フィーネの旋律

 アンサンブル部、恒例のイベントデー。部員全員がソロで演奏する『選考会』が催される。開催は今学期に入り2回目となる。

 この『選考会』の演奏の出来栄えによって、顧問の中山先生と三年生がコンクールに出場するメンバーを選考する。夏休み明けの2学期、9月の毎週金曜日に行われ、計4回の選考会で最終メンバーが決定される。

 出場できるグループは2グループ。1グループの構成は3名から8名の規定なので、約半数の部員は出場できずサポート役に回ることになる。厳しい選抜となるから、秋口の音楽室は真夏さながらの熱気に包まれている。

 けれどダントツ初心者のわたしは、『縁の下の力持ち』を担う心の準備はとっくにできていた。

「これから選考会を始めます。一年生から順番に行います。ひとり三分、時間が来たら打ち切りです。採点は中山先生、私とそれから涼太の三人で行います」

 麗先輩は高円寺涼太先輩のことを「涼太」と呼ぶ。高円寺先輩も清井麗先輩を「麗」とファーストネームで呼んでいる。ふたりは幼馴染で、互いによき理解者ということになっている。

 整列された椅子に皆が着席すると顧問の中山先生が登壇する。中山先生はふくよかな初老の音楽教師で、綺麗なブロンズの髪が淑女のイメージにそぐう。

 中山先生の「皆さん、日頃の成果をいかんなく発揮してくださいね」という挨拶で、選考会は幕を開けた。

 麗先輩は席から立ち上がり、準備されていたボードを手に取る。ちらとボードに目を向けた後、鋭い視線が最初の奏者であるわたしを捉えた。

「それでは1年生、花宮はるかさん」
「ひゃいっ!」

 呼ばれて心臓がきゅーっと縮みあがる。けれど意を決して立ち上がり、フルートを強く握りしめた。壇に上がる途中、あまりの緊張で足がもつれてよろける。先輩たちの好奇に満ちた視線が、槍の雨となってわたしの胸を突いてくる。

 檀上でフルートを構える。添える唇も指も、震えが止まらない。落ち着きを取り戻す間もなく、無情な開始の合図が発せられた。

「フルートの課題曲、《ハンガリー田園幻想曲》、お願いします」

 麗先輩のかけ声に従い、音楽室のスピーカーからピアノの伴奏が流れる。わたしの心臓はそのリズムを無視した速さで脈打つ。

 どうしよう、みんなの前で音を奏でるなんて、こわくてできない……。

 わたしは檀上でフルートを口に当てたまま、かちんこちんに固まってしまった。音楽室にピアノの伴奏だけが鳴り続ける。

 だめだ、ちゃんと吹かなくちゃ。

 ぐっと恐怖を抑え込み、大きく息を吸い込む。ためらいを振り払ってフルートに息を吹き込んだ。

 その瞬間。

「ピ……ピィ~ヒョロロ~」

 フルートが裏返ったような、奇妙な音を醸した。壺の中に隠れた蛇が喜んで顔を出しそうなエキゾチックな音色。

 とたん、聴いていた部員の数人が吹き出す。わたしは赤面してうつむきフルートを唇から離した。

 ああ、またやってしまった。

 わたしの演奏は、先週行われた1回目の選考会を再現したかのようだった。このタイミングでこの音色、2度目にしてもはや“お家芸”。今後もことあるごとに期待の眼差しを向けられるに違いない。

 伴奏が続いていたけれど、耐えられなくなってふらふらと壇を降りる。すると麗先輩の叱責が飛んできた。

「花宮さん、演奏を続けなさい。まだ終わってはいません」

 落胆と絶望で意気消沈しているというのに、そんなことを言われても演奏を続けられるはずがない。けれど、高円寺先輩も厳しい視線を投げかけていう。

「花宮、皆がやっていることだ。君にできないはずがない。それに大事なのは今じゃない、今後どれだけ上達するかだ。だから続けてみろ」
「でも……無理です。わたし、どうしてもみんなの前では吹けません……ひーん」

 すると麗先輩は諦めたのか、音響システムに手を伸ばして伴奏を中断した。わたしは幽霊のようにふらふらと自分の席に戻ることしかできなかった。

 次に呼ばれたのは菜摘だった。サクソフォンを手にして登壇し、流暢で隙のない旋律を奏でる。わたしはひとり、膝の上のフルートに目を落としたまま置物のようになっていた。

 全員の演奏が終了した。麗先輩は毅然とした態度で皆に声をかける。

「皆さん、だいぶ上手くなっていますね、気を抜かず練習を続けてください。あと2回、選考会を行います。おつかれさまでした」

 解き放たれた部員たちはいっせいに雑談をし始める。上手くできたとか失敗したとか、あるいは他人の演奏の感想など。

 けれどわたしはひとり、今日の演奏を振り返ることもなく、とぼとぼと教室を後にした。菜摘もわたしにかける言葉が見つからないみたいだった。