ハイスぺ後輩が俺の強火担らしい(※同担拒否)

翌日。
 昨日の出来事は、まるで質の悪い夢だったかのように思える。
 最近、どうにも眠くて仕方がない。春のせいかと思ったが——今朝の睡眠不足は間違いなく安堂凌太のせいだ。
 机の冷たい感触に頬をつけ、せめて午後の授業まで眠ってしまいたい——そんな願いは、肩を揺さぶる振動であっけなく打ち砕かれた。

「宇佐美、起きて」
 顔を上げると、図書委員の藤山がいつものハの字眉をさらに情けなく下げて俺を見下ろしていた。
 どうせまた鍵の押し付けだろう。
「……なに?」
「お客さん」
 客?
 その単語は、モブとして生きる俺の人生には無縁なものだ。
 藤山が指さす方へ視線を向けた瞬間、血の気が引いた。

 教室の入口に、安堂凌太が立っていた。
 遠目に見てもわかる茶色い髪と整いすぎてる横顔。何人もの女子がスマホを構えて、安堂を取り囲み、まるでちょっとしたイベント会場だ。
「安堂君じゃん! なんでここにいるの」「もしかして三年に彼女いるとか?」「やば、近くで見るとビジュえぐい......」
 なんで、あいつがここにいるんだよ。
 騒ぐ女子たちを適当にあしらいながら、安堂の視線は教室の中を探るように動いていた。
 まずい。目が合う。
 反射的に藤山の手をつかみ、窓際へと引きずった。遮光カーテンの厚い布地に、二人で身を潜める。
「どういうこと? なんで安堂がいるんだよ?」
「俺も知らないよ。いきなり教室に来てさ、『図書委員の人いますか?』って。俺が委員だって言ったら、『違います』だって意味わかんないだろ」
「......
「『図書室の施錠してた人を探してる』とか何とか。それって、宇佐美のことだろ?お前、知り合いなの?」
「知り合いじゃない......」
 それなのに。カーテンの裾から恐る恐る覗くと、安堂の視線と真正面からぶつかった。
 ヒッ、目が合った......!
「ほら、こっち見てるぞ」
「見るな! 目を合わせるな」
 慌てて藤山の頭を押さえつけ、再び身を隠す。
 一瞬だけ見えた安堂の顔は、驚くほど機嫌が悪そうだった。
 俺のせいか? 俺、何かした?

「あとはよろしく」
 藤山が能天気に立ち去り、カーテンの裏に残されたのは俺ひとり。
 もう無理だ。いつまでもこうしているわけにはいかない。
 人違いであってくれ。
 そう願いながら、後ろのドアから教室を抜け出した。
 
 もし俺に用があるなら、ついてくるはずだ。
 頼む……人違いであってくれ——廊下の窓ガラスに映る自分の姿。
 その数歩後ろ、同じガラスに安堂の姿も映っていた。
 近すぎず、離れすぎず、一定の距離を保ちながら。
 すれ違う生徒たちが彼を見てざわつくが、本人は何も気にしていない。
 背筋にぞくりと冷たいものが走る。
 このまま校舎を逃げ回れば、すぐに噂になる。
 人目につかない場所。
 進路指導室だ。あそこなら出入り自由で、この時間は誰もいないはず。
 迷わず階段を降り、二階の奥の部屋へ滑り込んだ。
 ドアを閉めた数秒後、予想通り安堂も入ってくる。
 カチャリ、とドアが閉まる。
 その静かな音が、この狭い部屋での二人きりという事実を突きつけてきた。
「へぇ、こんな部屋があるんですね。初めて入りました」
 人を追い回しておいて、のんきな態度に苛立つ。
「……俺に、何か用?」
 安堂はわずかに瞬きをして、小首を傾げた。
「用ってわけでは……」
「じゃあ、何なんだよ!」
 苛立ちが声となって爆発した。
「先輩と話したかっただけです。昨日、待っててくれなかったから」
「だから!その『話したい』の意味がわからないんだって!」

 安堂は何かを考え込むように視線を泳がせ、不意に俺の背後の壁を指さした。
 そこには【推しの大学を見つけよう!】という進路用ポスター。
「しいて言えば、これですかね」
「は?」
「……推し活、ってやつですかね」
 は? お前が俺を、推す??
 脳が情報を拒否し、理解が追いつかない。
「俺、アイドルじゃないけど。どこもどう見ても」
「あははっ!」
 安堂は堪えきれないというように吹き出した。
「そんなのわかってますよ、先輩がアイドルなわけないでしょ!」
「お前......バカにしてんのか」
「してません。それに、推しはアイドルだけじゃないでしょ」
 安堂から笑いの気配が消えた。
「なんでお前に推されないといけないんだ。昨日、初めて会ったばっかだろ」
「……やっぱり、覚えてないんだ」
 温度を失った彼の瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
「初めてじゃないですよ、俺たち。前に会ってます」
「え? いつ?」
「教えません。思い出してください。そうすれば、その間ずっと、俺のことだけ考えてくれるでしょ」
 そんなセリフを悪気のない笑顔でさらっと言うな。
 タチが悪すぎる。
 整いすぎた顔が近すぎて、息が肌に触れる。
 心臓の音がうるさい。
「わかった……わかったから、ちょっと離れろ。近い、ほんとに」
 声が裏返った。
 安堂は素直に一歩引いたけれど、口元は楽し気に歪んでいた。
「なに、笑ってんだよ」
「すみません。つい嬉しくて。やっと先輩を見つけたので」
「......」
「先輩、存在感薄すぎ。探すの大変だったんですよ?」

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響いた。
 安堂は露骨に眉を寄せ、「終わるの早ぇ」と不満を漏らす。
「初めて二人きりになった記念に、次の授業はさぼりません?」
「さぼるわけないだろ。さっさと教室戻れ!」
 きっぱりと遮ると、安堂は「ですよねー」と軽く笑い、ドアに手をかけた。
 やっと解放されると思ったのに、急に振り返った。
 再び近づいて来る気配に、身体は硬直する。
「そういえば、先輩」
「……なに」
「さっきみたいなことは、今後一切やめてくださいね」
「さっき?」
「カーテンの中で、男とこそこそしてたでしょ」
「こそこそなんかしてない!お前から隠れてただけだ!」
「マジで切れそうになりました。必死で抑えてたんです、俺」
 低く落とされたその声には、笑えない種類の独占欲が滲んでいた。
「今度見つけたら、先輩の隣にいる奴をカーテンごと引きちぎりますんで」
 背筋がひゅっと冷えた。
 冗談だ。ただの冗談に決まっている。なのに、こいつが言うと冗談に聞こえない。
 やばい。本気でやばい。
 俺はただ、目立たず静かに生きたいだけなのに。
 よりによって、目立ちすぎる後輩に「強火」で推されて、しかも「同担拒否」までされてるらしい。

 休憩時間になっても安堂は現れなかった。
 ほっとしたのも束の間、体育館への移動中に藤山に捕まった。
「安堂凌太、なんの用だったの?」
「昨日、図書室に忘れ物したみたいで、それを聞かれただけ」
 しどろもどろになりながら嘘を吐くと、「なんだ」とあっさり納得した。
「だよな、宇佐美と安堂に絡みがあるわけないか」
 案外あっさり信じてくれた。ああ、モブでよかった。
 
「そういえばさ、今度の日曜空いてる? 他校の子と遊ぶんだけど」
 藤山が俺の肩に腕を回してくる。
「行かない。行くわけないだろ」
「えー、たまにはいいじゃん」
 まとわりつく藤山を「やめろよ」と振りほどこうとした、その時。
 ――通せんぼするみたいに、安堂が立っていた。
 仁王立ちで、俺の肩に回された藤山の腕を、殺意を込めたような目で睨みつけている。
 やばい。藤山の腕が引きちぎられる。
「あ、安堂!忘れ物、教室にあるから取りに行こう」
 俺は慌てて安堂の肩を押し、彼を階段の踊り場へと連行した。

「さっきのは何なんだよ!変に思われるだろ」
 人気のない踊り場で、俺は声を荒げた。
「俺、言いましたよね?そういうこと、しないでくださいって。男に肩抱かれて何してるんですか」
「だっ、抱かれてないし!それに、お前には関係ないだろ!」
 突き放すように言った。そうするしかなかった。
 だって、そうだろう。俺が誰と何をしようと、安堂に関係ない。
「......そういう言い方、するんですね」
 安堂の声が、みるみる温度を失っていく。
 怒っているというより、ひどく傷ついたような目。
「わかりました。じゃあ、俺も好きにします。休憩時間のたびに会いに行くし、廊下でもどこでも、誰がいようが関係なく話しかけますから」
 足元がぐらついた気がした。
 宣戦布告。完全に詰みだ。
 目立たず、騒がず、波風立てず、誰にも邪魔されない静かな世界。
「......わかった」
 抵抗しても無駄だ。安堂は本気で俺の日常を壊しにくる。
 俺の呟きは、自分でも驚くほど弱々しかった。
「なにが、わかったんですか?」
「......譲歩するよ。放課後、図書室で話そう。あそこなら誰もいないから」
 安堂の表情が、劇的に変わった。
 さっきまでの不機嫌さが嘘みたいに、ぱあっと光が差したように明るくなる。
「ほんとに?」
「勉強の邪魔はするなよ」
「約束します」
 安堂が笑った。初めて見る、計算のない無防備な笑顔。
 胸の奥で、また、どくん、と音がした。
 やばい。これ、やばい。
 俺の平穏な日常が、終わった瞬間だった。