充実した日々はあっという間に過ぎ去り、ついに明日が文化祭本番となった。
一ヶ月全力で準備したおかげで、披露する楽曲の完成度は満足いくものとなっていた。本番前日である今日は、放課後スタジオで一度だけ通して最終確認し、早めに解散して各自備えようということになった。
(いよいよ明日だな。万全の準備をして明日に挑もう…)
すると、ハッとしたようにメンバーの一人が俺に話しかけた。
「そうだ!この曲なんだけどさ、歌詞の最後に口上あるじゃん?」
「あぁ…うん」
今回披露する予定の曲は、若者世代を中心に人気のあるバンドのものだ。曲のラストに、ライブやフェスなどで盛り上がる口上があることが特徴だ。
この口上もボーカルの俺が担当することになっており、これまでの練習では音源通りの『聞いてくれてありがとう!』と言っていた。
「練習では音源通りだったけどさ、このバンドの人もフェスではその場でアドリブで口上言って、臨場感高めて観客を盛り上げてんだよね。それすごく見応えあって、俺たちもそうしない?」
「え」
アドリブの提案に、他のメンバーも相次いで賛成した。
「いいな、それ!」
「観客と一体感でそうだよな!」
「俺らの思い出にもなりそう!」
「…つーわけで、本番では佐藤、アドリブでなんかかましてくんない?」
俺は咳払いをしながら、反射的に頭を横に振った。唾を飲み込もうとしても、喉の筋肉が強張って動かなかった。
「お…俺、あんまアドリブとか得意じゃなくて」
何とか絞り出した声は、自分でもびっくりするほどカサついていた。
運動会での放送部の実況と、ここ一ヶ月のバンド練習を乗り越えられたのは、共にテンプレートがあったからだ。多少の応用はあるが、運動会の実況では使いがちな言葉から取捨選択して言葉を羅列することがメインだった。ボーカルでは歌詞という絶対的な軸があり、型の中から大きく外れることはない。
しかし、アドリブはどうだろうか。自分の伝えたいことを、自分の声で、まっすぐ伝えることが求められる。果たして俺にできるだろうか。
一年前に声を批判されて以降、俺は『何を言おうか、どう話そうか』と思考を繰り返すほど、答えのない迷宮に陥り、伝えられない気がしていた。
「大丈夫だよ深く考えなくて!その時思ったことを素直に言えばいいんだよ!『文化祭楽しんでけー!』とか」
メンバーからバン、と肩を押される。
「…わ…、わかった」
これまでよくしてくれたメンバーの期待を裏切ることができず、俺は頷くしかなかった。
「お、ありがとう!じゃあまた明日、本番の一時間前に集合な!」
その言葉を合図に、俺たちは解散した。
夕焼け小焼けのメロディが鳴り響く駅までの道を歩きながら、俺は一人考えた。
克服しようと努めているが、俺はまだ言葉にしろ歌にしろ、「自分の声で伝える」ことに怖さや迷いがあった。
(もしまた喉が締め付けられるように感じて、口上もできなくて、咳払いが止まらなくなって、舞台上で何も歌えなくなったら…)
一つ悪いことが思い浮かぶと、次々と連鎖して悪い予感ばかり浮かんだ。
指先が冷たくなるのを感じながら、咳払いをした。
健に、会いたい。
気づけば俺は、学校に向かって走り出していた。
必死に走ってスタジオから学校に引き返し、到着した頃には息切れが止まらなくなっていた。文化祭を明日に控えた校舎は、準備をする生徒の声で賑わい活気に満ち溢れていた。
文化祭前日は、当日に出し物や係のある部活動以外は休みになっていた。健の所属するサッカー部も休みらしく、グラウンドに健の姿はなかった。
(そういえば俺、あいつのクラスも連絡先もしらねぇ…!)
放送室にいれば会えたから、連絡手段がないことに気がつかなかった。そういえば、俺から健に会いに行こうとするのは初めてではないか。今更すぎる気づきに苦笑し、地道に校舎を駆け巡り探すことにした。一年生の教室、体育館、よく話した踊り場…。どこにも健の姿は見えなかった。
ふと、放送部は明日の校内放送の準備のために今日も部活動があることに気がついた。
まさか…と思いながら部室に向かった。辿り着いた放送室のドアの向こうから、部員が談笑する声が聞こえた。
ドアノブに手をかけようとした。
「…そうそう、この放送部はみんなすごくいい声なんだよ」
放送部の先輩の声が聞こえた。
「ほんとですよね、全員の声が好きです!でも…」
そう返したのは紛れもなく健の声だった。
(全員の声が、好き…)
気づいたら俺は咳払いをしていた。
放送室内ではドア越しに誰かいる気配を感じたらしく、ドアを開けて健が出てきた。
「あ、琴!?」
健の驚いた声に、何だ何だと放送室内から部員が顔を覗かせた。
「…健」
「え、琴今日練習ないの、あ、今___」
健の言葉はそこで途切れた。
気づけば俺は涙を流していた。
健はみんなの声が好きって言ってた。
健は、俺の声だけが好きだと思っていた。俺のとんだ思い違いだ。
そもそも、俺の声が好きとは言っていたけれど、俺自身のことは好きじゃないのかもしれない。
もし明日上手く歌えなくて、砂利みたいな声って思われて、声が出なくなったら、健はもう俺のことなんか_______。
涙が止まらず、気がつけば俺は健から顔を背けて走り出していた。
「あ、おい!」
健が俺を追いかけてきた。常時運動不足かつ先ほどスタジオから走ってきた俺が、サッカー部の健に敵うはずもなかった。初めて健に声のことを打ち明けた踊り場の辺りで、腕を掴まれた。
踊り場から聞こえる音はあの日と同じで、いつもは心地よく感じるのに、今日はひどくうるさい雑音に思われた。
「琴、どうしたの?大丈夫…?」
健が心配そうに俺の様子を伺う。
「何かあったなら、俺話聞くよ。俺、」
そう言いながら、涙を拭おうとする健の手を、俺は咄嗟に跳ね除けた。
「お前に何がわかるんだ!お前は最初から明るくて、眩しくて、前向きで…お前に俺の気持ちがわかるわけないだろ!」
泣きながらそう叫ぶ俺の声は、酷く汚らわしく思われた。
健を見ると、微動だにせずこちらをまっすぐみていた。瞳の奥が、少し揺れているように感じた。
その瞬間、激しく後悔した。
俺が伝えたことが、健の瞳にそんな影を落としたのか?俺は声をこんなことに使いたいんじゃない。俺は…。
「…ごめん」
そう小さく呟いてから、俺は踵を返した。
「明日、絶対見に行くから!!!!!」
背後から、そう叫ぶ健の声が聞こえた。その声はどこまでも透き通っていて、泥沼に沈んでいくような今の俺とは正反対だった。
滲む視界の先で、西日が校舎を飲み込んでいった。
一ヶ月全力で準備したおかげで、披露する楽曲の完成度は満足いくものとなっていた。本番前日である今日は、放課後スタジオで一度だけ通して最終確認し、早めに解散して各自備えようということになった。
(いよいよ明日だな。万全の準備をして明日に挑もう…)
すると、ハッとしたようにメンバーの一人が俺に話しかけた。
「そうだ!この曲なんだけどさ、歌詞の最後に口上あるじゃん?」
「あぁ…うん」
今回披露する予定の曲は、若者世代を中心に人気のあるバンドのものだ。曲のラストに、ライブやフェスなどで盛り上がる口上があることが特徴だ。
この口上もボーカルの俺が担当することになっており、これまでの練習では音源通りの『聞いてくれてありがとう!』と言っていた。
「練習では音源通りだったけどさ、このバンドの人もフェスではその場でアドリブで口上言って、臨場感高めて観客を盛り上げてんだよね。それすごく見応えあって、俺たちもそうしない?」
「え」
アドリブの提案に、他のメンバーも相次いで賛成した。
「いいな、それ!」
「観客と一体感でそうだよな!」
「俺らの思い出にもなりそう!」
「…つーわけで、本番では佐藤、アドリブでなんかかましてくんない?」
俺は咳払いをしながら、反射的に頭を横に振った。唾を飲み込もうとしても、喉の筋肉が強張って動かなかった。
「お…俺、あんまアドリブとか得意じゃなくて」
何とか絞り出した声は、自分でもびっくりするほどカサついていた。
運動会での放送部の実況と、ここ一ヶ月のバンド練習を乗り越えられたのは、共にテンプレートがあったからだ。多少の応用はあるが、運動会の実況では使いがちな言葉から取捨選択して言葉を羅列することがメインだった。ボーカルでは歌詞という絶対的な軸があり、型の中から大きく外れることはない。
しかし、アドリブはどうだろうか。自分の伝えたいことを、自分の声で、まっすぐ伝えることが求められる。果たして俺にできるだろうか。
一年前に声を批判されて以降、俺は『何を言おうか、どう話そうか』と思考を繰り返すほど、答えのない迷宮に陥り、伝えられない気がしていた。
「大丈夫だよ深く考えなくて!その時思ったことを素直に言えばいいんだよ!『文化祭楽しんでけー!』とか」
メンバーからバン、と肩を押される。
「…わ…、わかった」
これまでよくしてくれたメンバーの期待を裏切ることができず、俺は頷くしかなかった。
「お、ありがとう!じゃあまた明日、本番の一時間前に集合な!」
その言葉を合図に、俺たちは解散した。
夕焼け小焼けのメロディが鳴り響く駅までの道を歩きながら、俺は一人考えた。
克服しようと努めているが、俺はまだ言葉にしろ歌にしろ、「自分の声で伝える」ことに怖さや迷いがあった。
(もしまた喉が締め付けられるように感じて、口上もできなくて、咳払いが止まらなくなって、舞台上で何も歌えなくなったら…)
一つ悪いことが思い浮かぶと、次々と連鎖して悪い予感ばかり浮かんだ。
指先が冷たくなるのを感じながら、咳払いをした。
健に、会いたい。
気づけば俺は、学校に向かって走り出していた。
必死に走ってスタジオから学校に引き返し、到着した頃には息切れが止まらなくなっていた。文化祭を明日に控えた校舎は、準備をする生徒の声で賑わい活気に満ち溢れていた。
文化祭前日は、当日に出し物や係のある部活動以外は休みになっていた。健の所属するサッカー部も休みらしく、グラウンドに健の姿はなかった。
(そういえば俺、あいつのクラスも連絡先もしらねぇ…!)
放送室にいれば会えたから、連絡手段がないことに気がつかなかった。そういえば、俺から健に会いに行こうとするのは初めてではないか。今更すぎる気づきに苦笑し、地道に校舎を駆け巡り探すことにした。一年生の教室、体育館、よく話した踊り場…。どこにも健の姿は見えなかった。
ふと、放送部は明日の校内放送の準備のために今日も部活動があることに気がついた。
まさか…と思いながら部室に向かった。辿り着いた放送室のドアの向こうから、部員が談笑する声が聞こえた。
ドアノブに手をかけようとした。
「…そうそう、この放送部はみんなすごくいい声なんだよ」
放送部の先輩の声が聞こえた。
「ほんとですよね、全員の声が好きです!でも…」
そう返したのは紛れもなく健の声だった。
(全員の声が、好き…)
気づいたら俺は咳払いをしていた。
放送室内ではドア越しに誰かいる気配を感じたらしく、ドアを開けて健が出てきた。
「あ、琴!?」
健の驚いた声に、何だ何だと放送室内から部員が顔を覗かせた。
「…健」
「え、琴今日練習ないの、あ、今___」
健の言葉はそこで途切れた。
気づけば俺は涙を流していた。
健はみんなの声が好きって言ってた。
健は、俺の声だけが好きだと思っていた。俺のとんだ思い違いだ。
そもそも、俺の声が好きとは言っていたけれど、俺自身のことは好きじゃないのかもしれない。
もし明日上手く歌えなくて、砂利みたいな声って思われて、声が出なくなったら、健はもう俺のことなんか_______。
涙が止まらず、気がつけば俺は健から顔を背けて走り出していた。
「あ、おい!」
健が俺を追いかけてきた。常時運動不足かつ先ほどスタジオから走ってきた俺が、サッカー部の健に敵うはずもなかった。初めて健に声のことを打ち明けた踊り場の辺りで、腕を掴まれた。
踊り場から聞こえる音はあの日と同じで、いつもは心地よく感じるのに、今日はひどくうるさい雑音に思われた。
「琴、どうしたの?大丈夫…?」
健が心配そうに俺の様子を伺う。
「何かあったなら、俺話聞くよ。俺、」
そう言いながら、涙を拭おうとする健の手を、俺は咄嗟に跳ね除けた。
「お前に何がわかるんだ!お前は最初から明るくて、眩しくて、前向きで…お前に俺の気持ちがわかるわけないだろ!」
泣きながらそう叫ぶ俺の声は、酷く汚らわしく思われた。
健を見ると、微動だにせずこちらをまっすぐみていた。瞳の奥が、少し揺れているように感じた。
その瞬間、激しく後悔した。
俺が伝えたことが、健の瞳にそんな影を落としたのか?俺は声をこんなことに使いたいんじゃない。俺は…。
「…ごめん」
そう小さく呟いてから、俺は踵を返した。
「明日、絶対見に行くから!!!!!」
背後から、そう叫ぶ健の声が聞こえた。その声はどこまでも透き通っていて、泥沼に沈んでいくような今の俺とは正反対だった。
滲む視界の先で、西日が校舎を飲み込んでいった。
