事をはじめる。
少ししてから、槐くんが言った。
「ずっと、嵐先輩と一緒にごはん食べたかったので、嬉しいです」
「そういえば、一緒に食べるのはじめてだね」
朝や夕は一緒に食堂まで行くことはあっても、そこでそれぞれの同級生と合流し別々に食事をしていた。
「あまりべったりつきまとうとご迷惑かなと思っていたので。でも」
槐くんは内緒ごとを話すように囁く。
「今日は我慢できませんでした」
その一言で、先まで繰り返し浸っていた余韻がぶり返す。ついに俺の頬は堪えきれずに熱を持ち、手で扇いで冷ましたい気持ちになりながらも、俺は槐くんをちらりと見た。
「……ごはんくらい、いつでも一緒に食べるよ」
「いいんですか」
槐くんの表情がぱぁっと華やぎ、その頭上に幻視する犬耳がぴんと立つ。俺は「うん」と頷いた。
「じゃあ、明日の朝も一緒に食べましょう。約束です」
あまりにも嬉しそうに槐くんが言うから、一緒に食事をする、それだけの約束がとても特別なことに思えてくる。俺も心が弾んで。
「楽しみだね」
と言うと、槐くんは口元に手を当て、眼差しだけで恋を訴えてきて、とてもかわいかった。
しかし俺はある重大なことをすっかり忘れていた。
食後に昨日の肝試しの景品であるアイスを食べ、戻ってきた寮部屋で迎えた自習時間。槐くんとローテーブルを挟んで向き合ってゴールデンウィーク課題をはじめてから少ししたとき、俺ははたと気づいた。
今日は勉強合宿三日目。まだ二日残っている——つまりその間俺は槐くんと……恋人と、同じ部屋で寝起きすることになる。
今更ながらに唐突に気づいた俺は、そして今朝、槐くんから向けられた言葉を思い出す。
『そういう好きだって明示した昨夜も、同じ部屋でなんの警戒もなく就寝しましたよね。昨夜から今まで、俺は触ろうと思えばいつだって嵐先輩のこと触れましたし、実際、触りたかった』
今朝まで、俺は槐くんと寝起きすることに対して特段意識していなかった。だが、槐くんにそう言われ、あまつさえ恋人になった、今夜。もしかしたらなにかが起きてしまうのではないかという考えが過ってしまうのも仕方がなかった。
注意力はすっかり散漫になってしまった。けれど、ちゃんと課題に取り組まなければゴールデンウィーク後の自分が苦しむことになるのも分かっている。
勉強と恋情の相性の悪さに内心喘ぎながら、俺はどうにか自習時間を乗り切った。
……が、その後に迎えた入浴時間もなかなかに大変だった。
いつも通り槐くんと浴場に向かい着替えはじめてから、昨日までちっとも意識していなかった諸々に意識が向いてしまった。風呂に入る前からのぼせそうになりながらも、俺はいつにない疲労を伴いながら、どうにか寮部屋に生還する。
それから、間もなく迎えた点呼と消灯時間。
部屋の灯りを消して、俺たちはそれぞれのベッドに横たわる。いつも通りに。しかし、いつもであればすぐに訪れる眠気は、今日は少しも顔を見せない。瞼を閉じてじっとしてみても、少し経てば壁ひとつ隔てない同じ空間、反対の壁に面したベッドで寝ている槐くんに意識が向いてしまう。
今朝、あんなことを俺に宣った槐くんの方は、寝つけそうなのか。おれとも、俺と同じく目も意識もきっぱりさっぱり冴えてしまっていたりするのだろうか。今日もまた、俺に触れたいのを我慢してくれているのだろうか。
そうっと瞼を持ち上げて、薄く開いた目で、槐くんの方を見てみる。槐くんの瞼は閉じられているように見える……寝れているのだろうか。
俺に触れたいと言っていたのに。恋人になったのに。それらのせいで、俺は寝付けないのに。ちょっぴり拗ねた気持ちになってしまう。かといって、槐くんが起きていて、もし俺に触れたいと改めて言われたら……それはそれで困っただろう。
槐くんを好きだと思う。俺も槐くんに触れたいと思う。だから、保健室で彼を抱きしめたりもした。
だが、ふたりきりの夜の部屋。触れたいと言われて、許したとして、抱きしめ合うだけで終わるのか——キス、くらいはすることになったりして。
肝試しのときに一度だけした。あのときは、どきどきよりも、いきなりキスをされたこと、そして槐くんが俺に向けてくれているのが親愛ではなく恋愛であると知ったことによる驚きの方が勝っていた。
今朝も槐くんにキスを乞われたが、恋人ではないのにするべきではないと拒んだ。が、俺たちは恋人になった。
拒む理由はないし、拒みたいわけでもないけれど。槐くんとキスすることを考えると、頭が茹だって仕方ない。
皮膚と皮膚を触れ合わせること自体はもう何度かしているのに、その部位が唇になるというだけで、なんでこんなにも変な気分になるのだろう。
俺はもぞもぞと布団の中に顔の半分を埋もらせる。それからふと、唇を自身の手の甲に寄せてみた。当然に、なんの感慨も湧かない。けれど、今もし触れたのが槐くんの唇だったら——。
なにをしてるんだ、と俺は両手で顔を覆った。槐くんとの間にあった事実だけでなく、自分の手の甲も材料しながらキスをする妄想までして。俺って実は変態だったのか。それとも、恋をすると誰でもこうなるものなのか。いや、交際前になまじキスをしたことがあるせいで余計におかしくなってしまっているのはある気がする。
何度か深呼吸をしながら両手で顔をぱたぱたと扇いでいるとどうにか熱は穏やかになったが、それからもどれだけ無心になろうとしても難しい。ちっとも寝つけそうになく、俺は何度か寝返りを打ってから、もう一度槐くんの方にちらりと目を向ける。それから、あっという間に空中に溶け消えるだろうささやかな声で、呼んでみた。
「……槐くん」
「どうしましたか、嵐先輩」
起きていなければきっと拾えないだろう声量のつもりだった。だが、槐くんはすぐに返事をくれた。
槐くんの瞼がそっと開かれ、瞳がこちらを向く。視線が絡み、心臓がとくりと鳴る。
消灯済みの、窓から零れる夜光だけが漂う薄暗い部屋の中。それでも槐くんの瞳だけはやけに映えて見えるのは、澄んだ色をしているからか。見つめ合ってると堪らない気持ちになるのに、槐くんの瞳からどうしてか目を逸らせないまま、俺はぽつりと応える。
「起きてるかなと思って……」
「もちろん」
「もちろん、なんだ」
「昨日も、一昨日も、すぐに眠れませんでしたよ。嵐先輩が、同じ部屋にいるのに」
低く掠れた甘やかな響きと微笑。それから、槐くんが言う。
「嵐先輩のベッド、行ってもいいですか」
「えっ」
つい大きな声で出てしまって、慌てて両手で口を塞いだ。
しばしの沈黙と瞬きののち、先よりも声を潜めておずおずと俺は尋ねた。
「えっと……冗談?」
「本気です。でも、嵐先輩が冗談にしてほしかったら、そうします。変なことしないって約束はできないので」
正直すぎるほど正直にそう言われてしまうと、先までに自分がしていた妄想がいっきに脳内を駆け巡る。
寮部屋のベッドはひとり用で当然決して広くない。そこにふたりで横たわるとなれば、必然的に密着する。また抱きしめ合う、どころか、今度こそしっかりとキスをすることになるかもしれない。身構えてしまうが、でも、やっぱり嫌なわけではなくて。拒む気は一切起きなくて、むしろ——。
「……いい、よ」
我ながら緊張たっぷりの片言の声と共に、布団をめくりあげる。槐くんはぱっと瞳を見開く。そのまま槐くんは動かなくなってしまう。
一、二、三秒と経っても槐くんは固まったままで、俺が「槐くん……?」と呼ぶと、彼の体がびくりと震えた。直後、槐くんはすさまじい速度で、けれど静かに自身のベッドを降りると、俺のベッドに乗りあげて、布団の中に潜り込んできた。そしてすぐに俺の体をぎゅうっと抱きしめた。
「好き」
槐くんの溢れ出る好意に触れると、俺は胸がいっぱいになる。俺の中の好きも大きく膨らんで、満ち溢れていく。
「俺も好き」
「……嵐先輩、俺の頬抓ってくれます?」
「えっ、なんで突然」
「すでに夢を見ている気がして。噛んでくれてもいいですよ」
「……」
噛むのはもちろんつねるのも躊躇われる。かといって、こんなにもむずむずドキドキとする状況を夢だと思われたままなのもなんだか嫌である。だからかわりに人差し指で槐くんの頬を突いた。すると、槐くんはむっと瞳を細める。
「嵐先輩って本当にかわいいことしますよね」
「してるつもりはないんだけど……というか俺がかわいいことしようとしてたら痛いでしょ」
「かわいいことしようとしてる嵐先輩もものすごくかわいいですよ」
揶揄の色の欠片もなく槐くんは宣う。真面目で本気。だから俺も真に受けて照れてしまう。そして照れる俺にまた槐くんが「かわいい」という無限ループ。やられっぱなしなのが少し悔しくなって、俺は槐くんの両頬を両手で包んだ。
「槐くんも、かわいいからね」
「俺はかわいくないと思いますけど」
「勉強できるところとか、気遣いできることろか、バレーが上手なところとか。槐くんは基本的にめちゃくちゃかっこいいけど。かわいいところもたくさんあるから」
俺に触れる手が冷たいところとか。結構照れやすいところとか——なんて思っていると、両手で包んでいる槐くんの頬がじんわりと熱っぽくなるのを感じた。まさに、照れているようだった。
「さっきもですけど、嵐先輩にバレー褒めてもらえると、すごく嬉しいです。俺が今もバレーを続けてるのは、真剣に向き合い出してから楽しいと感じる瞬間にも巡り合えて、もっと上手くなりたいと思い続けて居られているからですけど。その原点は、やっぱり、嵐先輩なので。最初に応援してくれた嵐先輩にかっこいいと思ってもらえるようなプレイヤーになりたいっていう思いが、少し、叶いました」
「少し、なの? 俺、バレーしてる槐くんのこと、すごくかっこいいと思ってるよ」
「ありがとうございます。でも、俺はまだまだ上手くなる予定ですし、やっぱり、一番見てもらいたのは、試合ですから……だから、ね。嵐先輩。俺がレギュラー取れたら、大会、応援しに来てくれますか」
「もちろん、応援行くよ。誉もいるし」
「……」
「あ、あれ? 槐くん、どうしたの」
急にむっすりとした槐くんが細めた目でじっとりとこちらを見つめてくる。
「……おふたりが仲のいい幼馴染なのはよく知っていますけど。橘先輩より俺の方がかっこいいって思わせてみせますから」
俺はぱちぱちと瞬く——もしかして、俺が誉の名前を出したから嫉妬してるのか。
萩原からポジションも違うのに槐くんは誉にこと対抗心を燃やしているということは聞いていた。そして実際、誉と対峙した際にはそれまでの柔和な態度を引っ込め、ドライな対応していた。その後、誉が次にミニゲームに出場するから応援してほしい、と俺と美琴に頼んできたとき。槐くんはその前にミニゲームをしたばかりだったのに参加したいと申し出ていた。
誉はバレーの選手として間違いなく優れている。だからライバル意識的なものを持っているのかと思っていた、けれど。槐くんが誉に対抗心を燃やしているのはそれだけじゃなかったりするのか。
「たしかに誉とは仲いいけど、槐くんに抱いているような気持ちを持ったことも持つこともないよ」
俺にとって大切で、俺のことも大切にしてくれる幼馴染たち。口にするとなれば気恥ずかしさで憚られるも、心では間違いなく彼らのことを好きと言える。けれど、その好きは槐くんに抱くものとは違い、恋にはなりようもない。だから嫉妬する日つよなんてないから安心してほしい、と伝えたつもりなのだが、槐くんの表情は拗ねたまま。
「それでも……そこに恋がなくても、相手が他人でも、友達でも、過ごしてきた時間が俺とはまるで違う幼馴染だったとしても。嵐先輩の視線や意識が他の誰かに向いていると、面白くない気持ちになってしまうんです。もっと俺のことを見てほしいって、思っちゃうんです。心が狭いので」
「……かわいいね」
思うより先に転び出た感想に、槐くんがぽかんとした。はじめて見る、ちょっぴり間抜けた表情。それは俺の中の愛しいという感情を掻き立てた。
「ごめん、嫉妬の感情が辛いのは、恋愛ではないけど俺も経験はあるから、分かるんだけど……でも、やっぱり、槐くんの健気なところを見ると、すごくかわいいと思っちゃって」
俺の意識や視線が他所に向かないように塞いでしまうのではなく、振り向かせようとするところ。衝動的になってしまうこともあるのに、本当に大事な一線は守るところ。そうして、俺のことを大切に、尊重してくれるところ。
槐くんは俺のことが好きすぎる。自惚れではない、事実として理解せざるを得ないほどに。それゆえ槐くんは俺に対して時々大胆なところもありながらもどこまでも健気だった。俺を思い育まれたその健気さを一心に注がれ、かわいいと思わないわけがなかった。
「多分槐くんが思うよりもずっと、俺の頭の中は槐くんでいっぱいだし、槐くんのこと、見てるよ」
「嬉しいです……でも、それでも、もっと見てほしいって思っちゃうんですけど。かわいい、ですか?」
「うん。かわいい。もっと、見たい。槐くんのこと。いろんな槐くんを知りたい」
今度はやさしく槐くんの両頬を包む。視線をまっすぐに絡ませる。見つめ合っているともっと槐くんに近づきたくなる——キスをしたい、と思ってしまう。
気づけば、俺たちの顔あと少し動けば、きっと唇が重なる距離にまで近づく。
まだ一瞬しか体感したことのない、自分の手の甲とも違う、熱とやわらかさがそこにある。それを思うと不思議なもので、いっそう心臓がドキドキとしそうなものなのに、今はなにかをじっと待ちわびるように、小さくとくりとくりと鳴いている。
「嵐先輩」
槐くんの呼び声に、俺の唇は震える。もうすぐそれが訪れるだろう、と少し構える——が、槐くんはそれ以上俺に近づかず、囁いた。
「デートしませんか」
「……デート?」
「明日も午前は部活なんですけど、午後は休みなんです。勉強合宿も午前までですよね。だから、デートして、お互いの理解を深めるというのはどうでしょうか」
魅力的な提案ではある。俺が頷けば、槐くんは「それじゃあ、部活が終わったらこの部屋に戻ってきますね」と嬉しそうに微笑む。
「どこか行きたい場所はありますか」
「槐くんの行きたい場所に行きたい、かな」
「俺の行きたい場所ですか」
槐くんは少し思案してから、「分かりました」と頷いた。それから、小さく笑う。
「明日、楽しみです」
「うん、俺も楽しみ」
「ねぇ、嵐先輩」
「な、なに?」
「今日は、このまま嵐先輩を抱きしめたまま、一緒に寝てもいいですか?」
「……いいよ」
「ありがとうございます。それじゃあ」
槐くんが少し身を動かし、俺の額にキスをする。
「おやすみなさい。嵐先輩」
それから槐くんは俺のことを抱きしめなおして落ち着くと、やがて、寝息を立てはじめた。
……え、寝ちゃうの?
いや、おそらく消灯からそれなりに経っているし、明日もそれぞれ授業や部活があるから寝るべきではある。あるのだけれど。
俺はすっかり呆けていた。
同じベッドで横になって、抱き合った。囁きごとを交わし、見つめ合っていくうちに甘く熱く近づいていく距離に、詰まっていく呼吸に、完全にキスをする雰囲気になったと思っていた。だが、槐くんはしてくれなかった。デートの約束をして、額にキスをして、そのまま眠りについてしまった。
それとも、その雰囲気を感じていたのは俺だけだったのだろうか。それでつい構えていたから肩透かしを食らったような気分に——いやいや、なんて自分勝手なことを思っているんだ、俺。キスをしてくれなかった、なんて。キスの雰囲気を感じ取ったのならば……キスをしたかったのなら、自分からすればよかっただけじゃないか。
俺から、槐くんに、キスを。
想像するだけで凄まじい緊張が俺を襲う。けれど……俺は槐くんからキスをしたいと望まれたときに拒んだ。あのときは恋人になる前だったとはいえ、一度拒まれたことを再度行うのは、抵抗を覚えたり勇気が要ったりするものだ。槐くんから俺には、キスがしづらくなっているかもしれない。
ならば、俺からキスをするしかない。それで、俺も槐くんとのキスを望んでいることを伝えよう。
となれば、明日のデートは絶好のチャンスだろう。恋人同士で出かけるのだ。どこかできっといい雰囲気になったり、キスができそうなタイミングもきっと発生するはず。
名付けて「デートでキスするぞ大作戦」……ダサいネーミングになっちゃったけれど、分かりやすいからOKとする。よし、俺はやるぞ。
内心でぐっと意気込んでから、俺も瞼を閉じた。万全の体調で槐くんとのデートに臨むために、しっかりと眠らなくては。
しかし、先までも槐くんのことをぐるぐると思ってはちっとも寝付けなかった。その槐くんに抱きしめられた状態で俺は無事寝れるのだろうか——と抱いた不安は、杞憂だった。
槐くんに抱きしめられていること自体は、どきどきとする。しかしそれでいて、槐くんの感触は、体温は、ふわりと香る石鹸のにおいは、俺に不思議な安堵と癒しも齎して、気づいたときには俺は夢の世界に旅立っていた。
