『続いてのニュースは、アンドロイド、ついに学校の教育現場に進出!』
時は西暦2070年。
この数十年間の内に、世界ではAIの科学技術が飛躍的に発展した——らしい。
『近年、日本でもアンドロイドを教員として導入する学校が増えてきています。この試みについて、国の文部科学省は——」
今の時代、ロボットは当たり前のように街を歩いている。犬や猫を模したペット型ロボットはもちろん、ヒューマノイドと呼ばれる、お手伝い用人型ロボットを雇っている企業や病院、一般家庭なんかも少なくはない。
『アンドロイド先生は、学校生活に馴染むことができるのか!? 今後の動きに注目です!』
とはいえ、AIはまだ完全状態とは言いがたい。きっと今この瞬間も、世界中で多くのエンジニアや科学者達が開発を進めている。近い将来、AIはこれからさらなる進化を遂げていくんだろう。
——わたしは、そういう時代を生きている。
* * *
教室の壁にPM12:00の数字が浮かぶ。 3Dの立体ホログラム時計だ。
「ではここ、今日は12日ですか。では12番の篠田さん、問題を読んでください」
「あ、えっと……」
手が震える。 背中に、しびれをきらしたクラスメイト達の視線を感じた。
「あの、その……」
じっとりと首筋に汗が滲む。けれど、絞り出した声は途切れ途切れの音を発しては、虚しくしぼんでいくだけだった。
「もう結構です」
スクリーンの前に立っていた先生が、呆れた様子で、レーザーポインターを下ろす。
『教科書読むぐらい、小学生でもできるだろ』
『ねぇ、知ってる? あの子、面接試験がないって理由だけで、志望校ここにしたんだって』
『ウケる。てか、ヤバッ。普通、そこまでする?」
クラスメイトのひそひそ話が、耳に刺さる。
だいたいデジタル教科書が普及した今時、わざわざ声に出して読む必要なんてあるんだろうか。音声機能ついてるんだし……。
「こら、月之木さん! その設計図をしまいなさい。今は授業中です!」
月之木さんと呼ばれた、斜め前の席の少女が顔をあげる。
「耳はちゃんと傾けていますよ。今日やる範囲の問題なら、最初の十分ですべて解き終えましたし」
「なっ、見せなさい!」
ピキリと、先生の眉間のしわが引きつる。
「……全問正解。最後の応用は、難関大学レベルだというのに」
一瞬、周囲がざわついた。
「それより、見てください! このドローン変形式ロボット、実現できたら将来的に汎用性が高いと、坂本先生も思いませんか!?」
また始まったよと、誰かのつぶやきがこぼれる。
「いい加減にしなさい! これ以上は授業の妨害行為とみなし、また反省文を書いてもらうことになりますよ」
「なぜです? 発明はれっきとした、科学ではないですか?」
「今は数学の時間です」
二人の攻防戦は続く。 うちのクラスでは、もはや日常茶飯事となった光景。
その時、ちょうどタイミングを見計らったように、チャイムが鳴った。
諦めたのか、先生は教卓に戻りながら大きなため息をつく。
『坂本先生も大変だよなぁ』
『まぁ、うちのクラスって、変なやつ多いし』
耳をかすめた誰かのささやきに、チクリと胸が痛んだ気がした。
* * *
休み時間になると、真っ先に教室を出た。
理由は至って単純。お昼休みの教室=陰キャのわたしに居場所はない。
「篠田さん、少しいいですか?」
廊下に出た直後、声がかかりドキッとする。 担任の坂本先生だった。
「三者面談の保護者宛てアンケートが未回答になっています。残りは篠田さんだけなんです。前にも言ったでしょう?」
「す、すみません……」
坂本先生に呼び出されると、大抵、ろくなことがない。
「あなたの事情は、知っています。ですが、私にも仕事があります。締め切りは守ってもらわないと困るんですよ」
「……」
だったら、その言葉、お父さんに直接言ってほしい。
抗議したい気持ちはあった。だけど、とても口には出せない。
「希望がないなら、こちらで日程を決めてしまいますよ」
「……」
「まったく、どうしてあなたはいつもそうなんですか。黙っていては、相手に何も伝わらないでしょう」
ごもっともだ。そんなの自分でもわかりきってる。
いっそ思ってること全部、ペラペラ話しちゃうようなバカ正直に生まれてたら、もっと楽に息が吸えたのにな。
* * *
やっと解放された……。 誰もいない校舎裏で、ほっと息をつく。
もう既にお昼休みの半分が終わってしまっていた。
長い。長すぎる。
「坂本先生の鬼……」
外階段の踏み板に座る。入学してからというもの、ここがわたしのお昼を食べる定位置になっていた。
「しーのだ!」
「わ、わぁ!?」
お弁当箱を広げたところで、二階から大きな声が降ってくる。
思わず、箸を落としかけた。危ない。ギリギリセーフ。
「って、森田先生……?」
「すまんすまん! 声の加減を間違えた」
「あ、いえ……わたしが、ぼうっとしてただけですから」
森田先生は、うちの高校の体育教師をしている。4月に入ってきたばかりの新任らしい。いつも首元が隠れるハイネックの青いジャージを着ていて、いかにも熱血漢のイメージが強い。筋肉質で大柄だけど、性格は大らかで生徒に人気がある。坂本先生と違って。
「あ、あの、先生はここで何を」
階段を下りてくると、先生は、わたしのひとつ上の段に体育座りをした。
「篠田がため息なんてついてるから、どうしたものかと思ってな。さてはまた坂本先生か?」
「わ、わかるんですね……」
森田先生のことは嫌いじゃない。怒っている姿を滅多に見ないし、他の先生みたいに強制してこない。体育のチーム戦の時も苦手だったら見学してても良いって言ってくれるし。
「なんとかしてやりたい気持ちはやまやまだが、俺もあの人には頭が上がらん。なんたって、今年で20年目になる大ベテランだからなぁ」
坂本先生って、そんなに教員歴が長かったんだ。
「まぁ、ひとまず飯でも食って元気出せ。美味そうな弁当じゃないか」
未だに箸ひとつつけていなかったお弁当を覗きこむ先生。すっかり存在を忘れていた。
「盛り付けも綺麗だし、篠田のお母さんは料理が上手なんだな」
森田先生に他意はない。わたしを励まそうと、世間話のつもりで言ったんだろう。
「……母はいません。わたしが物心つく前に、病気で亡くなったので」
豊かに動いていた先生の表情筋が、ぴたりと止まる。
「そうだったのか……すまん、篠田」
「いいですよ。そもそも覚えてないですから」
どうして、わたしにはお母さんがいないのか。小さい頃、一度だけお父さんに聞いてみたことがある。でも、何も答えてくれなかった。だから、詳しい理由は知らない。病気だったと親戚づてに聞いたのも、だいぶ後からの話で。
「父は一日中、研究所にこもりっきりで滅多に家に帰ってきません。きっと、わたしに興味がないんだと思います」
森田先生は黙って話を聞いてくれていた。途中で遮ることもなく真剣に。
——先生は、どうして。
「どうして、そんなに気にかけてくれるんですか?」
森先生の大きな瞳孔が開く。
「大事な生徒だから」
即答だった。
「子ども達が自分らしさを失わず、健やかに成長できるように支える。それが俺の仕事だ」
——仕事。
まるっきり同じ言葉なのに、坂本先生の時とは響きが違った。
「だからな、篠田。困った時は俺を頼れ。迷惑だなんて一ミリも思わん」
同情や哀れみなんかじゃない。森田先生は、ちゃんと生徒一人一人を見ている。
好かれる理由がわかった。だけど。
——まっすぐすぎるそのまなざしが、わたしには受け止めきれない。
* * *
透明な筒の中を、円柱型のカプセルが移動して下りてくる。
一昔前、エレベーターは電気で動いていたらしい。でも、今は違う。
わたしの時代じゃ、エレベーターは磁力で動くのが主流だ。いちいちボタンを押す必要もない。カードキーをセンサーにかざすだけで、自動的にドアが開く。下りる時は、階層を示すカプセル内の数字が切り替わったタイミングで、またカードをタッチすればいい。
ちなみにカードは、身分証の代わりにもなっていて、あらゆる情報が登録されている。これ一枚で、保険証や免許証の役目も担ってくれる優れ物だ。万が一、紛失してもスマホで位置共有されるようになっているし、厳重なシステム管理によって、自分以外の誰かが個人情報を勝手に盗み見ることはまずできない。これが現代科学の力だ。
おひとり様用エレベーターとか、いつかできないかな……。
わたしの部屋は、20階建てのタワーマンションの最上階にある。よく家に帰るまでが遠足だと言うように、度を越えた一人見知りのわたしにとっても玄関に着くまでが試練なのだ。
「ただいま」
オートロック式のドアを開ける。
「おかえり、ユウ!」
すると、まるで主人の帰りを待ち侘びた犬みたいにリビングから顔を出して、わたしの帰りを出迎えてくれた彼。
よく見ると、その首には識別番号を示す4桁の数字が刻まれている。
「もしかして、学校で何かあった? 心の健康メーターの数値が10を切っているよ」
冗談で言ってるんじゃない。本当に可視化できるのだ。
——なぜなら、彼は”アンドロイド”だから。
「いつものことだよ。授業中、先生に当てられて……みんなに笑われちゃった。教科書を読むくらい、小学生でもできるって」
坂本先生やみんなの言うことは正しい。わたしが普通にできないんだ。
「また明日も、怒られちゃうかな」
思わず、こぼれた不安。 でも、彼はそれを優しく拾い上げて、
「今日がダメでも、明日もダメとは限らないよ」
沈みきったわたしの心をなぐさめてくれる。
「そう悲観的にならないで、ユウ。なにも焦る必要はないさ。君は君のペースで、ゆっくり成長していけばいい。たとえ先生に怒られたって、いっぱい悩んでる君のこと僕はちゃんと知ってるよ」
ふわりと、大きな手が頭に覆い被さる。
小さい頃から知っている、冷たくて硬い指先。でも、不思議と温かい気がする。
「くすぐったいよ、レイ。子どもじゃないんだから」
されるがままでいたら、ちょっぴり照れ臭くなって、やんわりと彼の手を払う
「それはおかしいな。僕の記録データによると、君は夜中、一人じゃトイレに行けない、怖がりな女の子だったはずだよ」
「ちょっ……! そんなデータ保存しなくていいから。メモリの無駄遣いでしょ!」
「ノープロブレム。僕のメモリは大容量仕様なんだ。まだ数年分は余裕があるよ」
——記録、データ、メモリ。
そういうなにげない用語を耳に挟むたび、突きつけられる。アンドロイドという人ならざる彼の存在を。
そういえば、レイが家に来てからもう十年も経つんだ。
* * *
「こんにちは、僕はアンドロイドのレイ。君とお友達になって、たくさんおしゃべりがしたいんだ」
レイが初めてうちに来たのは、わたしの6歳の誕生日。
レイのようなタイプは、通称、家庭用人型アンドロイドと呼ばれ、お手伝いロボットの一種に分類される。
『これから身の回りのお世話は、全部、レイにやってもらいなさい』
わたしへの誕生日プレゼントだと、お父さんは言っていた。でも、とてもそうは思えなかった。
「に、逃げないで、ユウ! 僕は何もしないよ!」
最初の頃は、怖くて近付きすらしなかった。
見た目だけなら、レイは大人の男の人とさほど変わらなくて。アンドロイドとわかっていながら、人見知りしてしまった。
だけど、それだけじゃない。わたしはお父さんに捨てられたんだと思った。だから、代わりに面倒な育児をレイに押し付けたんだって。
心のどこかで信じてた。いや、信じたかったんだ。
——いつかお父さんが、わたしを見て笑ってくれるって。
でも、結局、そんな日は来なかった。
* * *
「期末テストの結果、どうだった?」
「学年で2位だったよ、確か得点表がタブレットに」
「すごいね、ユウ! 理系教科なんて全部オール100点だ!」
「レイの教え方が上手だからだよ」
おかげで、わたしは勉強面じゃ小学生の時から困った覚えがなかった。そのくせ、体育だけはいつも成績が壊滅的だったけれど。高校は森田先生が担当だから、なんとか命拾いしている。
「ユウのお祝いに、今日はご馳走を作ろう! 僕、買い物に行ってくる!」
嬉しそうに、レイは出掛けていった。今夜は豪勢になりそうだ。
レイだけ、なんだよね。この家で、唯一、わたしを褒めてくれるのは。
自分の部屋で着替えていると、棚の上に立てかけてある古い写真にふと目がいった。
写っているのは、若い時のお母さん。もう一人、ナース服を着た看護師さんらしき髪の長い女性と笑顔のツーショットだった。
—-もしもお母さんが生きてたら、一緒に喜んでくれたのかな。
* * *
「ユウ」
ある日、レイが一冊のノートを差し出してきて、わたしに言った。
「言葉を伝える手段っていうのは、なにも声だけじゃないんだ」
『おしゃべりノート』
渡されたノートの表紙には、そう書いてあった。
「もし何か言いたいことがあったら、ここに書いて欲しい。どんなことでもいいから」
そう言って笑ったレイの顔は、アンドロイドとは思えないくらい、優しくて、わたしの手は自然とノートに伸びていた。
◯月×日 レイ
ユウへ。
ぼくからしつもんです。
すきなたべものは、なんですか?
いやじゃなかったら、おしえてくれるとうれしいな。
ユウ
すきなたべもの……わかんない。
いつもカップラーメンとか、コンビニのごはんばっかりだから。
レイ
おへんじありがとう。
じゃあ、今、ユウのたべたいものをおしえて!
ユウ
たべたいもの……?
うーん、なんだろう。
レイ
なんでもいいよ。
ぼくが作ってあげる!
ユウ
じゃ、じゃあ、パンケーキがいい……。
まえに一回だけ、おとうさんが作ってくれたんだけどね。
うまくできなくて、まっくろになっちゃって……。
レイ
それはたいへんだ! でも、だいじょうぶ。
料理は、ぼくの特技だから。とびっきりおいしいパンケーキを焼いてあげる!
◯月××日 レイ
あしたは、にちようびだね!
いっしょにどこかお出かけしようか。 いきたいところはある?
ぼくがつれていってあげるよ!
ユウ
おそとは、あんまり行きたくない。
人がいっぱいで、こわい、から……。
レイ
そっか。
なら、ぼくとおうちですごそう!
なにかしたいことはある?
ユウ
おうちで……。 あっ、そうだ。
ロボ太くんのアニメ……あしただからみたいな。
レイ
いいね! アニメ、ぼくも気になる!
ユウはロボ太くんの、どんなところがすき?
ユウ
すきなところ……。
え、えっとね、ロボットなのに、のんびりやさんで、おもしろいところ、かな?
でも、すごくやさしいんだ。こまってる人がいたら、すぐにたすけてくれるの。
レイへの恐怖心は、『おしゃべりノート』でのやりとりを通じて、だんだんと解けていった。
「レ、レイっ」
今でもよく覚えてる。
初めて名前を呼んだ時の、レイの驚いた顔。
よく作りこまれたアンドロイドだな、なんて思ったりしたのも。
△△月×日 ユウ
ねぇ、レイ。
おとうさんは、ユウのこと、きらいなのかな……?
レイ
どうして、そう思うの?
ユウ
だって、いつもおうち帰ってこないし……。
ユウのこと、無視するんだもん。
レイ
そっか……。
それは、とってもさみしくて、かなしいね。
でもね、ユウ。
お父さんは、ユウのこと無視してるんじゃないと思うよ。
今はちょっと、研究がいそがしいんじゃないかな?
お父さんだって、きっとユウに会いたいにきまってる。
だから、いっしょに待とう! お父さんが、帰ってくるまで。
だいじょうぶ。 ユウにさみしい思いはさせない。 ぼく、約束するよ!
わたしのレイに対する認識が変わった瞬間だった。
レイだけが、わたしを受け入れてくれる。
たった一人、孤独に寄りそってくれる。
彼といる間だけは、安心して心を預けられた気がした。
時は西暦2070年。
この数十年間の内に、世界ではAIの科学技術が飛躍的に発展した——らしい。
『近年、日本でもアンドロイドを教員として導入する学校が増えてきています。この試みについて、国の文部科学省は——」
今の時代、ロボットは当たり前のように街を歩いている。犬や猫を模したペット型ロボットはもちろん、ヒューマノイドと呼ばれる、お手伝い用人型ロボットを雇っている企業や病院、一般家庭なんかも少なくはない。
『アンドロイド先生は、学校生活に馴染むことができるのか!? 今後の動きに注目です!』
とはいえ、AIはまだ完全状態とは言いがたい。きっと今この瞬間も、世界中で多くのエンジニアや科学者達が開発を進めている。近い将来、AIはこれからさらなる進化を遂げていくんだろう。
——わたしは、そういう時代を生きている。
* * *
教室の壁にPM12:00の数字が浮かぶ。 3Dの立体ホログラム時計だ。
「ではここ、今日は12日ですか。では12番の篠田さん、問題を読んでください」
「あ、えっと……」
手が震える。 背中に、しびれをきらしたクラスメイト達の視線を感じた。
「あの、その……」
じっとりと首筋に汗が滲む。けれど、絞り出した声は途切れ途切れの音を発しては、虚しくしぼんでいくだけだった。
「もう結構です」
スクリーンの前に立っていた先生が、呆れた様子で、レーザーポインターを下ろす。
『教科書読むぐらい、小学生でもできるだろ』
『ねぇ、知ってる? あの子、面接試験がないって理由だけで、志望校ここにしたんだって』
『ウケる。てか、ヤバッ。普通、そこまでする?」
クラスメイトのひそひそ話が、耳に刺さる。
だいたいデジタル教科書が普及した今時、わざわざ声に出して読む必要なんてあるんだろうか。音声機能ついてるんだし……。
「こら、月之木さん! その設計図をしまいなさい。今は授業中です!」
月之木さんと呼ばれた、斜め前の席の少女が顔をあげる。
「耳はちゃんと傾けていますよ。今日やる範囲の問題なら、最初の十分ですべて解き終えましたし」
「なっ、見せなさい!」
ピキリと、先生の眉間のしわが引きつる。
「……全問正解。最後の応用は、難関大学レベルだというのに」
一瞬、周囲がざわついた。
「それより、見てください! このドローン変形式ロボット、実現できたら将来的に汎用性が高いと、坂本先生も思いませんか!?」
また始まったよと、誰かのつぶやきがこぼれる。
「いい加減にしなさい! これ以上は授業の妨害行為とみなし、また反省文を書いてもらうことになりますよ」
「なぜです? 発明はれっきとした、科学ではないですか?」
「今は数学の時間です」
二人の攻防戦は続く。 うちのクラスでは、もはや日常茶飯事となった光景。
その時、ちょうどタイミングを見計らったように、チャイムが鳴った。
諦めたのか、先生は教卓に戻りながら大きなため息をつく。
『坂本先生も大変だよなぁ』
『まぁ、うちのクラスって、変なやつ多いし』
耳をかすめた誰かのささやきに、チクリと胸が痛んだ気がした。
* * *
休み時間になると、真っ先に教室を出た。
理由は至って単純。お昼休みの教室=陰キャのわたしに居場所はない。
「篠田さん、少しいいですか?」
廊下に出た直後、声がかかりドキッとする。 担任の坂本先生だった。
「三者面談の保護者宛てアンケートが未回答になっています。残りは篠田さんだけなんです。前にも言ったでしょう?」
「す、すみません……」
坂本先生に呼び出されると、大抵、ろくなことがない。
「あなたの事情は、知っています。ですが、私にも仕事があります。締め切りは守ってもらわないと困るんですよ」
「……」
だったら、その言葉、お父さんに直接言ってほしい。
抗議したい気持ちはあった。だけど、とても口には出せない。
「希望がないなら、こちらで日程を決めてしまいますよ」
「……」
「まったく、どうしてあなたはいつもそうなんですか。黙っていては、相手に何も伝わらないでしょう」
ごもっともだ。そんなの自分でもわかりきってる。
いっそ思ってること全部、ペラペラ話しちゃうようなバカ正直に生まれてたら、もっと楽に息が吸えたのにな。
* * *
やっと解放された……。 誰もいない校舎裏で、ほっと息をつく。
もう既にお昼休みの半分が終わってしまっていた。
長い。長すぎる。
「坂本先生の鬼……」
外階段の踏み板に座る。入学してからというもの、ここがわたしのお昼を食べる定位置になっていた。
「しーのだ!」
「わ、わぁ!?」
お弁当箱を広げたところで、二階から大きな声が降ってくる。
思わず、箸を落としかけた。危ない。ギリギリセーフ。
「って、森田先生……?」
「すまんすまん! 声の加減を間違えた」
「あ、いえ……わたしが、ぼうっとしてただけですから」
森田先生は、うちの高校の体育教師をしている。4月に入ってきたばかりの新任らしい。いつも首元が隠れるハイネックの青いジャージを着ていて、いかにも熱血漢のイメージが強い。筋肉質で大柄だけど、性格は大らかで生徒に人気がある。坂本先生と違って。
「あ、あの、先生はここで何を」
階段を下りてくると、先生は、わたしのひとつ上の段に体育座りをした。
「篠田がため息なんてついてるから、どうしたものかと思ってな。さてはまた坂本先生か?」
「わ、わかるんですね……」
森田先生のことは嫌いじゃない。怒っている姿を滅多に見ないし、他の先生みたいに強制してこない。体育のチーム戦の時も苦手だったら見学してても良いって言ってくれるし。
「なんとかしてやりたい気持ちはやまやまだが、俺もあの人には頭が上がらん。なんたって、今年で20年目になる大ベテランだからなぁ」
坂本先生って、そんなに教員歴が長かったんだ。
「まぁ、ひとまず飯でも食って元気出せ。美味そうな弁当じゃないか」
未だに箸ひとつつけていなかったお弁当を覗きこむ先生。すっかり存在を忘れていた。
「盛り付けも綺麗だし、篠田のお母さんは料理が上手なんだな」
森田先生に他意はない。わたしを励まそうと、世間話のつもりで言ったんだろう。
「……母はいません。わたしが物心つく前に、病気で亡くなったので」
豊かに動いていた先生の表情筋が、ぴたりと止まる。
「そうだったのか……すまん、篠田」
「いいですよ。そもそも覚えてないですから」
どうして、わたしにはお母さんがいないのか。小さい頃、一度だけお父さんに聞いてみたことがある。でも、何も答えてくれなかった。だから、詳しい理由は知らない。病気だったと親戚づてに聞いたのも、だいぶ後からの話で。
「父は一日中、研究所にこもりっきりで滅多に家に帰ってきません。きっと、わたしに興味がないんだと思います」
森田先生は黙って話を聞いてくれていた。途中で遮ることもなく真剣に。
——先生は、どうして。
「どうして、そんなに気にかけてくれるんですか?」
森先生の大きな瞳孔が開く。
「大事な生徒だから」
即答だった。
「子ども達が自分らしさを失わず、健やかに成長できるように支える。それが俺の仕事だ」
——仕事。
まるっきり同じ言葉なのに、坂本先生の時とは響きが違った。
「だからな、篠田。困った時は俺を頼れ。迷惑だなんて一ミリも思わん」
同情や哀れみなんかじゃない。森田先生は、ちゃんと生徒一人一人を見ている。
好かれる理由がわかった。だけど。
——まっすぐすぎるそのまなざしが、わたしには受け止めきれない。
* * *
透明な筒の中を、円柱型のカプセルが移動して下りてくる。
一昔前、エレベーターは電気で動いていたらしい。でも、今は違う。
わたしの時代じゃ、エレベーターは磁力で動くのが主流だ。いちいちボタンを押す必要もない。カードキーをセンサーにかざすだけで、自動的にドアが開く。下りる時は、階層を示すカプセル内の数字が切り替わったタイミングで、またカードをタッチすればいい。
ちなみにカードは、身分証の代わりにもなっていて、あらゆる情報が登録されている。これ一枚で、保険証や免許証の役目も担ってくれる優れ物だ。万が一、紛失してもスマホで位置共有されるようになっているし、厳重なシステム管理によって、自分以外の誰かが個人情報を勝手に盗み見ることはまずできない。これが現代科学の力だ。
おひとり様用エレベーターとか、いつかできないかな……。
わたしの部屋は、20階建てのタワーマンションの最上階にある。よく家に帰るまでが遠足だと言うように、度を越えた一人見知りのわたしにとっても玄関に着くまでが試練なのだ。
「ただいま」
オートロック式のドアを開ける。
「おかえり、ユウ!」
すると、まるで主人の帰りを待ち侘びた犬みたいにリビングから顔を出して、わたしの帰りを出迎えてくれた彼。
よく見ると、その首には識別番号を示す4桁の数字が刻まれている。
「もしかして、学校で何かあった? 心の健康メーターの数値が10を切っているよ」
冗談で言ってるんじゃない。本当に可視化できるのだ。
——なぜなら、彼は”アンドロイド”だから。
「いつものことだよ。授業中、先生に当てられて……みんなに笑われちゃった。教科書を読むくらい、小学生でもできるって」
坂本先生やみんなの言うことは正しい。わたしが普通にできないんだ。
「また明日も、怒られちゃうかな」
思わず、こぼれた不安。 でも、彼はそれを優しく拾い上げて、
「今日がダメでも、明日もダメとは限らないよ」
沈みきったわたしの心をなぐさめてくれる。
「そう悲観的にならないで、ユウ。なにも焦る必要はないさ。君は君のペースで、ゆっくり成長していけばいい。たとえ先生に怒られたって、いっぱい悩んでる君のこと僕はちゃんと知ってるよ」
ふわりと、大きな手が頭に覆い被さる。
小さい頃から知っている、冷たくて硬い指先。でも、不思議と温かい気がする。
「くすぐったいよ、レイ。子どもじゃないんだから」
されるがままでいたら、ちょっぴり照れ臭くなって、やんわりと彼の手を払う
「それはおかしいな。僕の記録データによると、君は夜中、一人じゃトイレに行けない、怖がりな女の子だったはずだよ」
「ちょっ……! そんなデータ保存しなくていいから。メモリの無駄遣いでしょ!」
「ノープロブレム。僕のメモリは大容量仕様なんだ。まだ数年分は余裕があるよ」
——記録、データ、メモリ。
そういうなにげない用語を耳に挟むたび、突きつけられる。アンドロイドという人ならざる彼の存在を。
そういえば、レイが家に来てからもう十年も経つんだ。
* * *
「こんにちは、僕はアンドロイドのレイ。君とお友達になって、たくさんおしゃべりがしたいんだ」
レイが初めてうちに来たのは、わたしの6歳の誕生日。
レイのようなタイプは、通称、家庭用人型アンドロイドと呼ばれ、お手伝いロボットの一種に分類される。
『これから身の回りのお世話は、全部、レイにやってもらいなさい』
わたしへの誕生日プレゼントだと、お父さんは言っていた。でも、とてもそうは思えなかった。
「に、逃げないで、ユウ! 僕は何もしないよ!」
最初の頃は、怖くて近付きすらしなかった。
見た目だけなら、レイは大人の男の人とさほど変わらなくて。アンドロイドとわかっていながら、人見知りしてしまった。
だけど、それだけじゃない。わたしはお父さんに捨てられたんだと思った。だから、代わりに面倒な育児をレイに押し付けたんだって。
心のどこかで信じてた。いや、信じたかったんだ。
——いつかお父さんが、わたしを見て笑ってくれるって。
でも、結局、そんな日は来なかった。
* * *
「期末テストの結果、どうだった?」
「学年で2位だったよ、確か得点表がタブレットに」
「すごいね、ユウ! 理系教科なんて全部オール100点だ!」
「レイの教え方が上手だからだよ」
おかげで、わたしは勉強面じゃ小学生の時から困った覚えがなかった。そのくせ、体育だけはいつも成績が壊滅的だったけれど。高校は森田先生が担当だから、なんとか命拾いしている。
「ユウのお祝いに、今日はご馳走を作ろう! 僕、買い物に行ってくる!」
嬉しそうに、レイは出掛けていった。今夜は豪勢になりそうだ。
レイだけ、なんだよね。この家で、唯一、わたしを褒めてくれるのは。
自分の部屋で着替えていると、棚の上に立てかけてある古い写真にふと目がいった。
写っているのは、若い時のお母さん。もう一人、ナース服を着た看護師さんらしき髪の長い女性と笑顔のツーショットだった。
—-もしもお母さんが生きてたら、一緒に喜んでくれたのかな。
* * *
「ユウ」
ある日、レイが一冊のノートを差し出してきて、わたしに言った。
「言葉を伝える手段っていうのは、なにも声だけじゃないんだ」
『おしゃべりノート』
渡されたノートの表紙には、そう書いてあった。
「もし何か言いたいことがあったら、ここに書いて欲しい。どんなことでもいいから」
そう言って笑ったレイの顔は、アンドロイドとは思えないくらい、優しくて、わたしの手は自然とノートに伸びていた。
◯月×日 レイ
ユウへ。
ぼくからしつもんです。
すきなたべものは、なんですか?
いやじゃなかったら、おしえてくれるとうれしいな。
ユウ
すきなたべもの……わかんない。
いつもカップラーメンとか、コンビニのごはんばっかりだから。
レイ
おへんじありがとう。
じゃあ、今、ユウのたべたいものをおしえて!
ユウ
たべたいもの……?
うーん、なんだろう。
レイ
なんでもいいよ。
ぼくが作ってあげる!
ユウ
じゃ、じゃあ、パンケーキがいい……。
まえに一回だけ、おとうさんが作ってくれたんだけどね。
うまくできなくて、まっくろになっちゃって……。
レイ
それはたいへんだ! でも、だいじょうぶ。
料理は、ぼくの特技だから。とびっきりおいしいパンケーキを焼いてあげる!
◯月××日 レイ
あしたは、にちようびだね!
いっしょにどこかお出かけしようか。 いきたいところはある?
ぼくがつれていってあげるよ!
ユウ
おそとは、あんまり行きたくない。
人がいっぱいで、こわい、から……。
レイ
そっか。
なら、ぼくとおうちですごそう!
なにかしたいことはある?
ユウ
おうちで……。 あっ、そうだ。
ロボ太くんのアニメ……あしただからみたいな。
レイ
いいね! アニメ、ぼくも気になる!
ユウはロボ太くんの、どんなところがすき?
ユウ
すきなところ……。
え、えっとね、ロボットなのに、のんびりやさんで、おもしろいところ、かな?
でも、すごくやさしいんだ。こまってる人がいたら、すぐにたすけてくれるの。
レイへの恐怖心は、『おしゃべりノート』でのやりとりを通じて、だんだんと解けていった。
「レ、レイっ」
今でもよく覚えてる。
初めて名前を呼んだ時の、レイの驚いた顔。
よく作りこまれたアンドロイドだな、なんて思ったりしたのも。
△△月×日 ユウ
ねぇ、レイ。
おとうさんは、ユウのこと、きらいなのかな……?
レイ
どうして、そう思うの?
ユウ
だって、いつもおうち帰ってこないし……。
ユウのこと、無視するんだもん。
レイ
そっか……。
それは、とってもさみしくて、かなしいね。
でもね、ユウ。
お父さんは、ユウのこと無視してるんじゃないと思うよ。
今はちょっと、研究がいそがしいんじゃないかな?
お父さんだって、きっとユウに会いたいにきまってる。
だから、いっしょに待とう! お父さんが、帰ってくるまで。
だいじょうぶ。 ユウにさみしい思いはさせない。 ぼく、約束するよ!
わたしのレイに対する認識が変わった瞬間だった。
レイだけが、わたしを受け入れてくれる。
たった一人、孤独に寄りそってくれる。
彼といる間だけは、安心して心を預けられた気がした。



