ルームメイトの口説き方

 勉強合宿二日目。午前の授業を終えた俺は、クラスメイトの萩原千隼(はぎわら ちはや)と食堂に来ていた。
 駄弁りながら定食を食べていると、「嵐先輩」と声を掛けてきたのは、我がルームメイト、黒木くん。
 俺よりも高い背丈、逞しい体をしているのに、と、と、と、という効果音が似合いそうな足取りでこちらに近づいて来る。
 「こんにちは。お疲れ様です」
 「黒木くんもお疲れ様」
 「黒木、宮永より俺に挨拶するのが先だろ~」
 萩原がわざとらしい口調で言う。
 「萩原、黒木くんと知り合いなの」
 「知り合いもなにも、こいつ、男バレ部の後輩」
 「萩原先輩、こんにちは」
 さっきよりも落ち着いた声音で、黒木くんは萩原にぺこりと頭を下げる。萩原は腕を組んで「うむ、くるしゅうない」としたり顔を浮かべた。
 それから黒木くんは一緒に来ていた同級生と思しき男子に呼ばれ、その場を離れる。間際に、俺に向かって「また、夕方に」と手を振った。
 「男バレってことは、(ほまれ)とも知り合いか」
 「……」
 「萩原?」
 隣の萩原の方を向くと、何とも怪訝な表情を浮かべていた。
 「宮永って黒木と昔からの知り合い? 中学時代の後輩とか?」
 「え、違うけど。昨日初対面」
 「マジ?」
 「黒木くんって、一見クールに見えるけど、結構人との距離近いタイプだよね」
 「いやいやいやいや、基本的にはパーソナルスペース激広よ、あいつ」
 「そうなの?」
 「まぁ、部活中に必要なコミュニケーションは普通に取れるし、同級生ともそこそこつるんではいるみたいだけどさ。でも、ハイタッチとかは全然しないし。部活後にみんなでファミレス行こーって話になっても滅多についてこないし。どんな話題で話してても淡々としてるし、恋バナ振ったらガン無視されるし」
 「恋バナは……したい人としたくない人分かれるもんじゃない?」
 「宮永、あいつになにしたの」
 「なにって」
 なにもしていない。なのに慕われていたからてっきり、黒木くんは人懐っこいタイプで誰にでもああいう態度を取っているのか、と思っていたのだけれど。どうやら違うらしい。
 つまり……俺のなにかが黒木くんに刺さった。そしてそのなにかとは黒木くんの言い分からして、俺のポンコツムーブか。
 自分じゃあちっともかわいいと思えない間抜けでしかない振る舞いを、黒木くんは真剣な面持ちでかわいいと宣ってみせた。それがよほど刺さったから、口説きたいなんて言うほどに、特別仲良くしたいと思ってくれたということか……複雑な気持ちではある。
 とはいえ、慕われるのは悪い気はしない。部活に所属していない俺には、姿を見かけたら挨拶をしてくれるような後輩はいないから、ちょっぴりむず痒くも嬉しくもあった。寮部屋ではじめて対面し即会話が途切れたときはどうなることかと思ったが、これなら楽しく五日間を過ごせそうだ。
 「あいつも他人に懐くんだっていう、新たな一面見れて面白かったけど。でも、それなら、お前が橘と幼馴染ってこと言わない方がいいかもね」
 「え、なんで。黒木くん、誉と仲悪いの? 誉が誰かとぎくしゃくしているところ想像つかないけど……」
 橘誉(たちばな ほまれ)は俺の幼馴染だ。家が隣同士で、彼の双子の妹である橘美琴(たちばな みこと)とともに三人でよく一緒に遊んでいた。
 誉は小学生の頃からバレーのジュニアチームに参加し、中学時代には全国大会に出場したほどの実力を持っている。強豪校からスカウトもあったらしい誉だが、妹と幼馴染と同じ学校に通いたいからという理由だけで、バレーの名門でもなんでもないこの学校への入学を決めた。俺と美琴がどれだけ「考え直せ」と訴えても決して曲げなかったほどに我が道を譲らない男ではあるが、基本的に性格は春の陽だまりのように穏やかで、人あたりもかなりいい。
 黒木くんとの付き合いはまだ短いが、あまり攻撃的なタイプには思えない。初対面時の態度をわざわざ謝ってくれたり、朝俺より起きて俺の寝姿を眺めていたり、顔を洗い終えた俺にタオルを渡してくれたり、さっきみたいに進んで挨拶をしてくれたり。独特なところは多少あれど、健気に俺を慕ってくれる様を思うとなおのこと。
 「仲は悪くないけど、ライバル視してるところがあるというか。ミニゲームで橘と当たると、露骨に好戦的になるんだよな。ポジションは違うのに」
 「へぇ」
 「橘はそんな黒木を面白がってる」
 「それは……まぁ、想像つくかも。あいつ、上下左右問わず自分に遠慮なくぶつかってくる人好きだから」
 「あと、世話焼いてくれるやつね」
 萩原が半目でこちらをじっと見てくる。
 「な、なに」
 「お前と美琴ちゃんがせっせと差し入れを持ってきてくれたり、勉強の面倒見てやったり、せっせと世話焼くから、女子たちがあいつにアプローチするハードルがすっごい上がってんの」
 「はぁ……」
 「あいつはモテるだけモテながらもずっとフリーの状態! おかげでこっちに全然モテチャンスが! 回ってこない!」
 萩原はぐっとこぶしを握り、大仰に項垂れる。
 「うーん、それに誉は関係ないと思うけど……」
 「俺自身の問題だと!?」
 「いやいや、誉に恋人ができたから他の人に~って切り替える子がいたとしてもさ。そういう人よりも、誰がいようがいまいが「萩原のことをいい」って言ってくれる人の方がよくない?」
 「そ、それは、まぁ、たしかに……」
 「萩原はいいやつだから、きっとそのうち、そういう人に巡り合えるよ」
 「み、宮永……!」
 感激しきった様子で萩原は俺の手をひしと握った。
 「俺もお前みたいな世話焼きで親身に相談に乗ってくれる幼馴染欲しかったなぁ……」
 「ははは……」
 萩原は俺とは違い、大学進学のための成績向上を志して、自らの意志で勉強合宿に参加した。お調子者なところもあるが、クラスでは、そしておそらく部活でもムードメーカーを担っているが、しっかりと場の空気を読んでおどけている。かなり真面目で思慮深いやつでもあり、彼が男子バレー部の副部長に任命されているのはそれが認められてのこともあるだろう。
 まぁ、やたらとモテたがるところに関しては、おどけ三割、本気七割くらいに感じるけれど。それがなければ普通にモテそうなものにな、と思う。ちょっぴり残念なやつ、けどそこもいいところだと俺は思う。
 談笑もそこそこに食事を終え、次の授業に向かう途中、「そういえば」と萩原が切り出した。
 「今夜の肝試し、宮永は参加する?」
 「肝試し?」
 「勉強合宿二日目の恒例行事なんだよ。合宿実行委員主宰で、夜の学校を一周すんの」
 「へぇ、そんなのあるんだ」
 「勉強ばっかじゃ息が詰まるしね。あとは、同室の後輩と親睦を深めるためのレクリエーション的な感じ。基本的にはルームメイトと参加するようにってルールだから。お前んとこはすでにずいぶん深まっているみたいだけど」
 「うーん……そんなにじゃない?」
 「あの黒木が、あんなに懐いてんのに?」
 「でも、俺は黒木のこと、まだ全然知らないから」
 勉強ができること、男子バレー部に所属していること。あ。あと、スマホの操作が素早いこと。俺が黒木くんについて知っているのは、それくらい。
 「あ——萩原、俺の授業道具も一緒に持ってってくれない?」
 「え、いいけど。なに、トイレ?」
 「ちょっと、手伝ってくる」
 視線で廊下の先を示せば、萩原もそちらに目を向けると納得したように「ああ」と頷き、テキストとペンケースを預かってくれた。
 廊下の先にいたのは、髪も髭も雪のように白く小柄な老齢の男性教師。一年の古典を担当しており、穏やかな口調の分かりやすい授業に、俺も去年お世話になった。彼は細腕に数十冊のノートを抱えていた。俺も去年お世話になった先生だ。
 駆け寄り声を掛けノートをすべて預かると、先生は苦笑した。
 「いつもありがとね、宮永くん。でも、廊下は走らないように」
 「う……つい」
 「はは、そこが宮永君のいいところでもあるんだけれどね。一年五組の教室まで運んでもらってもいいかな」
 「分かりました」
 俺はちょうど二階にて、一年五組は三階。俺でも重いと思うノートを抱えながら階段を上るのはかない大変だったろう。気づけてよかったとほっとする。
 が、俺の方も少しだけ、懸念があった。先生と連れ立って三階へと上がる階段を前にしたとき、体が少し緊張し、左脚が少しむずりとした——一度塞がった傷の蓋を揺らすように。
 大丈夫。怪我自体、中学のうちには治っているのだから。上り階段であれば、下り階段よりは負荷がかかることもない。むずつく感覚も所詮、気持ちによるものに過ぎない。だから、きっと、大丈夫。
 そうして意気込んで階段を上ろうとしたとき。背後から「嵐先輩!」と呼びかけられた。
 振り返ると、少し焦った様子の黒木くんがいた。「どうしたの?」と聞くより先に、黒木くんは俺の腕から、ノートを全部掻っ攫っていった。
 「俺が運びます。一年の授業のノートですし」
 「え、でも、重たいでしょ。せめて半分——」
 「駄目です。嵐先輩は教室に戻ってください。先生、五組でいいんですよね」
 「ああ、うん。ありがとうね、黒木くん」
 黒木くんはあっという間に階段を上っていき、その場に俺と先生だけが取り残された。
 「黒木くんは次、古典じゃないのにねぇ。よっぽど〝先輩〟のこと慕っているのかな」
 「それじゃあ、またね。宮永くん」とほのぼのとした笑みを浮かべた先生もまた、ゆったりと階段を上っていく。
 俺に声を掛けてきたときの少し焦った様子の黒木くんを思うに、俺と先生の姿を見て急いで追いかけて来てくれたのだろうか。
 かっこよくて、やさしくて、勉強もできて、ポジションは違えど優秀な先輩相手に対抗心をめらめらと燃やすほどに部活動に熱心で——非の打ち所がない、いい子過ぎないか? 黒木くん。
 すっかり感心すると同時に、俺はよりいっそう思った。
 俺と黒木くんはたまたま同室になっただけの、五日間限りのルームメイト。
 だから当然に、俺は黒木くんのことをまだよく知らない。黒木くんもまた俺のことをさほど知らない。
 それでも黒木くんはずいぶんと懐いてくれていて、俺もまた、黒木くんのことを素敵な子だと、もっと知りたいと思っている。
 この合宿が終わるまでにもっと黒木くんとコミュニケーションを取りたい、そしてあわよくば合宿後も廊下ですれ違ったら挨拶を交わすくらいには仲良くなれたらいいな、と。俺は密やかに、けれど強く、思ったのだった。