橘先生の過保護な再履修


『6月15日、天音くんへ

家庭教師が始まってから、もう二ヶ月が経ったね。
もう少し天音くんが考えている事を知りたくてこのノートを作ってみたよ。
これは、国語とか、小論文とか、英語とか、そういう勉強のノートじゃない。
今、あまねくんがどう思っているか。どんな勉強がしたいか。
今日はちょっと、しんどいな、とか。
将来、どんな大学を目指したいか……
なんでもいい。
しんどくなったときに、心の中をそのまま吐き出せるノートにしてほしい。
もちろん、今日はこんなことがあって楽しかった、とか、文化祭で疲れた、
とか、そんな日記みたいな使い方でもいいよ。
天音くんのペースで、自由に書いてくれたら嬉しい』


そこまで読んで律くんの指が止まった。

俺は、息ができなくなっていた。
このノートの始まりは、
中学受験に失敗して、
なかなか気持ちを立て直せなかった俺のためだった。





俺は中学受験の時と同じ塾のまま、高校受験をした。
また落ちるのが怖くて、
自分の偏差値よりもかなり下の高校を受けた。
無意識に保険をかけていたんだと思う。
先の大学入試を考えるだけで、胸の奥がぎゅっと縮んで、
息が浅くなる。
もう塾には行きたくない……
そう思って、初めて両親に我儘を言った。

両親はすぐに納得してくれて、
代わりに家庭教師として律くんが勉強を見てくれるようになった。
その時に用意してくれたものがこのノートだった。

勉強のためじゃない。
合格のためでもない。
折れないためのノート。


『7/20 個人面談で褒められた!英語伸びてるって!先生のおかげ。
ありがとー』

『7/22 それは天音君が頑張ったからだよ!この調子でA大目指そう!』

『12/2 数学ヤバい点数とっちゃった……もうダメかも……』

『12/4 そこまでやばくないよ!受験科目じゃないし、まだ挽回できるから焦らない!もうすぐクリスマスだね。来年はそれどころじゃなくなるから、今のうちに楽しんで』

『3/8 3年生卒業しちゃった……剣道部の先輩、A大受かったって!うらやましい!そして寂しい!』

『3/10 それはおめでとうだね。来年は天音の番だよ。
きっと天音は高校ではいい先輩なんでしょ?
俺の前では可愛いけど』『←可愛くない!』

『4/10 仲のいい友達と一緒のクラスになった!嬉しい!』

『4/12 よかったね。
でも受験期はライバルだしピリピリするから気を付けて。
でも終わったら、また仲良くなれるよ』『←考えただけで胃が痛い』

ふたりでノートを見ながら思い出を振り返る。
あ~こんなことあったね、とか、この時は大変だったとか。
ページをめくるたび、
あの頃は言えなかったことまで
なんでもない顔で話せるようになっていた。