運動会の借り物競走で、公開告白されました。

 あっという間に暑さが増し、汗ばむ陽気となった七月。放課後、俺はいつも通り放送室で裏方作業を黙々と行っていた。

 そこに、放送室のドアがバタっと開いた。

「琴、お疲れ!差し入れ持ってきたぞー!」
「…健」

 元気な挨拶と共に、健がのど飴を持ってやってきた。すると他の委員たちも「健だー!」と群がりながら、わっと駆け寄った。

 運動会の借り物競走での公開告白後、健は時折放送室に顔を出すようになった。
 大人しい人が多い放送部で健のような体育会系タイプは珍しく、はじめは部員みんなが健に対しぎこちなかった。しかし健のコミュニケーション力は目を見張るもので、あっという間にみんなが心を開くようになった。気付けば健は部内の人気者だ。別に放送部員でもないのに。
 健はとても明るく気さくで、いるだけで放送室の雰囲気が明るくなる。まさに太陽のような人だった。

「おま…今日もきたのかよ」

 俺がそう言うと、健は満面の笑みを向けてきた。

「おう!琴の声聞きたくて」

 屈託のない笑顔でそう言うので、俺はむず痒くなり顔を顰めた。

 健のあの借り物競走での公開告白は瞬く間に校内中を駆け巡り、一躍俺と健は有名になった。借り物競走の後、俺はすぐに心意を健に問い詰めた。すると、「声が好き、そのままの意味です!」とまっすぐな瞳で言われた。つまり、健は俺のことが…というよりは、俺の声が好き、ということか?なんて紛らわしい言い方をするんだ。こいつは本当に馬鹿だ、と思った。
 それからなんだかんだで、今日まで顔見知りのような関係が続いている。

 俺を含む部員数名と健で、休憩がてら座ってのど飴を食べながら雑談する。

「そういえば健の差し入れは、どうしていつものど飴なの?」

 部員の一人が疑問を呈すると、健は俺をみてこう言った。

「琴がよく咳払いをしてるから、喉が悪いのかなって…早く良くなって欲しいからです!琴の声、好きなので!」

 すると、部員たちは、俺を見て口を噤んだ。
 …まあ、いつかは健にバレることだよな。俺は腹を括ると、立ち上がって健を見下ろす。

「健、来い」
「え?」
「早く!」

 そう言って歩き出すと、健は慌てたようについてきた。部員のみんなが何も言わずに送り出してくれることに感謝しつつ、放送室を出た。廊下を歩き突き当たりを曲がって、二階と三階の間の踊り場で足を止めた。
 放送室にきた健を、今まで部室の外に連れ出したことはなかったから、健は驚いているようだった。

 踊り場に設置された窓の外からは傾き始めた夕日が差し込み、カラスの合唱が聞こえた。グラウンドからは、ランニングするサッカー部の賑やかな掛け声と足音が耳に入った。上の階からは、音楽室の楽器の音が微かに反響していた。
 それらの音に耳を傾けながら、俺はゆっくりと口を開いた。
 
「…健、俺がなんでよく咳払いしてるか知ってる?」
「…?喉が悪いんじゃないの」
「いいや、いたって健康」

 健は俺の質問に、真意を測りかねているようだった。

「俺はね、俺の声が…大嫌いなんだよ」

 そこから、俺はゆっくりと自分の傷を紐解いた。


 中学時代、俺は軽音部でバンドを組みボーカルを担当していた。歌うことが好きだった俺は、毎日仲間との練習に勤しみ、楽しい日々を過ごした。
 転機は中三に訪れた。変声期が始まったのだ。自分の声なのに自分自身で操れない、喉に怪物が住みついたような感覚がした。それまでは軽々歌えていた高音が出ず、安定した声量と音程で歌えなくなった。
 バンドメンバーには、頼んで一オクターブ下げた音域だったり、違う曲調のものを演奏してもらうようになった。

 そんなある日のことだった。いつも通り音楽室に向かうと、すでに到着していた他のメンバーが話している声が聞こえた。

『…てかさぁ、ぶっちゃけ今の琴の声汚くない?』
『わかる!ダミ声っていうか…砂利(じゃり)を噛んでるみたいな声だよな!』
『それなー!せっかく俺らがいい演奏しても全部汚染されるっていうか…今のあいつとバンド組みたくねーよ』

 その瞬間、俺は喉が締めつけられるような感覚に陥り、息ができなくなった。逃げるようにその場を離れた。

 結局バンドメンバーの顔を見るのが怖くなり、俺はそのまま軽音部を退部した。


「それから数ヶ月して変声期は終わり、結局この中低音の声で落ち着いた。…でも、今でもあの頃のように、砂利みたいな声って思われるのが怖いんだ。
事情を言って、放送部でも表立って声を出す仕事からは外してもらってる。…運動会では、たまたましちゃったけど。
咳払いは、少しでもその砂利みたいな声がマシになるようにって無意識にしちゃってんだ…変わらないのにな。これが俺がよく咳払いをする理由」

 話し終えると、俺はまた咳払いをした。
 健の反応がないので、不思議に思ってそちらを見ると、肩を震わせながらボロボロ涙を流していた。

「ちょ、何でお前が泣いてんだよ!」

 俺は慌てて尋ねた。

「だって悔しくて…!琴の声に、そんなひどいこと言ったの許せなくて」

 そんな風に自分ごとみたいに怒る健がおかしくて、俺はハハ、と力なく言った。
 健は顔を上げて俺を見た。

「琴の声は砂利みたいなんかじゃない。低くて響く、落ち着いてかっこいい声だ。
俺は琴の声が好きだ!琴に酷いことを言う人がいたら、その何倍だって何百倍だって、俺が好きって言う!
俺、琴の声が好きだよ」

 健の声はとても力強くて、一年前の自分にさえ届いたような気がした。

「…はは!ありがとう」

 俺が笑うと、健もやっと笑ってくれた。

「ねえ琴、俺が琴の声好きになったのいつか知ってる?」
「…?借り物の時じゃないの」
「ううん。…琴、偶にここで原稿を読む練習してない?」
「…え!?」

 放送部は、普段の放送の仕事以外に、放送原稿を読む練習が日課にある。俺は表立って放送をすることは控えさせてもらっているが、原稿読みの練習自体は必須のため、放送室を抜け出してよくお気に入りのここで練習していた。

「な、何で知ってんだよ。…ここ、部活中の生徒とか生き物とか楽器とか、いろんな物音が聞こえて落ち着くからお気に入りの場所なんだよ」

「やっぱり。俺、よく部活のランニングでこの下のグラウンド走ってるんだよね」

 健は窓の外を指差した。確かに今も、健の所属するサッカー部がランニングしているのが見えた。

「入部したての頃、ランニングがしんどい時に琴の原稿を読む声が聞こえてきたんだ。耳馴染みがよくて印象的な声で…俺以外にも頑張ってる人がいるんだって、すごく励まされた。
その時から琴の声だけが、俺を奮い立たせる特別な音になったんだ。
でも普段の放送部の放送で同じ声が聞こえたことないから、誰だろうってずっと思ってた。借り物の放送で初めてその声が聞こえた時、奇跡かと思ったよ」

 そう笑う健は、心底俺の声が好きだ、という顔をした。そしてふと、「だから借り物の時思わず連れてっちゃったけど、急でびっくりさせたよね、ごめん」と続けた。


 健が俺の声を聞いて、探し出して好きと言ってくれたこと。その事実に、すごく救われた気がした。

(あつ……)

 いつも耳に入る物音が今は聞こえず、自分の速い心臓の音だけが耳の奥で鳴っていた。

「ね、琴ってもしかして、声に関することが好きなんでしょ?」
「え、何で…」
 
 健の鋭い指摘に俺は思わずたじろいだ。
 健は何でもないという風に続けた。

「だって、元々声を出すことが好きじゃなきゃ、放送部に入らないだろうし…。中学の時ボーカルやってたって聞いて、確信したよ」

 その通り、俺はもともと話したり歌ったりという、声を通して伝えることが好きだった。一年前を機に表舞台で声を出すことは怖くなったが、声に関することには変わらず関わりたいと思っていた。だから高校では、裏方としても声と関われる、放送部に入部したのだ。


「もし琴が高校でも軽音部で、放送部に入ってなかったら、俺はまだ琴の声に出会えていなかったかもしれない。だから、一年前の出来事は許せないけれど、俺は琴が声を出すことが好きで放送部になってくれて嬉しいよ。ありがとう」

 健の言葉がじんわりと心に広がり、暖かくなっていくのを感じた。今、健の顔を見たら泣きそうだ。
 潤んでいた目を咄嗟に逸らし、窓の外に向ける。


「…あ、てかお前、じゃあ今日も部活のランニングサボってんのかよ!はよ戻れ!」
「ごめん、琴に直接会いたくて!また遊びに行くね!」
 そう言って健は笑顔で走り去っていった。



 それからも、健は差し入れと共に偶に放送室に遊びにきて、俺の声を聞いて帰る、と言う日々が続いた。

 変わったことは三点。
 一点目は、健なりに気を遣ったのか、差し入れは水やクッキー、チョコレートなど、のど飴に限定されることがなくなったこと。ちなみに俺は鈴カステラが好き、と言うと翌日に嬉々として持ってきてくれた。
 二点目は、俺が踊り場での原稿読みの練習中に、グラウンドでサッカー部がランニングをしていると、俺たちは手を振り合うようになったこと。
 三点目は…健を見ると、俺の心が少し浮き足立つようになったことだ。