橘先生の過保護な再履修


B駅に着くと、
すでに山田先輩と晴人が改札の外で待っていた。

「お、来た来た」

駅を出てすぐ。
本当に目の前と言っていい距離に、その塾はあった。

「近……」

思わず呟くと、山田先輩が笑う。

「でしょ。立地だけは自慢」

そのまま四人で、
呼び込み用の立て看板の横を通って中に入る。
ガラス扉を開けた瞬間、中から声がかかった。

「山田先生、こんにちは!」

「橘先生も、こんにちは~」

何人かの生徒がふたりに挨拶をする。

……先生。
その呼び方が、思った以上に胸にくる。
受付の奥から社員っぽい男性が顔を出した。

「あれ?橘くん、今日入ってたっけ?」

「あ、今日は入ってないです。
新規勧誘したんですよ、講師の。ね、天音」

流れで、律くんが自然に俺の方へ手を伸ばしてきた。
肩に、ぎゅっと。
引き寄せるほど強くはないけど、離れない程度の距離。

「なので、ちょっとだけ顔出したら帰ります」

「そっかそっか。S大の子だろ?そりゃありがたいね~」

軽いやり取り。
けれど、俺の意識は右肩にしかいかなくて、
必死に平静を装っていた。


塾の中は、
想像していたよりも落ち着いた雰囲気だった。
騒がしさはなくて、でも静かすぎもしない。
勉強する場所として、ちょうどいい空気。

「俺、今日はバイトで」

山田先輩が言う。

「中一の社会を受け持ってるから、
二人はそれ見学していったらいいよ。
途中で塾長きて、時給とか仕事内容とか話に来ると思うから」

「ありがとうございます」

律くんが時計を確認する。

「じゃあ俺は予備校行くね」

「うん。頑張ってね」

そう返事をすると、
律くんは少しだけ安心したみたいに笑った。

「終わったら連絡して。あとこれ」

そういって、律くんは何かを差し出した。

「それ使って、いつでも家に来てくれていいからね。
じゃあ、またね」

軽く手を振って、
律くんは駅の方へ向かっていく。

手のひらに、冷たい感触。
中を見て、俺はギョッとした。

「………鍵?」

俺は体の中から熱が込みあがってくるのがわかった。

(……なんで、今?)

「……てん、あのさ……」

俺はわかってしまった。
いまから晴人が俺に聞こうとしていることが。

「てんって……橘先輩とつきあってるの?」

きたぁ―――――!

「……うぅっ」

「てん、大丈夫?」

晴人に聞かれて、俺は慌てて首を振った。

「大丈夫じゃない……
全然大丈夫じゃない……やっぱわかる?」

「わかるよ」

山田先輩が即答した。

「いや、てんくんが悪いんじゃなくてね、あいつのせいだから。
気づいてないかもだけど、橘やばいからね?」

俺は何のこと?とポカンとしていると、
隣で晴人が大きく頷いている。
しかも何回も……

「俺、橘先輩に牽制されまくってんだよ?
もう、怖いってあの人~。
てんと2人でいると”天音は俺のだからね”ってオーラが
すごいんだよ……天音気づいてないの?」

「え……いや、それはわかんない……」

「俺なんか、”てんくん”って呼び始めた日に、
お前調子乗るなよってガチキレされたんだよ~?
怖いよね、晴人くん」

「それは完全同意っす……俺、もうただの親切なのか
のちに弱み握られんのか、わかんないっすもん」

「それそれ。なんか変なとこ弁護士の卵っぽいよね。
周囲を巻き込んで囲い込むタイプ。怖い怖い」

ふたりは俺をそっちのけで盛り上がっている。
たまに映研で感じていた小さな疎外感は、
これの事だったのかと今更ながらに理解した。