拝啓、ひとりぼっちの君へ

 3Dのホログラム時計が、PM2:00を指し示した頃。
「研究課題を出します。期限は1週間、来週までにレポートを仕上げてきてください。テーマは科学に関係していれば何でも構いません。」
 先生の一言をきっかけに、教室の空気がざわついた。
『えぇー、めんどくさい』
『てか、なんで急に?』
『夏休みでもないのにね』
 あちこちで不満の声が飛び交う。わたしは、それを遠巻きに眺めていた。
 そんなに嫌かな……。
 この手の課題は苦手じゃない。
 むしろ、どちらかといえば、得意分野だと思っている。だって、調べたこと書けばいいだけだし。いきなり指名されたり、話し合いがない分、授業よりもずっと気が楽だ。
「ただし、必ず二人以上のグループで行うようにしてください」
「えっ……」
 思わず、声が漏れた。誰かに聞かれていなかったか不安になる。幸いわたしの声が小さすぎて、気付いた人はいなかったけれど。
『グループ、どうする?』
『好きに決めていいみたいだよ』
『桃花〜、ゆめりん〜、ウチらで組もっ』
「静かに。まだ授業は終わっていませんよ」
 騒がしくなった生徒達を、先生が注意する。 
 グループ、どうしよう……。
 じわり。手に汗がにじむ。
 ド陰キャの分際で、どこかのグループに「入れて」なんて、ずうずうしく頼めるわけがない。
 仮に奇跡が起きて入れてもらえたとしても、誰かと共同作業なんて絶対に無理っ!

* * *

 どうしよ、どうしよ、どうしよっ!
 それから帰りのホームルームが終わるまで、ずっと放心状態だった。6限目の国語の読解なんて、ほとんど記憶がない。
「篠田? おい、待て、そっちは――」」
 コツンと額に硬い感触。課題のことで頭がいっぱいで、目の前が壁だということにぶつかるまで気付かなかった。い、痛い……。
「すまん、もう数秒早く言うべきだったな。大丈夫か?」
「森田先生……もしかして、見てました?」
「ああ、まぁ、たまたま歩いてくるのが見えたというか。でも、意外だったよ。お前にも抜けてるところがあるとは」
 追加で胸にもダメージが入る。昨日といい、今日といい災難続きだ。
「ちょっと考え事してて……」
「考え事?」
「は、はい」
「悩んでるなら相談に乗るぞ。じゃないと、また篠田が壁にぶつかるかもしれんしな」
「き、気をつけますよ」
 お願いだから、もうこれ以上、わたしの傷をえぐらないでほしい。
「すまんすまん、ちょっとふざけただけだ」
 そう先生は冗談めかす。もしかして、わたしの緊張をほぐそうとしてくれた?
 ――困った時は俺を頼れ。
 昨日の言葉がよみがえる。
「あ、あの、実は……」
 迷ったあげく、わたしは課題のことを話した。
「なるほどな」
 ふむふむとあごをさすりながら先生はうなずく。
「そういうことなら俺に任せろ! いい宛てがある」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。だが、少しだけ待っていてくれ。明日までには、どうにかして話をつけておく」
 ――課題、頑張れよ。
 先生のこぶしが、わたしの肩を軽く叩く。安心したら、少しだけ力が抜けた。

* * *

「ねぇねぇ!」
 ホームルームが終わって、帰り支度をしていた時だった。
「おーい、聞こえてないのかなー? そこのキミだよ、無口な出席番号12番くん」
「わ、わたし……?」
 ちょいちょいと、ブラウスの袖を引かれる。
 振り向くと立っていたのは、制服の上から羽織ったぶかぶかの白衣と、分厚い実験用ゴーグルを頭につけた、いかにも変わり者の少女。  
「他に誰がいるのさ? このクラスの出席番号12番と言ったら、一人しかいないだろう」
 ビシッと指を差さしてくる彼女の名前は、月之木(つきのき)アキ。
 出席番号17番、誰もが認める天才にして、学校中を困らせているトラブルメーカーだった。
「まぁ、そんなことはさておき。キミのお父さんってさ、ロボット学の研究員してるよね? 名前は忘れちゃったけど」
 えっ、なんで知って……。
「理由を聞きたそうな顔だね。説明してもいいけど、その前に一つ折り入って頼みがあるんだ」
 勝手に話を進めていく。わたしが口出しする隙もない。いや、まぁ、仮にあったとしても、きっと黙っているだろうけど。
「これから、キミの家に連れて行ってくれない?」
 数秒、思考が一時停止した。
 喉の奥が、きゅっと引きつる。
 心臓の動きが急激に活性化して、いくらか体温が上がったように感じた。
「黙ってるってことは、YESと受け取っていいのかな?」
 いいわけない!
 ふるふると首を横に振り、必死に意思表示するわたしは、きっと滑稽な首振り人形のように見えているんだろう。だけど、今はなりふり構っていられない。
 どうにかして、このピンチを切り抜けないと!  
 そう思っていたのに。
「なら、取り引きしようよ。さっきの研究課題、組む人がいなくて困ってるんでしょ? ワタシが手伝ってあげる。だから、キミの家に連れて行って」
 彼女の申し出に、わたしの意志はいとも簡単に揺らいだ。
 もしかして、森田先生が言ってた宛てって……。
「ね? 悪くないでしょ?」
 月之木さんが顔を寄せてきて、耳元でささやく。まるで悪魔のささやきだ。
 でも、彼女の言う通り、今を逃したら……。
 たたでさえ、先日、坂本先生に釘を刺されたばかりなのに。こんなことで、科学の成績まで下げられたら、たまったものじゃない。
「ほ、本当に、手伝ってくれるの……?」
「心配なら今ここに契約書を持ってきて、サインしてもいいよ」
 彼女は狡猾だった。ただ頭が良いだけじゃない。
 そして、まんまと口車に乗せられたわたしはただのバカだ。

「どうして、そんなに離れて歩くんだい?」
 そんなの理由は一つに決まってる。だって、月之木さん、すっごく目立つんだもん……。
 現にあちこちから、好奇の視線を感じる。
 もうある程度、予想はついているかもしれないけど、月乃木さんは変人だ。
 あれは忘れもしない入学式初日。
 学力試験で首席合格だったという彼女は、新入生代表の挨拶の場に、自作の全自動式特大クラッカーを仕掛け、会場を紙吹雪まみれにするという、前代未聞の大騒動を起こした。
 当然、彼女の仕業だと発覚して——正確には、壇上で正々堂々、自分から白状してたんだけど——登校初日にして、1週間の自宅謹慎を言い渡されていた。
 しかし、彼女にまつわる問題行動は、それだけじゃない。他にも休み時間に爆発実験を起こしては、生徒指導室行きになったり、この前みたく先生の授業そっちのけで、わけのわからない機械の設計図を描いていたり…(以下略)。
 正直、いまだに退学にならないのが不思議だ。まぁ、そこはきっと成績の良い生徒を確保しておきたいという学校側の筋なんだろうけど。
「そうだ、出席番号12番くん。これからキミのことは、なんて呼んだらいいかな?」
「な、なんでもいいよ……ユウでも、篠田でも」
「じゃあ、篠田っち!」
「し、篠田っち?」
 流石に想定外。とはいえ、なんでもいいと言った手前、今さら撤回もできない。なにせ、相手は月乃木さんだ。
「篠田っちはさ」
 ちゃっかり呼び方が板についてるし。
「やっぱり、ワタシのこと覚えてない?」
 謎めいた質問だった。
 いつの間にか、月之木さんは距離を詰め、わたしの前に回りこんでいる。
 何かしら返事をしないと、この先は通さないとでも言わんばかりに。
「お、覚えてるも何も……」
 月之木さんと出会ったのは、高校に入ってから。 小学校も中学も、全く別々だったはずだ。
「昔、学校の教授をしてたんだ、ワタシのおじいちゃん。ちなみに担当教科は科学ね」
 なんで急に、おじいさんの話?
 話の脈絡のなさに、ぽかんとしてしまう。けれど、彼女は、お構いなしに話を続けた。
「でも、ある日、おじいちゃんの開発したトレーニングロボットが、学校の壁に穴開けちゃってさ、それで教員、クビにされちゃったんだよね」
 いや、おじいちゃん……とんでもない人じゃん。ていうか、そもそも一体どんな経緯があって、そんなことになったの。
「つまり、どういうことかわかった?」
 わかるわけない!
 これじゃわたしはただ、月之木さんのおじいさんのやらかしエピソードを聞かされただけだ。
「おじいちゃんの元教え子だったんだって、キミのお父さん。一回だけなら、ワタシも会ったことあるよ」
 また一歩、彼女が近付いてきて、わたしは後ろの電柱に追い詰められそうになる。
「まぁ、その時のキミはワタシをひとめ見るなり、倍速モードで逃げていったけどね」
 返す言葉が見つからなかった。
幼い日の記憶の欠片が、唐突に呼び覚まされる。
——あれは確か、5歳の時だったと思う。
 滅多に来客を呼ばないお父さんが、その日は珍しくリビングで誰かと話をしていた。 
 一人は白衣を着て、歪な形に結んだネクタイをつけた白髪頭のおじいさん。
 そして、もう一人、そのとなりにはわたしと同じくらいの小さな女の子が座っていた。
 まぁ、話の通り、わたしは女の子と目が合った瞬間、挨拶もせずに自分の部屋に逃げ帰ったわけだけど。
「キミは、人が嫌いかい?」
嫌い、なわけじゃないんだと思う。ただ、
「怖いの……」
 昔から、そうだった。
 人前に出ると、急に頭の中が真っ白になって、震えが止まらなくなる。
 言おうと思ってたことも全部、わけがわからなくなって。結局、いつも逃げてしまう。
 頑張って、直そうとしたこともあった。けど、全部、失敗して……。
 以来、拒絶反応が起きるようになった。まるで呪縛にかかったみたいに口が動かなくなる。
「それは脳の扁桃体が正常に機能している証拠だよ」
 なんでもないことのように、平然と月之木さんが言う。
「人間ならば、誰しも怖いものの一つや二つくらいあるだろう? キミはたまたまその対象が、自分と同じ人間だったというだけさ」
 胸の奥深くに刺さっていたトゲが、スッと抜け落ちていく。
 呼吸が、少し楽になったような気がした。
 頭の上のゴーグルをくいっと持ち上げて、月乃木さんがニッと笑う。
 空の鮮やかなオレンジに馴染んだ笑顔が、なんだかまぶしい。
 ——夕日って、こんなに綺麗だったかな。

* * *

「ちょっと、待ってて……」  
 廊下にいる月之木さんに言ってから、先に部屋に入る。
 これから、わたしには、やらなければならない重大な”任務”があった。
「おかえり、ユウ——」
 リビングから出てきたレイの口をとっさに塞ぐ。
 レイは驚いて、ガラスでできた瞳孔を大きく見開いていた。
 ご、ごめん、レイ……事情は、後で話すから!
 強引に引っ張り、奥にあるメンテナンス室にレイを押しこむ。
 充電用のベッドに座ったレイが、きょとんと不思議そうに首を傾げていた。
「そんなに焦って、どうしたんだい、ユウ。おやすみの時間には、まだだいぶ早いよ」
「と、とにかく、わたしがいいって言うまで、この部屋から出ないで! 絶対だから!」
 バタンと、メンテナンス室のドアが勢いよく閉まる。
 つ、疲れた……。本番は、まだこれからだっていうのに。
 けれど、一つだけ、確実に言えることがある。
 レイを月之木さんに会わせたら、絶対、面倒なことになるってこと。
 だから、わたしは、レイを隠す必要があるのだ。なんとしても。
「準備は、整ったかな?」
 ドアの前には、あいかわらず、手持ち無沙汰そうに月之木さんが立っていた。
「ど、どうぞ……」
 わたしに続いて、意気揚々と月之木さんが玄関に入ってくる。
「ロボット学の本が、こんなにたくさん。ずいぶんと勉強熱心なんだね」
「ぜ、全部、お父さんのだから、それ……」
 リビングの本棚を前に、月之木さんは、爛々と目を輝かせていた。
 対するわたしは、ありえないくらい挙動不審だった。きっと傍から見たら、ここが自分の家とは思えないだろう。
 これが、16年間、ぼっち人生を生きてきた末路。無論、よその家に遊びに行ったこともない。 だから、どうしたらいいか、さっぱりわからなかった。
 ——こんな時、レイがとなりにいてくれたらな。
 って、ダメダメ! 今は自分でなんとかしないと。
 弱い自分の心を叱咤する。
 ひとまずは、キッチンでお茶を淹れることにした。
 後ろでは、月之木さんが、所狭しと並んだ専門書を物色している。
 普通、一言くらい断るのが常識だと思うんだけど……。
「おや、一冊だけ違う本が紛れているようだ」
 水色のリングノートが目に入る。思わず、注いでいたお茶をこぼしそうになった。
 まずい、それは……。
「おしゃべりノート?」
 一瞬にして、全身の血の気が引く。
 見ないで! という心の声も虚しく、月之木さんは、ノートを開いてしまった。
 終わった……(いろんな意味で)。
 じーっと、ノートを見つめていた月之木さんが、顔を上げる。
「これは、幼少期のキミの記録というやつかな?」
「いや、あの、それは……」
 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる月之木さん。
「ごめんね。それは僕とユウの大切な物なんだ。だから、返してくれるかな?」
 どうにか言い逃れする方法を考えていたら、真後ろで声がした。  
「レ、レイ!? なんで、いるの!?」
 まさかと思って振り返る。
 ——そのまさかだった。
「心配になったから、様子を見に来ただけだよ」
 レイはそう言って、月之木さんの前へ歩み寄る。
「初めまして、僕はアンドロイドのレイ。ユウのお世話係として、ずっと前からこの家にいるんだ」
「アンドロイド……」
 案の定、その言葉に月之木さんが反応を示す。その目線の先は、レイの首に印字された4桁の識別番号を見ていた。
「名付けて、”ロボフレンド”、といったところかな。ロボ生をかけて、ユウを守るのが僕の役目さ」
「す、ストップ! もうそれ以上、しゃべらなくていいから!」
 慌てて、レイの肩を引く。けれど、もう既に手遅れだった。
「すごいじゃないか!」
 目を星にした月之木さんが、今度はレイに詰め寄る。
「ここまで流暢に話すヒューマノイドは、初めて見たよ。ねぇ、レイ、キミの体の構造について、詳しく教えてくれないかな!?」
「もちろん、いいよ、なんでも聞いて」
 出会ってわずか数秒、質問攻めにしてくる月之木さんに、レイは笑顔で答えていた。
「動力源は、やっぱり電気? 充電式? それとも給電式? 後、その人工肌は——」
 月之木さんの質問は、止まるどころか、さらに勢いを増している。
 けれど、レイは、どこか楽しそうだった。
「基本的な構造は、一般的なロボットと同じだよ。マックス状態で、一週間は持つかな。それと、この人工肌は、特殊なシリコン素材でできているんだ」
 まるで、友達のように話す二人。気付けば、わたしは部屋の空気と化していた。
 ——なんでかな。
 レイが少しだけ、遠い場所に行ってしまった気がする。

* * *

「ねぇ、ユウ、まだ怒ってる? 僕が勝手に部屋を出たこと」
「別に。もう気にしてないよ」
 その夜、わたしは机で、自由研究とは別の課題をしていた。
「今日、来てくれた子、アキちゃんとは上手くやっていけそう?」
「いや、全然……」
 わたしの答えに、レイがふっと小さな笑みを浮かべる。
「僕からしたら、知的好奇心があって、面白い子だと思ったけどな」
「どうかな、学校で勝手に爆発実験して、みんなを困らせてるような子だよ? 先生の話だって、ほとんど聞いてないし」
「きっと人に縛られない性格なんだよ。それにすごく楽しそうだった」
 楽しいのは、月之木さん本人だけでしょ。
 そうツッコミたくなるのをぐっとこらえて、タッチペンを持ち直す。
「ここの計算、間違ってるよ」
「あ、ほんとだ……」
 画面上の式を、レイが指差す。
 いつもなら、こんな単純なミスしないのに。
「やっぱり、少し緊張してる? 研究課題のこと」
 ふと、タッチペンを持つ手が止まった。
 どうやら、レイには、わたしの心が見え透いているらしい。
「考えちゃうの……わたしのせいで、失敗したらどうしようって」
 原稿を持ったまま、固まってしまった、小学生の時のスピーチ。
 使いものにならない、いても足手纏いだと言われた、中学の時のグループ発表会。
 頭をよぎるのは、どれも苦い記憶ばかりだった。
「失敗は決して悪いことじゃないよ。それに君は僕達ロボットとは違うんだ。最初から100%を目指さなくたっていい。失敗は人間らしさの一つなんだ」
 ——って、アンドロイドの僕が言うのも、おかしな話だね。
 ふっと、レイの目元が緩む。
 気付けば、自然な笑みに釣られて、わたしも笑っていた。
「そうだね、ありがとう、レイ。おかげで、ちょっと楽になった」
 胸に詰まっていた塊が、ゆっくりと溶けていく。
 レイのくれた言葉が、今も胸の中で温かく響いていた。