ハイスぺ後輩が俺の強火担らしい(※同担拒否)

「体育館で進路説明があります。名前を呼ばれたら速やかに移動するように」
 担任の声が教室に広がると、新学期の張り詰めていた空気が一気にざわめきに変わった。
「うわ、受験生って感じ」「俺、志望校とかまだ決めてないんだけど」
 あちこちで椅子が引かれる耳障りな音が響く。
 クラスメイトはバタバタと荷物をまとめ、出席番号順に廊下へ出て行く。
 一人、また一人と減っていき、気づけば俺だけが取り残されていた。
「……宇佐美?」
 担任が不思議そうに顔を上げ、手元の出席簿に視線を落としている。
「なんでまだいるんだ? 移動しなさい」
「名前、呼ばれなかったので」
「え? ああ……飛ばしてたみたいだな。悪い悪い」
 その言葉を聞いて、俺は内心で深く頷いた。
 ―—よし、完璧だ。
 俺、宇佐美粋(うさみすい)は高校三年生。
 目立たず、騒がず、波風立てず——それが、高校生活における唯一の生存戦略だ。
 担任に名前を飛ばされるレベルの影の薄さは、プロのモブを自称する俺にとって最大の賛辞といってもいい。

 体育館へ向かう廊下。窓からふと視線を落とすと、中庭を挟んだ南校舎の二階にやけに彩度の高い集団がたむろしている。
 その中心に君臨しているのは、茶色い髪にゆるいパーマをかけた男、安堂凌太(あんどうりょうた)だ。
 周りの連中がバカみたいに騒いでいる中、安堂だけは一人だけ壁に寄りかかり退屈そうにスマホをいじっている。
 ときどき口を開けば、それだけで周囲が大げさに反応する。
 ......くだらない。
 どうせ、そんなのは今だけだよ。いくらチヤホヤされても、そんなのちょっとしたきっかけで、簡単に崩れる
 友達だと思ってた奴が、明日には笑いながら砂をかけてくる。
 俺はそれを中学時代に痛いほど学んだ。
 ――安堂凌太。
 どこにいても注目を集める王様。俺みたいな「背景」とは、交わることのない世界の人間だ。
 
 制服のポケットの中でスマホが震えた。兄貴からのメッセージだ。
『連休は来れそう?』
『行く。ずっといていい?』
『俺はバイト行くけど、ご自由にどうぞ』
 やった......!
 あと10日耐えれば、兄貴に会える。
 俺は緩んでしまいそうな口元を慌てて引き締めた。
「宇佐美!」
 トイレから飛び出してきたC組の藤山が、俺の顔を見るなり駆け寄ってきた。
「悪いんだけど、今日も図書室の施錠、頼んでいい?」
「いいよ」
 親切なんかじゃない。グダグダ押し問答する方が面倒なだけ。
 どうせ図書室にいるのは俺だけだし。

 六限目の授業が終わると、教室の空気が緩んだ。
 俺はそそくさと教科書をカバンに詰め込み、北校舎の四階へと向かう。
 階段を上がるたびに、喧騒が遠ざかり、空気も匂いも変わっていく。
 使われていない教室ばかりのフロアにある図書室。
 薄暗さ、埃、それから古紙の匂いが混ざり合った独特の静寂。
 ―—ここは俺だけの居場所だ。
 錆びて建付けの悪くなった、重いドアをギギッと鳴らして開ける。
 よし、今日も誰もいない。
 窓際の一番奥の席、書架の隠れてどこからも死角になる特等席に腰を下ろした。
 やっと、一息つけた気がする。
 けれど、しばらくするとドアが開く音がした。
 ギギギ……バタン。
 ――誰だよ。
 気配は感じるが、足音は近づいてこない。
 ま、どうせすぐに出ていくだろう。
 それにしても、春の陽気ってやつは、どうしてこうも心地いいんだろう。
 英語の長文を目で追っているはずなのに、だんだん単語が記号に見えてきて――。

 下校を告げるチャイムで、はっと目が覚めた。
 ……またやってしまった。寝落ちだ。
 慌ててカバンを肩にかけ、ドアへと向かう。
 入り口付近の学習スペースの横を通り過ぎようとした、その時。
 視界の端に、ありえない人影が映り込んだ。
 ――え?
 机に突っ伏して眠る、あの、ゆるいパーマの茶髪。
 安堂凌太?
 机の上には、ぐちゃぐちゃのレポート用紙に大量の消しゴムのカス。
 一番上の紙に書かれた「反省文」という威圧的な見出しが目に入る。
 入学してまだ二週間で、何をやらかしたわけ?
 息をひそめて近づいても、肩ひとつ動かさない。
 関わりたくない。
 でも、さすがに閉じ込めたまま施錠するわけにもいかない。
「……おい、起きろ」
 小さな声では、当然反応はない。
 俺は意を決して、指先でそっと、安堂の制服の肩をつついた。
 安堂は、ゆっくりと顔を上げた。
 大きく伸びをする一連の動作が無駄がなくしなやかで、思わず息を呑む。
 うわ、近くで見たら、ビジュつよ……。
 至近距離で浴びるその顔面は、もはや暴力に近い。
 くっきりした二重のラインに、長いまつ毛が綺麗な影を落としている。
 スッと通った鼻筋に、形のいい唇。
 どのパーツも神様が細部までこだわって設計したみたいに完璧なバランスだ。
 俺なんて、居眠りしながら作ったみたいに適当なのに。
 つい、美術品でも眺めるみたいに、じっと見入っていた。
 でも相手は「物」じゃない。
 俺が見ているということは、当然、相手も俺を見返しているわけで。
 眠たげだった安堂の瞳が、ゆっくりと、俺の姿に焦点を結んでいく。
 視線を逸らしたいのに、なぜか絡めとられたみたいに動けない。
 しんと静まり返った図書室で、俺の胸の奥が、どくん、と大きく音を立てた。
「……いたんだ」
「はい?」
 ――いたって、何が?
 寝ぼけたようなことを言う安堂に、努めて落ち着きを装って返した。
「......下校時間だ。閉めるから、出て」
「……」
 目の前に立つと、思ったより背が高く、しっかりと肩幅がある。
 すれ違いざま、もう一度視線がぶつかった。
 何かを言いかけて、飲み込むように口を結び、そのままドアの向こうへ消えていった。
 ドアが閉まる音を聞いて、ようやく息を吐いた。
 ......心臓に悪い。
 念のため、少し間を置いてから、俺も図書室を出た。
 鍵を取り出し、施錠を済ませて階段を降りようと角を曲がったところに、安堂がいた。
 廊下の壁にもたれて、不機嫌そうな顔で俺を待っていた。
 ――なんで、まだいるんだよ。
「わ、忘れ物でもした?」
 情けないことに、声が思い切り上ずってしまった。
 安堂は何も言わず、じっと俺を見ている。
 その視線が妙に重くて、逃げるように早足で前を通り過ぎようとした瞬間。
 がし、と腕を掴まれた。
「っ……!」
「……待っててください」
 低くて、かすれる声。
「は?」
「すぐ終わるから、ここにいてください」
「なんで?」
「……とにかく、待ってて欲しいんです」
 それだけ言い残すと、安堂は階段を駆け降りていった。
 取り残された俺は、ただぼんやり立ち尽くすことしかできない。
 ――待ってて? 俺に用事?いや、そんなわけないし。
 混乱したまま息を整える。
 いや、帰ろう。待つ理由なんて1ミリもないんだから。
 きっと人違いだ。そうに決まってる。
 校舎の影が長く伸びて、夕日はオレンジ色に染まっていた。
 でも、西日を透かしたあいつの茶色い髪のほうが、ずっと綺麗だった。