ぱしりケメン

 マイナス273.15 °C。大気も凍る。

「……どういう意味……?」

 大地を這う玲の声に、びくりと震えてしまう。

「……え、いや、『学年対抗リレーに選ばれたら、とりあえず告れ!』って。ほぼ成就するらしいから」
「そうなの?」

 きょとんとする玲に、うなずく。

「去年、三年でいちばん速い女の子が、三年でいちばんのイケメンに告白したんだ。『私について来い!』って。『はい!』ってイケメンがめろめろになったらしい」

 玲の瞳が、輝いた。

「それいいね!」
「だろ?」

 言ったあとで、もやっとした。

 玲が『俺についておいで』告白して『はい!』可愛い男の子がめろめろになっちゃうのを想像するだけで……肺に石を詰められてゆくみたいだ。

「まもちゃん?」
「……学校では、はずかしいから」

『『まもちゃん』呼びは、ふたりのときだけだぞ!』
 小学校高学年になったときからの約束は、玲がときどき破る。破られるたび、ふつうなら、むっとするのかもしれないけれど。
 玲に『まもちゃん』呼ばれるたび、鼓動が揺れた。

 ……もしかして、これが、きゅん……?

 玲が、俺の名前を呼んでくれるだけで……?
 ……それって──考えたくないから、蓋をする。

 だって、玲は学校でいちばんかっこよくて、学年でいちばん足が速くて、ものすごく頭がよくて、足が長くて、やさしくて、ふわふわの髪が揺れて、いい匂いがして、指が長くて……そう、平々凡々な俺とはまるで不釣りあいだ。

 玲が俺を『まもちゃん』『まも先輩』慕ってくれるのは、三歳のときに見たアニメのヒーローが生涯ずっと心に残るような、ただのすりこみだ。
 わかっているのに、期待してしまいそうになる。……俺は、玲にとって、特別な存在なんじゃないかって。そうだったらいいと、願ってしまいそうになる。

 だから、もう、近づかないでくれ。

 住む世界が違うんだ。……わかっているのに。

「まも先輩」

 笑ってくれたら、何もかもが吹き飛んで、玲しか見えなくなるんだ。
 





 体育祭の日は、五月晴れだ。
 ゴールデンウィクが明けた、華やいだ気分のまま、お祭りになだれこむ。

 先生たちがコテを振りまわしてつくる焼きそばの屋台から、熱せられたソースの香りが立ちのぼる。
 土のにおいと、お日さまのにおい、ソースのにおいと、汗のにおい、混ぜ混ぜになったら、白峰高校体育祭だ。

「まもちゃん!」

 白い体操服を着て白いはちまきをしただけなのに、駆けてくる玲が、王子に見える。
 俺は、目をこすってみた。

「どうしたの、まもちゃん。目が痛い?」

 心配そうにのぞきこんでくる玲の、はしばみの髪がさらさら流れる。

 ……いい匂いがする。きらきらしてる。
 やっぱり、王子だ。

「保健室に連れてってあげる」

 しゃっと、おひめさま抱っこをしてくれようとするとか、リアル王子なんですけど──!

「だ、だいじょうぶだから!」

 手をふるのに玲の目が疑わしそうに俺を刺す。

「だってまもちゃん、ちょっとおかしい」
「いつもどおりだよ!」

 否定する俺に、ぷっくり玲の頬がふくれた。

「ちがうもん!」

 はい、かわいい。
 イケメンは何をしても可愛い、ちがう、玲は何をしても、かわいい──!

 めろめろした俺は仕方なく、本音を告げた。

「……いや、なんか、玲、めちゃくちゃ、かっこいーなって思って……」

 もごもごした後半は口のなかに消えた。

「……え……?」

 玲が、きょとんとしてる……!

 はずかしい。頬が熱い。

「おーい、まもる! もうすぐ出番だぞ!」

 大声で呼びに来てくれたのは、クラスメイトの樹一だった。

「わざわざ来なくても」

『なんで来たの』顔に書いてしまったらしい俺に、樹一が眼鏡の向こうの目をつりあげる。

「まもるが出ないと、補欠の俺が走ることになるからに決まってるだろお──!」

 叫ばれた。

「逃がさないぜ、まもる──!」

 後ろからヘッドロックされて、ため息しかない俺に、玲の目が鋭く細められた。

「だれ?」

 凍てつく声だ。

「いやいやいや、毎日まもるに逢いに二年三組に来ておいて、毎日俺と顔をあわせておいて『だれ?』ってもしかして重篤な病気なの? ごめん、気がつかなくて」

 申しわけなさそうに眉をさげる樹一が、玲に喧嘩を売ってるとしか思えない件について!

 ……え、こわい。
 完璧王子に成長してしまった玲に、喧嘩を売る人がいた──!

 思わず尊敬の目で樹一を見てしまったのが、よくなかったらしい。一瞬跳ねあがった玲の眉はすぐに戻り、玲の唇はいつもどおりの鉄壁な笑みをえがいた。

「きみに、まったく存在感がないから」

 玲の微笑みが、一ミクロンも揺るがない。

 こわい……!
 玲まで喧嘩モードだよ。
 いや、最初に『だれ?』って喧嘩を売ったのは玲でした!

「あ、あの、玲、俺、出番みたいだから行ってくるよ!」

 なんとか玲をなだめようと……いや話題を変えてこの場を逃れようとする俺に、いつも涼やかな玲の頬が、ぶすくれた。
 強く腕を引かれて、玲の腕のなかに閉じこめられる。

「いくら存在感が全くないからって、他の男を背中にくっつけないで」

 ささやきが耳朶にふれて、すぐに離れた。

「……え……?」

「借り物競争に出場する選手の皆さん、入場ゲートにお集まりください。繰り返します、借り物競争に出場する選手の皆さん──」

 頑張る放送部のアナウンスに、俺を包んでくれていた玲の腕がほどける。

「いってらっしゃい。がんばってね、まもちゃん」

 笑って、手を振ってくれた。

「あ、ああ」


 ……さっきの、なに……?

 ──玲が、俺を、抱きしめた……?

 他の男に、さわらせるなって、言った……?
 玲のくちびるが……俺の耳に、ふれ、た……?


 トクン

 心臓が、うるさい。


 トクン

 耳が、熱い。