橘先生の過保護な再履修



夏休みの最終週。
9月に入ってすぐの月曜日。
今日は映研の集まり。

照明が落ちて、
スクリーンに白いロゴが浮かび上がった。
ホラー映画の冒頭。
ざわついていた映研の空気が、すっと静まる。

(……律くん、遅いな)

隣の席は、まだ空いている。
俺はスクリーンに目を向けながら、
ほんの少しだけ落ち着かない。

――そのとき。

足音がして、
誰かが、俺の隣に腰を下ろした。
同時に、ふわりと香る。
よく知っている、少しウッディで落ち着いた匂い。

(……あ)

顔を向けなくてもわかる。
この香りは律くんの香水だった。
なのに――。

暗闇の中で見えた横顔の輪郭が、いつもと違った。
銀色に光るはずの髪が、
夜に溶けるみたいな、深い黒。

(……え)

心臓が、どくんと跳ねる。

(誰……?……いや、違う。律くん、だ……
え、黒髪!?)

スクリーンでは、悲鳴が上がっているのに、
映画の内容なんて、まるで頭に入ってこない。

俺は、ひたすら息を殺していた。

エンドロールが終わって、
ざわざわと立ち上がる部員たちの中で、
俺はようやく、隣の人をちゃんと見た。

「……律くん」

やっぱり、律くんだった。

同じ顔。
同じ声。
でも、黒髪。

視線が合うと、
律くんは、いつもみたいに余裕のある笑みを浮かべた。

「なに、その顔」

それが、妙に腹立たしくて。

帰り道。
人の少ない夜の道で、俺はぽつりと言った。

「……なんで、黒髪にしたの」

「ん?」

「律くんの銀髪、すごく綺麗で……好きだったのに。
染めるなら……教えてほしかった」

言い終わったあとで、
自分でも子どもみたいだと思った。

「あはは。ごめん。
そんなに怒るほど、俺の髪好きだったんだ?」

その言い方が、またずるい。

「……そういう言い方するの、むかつく」

「はいはい」

律くんは歩幅を緩めて、俺の隣にぴったり並ぶ。

「髪はさ、何色でもよかったんだよ。
カテキョを辞める決断したのは自分なのに、
いざ辞めたら、天音に会いたくて会いたくて。
しばらく、ずっと鬱々とした気持ちですごしてたんだよね。
だから、気分転換に髪でも染めようかなって思って。
思いつきで美容院行って、お任せでって言ったら、
いつのまにかこんな色になってた。
ウケるでしょ?」

律くんはどこか遠くを見つめながら話す。
つないだ手だけはそのままで、頭をトンと俺の肩に乗せた。

「でも、今はもう天音は俺の彼氏だし、
髪は黒でいいかなって思って。黒髪の俺は、そんなに嫌い?」

暗い街灯の下で、
黒髪に縁取られた律くんの顔は、
いつもより大人びて見えた。
銀髪のときの、王子様な雰囲気じゃない。
もっと――現実的で、ちょっとヒールっぽくて、
なんか、逃げ場のない感じ。

「……嫌いじゃ、ない」

そう答えた瞬間、
律くんの目が、わずかに細くなる。

「ははは、素直」

そうだよ。
嫌いなわけない。
銀髪ももちろん好きだった。
光に透けるとキラキラしてて、
律くんの端正な顔立ちとぴったりで。

でも、黒髪は――。
胸の奥が、きゅっと縮む。
先生と生徒だった頃の二人と重なるからだ。

髪をかき上げる仕草。
黒髪が指の間を滑って、白い肌とうなじが、強調される。

「ねぇ。天音ってホント顔に出るよね」

「な、なにが……」

近すぎる距離に、息が詰まる。
返事を待たずに、律くんが身を屈めた。

「今、天音。俺のこと――
やらしい目で見てる」

低く囁かれて、
背中が、ぞくりとした。

「そ、そんなことない!」

「そうかなぁ~?」