海山を駆ける葦

 家内にとある作家の野蛮さについて話した。いまから百年前に活躍した作家だけれども、当時の生物倫理が異なるのか作家が異質なのかわかりかねる。
 
 爬虫類、哺乳類を平気で殺し、それを書いているわけだが、顰蹙を買っていないことを鑑みるに一般的倫理観だったということだろう。現代で爬虫類や哺乳類を殺戮していたらまずい。後者は法に抵触するかもしれない。ただし、害獣をのぞく。

 P県西部にはクマはいないとされる。げんに私は春から秋にかけて何度も山に登るがクマに遭遇したことはない。いつも一人で登るので登山道の下や脇からガサガサと音がしていると怖くなる。夏場は午前五時まえでも明るく、最近の酷暑では日中耐えがたいため出かけることが多い。すると登山口に設置されているイノシシ捕獲かごに親イノシシが捕まっていることがある。体躯は黒くグァグァと低く強い恐ろしい声で鳴くので本当にイノシシなのか近寄って確認したほどだった。

 外は明るくても山中は暗く、懐中電灯で足元を照らしながら歩く。何が出てくるかわからず非常に恐ろしい。日中の地獄の暑さと獣に襲われる怖さを天秤にかけたら後者のほうがマシだという結論に至った。登山の醍醐味は多用だろうが、私は登頂時の気持ちよさが忘れられない。山頂からの眺めとともに踏破したという満足感、脳内の快楽物質などが入り混じって心地よい。汗が噴き出ていてもそれが段々と体を冷やしていき、ついには寒くなっていくけれども、それも気持ちがいい。とくに風が吹いていると自然の中に調和した感がありなおよい。

 県内最高峰のP山はついぞ登らないという気がしている。麓に広がるなだらかな平原は実に見事なものでずっと見ていたい気分になる。自然の雄大さ、太古から自然によって造形された自然に対峙するとき私たちは大きな感動を覚える。理由はわからない。だが、そのような体験は大切にしていきたいし、何度味わっても飽きるものではないだろう。

 私の身近にある圧倒的自然は海山だ。が、海のほうは飽きている。日本海に飽きていたので昨秋、高知は室戸岬、足摺岬に行ったものの、なんだか日本海と変わらないのでつまらなく思った。そのときは陽が出ていたが、白波や煌めきなど何をとっても日本海と大した変わりはなかった。海はもういい。

 先日、どうせつまらないなら本物の海ではなくてもいいだろうと家内と一緒にP港に行った。茶色い水面が波打っていて脳天を衝かれたように絶望した。その絶望というのは具体的に説明することが可能で、青少年期に患っていた舞踏アテトーゼの発作の際に走る脳の痛みだ。いまでも体がそれを覚えていて、絶望すると全身を通って脳がズキズキする。

 愛してやまないこの街に絶望した瞬間だった。それはまだ序章であって私はその後、この街からさらなる絶望を食らうことになる。