ルームメイトの口説き方

 午後の授業終わり、合宿実行委員から肝試しのアナウンスがあった。参加希望者は夕食時間終了までに食堂に置いてある名簿にペア相手と連名で名前を記入し、自習時間にジャージに着替えてグラウンドに集合。それから、萩原も言っていたように可能な限りルームメイトと参加するように、とのことだった。
 寮に戻ると、今日は黒木くんの姿はまだなかった。
 昨夜は色々あってゴールデンウィーク課題があまり手につかず、今日は自習時間がなくなるかもしれない。俺は夕食まで机に向かい、少しでも課題を進めることにした。数学の問題を数問解いたところで、寮の部屋のドアが開き、黒木くんが帰ってきた。座った状態で見上げる黒木くんは、かなり大きかった。男子バレー部。たしかに彼にぴったりの部活だ。
 「おかえり、黒木くん」
 「……」
 「黒木くん?」
 「すみません、部屋に帰ったら嵐先輩が迎えてくれる喜びを噛みしめてました。ただいまです」
 口元に手を当てながら、黒木くんが少し早口に言う。
 それから黒木くんは、ローテーブルを挟んで向かいに腰を下ろした。
 「俺も一緒に課題やっていいですか」
 「もちろん。あ、黒木くんは今日の肝試し、参加する?」
 「嵐先輩は?」
 「参加したいなぁ、とは思ってるよ。夜の学校を歩けることなんてそうないしね。ちょっと、怖いけど……それで、黒木くんさえもしよければ一緒にどうかなと思って。できればルームメイトと参加するようにってことだったし」
 「ぜひ。一緒に行きましょう」
 「よかった。じゃあ、夕食に行くときに一緒に名前書こっか」
 「はい」
 「課題も今のうちに片付けとかないとね」
 「……あの」
 「ん、なに?」
 首を傾げる俺に、黒木くんはわずかに口を開いて、しかし小さく首を横に振った。
 「いえ、そうですね」
 どうかしたのだろうか。他に何か言いたいことがありそうに見えたが、しかし黒木くんはあっという間に机上に課題を置いて、早速取り組みはじめてしまう。あいかわらず迷いない筆致で問題を解いていく。
 「なにか困ったことがあったら、遠慮なく言ってね」
 勉強においては問題なさそうだし、昨日ポンコツを晒した俺が言えたことではないけれど。それでも黒木くんの態度が気になってとりあえずそれだけ伝えると、黒木くんは俺を少し見つめてから「はい、ありがとうございます。嵐先輩」と瞳を細めた。
 夕食を終え学年ごとの入浴も済ませたのち、俺は黒木くんとともにグラウンドに向かった。集う面々は、二年生は青、一年生は緑、それぞれ学年カラーの学校指定ジャージを纏っている。
 俺はふと隣を見る。俺より背丈の高い黒木くんが一学年下のジャージを着ている様はなんだかトリックアートでも見てる気分になるし、それが妙に似合って見えるのは整った顔立ちとスタイルの良さゆえか。
 前に立つ合宿実行委員が「そろそろ肝試しの説明をはじめまーす」と声を掛ける頃には、勉強合宿の参加者ほとんどが集まっていそうだった。
 「事前に名簿に記録いただいた二人一組で校舎内を探索してもらいます。往路と復路を記した地図は今配っているので、それに従って進行してください」
 前にいた生徒から回ってきた地図が記されたプリントを黒木くんの分と二枚受け取り、後ろに回す。
 「ゴールは、三階にある視聴覚室です」
 実行委員がそう口にした瞬間、周囲がにわかにざわつきだした。きょとんと見回す間にも説明が続く。
 「スタート時に懐中電灯と一緒にこのお札を渡します。こちらに名前を書いていただき、復路ルートを通って視聴覚室に到着後、設置している箱の中に投函したら、往路ルートを通ってこのグラウンドに戻ってきてください。実行委員で集計しゴールが確認できたペアには、明日の夕食時にアイスを贈呈いたします」
 ささやかではあるが特典付きなのは嬉しいところである、おおーっと声をあげたりガッツポーズをしたりと喜ぶ者が多い中、ゴールが視聴覚室と聞かされてからずっと不安そうな面持ちの者もちらほらいた。その中の女子のひとりがおずおずと手を挙げた。
 「あ、あの……やっぱり参加辞退って出来ますか?」
 「ええ、大丈夫ですよ」
 「あ、私も。ゴールできなさそうだと思ったときは、引き返しても問題ないですか?」
 「はい、問題ありません。基本的には混雑防止のために順路通り進んでもらいたいですが、リタイアする場合は元来た道を戻っても構いません。ただし、ある程度引き返してからやっぱり進む……などは、極力お控えください」
 「他に質問はありませんか」と実行委員の問いかけに、いくつかの質問が投げかけられ、その対応が終わったところで出発順を決める抽選会がはじまった。
 その直前に、先に参加辞退について質問していた女子を含む二、三ペアが実行委員に申し出て寮の方へと戻っていった。
 抽選は名簿に記入した順で、俺と黒木くんは後半の方になってようやく呼ばれた。引いた順番は、二十一番。ペアの数からして、最後らしかった。
 抽選会を終えると早速、一番目のペアから順に出発していく。
 最後に出発する俺たちはしばしの暇。黒木くんのことを知るための雑談チャンスでは、と隣を見ると、黒木くんもこちらを見ていてばちっと目が合った。俺は少し心臓がどきりとして、つい目を逸らしてしまいながらも、その気まずさから慌てて口を開く。
 「よ、夜の学校なんて、ちょっとどきどきするよね」
 「そうですね」
 「そういえば、ゴールが視聴覚室って言われたときざわついてたし、帰っちゃった人たちもいたけど。なんかあるのかな」
 「嵐先輩、ご存じないんですか」
 「え? なにが……」
 「うちの学校の視聴覚室、出るって噂ですよ」
 「そ、そうなの!?」
 思わずまた黒木くんの顔を見たが、今度は平気だった。
 「七不思議的なやつ?」
 「多分。俺も部の先輩から軽く聞いただけなんで、詳しくはないですけど。たしか、昔、視聴覚室で亡くなった生徒がいてその幽霊が出るとか」
 「へ、へぇ……」
 一体なにがあってどうやって視聴覚室で命を落としたのか。場所から考えても、幽霊が出ると噂されていることから考えても、未練と悔恨とかそういうものが間違いなくあるということだろう。いくつかパターンを想像してみてぞっとする。
 「もしかして、怖いですか」
 「えっ、いや、そんなことは……」
 すいと目を逸らしながら答えたら、ふいに右手に冷たいものが触れた。びくりと肩を震わせ飛び退くと、黒木くんが片手を上げていた。
 「俺が触っただけですよ」
 「く、黒木くん」
 「やっぱり怖いんですね」
 「……なにかあったら黒木くんを盾にして逃げようかな」
 「はい、喜んで。なにがあっても嵐先輩のことは俺が守りますよ」
 冗談半分の俺に大して、そう答えた黒木くんの顔はちょっぴりほころんでいるように見えた。

 そうこうしているうちに、ついに俺と黒木くんが出発する番が訪れた。
 懐中電灯と一緒に受け取ったお札に名前を書いてから、黒木くんと連れ立って、正面玄関へと向かい、自分の上履きに履き替える。
 ルートは基本的には各階の廊下を突き進みつつ、途中いくつかの教室内を通るというものだった。
 校舎内の電灯はひとつもついておらず、廊下はまどか差し込む月光を頼りに問題なく進めたが、カーテンが閉め切られた教室はまっくらで、出発時に受け取った懐中電灯が必須だった。
 とはいえ、基本的にはただ歩くだけで一階は終わった。二、三階もそうなら……視聴覚室にまつわる噂を記憶の隅に追いやれば、この肝試しはすんなり終わりそうだ。
 夜の学校に興味があるというのも嘘ではないが、一番はこの肝試しの開催意図通り、我がルームメイトである黒木くんと親睦を深めるために俺はこの肝試しに参加した。先は黒木くんについて知る雑談チャンスを逃すどころかこの学校の怖い噂を耳にしてしまったが、課題を間に挟まずに黒木くんと過ごせている、この時間を有効活用しないわけにはいかない。
 俺は気持ち歩調を緩めて、黒木くんに話しかけた」
 「黒木くんってバレー部だったんだね」
 「はい」
 「昼に聞いてちょっとびっくりしちゃった」
 「橘先輩と同じ部活だから、ですか?」
 「え、俺が誉と幼馴染って知ってたの?」
 「……まぁ。橘先輩と萩原先輩の会話によく名前出てくるんで」
 「なるほど。その身長だし、中学のときもバレー部だった感じ?」
 二階廊下を三分の一ほど進んだところ。ふいに黒木くんの足がぴたりと止まり、俺は一歩先飲進んでしまってからそれに気づき振り返る。
 「黒木くん?」
 「……中学のときは」
 先よりも萎み、低くなった声色。もしかして、中学時代の話題が地雷なタイプだっただろうか。
 俺は「しまった……」と内心で思いきり頭を抱えた。
 小学生よりも大人で高校生よりも幼く多感な時期である中学生。その時代に、良くない思い出を積み上げてしまう人も、そして高校入学を気にそれを機に話そうとする人も世の中にはそれなりにいるだろう。かくいう俺も、そうだった。
 身に覚えがあるのにうっかりセンシティブな話題に足を突っ込んでしまったことが恥ずかく、申し訳ない。かといって深刻な気遣いや謝罪はよりいそう相手を傷つけかねない。
 よし、ここは出来るだけ軽いノリで他の話題に切り替えよう。
 「く、黒木くん——」
 かたん、と。
 俺が口を開いてすぐ、俺たち立っているすぐそばの教室からなにかが崩れたような音が聞こえた。
 教室札を確認すると、「進路指導室」と記されていた。順路にいくつか教室が組み込まれているのはそこになんらかの仕掛けがあるからだと思っていた。だが、一階ではなにも発生せず、そもそも進路指導室は順路には含まれていない。
 なのになぜ、音がする。
 このタイミングでたまたま中のものが崩れただけ、とか。そう、そうだ、そうに違いない——。
 かたん。
 再び音が鳴る。
 「そういえば」
 いつの間にか俺の真横に来ていた黒木くんが口を開いた。
 「進路指導室にもありました」
 「ありましたって……なにが?」
 「噂です」
 「噂」
 「幽霊が出るって」
 がらり。
 教室の引き戸が開く音がした。俺の動悸は加速し、胸のあたりが軋んでいるような感覚がしていた。
 幽霊なんていない、いるはずない、と思いたい。けれど、万が一、億が一がないともいえない。
 俺は咄嗟に黒木くんを背に追いやり、震える両手足を広げて立った。
 「黒木くん、逃げて!」
 開かれた戸から姿を現したのは——ひらりと揺れる大きな白い布。
 「ひ」と、喉から勝手に情けない声が出る。
 白い布は俺と同じくらいの背丈があり、ゆっくりとこちらに迫ってく。
 「嵐先輩」
 「く、黒木くん、逃げてってば」
 「あれ、シーツを被った人間だと思いますよ」
 「えっ」
 俺の後ろから出てきた黒木くんが、白い布を躊躇なく掴んだかと思うと、思い切り引っ張る。
 そこから現れたのは、青ジャージを纏った男子——萩原だった。
 「黒木、お化け屋敷で幽霊の役の仮装を剥ぐのはご法度だぞ」
 「肝試しじゃなかったんですか」
 「似たようなもんじゃん」
 「な、なんで、萩原がここに、そんな格好で」
 尋ねると萩原は「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりに腕を組みふんぞり返った。
 「一年時の合宿参加者に限り、この肝試しの幽霊役に立候補できるのだよ。そして何事も起きない一階で油断しきった者たちを恐怖のどん底に叩き落とすことが出来るのである!」
 「……もしかして、昼食後に肝試しに参加しないか聞いてきたのって」
 「無論、お前を驚かしたかったから! あ、てか、二階以降に仕掛けあることばらしちゃった、やべ。お前ら、なにかあっても驚いたふりしてやれよ」
 「進路指導室で弄ったもの直してくるわ」と言って、萩原は教室内に戻っていく。
 幽霊などいるはずはないと思っていたが、本当に幽霊ではなかった。ほっとはしたが、俺の手はまだ震えていた。それを、大きな手が包み込んだ。黒木くんだ。
 「嵐先輩」
 「あはは……なんかかっこわるいところ、見られちゃったね」
 幽霊でもなんでもないもの相手に本気で身構えたり、そのうえいまだに手が震えているなんて。笑われたって文句言えないレベルでかっこわるい。
 「というか思えば、黒木くんの前でかっこついたことなんて一度もなかったね。先輩としてというか、人として情けないというか……」
 「嵐先輩」
 苦笑する俺に黒木くんが、いつもより少し強い声で呼んだ。
 「嵐先輩は、昔からずっととってもかわいくて、かっこいい人ですよ。今だって。自分だって怖いのに、体を張って俺を守ろうとしてくれる嵐先輩、すごく、かっこよかったです」
 「いや、かっこよくは」
 「ほら」
 黒木くんは突然、俺の手を自身の胸元へと導いた。そこからは鼓動にしては少し早いリズムがどく、どくと響いてくる。
 「ときめきすぎて、心臓がうるさい」
 「……」
 「でも、もし、次危険なことがあっても、俺の前には立たないでください。嵐先輩の身になにかあったら、俺……どうなっちゃうのか分からないので」
 どうなっちゃうって、なに。と、突っ込むことはできなかった。なんだか胸がいっぱいで苦しくて、言葉が喉で詰まって出てこなかった。耳が、頬が、首が、なんだかとても熱い。
 「まだ仕掛けあるみたいですし。嵐先輩さえよければ、ここからは、手を繋いだまま行きませんか」
 「えっ」
 「嫌ですか?」
 「い、嫌じゃないけど」
 「よかったです。それから……さっきも言おうか悩んでいたのですが」
 「え」
 「俺のこと名前で呼ぶの、嫌、ですか?」
 黒木くんはわずかに眉を下げて、そっと首を傾げる。
 「今日はずっと、苗字でしか呼んでくれないので……」
 そういえば昨夜に名前で呼んでくれると嬉しい、と言われていたが、すっかり抜けていた。さっきも、ということはもしかして、寮部屋なにか言いたげにしていたのはそれだったのだろうか。
 一見は孤高の狼といった風体をしているのに、不安げにこちらを見つめてくるその様は飼い主のお許しを待つ大型犬のよう。別に意図的に名前呼びを避けていたわけではないのになんだか罪悪感を抱いてしまうし、望みに素直に従いたくなってしまう。
 「槐、くん?」
 黒木くん……あらため、槐くんの表情がそっとほころんだ。なんというか、槐くんが笑うと胸があたたかくなる。
 「嵐先輩、嬉しいです」
 「俺も嬉しかった。その……槐くんが、俺のこと、かっこいいと思ってくれて。ありがとう」
 俺は人様からかっこいいなんて言われるような人生を送ってきていない。だから、言われたところでお世辞としか思えない。それでも……槐くんは俺の間抜けに終わってしまった勇気を認めてくれた。鼓動の音まで聞かせて、その言葉を信じさせてくれた。
 槐くんの言動には嘘が見えない。とても、まっすぐな人だ。
 だからこそ、俺は余計に気になった。本当になんでそんなに俺のことを買ってくれているのか。
 その理由を尋ねてみようと思ったとき——槐くんが俺の腕に腰を回した。そのままぐっと引き寄せられたかと思うと——眼前には、風邪でもひいたみたいに熱っぽく瞳を潤ませた槐くん。次いで、唇にやわらかなものが触れる。
 それは一瞬だったかもしれないし、数秒だったかもしれない。唇同士が触れあっている間も、離れてからも、俺はずっと呆けていた。
 「すみません、今の先輩の笑顔がかわいすぎて我慢できませんでした」
 つい昨日にも聞いたような弁明を、熱っぽいため息とともに槐くんが紡ぐ。
 俺はしばし槐くんを見つめ、逡巡の末、おずおずと尋ねた。
 「……槐くんって、俺のこと、好きだったりする?」
 「はい、好きです。人としても、恋愛としても。嵐先輩のことを心から愛しいと思っています」
 間髪入れず肯定された。人として慕ってくれているらしい、とは思っていた。そしてその理由も、ちょうど尋ねようと思っていた。だが、尋ねるより先に向けられたのは、とんでもない爆弾。槐くんはそっと微笑んで言う。
 「願わくば、嵐先輩お付き合いさせていただきたいです。それが叶ったら、俺はもう、死んでもいい」
 「いや、死んだら駄目だよ……?」
 つっこむべき部分はそれだけではなかったが、しかしそれ以上の言葉を俺は槐くんに向けられなかった。
 槐くんが、俺を好き。恋愛として。
 俺にとって槐くんは、偶然の同じ部屋が割り振られ昨日に知り合ったばかりのルームメイトだ。そして俺は他人に一目惚れされるような魅力を持った人間ではない。他人から恋愛感情というものを向けられたことすらなかったのだから。
 なのに、というべきか。だから、というべきか。
 槐くんの口づけに、それからなかなかにヘビーな愛の言葉に。槐くんの風邪のような熱っぽさが伝染したみたいに、俺は全身が熱くなって、心臓が煩くて、仕方がなかった。
 と、進路指導室のドアが再び開き、畳んだ白シーツを小脇に抱えた萩原が顔を出す。
 「あれ、お前ら、まだここにいたの……ってなにしてんの」
 槐くんはわずかに頬を膨らませながら、ぶっきらぼうに答える。
 「萩原先輩には関係ないです」
 「お前本当生意気! 宮永と同じくらい俺のことも敬え!」
 萩原のぷんすかとしたその態度は間違いなくポーズではあるものの、部活の先輩の怒りを前にしながら槐くんは容赦なく告げた。
 「申し訳ないのですが、無理です。嵐先輩は俺の特別なので。さ、行きましょう。嵐先輩」
 まだぷんすかと言葉を並べ立てる萩原を無視して、槐くんが俺の手を引いて歩き出す。
 「嵐先輩。さっき、死んだら駄目って言ってくれましたけど。可能性、あるってことですか?」
 歩きながら、内緒話をするように槐くんが言う。
 「可能性って」
 「嵐先輩が俺に口説かれてくれて、お付き合いしてくれる可能性」
 「……」
 「なくても、口説くんですけど」
 「な、なくても口説くんだ」
 「生理的に無理とかじゃない限りは、口説きます。でも、もしそうなら、言ってくださいね。俺は、先輩を傷つけたいわけじゃないので」
 その声がとてもやわらかで、ただでさえ加速した鼓動に叩かれ痛んでいた俺の胸は、よりいっそう痛くなる。
 「……可能性、は、分かんない、けど。嫌では、ない、と思う」
 ぎゅ、と。俺の手を握る槐くんの手の力が少し、強張った。
 「……やばい、今、すごい、キスしたい」
 うっかり漏れ出たような敬語の殻を纏わないその声言葉が、黒い髪の隙間から覗く赤く染まった耳朶が、堪らないというように緩んだ頬が。明らかに手遅れなのにそれらを隠そうとするように口元に手を当てる槐くんの姿が。なんだかとても、かわいらしく見えた。
 勉強合宿二日目。俺のことを慕ってくれているらしいルームメイトの後輩から、愛を告白された。それに戸惑いながらもいつまでもドキドキが止まらない、どころか。どんどん槐くんが表情豊かに見えてきて、それがかわいいと思う自分がいることに、一番戸惑った。