橘先生の過保護な再履修



梅雨に入って、
毎日のように雨が降り続いていた。
朝も、夕方も、夜も。
傘を差すのが当たり前になって、
空はずっと、重たい色をしている。

そんな中でも、俺と律くんのお付き合いは順調で、
俺は週に一回、必ず律くんの家に泊まるようになった。
泊まりじゃない日も、
気づけば終電ぎりぎりまで、
律くんの部屋に入り浸っていることが多い。

学校が終わって、
そのまま塾のバイトに行って。
律くんは予備校。

夜、最寄り駅で待ち合わせて、
一緒に家に帰る。

それが、いつの間にか日課になっていた。
浮かれてるな、って思う。
その自覚は、ちゃんとある。
初めての彼氏。
初めての、お付き合い。
楽しくて、嬉しくて、
一緒にいられる時間が増えるのが、
ただ、どうしようもなく幸せで。

「今日は帰る?」って聞かれて、
「ううん」って首を振るのが、
当たり前になっていく。

止まったほうがいいのかもしれない、
なんて考えが、頭をよぎらないわけじゃない。

でも――。

初めてだらけの毎日で、
どうやってブレーキをかけたらいいのか、
俺にはまだ、わからなかった。





六月の終わりに入ると、
各授業で、続々とテスト範囲が発表された。
黒板に書かれていくページ数を見て、
思わず目を瞬かせる。

(……こんなに?)

ちょっと引きつつも、
そこは映研秘伝のテスト対策のおかげで、
なんとか食らいついていた。
過去問を回し読みしたり、
先輩たちの「ここ出る率高い」メモを信じたり。
ああいう蓄積って、本当に侮れない。

バイトの方も、少しずつ変化があった。

晴人は、もう中二の国語を受け持っている。
たまに空き時間にのぞくと、
難しい顔をしながらも、
楽しそうに授業をしていて。

(……すごいな)

同い年なのに、
ちゃんと前に進んでいる感じがして、
俺もぼんやりしていられないなと思う。

「瀬戸先生、これなんで?わかんない」

「ここね。
This is my brother.
この my は、なんで mine じゃないかわかる?」

「……えっと……後ろに名詞があるから?」

「そう。正解」

ホワイトボードに丸をつける。

「my は後ろに名詞が来るとき。
mine は、それだけで使うとき」

「……英語、めんどくさ……」

小さく聞こえた呟きに、
思わず笑ってしまう。

「正直だね。でも、ルールがわかると楽になるよ」

「はーい」

授業が終わって、
ノートを閉じる音が重なる。

「瀬戸先生、ありがとうございました」

「お疲れさま。
次までに、今日の例文は声に出して読んでね」

教室が空になって、椅子に腰を下ろす。

(……ちゃんとやれてる、よね?)

ふとスマホを見ると、律くんから
「終わった?雨強いから、駅の入り口まで迎えに行くね」
と短いメッセージが入っていた。
過保護だなって苦笑しつつ、
その優しさが今の俺には当たり前になりすぎていて――。

恋人ができて、
生活は少し浮ついてるけど。
それでも、ここにいる間は、
ちゃんと“先生”でいられている。

そう思えたことが、
少しだけ、自信になった。