俺は今日もいつもどおり、
終電ぎりぎりまで律くんの家で過ごして、
ひとり、家に帰った。
夜の闇は雨と重なって、いつもよりずっと深い。
駅から家までの道も、街灯の光がにじんで見えた。
俺は玄関のドアを開けて、靴を脱いだ。
――そのとき。
リビングの方から、明かりが漏れていた。
(……え?)
こんな時間に?
しかも、この明るさ。
「……ただいま?」
恐る恐る声をかけると、
リビングに両親がそろって座っていた。
珍しい。本当に、めったにない。
ダイニングテーブルで向かい合って、
二人ともお茶を飲んでいる。
まるで、俺が帰ってくるのを待っていたみたいに――。
(……嫌な予感しかしない)
「天音、こっちに座りなさい」
父が、低く言う。
ダイニングテーブルの、俺の席。
理由も説明もない、その呼び方に、
胸の奥が、ひやりとする。
こんなふうに呼ばれることなんて、ほとんどない。
俺は黙って椅子を引き、
言われるままに座った。
「天音、最近帰りが遅い日が続いているな」
「うん……そうだね」
「バイトを始めたから仕方ないのはわかる。
けれど、それにしても遅くないか?
予備校はこんな遅い時間までやっていないだろう?
何をしている?」
しごく、もっともな意見だった。
「お母さんたちもね、詮索したくはないの。
天音のことは信じているし、悪いことはしてないって
わかってるんだけど、でもね……」
お母さんは吐息みたいなため息をついた。
「天音は、高校まではずっと勉強中心だったじゃない?
お友達もいたけど、そんなに遊んだりしてなかったし……
だから、今が楽しい気持ちもわかる。
でも、ちょっといきなりすぎてお母さんたちも
びっくりしてるのよ」
そりゃ、心配になるはずだ。
塾以外で二十一時以降に出歩くことなんて、
今まで、ほとんどなかったのだから。
「ごめんなさい……律くんと遊ぶことが多くて。
それで、一人暮らしだし、つい甘えちゃって……」
思わず本当のことをいってしまった。
けれど、直後にこれでよかったのかと不安になってきた。
こんなこと言ったら、
律くんの印象が悪くなってしまうんじゃないか……
「橘くんと会っているなら安心だが……
でも、彼は弁護士を目指しているんだろう?
お前が勉強の邪魔してるんじゃないのか?」
「そうよ。天音はあまり誰にも懐かないのに、
橘先生にだけはベッタリだったから……」
(…………律くんの信頼度、すごい……)
「これから予備試験や司法試験があるんだろう?
もう大学に慣れてきたんだったら、橘くん離れした方が
いいんじゃないのか?」
「……え」
「そうよ。橘先生、優しいからあなたのこと、
断れないのよ。そろそろ勉強に集中させてあげたら?」
(そ、そうなのか?俺のこと、邪魔だったのかな……)
「サークル?えっと、映画研究会だったか?
もちろん、行くのはかまわないが、
ちゃんと大学生らしく節度を持って行動しなさい」
「そ、そうだね……うん、ごめん。
ちょっと大学生になったからって
浮かれてたかも。気を付けるね……」
「遊ぶなって言ってるわけじゃないからね。
もちろん大学生活は思いきり楽しんでね。
遅くなる時は連絡して、おばあちゃんも心配してるから」
そう言って微笑むお母さんの優しさが、
今の俺には毒のように回っていく。
律くんが、俺のために時間を削っていたのは本当だ。
あのデスクの上の、付箋だらけの参考書。
俺がソファでくつろいでいる間、
彼はいつ寝ていたんだろう。
(……俺、本当に邪魔してただけかも)
そう思った瞬間、ポケットの中でスマホが震えた。
律くんからの「家に着いた? おやすみ」というメッセージ。
俺はそれを開くことができず、
ただ画面が消えるのをじっと見つめていた。



