拝啓、ひとりぼっちの君へ

「——ただいま、ユウ」
 リビングに入ってきた時、お父さんは、よれよれの白衣を着ていた。
 きっと他に服を持ち合わせていなかったんだろう。
 つぐつぐ仕事人間らしいなと思う。
「……」
 お父さんのケガは、ほとんど完治していた。けれど、あいかわらず、よく眠れていないのか、目の下の深いクマやこけた頬は、とても健康体とは言い難い。
「朝飯は、もう食べたのか?」
 床に荷物を置いて、お父さんが聞いてきた。
 そういえば、レイがいなくなってから、まともに食べていない。
 けれど、ちっともお腹は減らなかった。きっと感覚が麻痺してしまったんだと思う。
 目線は床に落としまま、わたしは首を横に振った。
「なら、これから一緒に食べないか? 私が作ろう」
 料理……? お父さんが?
 思わず、耳を疑った。
 昔、一回だけお父さんがパンケーキを焼いてくれたことがある。
 でも、途中で火加減を失敗して、できあがったのは炭のような黒い塊だった。
 数少ない、わたしが覚えているお父さんの記憶。それを思い出と呼んでいいのかはわからない。

 ゴソゴソと冷蔵庫を漁る音。
 キッチンに白衣姿は、あんまりにも似合わなかった。
 カチャカチャ。ボトン!
 家の狭いキッチンを、お父さんは右へ左へ行ったり来たりする。
 ある時は調理器具がド派手に落ちて、床に散乱していた。
 だ、大丈夫かな……。 流石に、心配になってくる。
 思わず、立ち上がりかけた足を引っこめた。
 言葉は、喉元まで出かかっているのに。 余計なプライドが邪魔をする。
 わたしとて、そんなに料理ができるわけじゃない。今さら、そのツケが回ってきた。

 数分後。
 テーブルには、黄身が潰れた目玉焼きと、黒焦げの”何か”が置かれていた。
 多分、トーストだろう。ほとんど炭と化して、原型をとどめていないけれど。
「すまない、無理して食べなくていい」
 ここまで酷いと、逆に才能のようにも思えてくる。
「……ユウ、私はダメな父親か?」
 向かいの席に腰を下ろしたお父さん。そこには、いつもレイが座っていた。
「さぁ、どうかな。少なくとも、わたしはお父さんのこと好きじゃない。でも、それはお父さんも同じでしょ?」
 ぎょっと目を剥くお父さん。そんな顔されるとは思わなかった。
「だ、だって、わたしのせいなんでしょ……? お母さんが亡くなったのって。わたしを産んだせいで病気が悪化して、それでっ」
「誰から聞いた?」
 低い声が返ってくる。珍しく感情的になっているお父さんが、正直、ちょっと怖かった。
「高野さんっていう看護婦さん……お父さんの入院先の」
 鈍色の瞳孔が大きく揺れる。

「やはり、私は君のようにはできないな……夕花」

 ため息の後の静寂に落ちたつぶやき。 1分刻みのホログラム時計の数字が変わった。
「ずっと隠していて、すまない」
 顔を隠すように、お父さんは手で額を覆う。
「わからなかったんだ、どう話せばいいものか……」
 お父さんの青白い唇が震える。
「だが、夕花が亡くなったのは、決してお前のせいじゃない。夕花自身がそれを望んだんだ。医師や家族の反対を押し切ってまで、命のリスクを覚悟で」
「なに、それ……」
 ほどなくして語られた真実は、あまりにも残酷で。
 その時、ようやく気が付いた。お父さんの左手の薬指にはめられた結婚指輪の存在に。
「夕花は、お前のお母さんは、とても愛情深い人だったよ。不器用で、論理的な考え方しかできなかった私に、輝かしい景色を見せてくれた。こんな私でも彼女といる間だけは、ほんの少し肩の力が抜けた気がしたんだ」
 よく見ると、結婚指輪は、傷どころか、くすみひとつなかった。
「夕花を失って、ずっと不安だった。母親のいない我が子への接し方も、しつけの仕方も、感情の受け止め方も、私にはわからないことが多すぎたんだ」
 それは初めて聞いたお父さんの本音。やせ細った肩が小刻みに震えていた。
「だから、私は彼女が残してくれた、最後の手を使うことにした」
「最後の手って……」
「レイのことだ」
 そして、次の瞬間、お父さんの口から衝撃の事実が放たれる。
「レイは、元々、”夕花のロボット”だったんだ」
「えっ……どういうこと?」
 お父さんは言う。
「病弱な夕花のサポートにと、幼い頃、彼女の両親が買い与えたらしい。ちょうどその頃、アンドロイドは本格的に世界に出回り始めていてね、日本でも大きなブームになっていたんだ」
 そんな過去があったの……?
 知らなかった、なにひとつ。
 だって、レイはっ。

 ――わたしだけの特別。

 ずっと、そう思っていたのに。

「なんで、言ってくれなかったの……」
 怒りよりは、悲しみの方が遥かに大きかった。
 出会う以前に、わたしの知らないレイがいたなんて。
「レイに悪意はない。彼は最後まで、お前を一番に想っていたよ」
 だったら、どうして。
 レイは、お母さんのこと隠してたの?
「レイを悪く思わないでくれ、ユウ。ちゃんと打ち明けるつもりだったんだ――お前が18歳になったら」
「なんで、18歳なの……? もっと早く教えてくれれば、よかったじゃんっ」
 そしたら、わたしは。わたしは……。

 ――レイと、今ほど打ち解けられたのかな。

 すると、突然、お父さんが席を立つ。
 どこに行くんだろうと思って見ていたら、リビングへ向かって歩いていく。
 戻ってきたお父さんの手には、一冊のリングノートが収まっていた。
 見たことのある水色の表紙……。

『おしゃべりノート』

 お父さんが、ノートを差し出す。
 長いこと使っていなかったから、角は丸まり、ページが色褪せてしまっていた。
 めくった瞬間、胸に飛び込んできたのは、ホコリを被った思い出達。

 久々に見た、ぎこちない会話。
 とめやはねが曖昧な幼いわたしの字と、計算されたように整ったレイの字。
 手書きなんて、最初は古臭いと思っていた。
 だけど、レイを失った今、唯一、彼の存在を繋ぎとめてくれている。

 テストで100点を取った時、頑張ったねって褒めてくれたこと。
 落ちこんだ時、誰よりも近くで寄りそって励ましてくれたこと。
 眠れない夜、片時も離れずに朝まで手を握っていてくれたこと。

 ノートの端が、涙で滲んでいく。
 鼻の奥がツンとした。

 あれ、まだ何か書いてある……?

 ノートに新しい書きこみがされていた。
 それは後付けで、ルーズリーフを裏表紙に貼り付けたようなもの。
 一瞬、手が止まった。指先に力が入る。
 数秒して、わたしは意を決し、ページをめくってみた。

 ユウへ
 君がこれを読んでいる頃、僕はもうそこにいないのだろうね。
 たくさん悲しませてしまって、ごめんね。
 だけど、どうか、最後まで聞いてほしい。
 君に謝らなくちゃいけないことがあるんだ。

 まず僕に内蔵されたバッテリーは、君が18歳になるまでしか持たなかった。
 ずっと黙っていて、本当にごめん。
 だけど、君にはその時が来るまで、いつも通り笑っていてほしかった。
 たとえアンドロイドでも、一人の家族として、君と触れ合っていたかったんだ。

 そして、もうひとつ。
 僕は、まだ重要なことを君に伝えられていない。
 だから、これから話すよ。君のお母さん――夕花が託した願いを。

 夕花は生まれつき、持病を抱えていた。
 僕はそのサポートロボットとして作られたんだ。

 初めて夕花に会った時、ものすごく驚いたよ。
 だって、君のお母さん、病気だなんて思えないくらい明るかったから。

 夕花には、たくさんのことを教えてもらったなぁ。
 すごく物知りだったからさ。
 かえって僕の方が、色々、勉強になっちゃったよ。
 って、話が脱線しちゃったね。

 君の成長を見守ること。
 それが僕に与えられた最後の役目であり、夕花との”約束”だったんだ。

 亡くなる間際、夕花は一時的に僕をスリープ状態に移行した。
 君が大人になるまで、そばにいられるように。

 ――でも、もし許されるなら。
 大人になっても、ずっと一緒にいたかった。

 どうして、僕はアンドロイドなんだろう。
 考えるといつも、ありもしない心臓が痛くなる。変だよね。
 こういうの人の言葉じゃ、悔しいって言うのかな。

 ねぇ、ユウ。
 昔、君が友達なんかいらないって、泣きながら帰ってきた日のこと覚えてる?
 理由を聞いたら、クラスメイトに頑張って話しかけたのに笑われたって。
 あの時、僕が言った言葉を、君はまだ覚えていてくれてるのかな。

『頑張ってる人を笑うような子と、無理して友達にならなくていいんだよ』って。

 そしたら、君はやっと泣き止んでくれた。
 
 それにね、ユウ。
 友達は、自然にできるものなんだと思うよ。
 確かに君は、人よりちょっと臆病で、人付き合いが苦手かもしれない。
 でも、裏を返せば、君は自分の言葉の重みを、ちゃんと考えているんじゃないかな?
 傷付くことに敏感な君だからこそできる、優しい気遣い。僕はそう思う。

 ずいぶんと長話になってしまったね。
 そろそろお別れの時間だ。
 でも、最後にひとつだけ。

 ユウ、君は決して、ひとりぼっちじゃないよ。
 僕は、いつだって君の心にいる。

 もう直接、話すことはできないけれど。
 どうか覚えていてほしい。
 僕のことも。君を愛した夕花のことも。

 ちゃんと悠吾と仲良くするんだよ。
 —— じゃあね。

 そこで、文章は終わっていた。

 ぽたり。ノートの余白に小さな水たまりができる。
 涙で、レイの字がふやけていく。
「本当は、私が伝えるべきだったんだ。なのに全部、レイに言わせて……親としての責務を、なにひとつ果たせなかった」
 そんなのっ。
「……わたしだって、同じだよ」
 喉元で震える嗚咽を飲みこむ。 
 お父さんの灰色の瞳には、うっすらと涙の幕が張っていた。
 ずっと逃げていた。
 話すのが怖い以前に、わたしはそもそもお父さんと向き合おうとすらしていなかったんだ。
「本当はね、わたし、お父さんが三者面談来てくれるって聞いた時、ちょっと嬉しかった。三者面談が楽しみなんて、普通は笑っちゃうかもしれないけど。でも、わたしにとっては、やっと素直な気持ちを言えた気がしたの」
 あの時だって、レイに背中を押されなきゃ動けなかった。
 気持ちだけがくすぶって、前に進めないまま足踏みをするだけ。
「待っていてくれたのか、私を信じて」
「うん」
 うなずいたわたしに、はっとお父さんが顔を上げる。
 揺れる灰色の瞳は、大きく見開かれていて。
 お父さんって、こんな表情するんだな、なんて思ってしまう。
「言い訳がましく聞こえるかもしれないが……あの日は、突然、研究所の管理システムに異常が見つかって、その対処に追われていたんだ。だが、三者面談の時間には間に合うと思った。それが、まさか、あんな事態になるなんて……」
 そっと胸に引き寄せるように、お父さんに抱きしめられる。
 ドクドクという心拍音。
 お父さんの体温を、こんなに近くで感じたことはなかった。
「すまない、ユウ」
 耳元でささやかれた声は、今にも凍えそうで。 骨ばった背中を抱きしめ返す。
「よかった……」
 ぴたりと、腕の震えが収まる。
 灰色の瞳は、まだ不安げに揺れていた。
「わたし、てっきり、お父さんに見放されたんだって思ってた。でも、そうじゃなかったんだね」
「見放すわけがないだろうっ」
「ごめんなさい、お父さん。あの時、話す気なんてないんだね、なんて言って。お父さんのこと避けてたのは、わたしなのに」
 嘘をつかれたわけじゃなかった。
 わたしがお父さんの言葉に、ちゃんと耳を傾けようとしなかったんだ。
「ねぇ、お父さん。わたし達、今からでもやり直せるかな?」
 ぴくりと跳ねる肩。
 お父さんの心拍が、次第に大きくなっていく。
「まだ父親を名乗ることが許されるなら、私はそうしたい。もう一度だけ、チャンスがほしい」
 レイが、わたしとお父さんを似た者同士だなんて言った理由が、やっとわかった気がする。
 でも、案外、今は悪くないと思える。
「わたしも、頑張ってみるよ。お父さんと仲良くって、レイにも言われちゃったしね」
 わたし達は、きっとお互い言葉足らずだった。
 だから、これから埋め合わせていく。わたしとお父さんの間の空白を。
 
 ――孤独だと思いこんでいた過去に、もう鍵をかけて閉じこもったりしないよ。

* * *

「学校、本当に一人で大丈夫か? 途中まででも車で送っていった方が」
「心配しすぎたよ、お父さん。幼稚園生でもないんだし」
 身支度をしていると、エプロンをかけたお父さんがキッチンから顔を出した。
 流石に、白衣で料理はやりづらいと思ったらしい。その甲斐あってか、朝食に炭が出てくることはなくなったし、今朝の目玉焼きは綺麗な日の丸だった。
「ねぇ、お父さん」
「なんだ、ユウ」
「パンケーキ、今度は一緒に作ろうよ」
 いくらか血色の良くなった頬が、弛緩(しかん)する。
「なら、材料を買っておかないとな。日曜日、一緒に買いに行こう」
「うん。じゃあ、行ってくるね」
「ああ、気を付けてな」
 お父さんに見送られ、家を出る。
 レイのいない朝は、まだ慣れないことが多い。それでも今は、二人で役割分担をして家事を回している。わたし達なりの進歩だ。
 ちなみに、お父さんの研究所はというと、修復にはまだ時間がかかるらしい。諸々の設備が整うまで、お父さんは自宅でテレワークをしている。元の仕事に復帰しても、週末は一緒に過ごすこと、平日はできるだけ帰りが遅くなりすぎないようにすると約束してくれた。

* * *

 久々の学校は、やっぱり、ちょっと――いや、だいぶ怖かった。
 道中、すれ違う車の音や登校中の小学生の声にびくびくしては、すくみそうになる足を奮い立たせ、なんとか無事、正門までたどり着く。
 前を歩いていた女子生徒三人組がいなくなったのを見計らってから、昇降口で靴を履き替えた。ホログラム時計の数字を見ると、始業までまだいくらか余裕があった。
「篠田さん」
 比較的、人の往来が少ない東通路を歩いていると、 
「さ、坂本先生……」
「お久しぶりです」
 廊下の端で、棒立ちするわたしの横に先生は歩いてやってくる。
 ふと三者面談の一件が頭をよぎった。
「そんなに身構えなくても、あなたをお説教する気はありませんよ」 
 やれやれといった様子で、先生は肩をなでおろす。
「あ、あの……」
「はい?」 
「む、無断で休んで、すみませんでした……」
「ああ、そのことですか」
 てっきり、また叱られると思った。けれど、返ってきた返事は、それとは全然関係のないことで、
「レポート、よくできていると職員室で話題になっていましたよ」
「れ、レポート?」
「以前、科学の授業で出されていたでしょう。機会があったので、見させてもらいました。共同研究者に月之木さんの名前があったのは、少々、意外でしたがね」
 なんだか、ずいぶんと昔のことのように感じる。
 そういえば、月之木さんはどうしてるんだろう。また変な実験して、怒られてるのかな。
「先日の三者面談ですが」
 先生は、こほんとひとつ咳払いをする。
 やっぱり、それとこれとは話が別だよね……。
「篠田さんの言う通り、アンドロイドだからといって、差別するのは教員としてあるまじき行為でした。深くお詫びします」
「……へ?」
 先生が頭を下げたので、すっとんきょうな声が出てしまう。
「私はアンドロイドが好きになれません」
「ど、どうしてですか?」
 先生の目元のシワが、わずかに引きつる。
 一度、深いため息をつくと、先生は通路の窓枠に腕を置き、よりかかった。
「私の母は――”アンドロイド”でした」
 その瞬間、聞こえていた校舎の雑踏が消えてなくなる。
 ありとあらゆる世界の音をすべてかき消してしまうくらい、衝撃的な告白だった。
「ですが、私がそれを知ったのは10歳の時です。それまでは、ずっと母を人間だと思いこんでいました」
 先生は普段の時と何ら変わらない口調で続ける。
「真実を知らされた時、私の本当の家族は既に亡くなっていました。あの日のショックを忘れたことはありません。私は一生、血の繋がった両親に会うことはできないのだと思うと、悲しくてなりませんでした」
 声に哀愁がにじむ。
「そして、その悲しみは次第に怒りへと変わっていきました。私は母の偽物に騙されていたのだと、アンドロイドの彼女を激しく恨むようになった。あの日を境に、私と彼女の間には深い溝ができてしまったように思います」
 先生は粛々と言葉を継ぐ。
「私が18歳になる誕生日を迎えた時のことです。ある日、突然にして、彼女はぴくりとも動かなくなっていました。原因はアンドロイドで言う寿命、バッテリー切れでした」
 落ちくぼんだ瞳は、どこか遠くを見つめているようで。切なさに胸が軋んだ。
「部屋に手紙が書き残してありました。ごめんね、愛してるよ、と。たったそれだけ」
 窓から入ってきた隙間風に、白髪混じりの細い髪が揺れる。もみあげに隠れて、先生の顔はよく見えなかった。
「どうして、彼女が嘘をついたのか。私は気になって、亡き両親のことを数年がかりで調べました。途中、骨の折れる思いでしたがね」

 ——私は捨て子だったんです。

 なにひとつ声色を変えず、先生は言った。
「ますますわからなくなりました。私は誰を恨んだらいいのか。本当に怒りを抱くべき相手は誰なのか。そして、最期まで私に嘘を隠し通そうとした彼女が、何を想い、何を考えて手紙を残したのかも」
 噛みしめるように言い、先生は窓のサッシに目線を落とした。
「篠田さん、私はあなたに自分の境遇を重ねてしまっていた。ですが、ひとつ決定的な違いがある。私はアンドロイドである彼女の存在を、母親として受け入れることができなかった。でも、あなたはそうじゃない」
 先生はわたしに向き直る。色素の薄い瞳に、隠しきれない哀惜を宿して。
「以前、アンドロイドの彼のことを、あなたは家族だと言っていましたね」
「はい……」
 今もその気持ちに変わりはない。
 何度も、レイの言葉に救われてきた。
 たとえ、お母さんとの約束だったとしても、彼がくれる愛情はすべて本物だった。
「だったら、あなたが証明してください、篠田さん。人とアンドロイドは、共に家族になれるのだということを」
「わ、わたしがですか……?」
「これからの未来を築いていくのは、篠田さん、あなた達です。それに」
 なんだか、ずいぶん話が飛躍している気がする。
 まさか、こんなに大きな期待を坂本先生に向けられるなんて。
「少しだけ興味が湧きました。もしも人とアンドロイドが共に手を取り合い、笑い合う世界があるのなら、私はこの目で見てみたい」
 口元にかすかな笑みが浮かぶ。
 坂本先生が笑ってるところ、初めて見た……。
 普段とのギャップに圧倒されていたら、頃合いよくチャイムが鳴った。
「少々、話しすぎました。今日の遅刻は、大目に見ましょう。教室でお待ちしていますよ」
 先生はわたしを抜かし、廊下の先を行ってしまう。
 
 ——先生に足止めされなきゃ、始業には間に合ったんだけどな。  

* * *

 数週間ぶりの授業は、何事もなく終わった。
 そりゃもちろん、教室に入る時こそ緊張したけれど。
 ざわついていたのは最初だけで、元々、影の薄いわたしがちょっとやそっと学校に来なかったくらいで、クラスメイト達はさほど気にもとめていない様子だった。
 坂本先生も、みんなの前では至って平常運転で。でも、やっぱり、今朝の笑顔はインパクトがあって、授業中、何度もタッチペンを落としそうになった。

 遅れちゃった分の勉強、後でちゃんと埋め合わせしなきゃ。
 ホームルームを終え、帰り支度をしていると、
「やぁ、久しぶりだね」
 ちょんちょんと肩を突かれる。
 振り向かずとも、声だけで誰かわかった。
「全然、学校に顔を出してくれないと思ったら。ダイエットでもしていたのかい? 元の痩せ体型が、更に悪化したように見えるけど」
「そんな余裕なかったよ……」
 月之木さんは、なぜか今日、学校に遅刻してきた。登校してきたのは、わたしよりもずっと遅い午後からで。教室に入ってくるなり、わたしの席を見て、数秒間、固まっていた。
 彼女にしては珍しく気を遣ったのか、クラスメイトの面前で何か言ってきたりはしなかったけど。
「じゃあ、心身的なストレスが原因かな」
 あながち間違いでもない。
 やっぱり、この人は、人を気遣うということを知らないらしい。わたしがバカだった。
「まぁ、それはさておき。キミに見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの……?」
 ぱちんと合わせた両手から陽気な音が鳴る。
 完全に何かを企んでいる顔だった。

* * *

「ここは……」
「おじいちゃんの研究所だよ。今はワタシが使っているけどね」
 連れてこられたのは、円柱の形をした変わった建物。
 研究所というわりには、だいぶ規模は小さかった。
 月之木さんいわく、元々、譲り受けたシェルターハウスを後からおじいさんが改造したらしい。特有の配置だったり、どこか生活感があるのはそれが理由だろう。
「見せたいものは、二階だよ。そこの梯子(はしご)を使ってくれたまえ」
「階段はないの?」
「あるけど、あいにく修理中なんだ」
 どうして修理中なのかは聞かないでおいた。というか、なんとなく想像がつく。
 二階は、大きな一つの部屋になっていた。配線やらケーブルやら、お父さんの研究所でも見たことのあるような機械類が、あちこちに散乱している。
 気をつけないと、うっかり踏んでしまいそうだ。
「ねぇ、あれは?」
 薄暗い部屋の中心で、明らかな存在感を放つ白いカプセルが目につく。それは横に細長い筒の形をしていた。
「説明は後。まずは自分の目で確かめてくるといいよ。あ、でも、反動でカプセルの安全ガラスを割ったり、抱きついたりするのは厳禁だよ。感電しちゃうかもしれないから」
 月之木さんが何を言っているのか、正直、さっぱりだった。
 まごついていると、ほらほらと物理的に背中を押される。もったいぶらずに、教えてくれればいいのに……。
 近付くにつれ、カプセルの全貌が明らかになっていく。サイズ的には、人一人分くらいなら収まりそうなくらい。
 下から発せられる光が、床を青く照らし、カプセルの中を浮かび上がらせる。
「レ、イ……?」
 中が見えた瞬間、呼吸が震えた。
 ――どうして、ここに。
「思い付く限りの手は、すべて尽くした。だけど、それでも修復には至らなかった。ワタシとしても、無念でならないよ」
 驚きを遥かに通り越した衝撃に、わたしはカプセルの前で立ち尽くす。
 いつの間にか、となりに来ていた月之木さんが、安全ガラスをなぞるようにカプセルに触れる。その向こうでは、レイが眠っていた。あの日、研究所からお父さんを背負って出てきた壊れかけの姿で。
「キミのロボフレンドくん、レイは、ワタシのおじいちゃんが開発したアンドロイドだったんだ」
「えっ……じゃあ、月之木さんは、最初からレイを知ってたの?」
「そうでもないさ。発覚したのは、破損した彼の機体がワタシの元に運ばれてきた時だよ」
 彼女は機械の山からノートパソコンを取り出すと、長い電線ケーブルのような物をカプセルと繋ぎ、カタカタいじり始めた。
「復元するのに、丸半日かかった。おかげで肩は凝るし、大遅刻だって、坂本先生にまたどやされたよ」
 やれやれと、大げさな仕草で肩をなでおろす。それでも彼女の両手は、キーボードの上を滑らかに動いている。
 もしかして、今日、月之木さんが遅刻してきた理由って……。
「とはいえ、キミのせいにするつもりは、さらさらないけどね。ワタシの寛容な心に感謝するといいよ」
 キーボードの音が止む。
 月之木さんが、わたしに見えるようにパソコンのモニターを傾けた。
 再生ボタンを押すと、真っ黒の画面が切り替わる。
 ザザーというノイズの後に、映像が流れ出した。

* * *

「久しぶりね、レイ」
 画面の中に、赤ちゃんを抱いたわたしそっくりの女性が映っている。
 ——お母さん?
 じゃあ、腕の中にいるのは。
「よかった、無事に産まれたんだね」
 レイの声……。
「僕も、抱っこしてみていいかな?」
「もちろんよ」
「温かい。夕花に似てる」
「当たり前じゃない。わたしの産んだ子だもの」
「すごく可愛いよ」
「ふふふ、なにそれ口説いてる? でも、残念。わたしには悠吾っていう心に決めた人がいるから」
 二人は、楽しそうに会話していた。まるで、本物の家族みたいに。
「名前もね、二人の名前から取ったの。夕花と悠吾のユウ。どう? ナイスネーミングセンスでしょ?」
「そうだね、素敵な名前だと思う。ユウも笑ってるよ」
 画面の中で、お母さんは、赤ん坊のわたしに微笑みかける。だけど、少し、ほんのかすかに瞳の奥で漂う(かげ)りに、わたしは気付いてしまった。
「ねぇ、レイ。あなたのバッテリーって、後、どれくらい持つかしら?」
「どうして、今、そんなことを聞くの?」
「どうしても」
 お母さんの声には、微々たる気迫があった。
「んー、10年ちょっとかな」
「そう……じゃあ、まだ間に合うわね」
 すやすやと眠り始めた赤ん坊のわたしを、お母さんは胸にぎゅっと抱き寄せる。
「レイ、あなたを今からスリープモードに移行させる。って、いきなり言われても困るわよね」
 柔らかな瞳に浮かんだ哀愁が色を増す。
「次に目が覚めた時、わたしはいないかもしれない。そしたら、代わりにこの子を守ってあげて」
「……それは僕に、ユウを預けるってこと?」
「万が一の時はね。今からバッテリーを節約すれば、まぁ、なんとかなるでしょ」
 場違いなほど、お母さんの口調はあっけらかんとしていた。でも、空元気のように見えなくもなくて。
「病気、やっぱり、良くなりそうにないんだね」
 きっとレイも気付いてた。
「そんな顔しないで、レイ。わたしは十分、幸せだった。あなたや悠吾、それから美由紀と出会えたことも、こうして我が子を自分の手で抱きしめられたことも。全部が奇跡みたいなものだった」
 お母さんの瞳が近付く。
 白く細い手がまるで涙を拭うように、そっとレイの頬に触れた。
「だけどね、レイ。ユウには、まだ支えてくれる誰かが必要なの。でも、悠吾は、ちょっと不器用なところがあるから。ひょっとしたら、難しく考えすぎてしまうかもしれない。だから、もしもの時は、この子のそばにいてあげてほしい——お願い」
 それは切実な願いであり、想いだった。
「わかった、約束する」
「ありがとう」
 最後まで、お母さんは笑っていた。
 でも、その顔はまるで泣き出す寸前の青空みたいで。
「おやすみ、レイ……ユウと、あの人をよろしくね」
 フェードアウトした画面に響く声。
 映像が終わって、パソコンが停止しても、その声は、その言葉は、わたしの胸の中で再生され続けていた。

 * * *

 キーボードの上に涙が落ちる。
「データの大半は、失われてしまった。だけど、唯一、これだけは無事だったんだ。まるで、レイが最期まで守り通そうとしていたみたいにね」
「うっ……」
 足の力が抜けた。
 思わず、立っていられなくなって床に膝をつく。
「しかし、驚いたよ。科学の力とは、時に計り知れないものだ。世の中には理論だけじゃ証明できないことが、まだまだたくさんある。ワタシも日々、精進せねばね」
 揶揄(やゆ)するわけでもなく、月乃木さんは優しく背中をさすってくれた。

 レイが残してくれた、お母さんとの繋がり。
 わたしは、ちゃんと愛されていた。

「……ありがとう、月之木さん」
「ワタシの発明も、たまには役に立つだろう?」
 薄暗かった部屋に、窓から光が差しこむ。

 レイの言う通りだったよ。
 わたしは最初から、ひとりなんかじゃなかった。
 
 思いの外、それは近くにあって。
 触れてみたら、優しくて温かったよ。

 やっと気付けた。
 アンドロイドだろうが、人間だろうが、愛の形に変わりなんてないんだって。

 ねぇ、レイ。
 伝えたいことがあるの。
 一回しか言わないから、ちゃんと聞いててね。
 
 ——大好き。