ああ、とうとう来てしまった……。
どうして、わたしが頭を抱えているのか。事の始まりは、数時間前に遡る。
「えぇ、再来週は三者面談をやります。日程表を配るので、必ず保護者の方に見てもらうように」
三者面談。わたしにとって体育祭や文化祭に並ぶ、大きな試練。
どうやら、うちの高校では、毎年、1学期の内に実施するらしい。内容は、主に将来の進路について。聞くだけで気が重かった。
ガチャ。後ろでドアが開く音。
「帰ってたんだね、ユウ」
「あっ、レイ」
机の上で一人悶絶していたら、メンテナンス室からレイが出てきた。
「何してたの?」
「ちょっとデータの更新をね。ユウの方こそ、浮かない顔をしているよ」
タブレットに表示された三者面談表に気が付いたレイが、向かいの席に腰を下ろす。
「……三者面談、やるらしいんだ、再来週から」
「そうなんだ、悠吾にはもう言ったの?」
「ううん、言ってない。——どうせ、来てくれないだろうし」
中学の三者面談に、お父さんが来てくれたことは一回もなかった。
おかげで、3年間、わたしは先生との実質二者面談を、約20分間、無言でやり過ごすはめになった。
内容は、ほとんど覚えてない。はいとか、いいえくらいなら答えたのかもしれないけど。なにせ、あの時は緊張で心臓がどうにかなりそうだった。
「ユウは、それでいいの?」
「……よくはない、かも」
「だったらさ」と、レイが少しだけ身を乗り出す。
「悠吾に話してみたらどうかな? たとえ、ダメ押しでも。最初から押さないよりは、いいと思うんだ」
「……また研究で忙しいって言われたら?」
「その時は僕が悠吾に怒ってあげる」
「怒る?」
「うん。研究と自分の娘、どっちが大事なんだってね」
「なにそれ、昔の痴話喧嘩みたいなこと言わないでよ」
思わず、こわばっていた頬が緩む。
笑ったら、気持ちもいくらか和らいだ気がした。
でも、レイの言う通りかもしれない。
わがままの一つくらい、たまには言ってもいいよね。
* * *
震える手で、電子端末を起動させる。
その瞬間、いくつもの青白い光の粒子が集まって、画面上に立体を形成していく。今時、電話はホログラム通話が主流だった。
「——ユウ?」
ほどなくして、白衣姿のお父さんが映し出される。
最後に話したのは、いつだっただろう。なんだかんだ、もう一ヶ月以上も顔を合わせていなかった気がする。
「お、お父さんっ」
「なんだ」
感情のこもっていなさそうな低い声。目の下には、うっすらとクマが浮かんでいた。
「あ、あのね、再来週、学校で三者面談があるんだけど……」
「そうか」
淡白な返事に、胸の内側にあった熱が冷めていく。
諦めかけた瞬間、レイの言葉が頭をよぎった。
——たとえ、ダメ押しでも。最初から押さないよりは、いいと思うんだ。
思い直して、気持ちを奮い立たせる。
きっとここで引いたら、何も変わらない。
「来てほしいんだ、お父さんに」
思いのほか、声は震えなかった。
気まずくなって、視線はそらしてしまったけれど。
「……後で、時間と日程を送っておいてくれ」
自分で聞いておきながら、びっくりした。十中八九、断られると思っていたのに。
「スケジュールを調整しておく」
冷めかけていた胸の熱が、戻ってくる。
「う、うん、わかった」
光の粒子が端末に吸い寄せられていく。
ホログラム通話が切れると、真っ黒になった画面には、自分の顔だけが映っていた。
なんでだろう。自分の顔なのに、なんだかまるで知らない人みたいに思えた。
* * *
「ユウ、嬉しそうだね」
朝ごはんを食べていると、頬杖をついたレイが、からかうように覗きこんできた。その距離の近さに、思わず、ジャムを塗ったトーストを落としそうになる。
「そ、そんなことないと思うけど」
今日は、三者面談の日だ。
どこかそわそわして落ち着かない。今朝は、いつもより30分も早く起きてしまった。
「顔を見れば、わかるよ。後、ジャムがブラウスにたれそう」
「えっ、ヤバッ!」
慌てて、トーストを口にくわえる。
ギリギリセーフ……。
見ていたレイが、クスッと肩を揺らして笑った。
パンが口に入っているせいで、何も言い返せない。
「悠吾と、色々、話せるといいね」
家を出る間際、それとなくレイが激励をくれた。
外は雲ひとつない青空だった。
木々の葉を揺らす初夏の風は、瑞々しく爽やかで。
普段の通学路が、キラキラ輝いているように見える。
——たったきっかけひとつで、世界の景色はこんなに変わるんだ。
* * *
「お父さん、遅いな……」
場所は待合室。1分、2分、3分と、進んでいくホログラム時計の数字に焦りが募っていく。けれど、まだお父さんの来る気配はまるでなかった。
「——次。篠田さん、あなたの番ですよ」
呼ばれた声に、ビクッと顔をあげる。とうとう、順番が回ってきてしまった。
「三者面談のこと、ちゃんと伝えたんですか?」
不機嫌そうな様子の坂本先生は、タッチペンを片手にテーブルの下で膝を組む。無言でうなずくしかできない。
「お父さんには、私から直接、後で連絡しておきます。いいですね?」
「……」
返事をしようにも、胸がいっぱいで声が出なかった。
——お父さんの嘘つき。来るって言ったのに……。
膝の上で握りしめたスカートの裾がしわくちゃになる。
「聞いていますか? 意思表示くらいしなさい。この進路希望調査は何です?」
坂本先生は、タブレットの画面を突き付けてくる。映っているのは、ほとんどまっさらなわたしの進路希望調査。
「どうして、こんな状態で出したんですか?」
どうしてと聞かれても。思い付かなかったからとしか言いようがない。
一応、進学希望の欄には丸をつけたし……。
「せめて、一校くらいは書くでしょう。何か将来展望はないんですか? せっかく、テストの点数はいいのに」
何も言えず、唇を噛む。坂本先生はタブレットを置き、深いため息を吐いた。
「そうやって、いつまでたっても何も言わないから、お父さんも来てくれなかったのではないですか?」
——違う。
わたし、ちゃんと伝えたのに。
あんなに頑張ったのに……。
それとも本当は、最初から来る気なんてなかったの?
わからない。ねぇ、なんでよ、お父さん……。
心がズタズタに踏み潰されていく。
その時だった。教室の後ろでドアが開いたのは。
「遅れて、すみません。ユウの保護者の、”代役”として来ました」
——えっ?
ほんの一瞬、張りつめていた空気が緩む。
振り返ると、そこに立っていたのは、お父さんではなく、レイだった。
「代役?」
先生が訝しげに眉をひそめる。
「はい。急きょ研究所で、トラブルが発生してしまったそうで」
「それで、君が代わりに?」
「そうです。僕は、彼女のお世話ロボットのレイといいます」
わたしのとなりにくると、レイは礼儀正しく頭を下げた。
「ふざけているのかね?」
厳かな声に、思わず背筋が縮む。けれど、レイは全く動じていなかった。
「出ていきなさい、今すぐ。私は保護者を呼ぶように言ったんだ。機械の君に話すようなことはない」
眉間に深いしわを寄せ、坂本先生は、タッチペンの先で後方のドアを指し示す。
その刹那、レイの瞳が悲壮に歪んだのを、わたしは見逃さなかった。
「……だったら、わたしも帰ります」
突然、席を立ったわたしに先生がぎょっと目を剥く。レイもこっちを見たままフリーズしてしまっていた。
「レ、レイはっ」
机の上の両手は、ガタガタと震えていて。
できるなら、逃げ出したい。でも、ここで何も言わなかったらレイが傷付く。そしたら、わたしはまた後悔する。
——もうこれ以上、レイの悲しむ顔を見たくない。
「レイはわたしの、”大切な家族”なんですっ!」
大きな声が響いて、自分でも驚く。
でも、一度、あふれ出した言葉は止まらなかった。
「ロボットだからって、どうして、レイを差別するんですか……? せ、先生は、学校の教員ですよね……? だったら、生徒の家族に向かって、ふざけてるだなんて言わないでくださいっ」
わたしの人生史上、最も長いセリフ。
こんなに感情的になったのは初めてだった。
それも大人の先生相手に。
心臓が熱い。怖くて先生の方を見れない。
それでも、なんとなくヒリついた空気感だけは伝わってきて。
「……い、行こう、レイ」
耐えきれず、レイの手を引いた。
レイは何も言ってこない。
代わりに、彼の指先が、そっと握り返してくる。
ふと覗いた横顔は、教室にいた時よりもずっと穏やかで。
——よく頑張ったね。
そんな声が、窓をすり抜けた隙間風に紛れて、聞こえた気がした。
* * *
「レイ、どうしよう。わたし、学校退学になるかもしれない……」
ズシンと空から重しが降ってくる。
自分が何をしでかしたか、今さら我に返った。
「なんで、あんなこと言っちゃったんだろう……」
よくよく冷静になってみれば、あの発言はまずい。ただでさえ、普段から、あんまり良く思われていないのに。
もしも、この一件が原因で坂本先生の怒りを飼うことになったら……。
——終わった。(今度こそ、本当に)
人気のない道端の、電柱の影にもたれこむ。
不意に、ツンツンと肩を突かれた。
「やぁ、ボクはお助けロボットのロボ太!」
「へ……?」
顔をあげる。
そこにはロボ太くん——わたしが、昔、好きだった子ども向けアニメ——のぬいぐるみを持ったレイが立っていた。
それっぽく声を当てながら、両手で器用にロボ太くんを操っている。
「何も気にすることなんてないさ。ボクなんて、いつも博士に怒られてばっかりだよ」
「……どこから出したの、そのぬいぐるみ」
「こんなこともあろうかと、お助けポケットに収納しておいた」
「なにそれ」
ズボンのポケットをぽんぽんと叩くレイ。
おかしくて、つい吹き出してしまった。
「でも、ありがとう、レイ。おかげで、ちょっと元気出た」
「ううん、お礼を言うのは僕の方だよ。あの時、君が怒ってくれて、僕は嬉しかった」
彼の言葉に、今度は耳が熱くなる。
あの時は、目の前がよく見えていなかった。
普段のわたしじゃ、ありえないことを口走っていた。
——レイを、大切な人を、守らなきゃって思ったから。
茜色に染まり始めた空が、街一帯を包みこんでいく。心なしか、首筋をなぞる風がくすぐったかった。
「や、やめて……なんか、情緒おかしくなりそう」
「えっ、それは大変だ! 僕の心理計測メーターでチェックしてみよう!」
「そ、そういう意味じゃない! ていうか、勝手に見ないで!」
慌てて、電柱の後ろに隠れる。
きっと全部夕日のせいだ。耳が熱いのも、胸の奥で早まる鼓動音も。
いっそ、気付かないふりができたならよかった。
* * *
鮮やかなネオンの光が、都会の街並みを彩っていく。
空には、大きな黄色い満月が光っていて。
手を伸ばせば、届きそうだった。
「夕飯、何にする? ユウの好きな物、なんでも作ってあげるよ!」
「んー、なんでもいいよ」
「オッケー、じゃあ、パンケーキにしよう!」
「 ゆ、夕飯にパンケーキ……? いくらなんでもそれはちょっと」
「大丈夫大丈夫! ミールパンケーキっていうのがあってね。チーズとか、卵とか、ベーコンを乗せるんだ」
「甘いのに、しょっぱいのって合うのかな」
未知の味を想像しつつ坂道を歩く。たとえ上りでも、レイと一緒なら足が軽かった。
すれ違う車が、レイの横を通過していく。
思えば、いつだって彼は車道側を歩いていた気がする。些細なことかもしれないけれど、今まで気が付かなかった。意識すらしていなかった。
「レイ?」
ふと、レイが足を止める。
どうしたんだろう。 声をかけようとした時。
「なに、あれ……」
高層ビルの向こうに、点滅する赤いランプの光を見つけた。
ぞわりと胸に悪寒が走る。
それもランプの数はひとつじゃない。チカチカと明滅を繰り返しながら、ある場所へ向かっている。
「研究所……お父さんの?」
黒い雲が満月を覆い隠す。
「ユウ、先に帰ってて。僕、ちょっと様子を見てくるよ」
「ま、待って!」
歩き出したレイの腕を思わず引いた。
「わ、わたしも行く」
いつもなら、お父さんの研究所に自分から行くなんてこと絶対にしない。
でも、なんだか今は嫌な予感がする。
正体不明のモヤが、肺の中でうごめく。気のせいなら、それでいい。
——お願いだから、連れて行って。
腕を掴んだまま、わたしはレイに目で訴えた。
「……わかった」
* * *
「これはっ――」
燃え上がる赤の炎が、夜の闇を侵食していく。
研究所の周辺には、パトカーと消防車が何台も停まっていた。
う、嘘……。
鳴り響くサイレンの音。
慌てた様子で避難する人達。
アスファルトから立ち上る熱気が、肌を焦がす。
「早くこちらへ! ケガ人は、いませんか!?」
「か、管理長の悠吾さんが、まだ中にっ!」
——悠吾 。
ざわめきの中、知っている名前が耳をかすめる。
「お父さん……」
その瞬間、視界がかすんで、体がふらついた。
「ユウっ! しっかりして!」
重心を失ったわたしを、レイが後ろで支えてくれる。
——あんなに嫌いだったはずなのに。
今は不安と恐怖で胸が押し潰されそうで。息が上手く吸えない。まるで呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに。
その間も、火はどんどん勢いを増していく。消火活動に苦戦する消防隊の声が、やけに遠く聞こえた。
悪夢だ……。だって、こんなのテレビの中でくらいしか見たことがない。
きっと現実のわたしはまだ熱にうなされていて、これは体の不調が見せているタチの悪い幻覚。そう言って欲しかった。この際、誰でもいいから。
「ユウ、ここで少し待っていて」
声と同時に、肩に置かれた手。
「安心して。君のお父さんは、僕が必ず助けるから」
その一言で、レイが何をしようとしているのかわかった。
「だ、ダメだよ、レイ……! あんな火の中に突っ込んだらっ」
「大丈夫、僕は死なない——だって、アンドロイドだから」
そう言って、レイは笑った。
まるで、不安がる子どもを安心させるみたいに。
「それにね、ユウ。僕はなんと防火仕様なんだ。だから、あれくらいの火、痛くもかゆくもないさ」
「で、でも!」
言い淀むわたしに、レイが一歩近付く。
穏やかなガラスの瞳の奥で、陽炎が揺れていた。
人工肌の平たい胸に顔が埋まる。唯一、聞こえてきたのは規則的な電子音。
レイの腕が、わたしをそっと抱き寄せていた。
「レイ……?」
わたしの心臓の音が、彼の胸の電子音と共鳴する。
そして、次の瞬間——
レイの唇が、そっと額に触れた。
それは時間にしたら、わずか数秒足らず。
けれど、わたしには何倍にも引き延ばしたスローモーションのように思えた。
「っ!? 」
驚きを遥かに通り越して固まる。
そんなわたしに、レイはまるでいたずらっ子の少年のように口もとを緩めた。
「大好きだよ、ユウ」
周囲の喧騒を突きのけて、一直線に届いた声。
レイの手が離れる。
大きすぎた衝撃に、足が磔になった。
ゆっくりと背を向け、彼は炎の中へ消えていく。
わたしはそれを呆然と見ていることしかできなくて。
空白の時間だけが、目の前を通り過ぎていった。
「君、そんなところで何してる! 危ないから、早く離れなさい!」
血相を変えた警察官が、こっちに向かって走ってくる。
その瞬間——
鼓膜を突き破るような轟音が、辺り一帯に鳴り響いた。
「ば、爆発だぁ! みんな逃げろぉ!」
誰かが叫んだ。
荒れ狂う熱風に、火の粉が宙を舞う。建物の一部が倒壊し、黒い煙と共に火柱が上がった。
「あ……あああああああ!!」
わたしの中で、ごちゃごちゃになった感情が一挙に弾け飛ぶ。
あんな爆発に巻きこまれたら、人間だろうと、アンドロイドだろうと、一溜りもない。
「嫌だ……嫌だよぉ!」
灰と煙でかすんだ視界が、ぐしゃぐしゃに歪む。叫んだ喉はとっくに干上がり、息を吸っただけで肺が溶けそうだった。でも、もうそんなことはどうでもいい。
「レ、ィ……お父、さんっ……!」
熱を帯びたコンクリートの上に、涙溜まりができていく。
世界の終わりを見せられているような絶望が、わたしを焼き尽くす。
既に心は灰になりかけていた。
「おい、見ろ! 中から誰か出てきたぞ!」
——え?
声に釣られて、思わず顔を上げる。
その時、炎が大きくゆらめいて、中からお父さんを背負ったレイが出てきた。
「ロボット? 研究所の? それとも救助用か?」
「だけど、あんなボロボロの状態で……」
「信じられんな」
周囲がざわつき始める。 わたしは立ち上がって、駆け出した。
「レイ!」
夢中で、名前を呼ぶ。
そして、目の当たりにしたのは、変わり果てたレイの姿だった。
「避難通路の途中で、倒れてるのを見つけた……」
彼の左半身は、熱でメッキが溶けて、内部のパーツが剥き出しになっていた。
左腕は、もはや、原型を留めていない。関節を模した配線が切れて、肩からぶら下がっている状態だった。
「だいぶ煙を吸ってしまったみたいだけど、ちゃんと呼吸はしてる……いずれ目を覚ますさ」
ゆっくりお父さんを下ろすと、レイは地面に膝をつく。壊れかけの右手の指先が、わたしの頭に優しく触れた。
「ごめんね、ユウ。僕、そろそろ限界みたいだ……」
「そんなこと言わないで!」
必死で、レイの胸にすがりつく。
まるで親から離れようとしない子どもみたいに。
「修理すれば、きっと全部、元通りになるよ! わたしがっ、わたしが、お父さんに頼むから……! だからぁ!」
声が涙でしわがれていく。
切実なわたしの思いとは裏腹に、彼は弱々しく首を横に振った。
「ごめんよ——”約束”、守れなくて」
声と同時に、冷たい金属の腕が肩にのしかかる。
ひび割れたガラスの瞳は、もう光を宿していなかった。
「レイ……レイっ!」
それでも彼の名前を叫ぶ。
「お願いだから、目を開けてよ……」
どれだけ願えど、わたしの声は彼に届かない。
それは人間で言う”死”を意味していた。
どうして、わたしが頭を抱えているのか。事の始まりは、数時間前に遡る。
「えぇ、再来週は三者面談をやります。日程表を配るので、必ず保護者の方に見てもらうように」
三者面談。わたしにとって体育祭や文化祭に並ぶ、大きな試練。
どうやら、うちの高校では、毎年、1学期の内に実施するらしい。内容は、主に将来の進路について。聞くだけで気が重かった。
ガチャ。後ろでドアが開く音。
「帰ってたんだね、ユウ」
「あっ、レイ」
机の上で一人悶絶していたら、メンテナンス室からレイが出てきた。
「何してたの?」
「ちょっとデータの更新をね。ユウの方こそ、浮かない顔をしているよ」
タブレットに表示された三者面談表に気が付いたレイが、向かいの席に腰を下ろす。
「……三者面談、やるらしいんだ、再来週から」
「そうなんだ、悠吾にはもう言ったの?」
「ううん、言ってない。——どうせ、来てくれないだろうし」
中学の三者面談に、お父さんが来てくれたことは一回もなかった。
おかげで、3年間、わたしは先生との実質二者面談を、約20分間、無言でやり過ごすはめになった。
内容は、ほとんど覚えてない。はいとか、いいえくらいなら答えたのかもしれないけど。なにせ、あの時は緊張で心臓がどうにかなりそうだった。
「ユウは、それでいいの?」
「……よくはない、かも」
「だったらさ」と、レイが少しだけ身を乗り出す。
「悠吾に話してみたらどうかな? たとえ、ダメ押しでも。最初から押さないよりは、いいと思うんだ」
「……また研究で忙しいって言われたら?」
「その時は僕が悠吾に怒ってあげる」
「怒る?」
「うん。研究と自分の娘、どっちが大事なんだってね」
「なにそれ、昔の痴話喧嘩みたいなこと言わないでよ」
思わず、こわばっていた頬が緩む。
笑ったら、気持ちもいくらか和らいだ気がした。
でも、レイの言う通りかもしれない。
わがままの一つくらい、たまには言ってもいいよね。
* * *
震える手で、電子端末を起動させる。
その瞬間、いくつもの青白い光の粒子が集まって、画面上に立体を形成していく。今時、電話はホログラム通話が主流だった。
「——ユウ?」
ほどなくして、白衣姿のお父さんが映し出される。
最後に話したのは、いつだっただろう。なんだかんだ、もう一ヶ月以上も顔を合わせていなかった気がする。
「お、お父さんっ」
「なんだ」
感情のこもっていなさそうな低い声。目の下には、うっすらとクマが浮かんでいた。
「あ、あのね、再来週、学校で三者面談があるんだけど……」
「そうか」
淡白な返事に、胸の内側にあった熱が冷めていく。
諦めかけた瞬間、レイの言葉が頭をよぎった。
——たとえ、ダメ押しでも。最初から押さないよりは、いいと思うんだ。
思い直して、気持ちを奮い立たせる。
きっとここで引いたら、何も変わらない。
「来てほしいんだ、お父さんに」
思いのほか、声は震えなかった。
気まずくなって、視線はそらしてしまったけれど。
「……後で、時間と日程を送っておいてくれ」
自分で聞いておきながら、びっくりした。十中八九、断られると思っていたのに。
「スケジュールを調整しておく」
冷めかけていた胸の熱が、戻ってくる。
「う、うん、わかった」
光の粒子が端末に吸い寄せられていく。
ホログラム通話が切れると、真っ黒になった画面には、自分の顔だけが映っていた。
なんでだろう。自分の顔なのに、なんだかまるで知らない人みたいに思えた。
* * *
「ユウ、嬉しそうだね」
朝ごはんを食べていると、頬杖をついたレイが、からかうように覗きこんできた。その距離の近さに、思わず、ジャムを塗ったトーストを落としそうになる。
「そ、そんなことないと思うけど」
今日は、三者面談の日だ。
どこかそわそわして落ち着かない。今朝は、いつもより30分も早く起きてしまった。
「顔を見れば、わかるよ。後、ジャムがブラウスにたれそう」
「えっ、ヤバッ!」
慌てて、トーストを口にくわえる。
ギリギリセーフ……。
見ていたレイが、クスッと肩を揺らして笑った。
パンが口に入っているせいで、何も言い返せない。
「悠吾と、色々、話せるといいね」
家を出る間際、それとなくレイが激励をくれた。
外は雲ひとつない青空だった。
木々の葉を揺らす初夏の風は、瑞々しく爽やかで。
普段の通学路が、キラキラ輝いているように見える。
——たったきっかけひとつで、世界の景色はこんなに変わるんだ。
* * *
「お父さん、遅いな……」
場所は待合室。1分、2分、3分と、進んでいくホログラム時計の数字に焦りが募っていく。けれど、まだお父さんの来る気配はまるでなかった。
「——次。篠田さん、あなたの番ですよ」
呼ばれた声に、ビクッと顔をあげる。とうとう、順番が回ってきてしまった。
「三者面談のこと、ちゃんと伝えたんですか?」
不機嫌そうな様子の坂本先生は、タッチペンを片手にテーブルの下で膝を組む。無言でうなずくしかできない。
「お父さんには、私から直接、後で連絡しておきます。いいですね?」
「……」
返事をしようにも、胸がいっぱいで声が出なかった。
——お父さんの嘘つき。来るって言ったのに……。
膝の上で握りしめたスカートの裾がしわくちゃになる。
「聞いていますか? 意思表示くらいしなさい。この進路希望調査は何です?」
坂本先生は、タブレットの画面を突き付けてくる。映っているのは、ほとんどまっさらなわたしの進路希望調査。
「どうして、こんな状態で出したんですか?」
どうしてと聞かれても。思い付かなかったからとしか言いようがない。
一応、進学希望の欄には丸をつけたし……。
「せめて、一校くらいは書くでしょう。何か将来展望はないんですか? せっかく、テストの点数はいいのに」
何も言えず、唇を噛む。坂本先生はタブレットを置き、深いため息を吐いた。
「そうやって、いつまでたっても何も言わないから、お父さんも来てくれなかったのではないですか?」
——違う。
わたし、ちゃんと伝えたのに。
あんなに頑張ったのに……。
それとも本当は、最初から来る気なんてなかったの?
わからない。ねぇ、なんでよ、お父さん……。
心がズタズタに踏み潰されていく。
その時だった。教室の後ろでドアが開いたのは。
「遅れて、すみません。ユウの保護者の、”代役”として来ました」
——えっ?
ほんの一瞬、張りつめていた空気が緩む。
振り返ると、そこに立っていたのは、お父さんではなく、レイだった。
「代役?」
先生が訝しげに眉をひそめる。
「はい。急きょ研究所で、トラブルが発生してしまったそうで」
「それで、君が代わりに?」
「そうです。僕は、彼女のお世話ロボットのレイといいます」
わたしのとなりにくると、レイは礼儀正しく頭を下げた。
「ふざけているのかね?」
厳かな声に、思わず背筋が縮む。けれど、レイは全く動じていなかった。
「出ていきなさい、今すぐ。私は保護者を呼ぶように言ったんだ。機械の君に話すようなことはない」
眉間に深いしわを寄せ、坂本先生は、タッチペンの先で後方のドアを指し示す。
その刹那、レイの瞳が悲壮に歪んだのを、わたしは見逃さなかった。
「……だったら、わたしも帰ります」
突然、席を立ったわたしに先生がぎょっと目を剥く。レイもこっちを見たままフリーズしてしまっていた。
「レ、レイはっ」
机の上の両手は、ガタガタと震えていて。
できるなら、逃げ出したい。でも、ここで何も言わなかったらレイが傷付く。そしたら、わたしはまた後悔する。
——もうこれ以上、レイの悲しむ顔を見たくない。
「レイはわたしの、”大切な家族”なんですっ!」
大きな声が響いて、自分でも驚く。
でも、一度、あふれ出した言葉は止まらなかった。
「ロボットだからって、どうして、レイを差別するんですか……? せ、先生は、学校の教員ですよね……? だったら、生徒の家族に向かって、ふざけてるだなんて言わないでくださいっ」
わたしの人生史上、最も長いセリフ。
こんなに感情的になったのは初めてだった。
それも大人の先生相手に。
心臓が熱い。怖くて先生の方を見れない。
それでも、なんとなくヒリついた空気感だけは伝わってきて。
「……い、行こう、レイ」
耐えきれず、レイの手を引いた。
レイは何も言ってこない。
代わりに、彼の指先が、そっと握り返してくる。
ふと覗いた横顔は、教室にいた時よりもずっと穏やかで。
——よく頑張ったね。
そんな声が、窓をすり抜けた隙間風に紛れて、聞こえた気がした。
* * *
「レイ、どうしよう。わたし、学校退学になるかもしれない……」
ズシンと空から重しが降ってくる。
自分が何をしでかしたか、今さら我に返った。
「なんで、あんなこと言っちゃったんだろう……」
よくよく冷静になってみれば、あの発言はまずい。ただでさえ、普段から、あんまり良く思われていないのに。
もしも、この一件が原因で坂本先生の怒りを飼うことになったら……。
——終わった。(今度こそ、本当に)
人気のない道端の、電柱の影にもたれこむ。
不意に、ツンツンと肩を突かれた。
「やぁ、ボクはお助けロボットのロボ太!」
「へ……?」
顔をあげる。
そこにはロボ太くん——わたしが、昔、好きだった子ども向けアニメ——のぬいぐるみを持ったレイが立っていた。
それっぽく声を当てながら、両手で器用にロボ太くんを操っている。
「何も気にすることなんてないさ。ボクなんて、いつも博士に怒られてばっかりだよ」
「……どこから出したの、そのぬいぐるみ」
「こんなこともあろうかと、お助けポケットに収納しておいた」
「なにそれ」
ズボンのポケットをぽんぽんと叩くレイ。
おかしくて、つい吹き出してしまった。
「でも、ありがとう、レイ。おかげで、ちょっと元気出た」
「ううん、お礼を言うのは僕の方だよ。あの時、君が怒ってくれて、僕は嬉しかった」
彼の言葉に、今度は耳が熱くなる。
あの時は、目の前がよく見えていなかった。
普段のわたしじゃ、ありえないことを口走っていた。
——レイを、大切な人を、守らなきゃって思ったから。
茜色に染まり始めた空が、街一帯を包みこんでいく。心なしか、首筋をなぞる風がくすぐったかった。
「や、やめて……なんか、情緒おかしくなりそう」
「えっ、それは大変だ! 僕の心理計測メーターでチェックしてみよう!」
「そ、そういう意味じゃない! ていうか、勝手に見ないで!」
慌てて、電柱の後ろに隠れる。
きっと全部夕日のせいだ。耳が熱いのも、胸の奥で早まる鼓動音も。
いっそ、気付かないふりができたならよかった。
* * *
鮮やかなネオンの光が、都会の街並みを彩っていく。
空には、大きな黄色い満月が光っていて。
手を伸ばせば、届きそうだった。
「夕飯、何にする? ユウの好きな物、なんでも作ってあげるよ!」
「んー、なんでもいいよ」
「オッケー、じゃあ、パンケーキにしよう!」
「 ゆ、夕飯にパンケーキ……? いくらなんでもそれはちょっと」
「大丈夫大丈夫! ミールパンケーキっていうのがあってね。チーズとか、卵とか、ベーコンを乗せるんだ」
「甘いのに、しょっぱいのって合うのかな」
未知の味を想像しつつ坂道を歩く。たとえ上りでも、レイと一緒なら足が軽かった。
すれ違う車が、レイの横を通過していく。
思えば、いつだって彼は車道側を歩いていた気がする。些細なことかもしれないけれど、今まで気が付かなかった。意識すらしていなかった。
「レイ?」
ふと、レイが足を止める。
どうしたんだろう。 声をかけようとした時。
「なに、あれ……」
高層ビルの向こうに、点滅する赤いランプの光を見つけた。
ぞわりと胸に悪寒が走る。
それもランプの数はひとつじゃない。チカチカと明滅を繰り返しながら、ある場所へ向かっている。
「研究所……お父さんの?」
黒い雲が満月を覆い隠す。
「ユウ、先に帰ってて。僕、ちょっと様子を見てくるよ」
「ま、待って!」
歩き出したレイの腕を思わず引いた。
「わ、わたしも行く」
いつもなら、お父さんの研究所に自分から行くなんてこと絶対にしない。
でも、なんだか今は嫌な予感がする。
正体不明のモヤが、肺の中でうごめく。気のせいなら、それでいい。
——お願いだから、連れて行って。
腕を掴んだまま、わたしはレイに目で訴えた。
「……わかった」
* * *
「これはっ――」
燃え上がる赤の炎が、夜の闇を侵食していく。
研究所の周辺には、パトカーと消防車が何台も停まっていた。
う、嘘……。
鳴り響くサイレンの音。
慌てた様子で避難する人達。
アスファルトから立ち上る熱気が、肌を焦がす。
「早くこちらへ! ケガ人は、いませんか!?」
「か、管理長の悠吾さんが、まだ中にっ!」
——悠吾 。
ざわめきの中、知っている名前が耳をかすめる。
「お父さん……」
その瞬間、視界がかすんで、体がふらついた。
「ユウっ! しっかりして!」
重心を失ったわたしを、レイが後ろで支えてくれる。
——あんなに嫌いだったはずなのに。
今は不安と恐怖で胸が押し潰されそうで。息が上手く吸えない。まるで呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに。
その間も、火はどんどん勢いを増していく。消火活動に苦戦する消防隊の声が、やけに遠く聞こえた。
悪夢だ……。だって、こんなのテレビの中でくらいしか見たことがない。
きっと現実のわたしはまだ熱にうなされていて、これは体の不調が見せているタチの悪い幻覚。そう言って欲しかった。この際、誰でもいいから。
「ユウ、ここで少し待っていて」
声と同時に、肩に置かれた手。
「安心して。君のお父さんは、僕が必ず助けるから」
その一言で、レイが何をしようとしているのかわかった。
「だ、ダメだよ、レイ……! あんな火の中に突っ込んだらっ」
「大丈夫、僕は死なない——だって、アンドロイドだから」
そう言って、レイは笑った。
まるで、不安がる子どもを安心させるみたいに。
「それにね、ユウ。僕はなんと防火仕様なんだ。だから、あれくらいの火、痛くもかゆくもないさ」
「で、でも!」
言い淀むわたしに、レイが一歩近付く。
穏やかなガラスの瞳の奥で、陽炎が揺れていた。
人工肌の平たい胸に顔が埋まる。唯一、聞こえてきたのは規則的な電子音。
レイの腕が、わたしをそっと抱き寄せていた。
「レイ……?」
わたしの心臓の音が、彼の胸の電子音と共鳴する。
そして、次の瞬間——
レイの唇が、そっと額に触れた。
それは時間にしたら、わずか数秒足らず。
けれど、わたしには何倍にも引き延ばしたスローモーションのように思えた。
「っ!? 」
驚きを遥かに通り越して固まる。
そんなわたしに、レイはまるでいたずらっ子の少年のように口もとを緩めた。
「大好きだよ、ユウ」
周囲の喧騒を突きのけて、一直線に届いた声。
レイの手が離れる。
大きすぎた衝撃に、足が磔になった。
ゆっくりと背を向け、彼は炎の中へ消えていく。
わたしはそれを呆然と見ていることしかできなくて。
空白の時間だけが、目の前を通り過ぎていった。
「君、そんなところで何してる! 危ないから、早く離れなさい!」
血相を変えた警察官が、こっちに向かって走ってくる。
その瞬間——
鼓膜を突き破るような轟音が、辺り一帯に鳴り響いた。
「ば、爆発だぁ! みんな逃げろぉ!」
誰かが叫んだ。
荒れ狂う熱風に、火の粉が宙を舞う。建物の一部が倒壊し、黒い煙と共に火柱が上がった。
「あ……あああああああ!!」
わたしの中で、ごちゃごちゃになった感情が一挙に弾け飛ぶ。
あんな爆発に巻きこまれたら、人間だろうと、アンドロイドだろうと、一溜りもない。
「嫌だ……嫌だよぉ!」
灰と煙でかすんだ視界が、ぐしゃぐしゃに歪む。叫んだ喉はとっくに干上がり、息を吸っただけで肺が溶けそうだった。でも、もうそんなことはどうでもいい。
「レ、ィ……お父、さんっ……!」
熱を帯びたコンクリートの上に、涙溜まりができていく。
世界の終わりを見せられているような絶望が、わたしを焼き尽くす。
既に心は灰になりかけていた。
「おい、見ろ! 中から誰か出てきたぞ!」
——え?
声に釣られて、思わず顔を上げる。
その時、炎が大きくゆらめいて、中からお父さんを背負ったレイが出てきた。
「ロボット? 研究所の? それとも救助用か?」
「だけど、あんなボロボロの状態で……」
「信じられんな」
周囲がざわつき始める。 わたしは立ち上がって、駆け出した。
「レイ!」
夢中で、名前を呼ぶ。
そして、目の当たりにしたのは、変わり果てたレイの姿だった。
「避難通路の途中で、倒れてるのを見つけた……」
彼の左半身は、熱でメッキが溶けて、内部のパーツが剥き出しになっていた。
左腕は、もはや、原型を留めていない。関節を模した配線が切れて、肩からぶら下がっている状態だった。
「だいぶ煙を吸ってしまったみたいだけど、ちゃんと呼吸はしてる……いずれ目を覚ますさ」
ゆっくりお父さんを下ろすと、レイは地面に膝をつく。壊れかけの右手の指先が、わたしの頭に優しく触れた。
「ごめんね、ユウ。僕、そろそろ限界みたいだ……」
「そんなこと言わないで!」
必死で、レイの胸にすがりつく。
まるで親から離れようとしない子どもみたいに。
「修理すれば、きっと全部、元通りになるよ! わたしがっ、わたしが、お父さんに頼むから……! だからぁ!」
声が涙でしわがれていく。
切実なわたしの思いとは裏腹に、彼は弱々しく首を横に振った。
「ごめんよ——”約束”、守れなくて」
声と同時に、冷たい金属の腕が肩にのしかかる。
ひび割れたガラスの瞳は、もう光を宿していなかった。
「レイ……レイっ!」
それでも彼の名前を叫ぶ。
「お願いだから、目を開けてよ……」
どれだけ願えど、わたしの声は彼に届かない。
それは人間で言う”死”を意味していた。



