男子校の“姫”が俺にだけメロい

 
 バイトがない日の放課後は、“いつもなら”時間だけじゃなく心にも余裕がある。俺たちの教室から少しだけ歩いたところにある屋上へ続く階段に、姫宮と二人で来ていた。
「こんな蒸し暑いところに呼び出してごめんね。誰にも聞かれないように話すならここしかないと思って」
 俺の前を歩き、先に屋上前に着いた姫宮が申し訳なさそうに言う。素の飄々とした雰囲気はそのままに、どこか緊張しているのが分かる。
「それは別に……」
 登りきるまであと数段というところで立ち止まった俺も、正直落ち着かない。昼休みの出来事が頭から離れなくて、授業中も何度も姫宮の背中を盗み見てしまった。
「屋上、やっぱり鍵かかってる」
「下手に開け放しておくと色々問題があるんだろう」
「……猪狩くん」
 屋上のドアが開かないと分かった姫宮は小さく息を吐いて、こちらを見た。
「さっきはごめん。猪狩くんのこと考えないであんなこと言って、無神経だった」
 視界に俺を捉えるなり深く頭を下げる姫宮。この口ぶりだと、やはり俺の恋愛対象が同性であることを察したのだろう。
「傷つけちゃったよね。距離を置かれてもしかたないと思う」
「……」
 心臓が鈍く軋む。距離を置きたいと……誤解されたら面倒だと思ったのは、姫宮の方じゃないのか。
「生徒会長、かっこ良くて猪狩くんより大きいから」
 こちらの返事を待たず、姫宮は頭は上げつつも視線を落としたまま続けた。
「二人が並んで話してるとこ正直めちゃくちゃお似合いだった。噂を百パーセント信じてたわけじゃないけど……万が一にも、あの人には君を変な目で見てほしくなかった」
 “変な目”とは昼休みと同じ言葉なのに、今は少し違って聞こえる。
 ──どうして姫宮は、水瀬会長が俺を“そういう目で”見ることを良く思わなかったんだ。
 ──それって、まるで。
「ほんと言うと俺もね、同性が好きなんだ」
 怖気づく俺を前に姫宮は遠慮がちに、でもはっきりと打ち明けてくる。
「で、今猪狩くんのことが気になってる」
「……っ」
 姫宮は淡々と話しているようで、手をよく見ると小さく震えている。俺と言えば、直前のやりとりからなんとなく分かっていたにも関わらず頭が追いつかない。
「困らせるつもりはないよ。たださっきの『気になる人に近づきたいって思って何が悪い』っていうの聞いて……伝えるだけなら良いかなって」
「姫宮……」
「あれも、誰かを想って言ってたんだよね」
 断定するように言う姫宮の声は妙に明るい。でもその表情は、俯いていることもあって陰っていた。
「俺の身長が……一センチでも君より高かったら、ちょっとは違ったのかな」
 今は俺が階段を登り切っていないので、屋上に近い姫宮の方が目線が高い。リードしてくれる男性と付き合いたいと願う俺は図らずも理想の身長差を体現することになったが──……どうしても違和感が拭えなかった。
「何も、違わない」
 言いながら、残りの階段を駆け上がる。いつも通り姫宮が俺の顔を見上げた時、言いようのない安心感が胸を撫でた。
「俺にとっては今の姫宮が一番かっこよくて、もっと近づきたい。見た目なんか関係ない」
 我慢したことも頑張ったことも、その体格なら当たり前だと吐き捨てずに認めてくれた。情けないところも優しく包み込んで、『可愛い』と笑ってくれた。
 そんな姫宮に、これ以上何を求めることがある。
「俺も悪かった。姫宮がどんな気持ちで言ったか考えもしなかった」
「猪狩くんは何も悪くないよ。俺が変に先走っただけ」
「そんなこと……うわっ」
 勢いをつけて動いたせいか、片方の上履きが脱げた。それについて言及せずすっと差し出された姫宮の手に掴まり、履かせてもらう。
「あ、ありがとう」
「ううん。……雄一くん」
 無事に履き終わって手を離そうとするも、ぎゅっと握りこまれてびくともしない。華奢な見た目に反して結構鍛えてるのかもしれない。いやそれよりも、姫宮はどうして急に俺の下の名前を……?
「生徒会長が、君のこと下の名前で呼んでたでしょ。俺も、呼びたいって言ったら迷惑?」
 やっと目が合ったのにそこでまた視線を逸らされて寂しい。素の姫宮はいつも大人びて見えるが、今はなぜか幼くて……拗ねてるような感じがする。
「迷惑なわけがない。好きに呼んでくれ」
「ほんと?ありがとう、雄一くん」
 俺の了承を確認した姫宮が嬉々として呼んでくる。……たったそれだけなのに水瀬会長の時とは違い落ち着かなくて、耳が熱くなった。
「じゃあ、俺のことも下の名前で呼んで」
「え、良いのか?」
「もちろん」
 まさかそうなると思わなくて背筋が伸びる。改まって呼ぶとなると緊張する……が、いつまでもやらないと『俺の下の名前、知ってる?』なんてからかわれそうだ。
「み、美来璃……」
 意を決してそう呼ぶと姫宮……いや美来璃は一瞬ピシっと固まったが、すぐにこれでもかと頬を緩めた。
「やっば。結構破壊力あるね、これ」
「どういう意味だ……」
 お互いろくに目も合わせられず、でも険悪な感じではなくて。窓から差し込む夕焼けが周りを染める中、俺たちは笑い合った。……が。
「そうだ、雄一くん」
「なんだ?ひ……美来璃」
「さっき、俺にもっと近づきたいって言ってくれたけど……どういう意味か、今度じっくり聞かせてね」
「あっ」
 学校での、“姫”と呼ばれている時でさえ見たことのない柔らかな笑みがとんでもないことを言い放つ。
 美来璃が俺を気になってると発したことも、俺が美来璃をかっこいいと言ったことも。名前呼びのくだりで有耶無耶になると思っていた俺は、ここでようやく逃げられないと悟った。